Tiny garden

真夜中に眠る吸血鬼(1)

 廃墟となった町を抜け、霧深い森の奥まで踏み込んだ先にレオンティウスの城はある。
 百年の時がとうに過ぎ、古城の壁は苔生して森の緑に紛れ込みそうな色をしている。固く閉ざされた門の鉄扉も錆が浮き、長い間手入れをされた気配はない。さして大きな城ではないが、ぐるりと囲む城壁の向こうには伸び放題の木々の梢と、鎧戸で閉ざされた窓しか見えていない。近くの町と同じように、ここも廃墟であると通りかかった者達は誰もが思うことだろう。

 だがひとたび門扉を開け庭へと踏み入れば、そこにはわずかながら生活の匂いがあった。
 雲間から差す日の光の下、荒れ放題の庭の一角だけを耕し、野菜を植えている畑がある。撒かれた餌をついばむ鶏達が数羽いる。木々の枝に紐を結わえ、そこに吊るされ風に吹かれる数枚の衣服がある。そして城の入り口の庇の下、四角い固形の石鹸が数個、日に当たらぬぎりぎりの位置に並べられている。その脇には城の主レオンティウスが、庇が作る影に潜むようにして腰かけていた。
 目深に被ったフードの下には、レオンティウスの美しい顔が半分だけ覗いていた。血の通わない白い肌は精緻な彫刻を施された氷のように冷たく、それでいて端整に仕上げられている。顎は細く、青ざめた唇は薄く、肩につくかつかぬほど伸ばした銀髪とも相まって中性的な容貌にも見える。しかしローブに隠された細い体躯は骨格からして明らかに男のものだ。時折フードを深く引き直す手も青年らしく骨張っており、レオンティウスを女と間違う者はいないだろう。
 だがフードを被っているからこそ、彼を普通の人間だと間違う者はいるかもしれない。
 例えば好奇心に駆られ、レオンティウスの素顔を全て見たいとフードの中を覗き込む者がいたならば、その者はたちまち恐怖と死の予感に凍りつくだろう。なぜならレオンティウスの切れ長の瞳は、血を湛えたように赤々と光っている。
 上質な紅玉に似た赤い瞳は呪われたさだめの下で闇に蠢き、血を啜る者の証だ。心臓はとうに止まり、呼吸もせず、老いることもない。人の理から外れたその存在を人々は『吸血鬼』と呼ぶ。数多の伝承で語られるおぞましくも強大な存在と同じように、レオンティウスもまた不老の身体と計り知れない魔力を持ち、その代償として血の渇きからは逃れられぬさだめにあった。
 だからレオンティウスは下僕を傍に置いている。
「レオ様、ご覧ください!」
 光差す庭にいた若い娘が、声を上げて駆け寄ってきた。
 艶のある長い黒髪をなびかせたその娘は、小さな両手の上に鶏の卵を乗せていた。見ている方が不安になるような浮かれた足取りで駆けてくると、庇の下に座り込むレオンティウスの前で屈み、その卵がよく見えるように手のひらを傾けた。
「卵が孵るところです。もうじき雛が見られますよ!」
 見れば卵に小さなひびが入っており、今まさに雛が小さなくちばしで殻を割ろうとしているところだった。
「命短き小娘よ、騒ぐな」
 レオンティウスは娘をたしなめた。彼女にはリアという名があるのだが、レオンティウスは必要がない限りはその名を呼ばない。
「私はお前よりもはるかに長い時を過ごしている。そんなもの、何度か見たかわからぬほどだ。さして珍しくもない」
 だがリアの耳にその言葉はほとんど入らなかったようだ。手のひらの上で徐々に割れていく卵の殻に見入っている。若葉のような緑色の瞳はきらきらと輝き、柔らかそうな頬は上気して薔薇色だった。
「あっ、レオ様。羽が少し見えて参りましたよ。ふわふわです!」
「いちいち騒ぐなと言っている。全く、短命の者は声ばかり大きくて困る」
「生まれたら名前をつけなくてはなりませんね。何にいたしましょうか?」
「どうでもよい。他の雛と入り交じればどれがどれかわからなくなる、つけるだけ無駄だ」
 庭には他にも数羽の鶏と、その雛達が自由奔放に歩き回っていた。彼らの飼育は長らくレオンティウスが一人で行ってきたが、この城にリアがやってきてからというもの、鶏も雛も挙ってリアに懐き始めた。今も卵を見守るリアの足元に、先に生まれた雛達がぴよぴよ鳴きながら寄り集まっているところだ。
 だがそこでリアは面を上げ、レオンティウスを責めるように睨んだ。
「そうでしょうね。レオ様はわたくしの名前も、用がある時しか呼んでくださいませんもの」
「当たり前だ。お前は我が下僕、本来なら名前などなくてもいいくらいだというのに」
 レオンティウスはリアを冷ややかに睨み返す。以前はこれだけで怯え黙りこくったものだが、最近は慣れてしまったのか口応えが酷い。
「わたくしはレオ様にいつも名前を呼んでいただきたいのです」
「知ったことか。そもそもお前には、主の温情に対する敬意が足りぬ」
 主張するリアに手を焼き、レオンティウスは座ったまま肩を竦めた。
「よいか、命短き小娘よ。私にとってお前はこの雛のようなもの、誠に脆くか弱き存在のお前をあえて殺さず手元に置いてやっているのだ。本来なら私に生かされていることに深い恐れと感謝を抱くべきであって、私を睨みつけたり、あれやこれやと文句をつけたり、まして愛称で呼んだりなどということは不敬の極みで――」
「ああっ!」
 しかし長い説教を遮るが如く、リアが大声を上げた。彼女の手の中で雛が卵の殻をとうとう打ち破ったのだ。黄色い羽毛をしたふわふわの雛は一度身震いをして最後に残った殻を振るい落とすと、やがて小さな声で鳴き始めた。
「はあぁ……可愛い……!」
 手のひらの上で温もりを求め、すり寄ろうとする雛を見下ろしたリアは、たちまちうっとりとした表情になる。
「なんて愛らしいのでしょう! ほら、レオ様もご覧になって、めろめろになりますよ!」
「ならぬ。そんなもので喜ぶのはお前くらいだ」
「嘘です。レオ様だって本当は可愛さにめろめろで抱き締めたいと思っておいでに決まってます」
「主の言葉を疑うとは……全く嘆かわしいな、お前という下僕は」
 レオンティウスは雛に温かい眼差しを送るリアに呆れ返った。この賑々しくも自由奔放な娘を下僕としたのは誤りではなかったかと時々思う。だが城下の町が滅びた今、代わりの下僕を探すのは至難の業だ。今ここでリアを手放せば、次はいつ人間と出会えるかすらわからない。
 それにリアとは互いの思惑が合致した関係でもあった。仮にレオンティウスがリアを放逐しようとしても、彼女はそれを頑なに拒むだろう。
「レオ様。お洗濯物が乾いたみたいです」
 小さな雛達に追われながら、リアが木々の間に渡した紐から自らの衣類を下ろす。天日に当たりよく干された衣類を抱えるリアを見て、レオンティウスは頷いた。
「よろしい」
 そして軽く手を挙げたかと思うと、空を拭うようにさっと手を左右に振る。
 たちまち明るかった空は雲に覆われ、目映い太陽はその向こうへ隠された。と同時に辺りは深い霧が立ち込め、城壁の向こうに広がる森の木々があっという間に霞んでしまう。
「何度見ても、レオ様の素晴らしく強大な魔術には圧倒されます」
 リアが感嘆の声を上げる。
 フードを下ろしたレオンティウスは銀色の髪を揺らし、うんざりしながら下僕の賛辞に応じた。
「私は太陽の光が苦手だ。お前がわがままを言わなければいちいち霧を晴らす必要もないのに」
「でも、お洗濯は大事でしょう。わたくしは不衛生なのは嫌いです」
「日の光で火傷を負うくらいなら、まだ不衛生な方がいい」
「レオ様はお美しいお顔に似合わず、とても物ぐさでいらっしゃいますね」
 今度がリアが呆れてみせたが、生命としての活動をしていないレオンティウスに衛生観念など必要ない。実際、リアがこの城にやってくるまでは半月は同じ服で過ごすような生活を送り、血と埃で汚れた時だけ着替えるようにしていた。しかしリアはそういう物ぐさぶりをことさら嫌がるので、レオンティウスも不承不承従っている。
「そもそも私の魔術は洗濯物を乾かす為にあるのではない。そのことを忘れるな」
 その気になれば城を取り囲む森の木々を焼き払い、廃墟になった町を更なる荒野に変えてしまうだけの力がレオンティウスにはある。とは言え城の周囲を霧で閉ざし、人を寄せつけない隠棲生活を送っていれば使い道はほとんどなく、結局リアを喜ばせることにしか使っていないのが実情だった。
「それに、魔術には代償が必要だ。わかるな、命短き小娘よ」
 乾いた洗濯物を抱えて庇の下へ戻ってきたリアを、レオンティウスは立ち上がって出迎えた。
 ローブの袖から手を伸ばし、目の前に立つリアの首筋にそっと触れる。彼女は襟元が詰まった古風なドレスを着ていたが、直にではなくても首筋に触れられると途端に身体を震わせた。
「この後、食事にするぞ」
 レオンティウスの宣言を聞き、リアはぱっと頬を赤らめた。
「今からですか? お、お言葉ですが、まだ日も高いのに……」
「日ならもう隠した。私はお前の為に力を使い、少々腹が減っている」
「それは存じておりますけど、だからってこんな昼間のうちから……」
「何を申す。真夜中まで待てば待ったでお前は、疲れたからとあっさり寝ついてしまうではないか」
 リアの求めに応じて日が落ちるまで待たされた挙句、リアの寝顔を見るだけで過ぎ去った夜も一度や二度ではない。業を煮やしたレオンティウスは、週に二度の食事の時間を明るいうちにと定めた。
 だがリアからすればそれは受け入れがたいことのようで、いつも真っ赤な顔でもごもごと言い訳をされる。
「でしたら、わたくしが眠っている間に召し上がってくださっても構いませんのに」
「そんなつまらぬ食事は嫌だ」
 きっぱりと撥ねつけたレオンティウスはリアの肩を抱き、その耳に強く言い聞かせた。
「せっかくお前を傍に置いているのに、それでは鶏やその他の獣を食すのと変わりないではないか。とにかく食事にするぞ、下僕に拒む権利はない。よいな?」
 それでリアはためらいがちに頷き、それからおずおずと続ける。
「ではせめて、湯浴みをしてからでもよろしいでしょうか。汚いままでは嫌ですから」
「それはお前の意思であろう。私は嫌ではない」
「わたくしは嫌です。レオ様の前では汚いのも、臭うのも嫌です」
「短命の上に聞き分けがないとは手に負えぬ娘だな、お前は」
 レオンティウスは深く項垂れ、やむなく下僕であるはずの娘に対して折れることにした。
「ならば私が素晴らしく強大な魔術を使い、お前の為に温かい湯を沸かせばいいのだな?」
「レオ様、ありがとうございます。お蔭で湯浴みができます」
 リアは頷くと、庇の下に置かれていた四角い石鹸を一つ、洗濯物を抱えていない方の手で拾い上げた。畑で育てた香草を使ったその石鹸はリアが好むよい香りがして、近頃のレオンティウスはリアが望むがまま石鹸作りにも精を出していた。
「この石鹸、もう使ってもよろしいですか」
「ああ。それも私からの温情であるゆえ、重々感謝することだ」
「はい、レオ様は心優しい主でいらっしゃいます」
 俯くリアが幸せそうに呟いている。
 すっかり赤くなった彼女の耳を見下ろし、レオンティウスは密かに喉を鳴らしていた。
 面倒事も、直にありつける食事の為と思えば耐えられぬものではない。そんな思いを逆手に取られていることも察してはいたが、今のレオンティウスにはリアを手放すことなどできそうになかった。

 湯浴みを終えたリアが寝室に現れたのは、夕刻を迎える少し前のことだった。
 窓の鎧戸を下ろした寝室は薄暗く、寝台の横に置いたランタンの炎が微かに揺れながら辺りを照らしている。城主の為の寝室は百年前こそ贅を尽くした造りだったが、今はどの調度も美術品も古びるばかりでかつての栄華は見る影もない。だがリアが欠かさず掃除をしているお蔭で埃や蜘蛛の巣は払われ、寝具の類は清潔だ。寝台に横たわる半裸のレオンティウスの上に、しずしずと歩み寄ってきたリアの影がかかる。
「お待たせいたしました、レオ様」
 薄手のローブをまとったリアが、目を逸らしながらそう言った。髪や身体は拭いてきた後のようだが、石鹸に混ぜた香草の香りが彼女の身体から漂ってきた。羽織った薄い布地越しに身体の線が露わになっており、十八の娘らしい華奢な体躯にレオンティウスは眉を顰めた。
「また痩せたな、私のせいか?」
「いえ……自分ではよくわかりませんけど」
 リアは怪訝そうな声を上げた後、あえてレオンティウスの方は見ずに寝室の隅へ視線を投げる。
 ランタンから溢れる光がかすめるその奥に、石膏細工の裸婦の彫像がある。かつてこの城の主だった者が自らの理想とする女を創らせたという彫像は誠に見事な胸と豊かな腰を有しており、レオンティウスもリアが城へ現れる前はあの彫像に乾く心の慰めを見出していたこともあった。
 だが、その話を一度リアにしてしまったのがまずかった。以来、リアは事あるごとにあの彫像に嫉妬を覗かせる。
「レオ様はあちらの方がお好みのようですから、わたくしが痩せて見えるのではございませんか」
 今も、慇懃無礼な口調で言い返してくるリアに、レオンティウスは苦笑を噛み殺した。
「好みだと私が言ったか? あのくらいしか撫で回して楽しいものがなかったというだけだ」
 城内には他にもかつての城主が蒐集していた美術品が残されていたが、レオンティウスの好みに合うもの、あるいは長い孤独を慰め、渇きを癒してくれるものはなかった。それらはやはりリアに頼るしかない。
「この城にはもはや、お前に敵うものなどない」
 レオンティウスはそう告げると、寝台から身を起こし、傍らに立つリアの腰を掴んで抱き寄せた。リアは主の胸に倒れ込み、その冷たい肌に頬を押しつけて目を閉じる。人の温もりもなければ鼓動もないレオンティウスの身体に初めて触れた時、リアは恐怖のあまり涙を零したほどだった。しかし今は慣れたのだろう、自らしなだれかかってくることさえある。
 逆にレオンティウスにとってリアが持つ人として当たり前の温もりは、ありとあらゆる欲求と感情を刺激する複雑な対象だった。
「そうでなければ私も、お前をこうして眺めようとは思わぬ」
 リアがまとうローブを肩から落とすと、するりと脱げて寝台の下へ落ちた。まだ慣れないのか、リアははっと身を硬くしてますますしがみついてくる。
「い、嫌……ご覧にならないでください。大体、レオ様はおかしいです」
「私の何がおかしいと申すか、命短き小娘」
「だって、血を吸うだけなら首筋が出ていればよろしいのでしょう?」
 娘らしい小さな手で、リアは自らの首筋に触れた。そこには見る者が見れば吸血の痕跡とわかる、二つの牙の痕がくっきりと残っている。リアの身体の他の部分に傷跡はなく、またレオンティウスもリアのなめらかな身体は丁重に扱うようにしていた。
「なのにこうして、服を着せておかないなんて……」
「食事は楽しい方がよい。私は食事のついでに、お前の何もかもを楽しみたい」
 レオンティウスは骨張った冷たい手で、リアの白い背中をゆっくりと撫でた。
 身を捩るリアが胸にしがみついたままレオンティウスを見上げてくる。ランタンの明かりの中で見る緑色の瞳は明るく透き通っていて、とても美しい。レオンティウスの手が腰まで下りると、その瞳をにわかにつむって身を竦めた。
 そして、そこへ触れたレオンティウスの手には微かな痺れが走る。
 リアの左腰、丸みを帯びる直前の場所には蛇をあしらった紋様が彫られている。微弱ではあるが魔力も込められており、リアが言うには生まれてすぐに彫られて術をかけられたものだという。かけられている魔術は微弱ながら災いを払い、幸運をもたらす祝福の類だったが、レオンティウスほどの吸血鬼を退ける力はなかったようだ。
「レオ様、そんなにくすぐらないでくださいませ」
 紋様に触れられていることには全く気づかず、リアは深い溜息をつく。
 レオンティウスは寝台に座ったまま、リアを腿に乗せ、柔らかい身体を正面から抱きかかえた。そしてまず傷跡が残る首筋に口づける。
「少し、まだ、怖いですから……」
 リアが声を震わせ、レオンティウスの首に腕を回した。肩に顔を埋めてくる。くぐもった声がする。
「どうか、名前を……わたくしの名前を呼んでください……」
 ねだられた時は素直に応じるようにしている。
「リア」
 レオンティウスが彼女の名を口にするのは寝室に入る時だけだ。初めはリアからねだられるまで、名前を呼ぶということがそこまで重大だとは考えもしなかった。だがリアは名前を呼んで欲しがるし、レオンティウスがそれを怠るとあからさまに機嫌を損ねる。そして近頃では寝室でしか呼ばないことを遠回しに責めてくるまでになった。
 だからレオンティウスはリアの名を呼ぶ。
 全ては彼女から求めてやまない新鮮な血を得る為だ。
「リア、私の渇きを癒してくれ」
「はい、レオ様。わたくしを、どうか召し上がってください」
 従順な言葉の直後、レオンティウスは青ざめた唇を開き、ずっと隠してきた鋭い二本の牙を覗かせた。
 それをリアの首筋に、傷跡が残っている場所に寸分違わず突き立てる。刺さる牙の鋭さに、リアがぐっと背を反らした。
「あっ……!」
 強張る彼女の背に手を這わせ、レオンティウスは尚も牙を深く突き刺していく。初めのうちはゆっくりと、以前の痕跡を探り当てるように。
「は、あ……うあっ」
 苦痛に耐えかねてか、リアがレオンティウスの背中に爪を立てた。
 しかしレオンティウスはそれを制止しない。早くも舌先に触れ始めた新鮮な血の味に酔いしれ、身体の奥から突き上げてくるような欲求と渇望に駆り立てられていた。リアの血は美味だった。ほのかに甘く、舌がとろけるような深い味がした。気を抜けば理性が飛んで際限なく貪りそうになるのを、縋りついてくるリアの身体の温もりが引きとめてくれる。この温もりを味わいたいが為に、レオンティウスはリアに食事を求め、そして裸身を晒すことを求めていた。
「レオ様……わたくしをどうか、ずっとお傍に……」
 リアは首筋に噛みつかれて恍惚としながら、うわ言のようにそんな言葉を繰り返す。
「わたくしを傍らに、どうか……あっ、お、お願いです」
 音を立てて血を啜っていたレオンティウスは、その言葉に応じるように一度牙を引き抜いた。そして傷跡から垂れ落ちる赤い雫を舌で掬いながら答える。
「案ずるな。死が二人を分かつまで、お前はずっと私のものだ、リア」
 求められるより先に名を呼ぶと、リアが喘ぐような息をついた。レオンティウスはその首筋にもう一度、牙を深く突き入れた。
 寝台の上で重なり合う二人の影が、揺らめくランタンの光によって寝室の壁に映し出されていた。二人は固く抱き合ったまま、互いを離そうとはしなかった。

 全てが終わるとリアの身体は急に冷えたように体温が下がる。
 だからレオンティウスはその身体を毛布で覆い、温めてやらなければならなかった。
「ありがとうございます、レオ様……」
 脱力したリアに水を飲ませてやった後、レオンティウスは寝台の、彼女の隣に横たわる。吸血鬼の身体に睡眠は必要ないのだが、リアが寂しがるのでいつも添い寝をしてやることにしていた。
「今宵は休め、短命の者には睡眠が必要だ」
 髪を撫でながら勧めたレオンティウスに、リアはまどろむような顔つきで微笑んだ。
「そういたします……あの、レオ様」
「どうした」
「わたくしが眠りに就く時も、名前を呼んでいただけたら……嬉しいです」
 レオンティウスはその顔を横から覗き込み、溜息をつくように告げた。
「リア、ゆっくり休むがいい」
 するとリアは程なくしてとろとろと安らかな眠りに落ち、レオンティウスは毛布に包まれたその身体を抱き寄せる。そのまま目を閉じると、本当に眠ってしまえそうな心地がした。
 レオンティウスにとって、リアの温もりは懐かしく、眩しいものでもあった。
 かつて同じ熱が、温かな血が、自分の中にも通っていたのだ。
 一人でいれば霞んでいくばかりの人間であった頃の記憶が、わずかながら蘇ってくるようだった。

▲top