140字SS置き場2

拍手お礼として置いていた140字SSを再掲しています。

アリサは遠い故郷を奏でる

少女アリサは騎士を志し、田舎から出てきたばかりだ。
騎士見習いにはなったものの、帝都の暮らしになかなか馴染めず、近頃は望郷の念を募らせていた。
そんな彼女の心の慰めは、故郷から持ってきたフィドルと、
「今夜も一曲、聴かせてほしい」
それを聴いてくれる、リヒトという名の黒髪の青年だった。

リヒトは騎士団の軍師だ。新人で下っ端のアリサには雲の上の存在だったが、彼はアリサが奏でるフィドルに興味を持ってくれた。
「この国にもヴァイオリンがあったのか……!」
宿舎の裏庭で初めて出会った時、リヒトはそう言って涙を流した。
以来、アリサはリヒトの為に曲を奏でるようになった。

二人が会うのは宿舎の裏庭、消灯前のほんの一時の間だけだ。
月明かりの下で、アリサは心を込めてフィドルを奏でた。リヒトはいつも目を伏せて、じっくりとそれに聴き入ってくれた。
初めのうちは、二人の間に挨拶以外の会話はなかった。だがそのうち、リヒトはぽつぽつと自身のことを語るようになった。

リヒトは異邦人だった。放浪の旅の最中に帝国の保護を受け、軍師として引き抜かれたという。
「軍師様の辣腕ぶりは聞き及んでおります」
アリサの言葉に、リヒトは顔を曇らせた。
「俺は定石を披露しているだけだ。付け焼刃の知識もいつまで持つか」
彼は軍師を辞めたがっているようだと、言外に察した。

リヒトは時々アリサにせがんだ。
「俺の故郷の曲だ。歌うから、弾いてみてくれないか」
彼の歌声は美しく、アリサはうっかり聞き惚れてしまうこともよくあった。どうにか覚えて奏でると、リヒトは大喜びで誉めてくれた。
「ありがとう、アリサ」
彼の笑顔を見るのが、今ではアリサの喜びでもあった。

二人の密会も半年を過ぎた頃、ついにアリサは騎士に昇格した。
そしてその日、初めて日の明るいうちにリヒトがアリサを訪ねてきた。
「騎士となった君を、楽隊に招きたい」
一体、どういうことだろう。戸惑うアリサに、彼は笑って続けた。
「騎士団の為の楽隊を作る。俺が楽長になる」

リヒトは軍師を辞める代わりに、騎士たちの士気を高める楽隊の設立を進言したらしい。そして彼は、晴れて初代楽長となった。
「楽隊に人員を集めなくちゃならない。その時はまず君に声をかけようと思っていた」
彼は戸惑うアリサを見て、嬉しそうに笑う。
「これからも俺と音楽を奏でてくれないか、アリサ」

かくしてアリサは騎士団軍楽隊の一員となった。
剣を楽器に持ち替えることに迷いはあったが、リヒトの傍で働けることも、フィドルで騎士団に貢献できることも嬉しい。
ただ一つだけ、不安がある。
「楽長は、ずっと我が国にいてくださいますよね?」
時々故郷を恋しがるリヒトに、アリサはそっと尋ねた。

「帰ろうにも帰れないんだ。遠すぎるのかもな」
リヒトは寂しさを覗かせたが、すぐに笑んだ。
「だから時々は軍楽隊ではなく、俺の為にフィドルを弾いて欲しい」
「もちろんです」
アリサは頷き、代わりに故郷の歌を彼にねだった。
アイネ・クライネ・ナハト・ムジーク。遠い故郷の曲だと、リヒトは言う。

ロボットの体温

私がグレンぼっちゃんと初めてお会いしたのは、彼が六歳の時です。
「はじめまして、ぼっちゃん」
「すげー、ほんとにロボット? 触ってみていい?」
「どうぞ」
「うわ、ほっぺた柔らけー! 痛くない?」
「痛くはありませんが、加圧によって頬がもげそうです」
ぼっちゃんは、やんちゃ坊主でありました。

家政婦ロボットの私は、ぼっちゃんの子守りも務めです。
「ぼっちゃん、お休みの時間です」
「まだ眠くない!」
「仕方ないですね、抱っこして差し上げます」
抱き上げて軽く揺すると、ぼっちゃんの瞼がとろとろ下りてきます。人と同じく設定された私の体温は、睡眠導入剤として役立っているようです。

グレンぼっちゃんは九つの時に、抱っこを卒業されました。
「俺もう大人だから、そういうの恥ずかしいし!」
そう言い張るぼっちゃんですが、寝る時は寂しくなるのか、時々寝室に私を呼んでくださいます。
「では手を繋いでおきましょう」
私はぼっちゃんの小さな手を握り締め、彼が眠るまで見守りました。

十二歳になったグレンぼっちゃんは、ますますやんちゃ盛りです。
「なあなあ、腕相撲しようぜ!」
家事をする私を引っ張ってはゲームに興じようとします。
「俺もう子供じゃないし、手加減すんなよ!」
そう仰るので出力三十パーセントでお相手したら、二秒で負けたぼっちゃんはしばらく拗ねて大変でした。

やんちゃだったぼっちゃんも、十五歳になると落ち着いてきたようです。
「小遣い貯めて買ったんだ。使えよ」
私に新しいエプロンをプレゼントしてくれました。
「ありがとうございます。嬉しいです、ぼっちゃん」
お礼を言うと、彼はなぜか顔を顰めます。
「お前はいつまで『ぼっちゃん』なんだろうな……」

近頃のグレンぼっちゃんは、私に興味があるようです。
「さっき嬉しいって言ったけど、ロボットに感情はないはずだ」
「仰る通りです。でも大切にしていただければ長持ちしますし、そのことをメモリに記録しておけます」
保存しておきたくなる記録がある。それは多分、人が言う『嬉しい』と同じことです。

グレンぼっちゃんが十八の時、私の所有権は旦那様から彼に移り、彼は私のマスターとなりました。
ぼっちゃんはすっかり塞ぎ込んでいて、私は、彼にかける言葉を見つけられずにいます。
ロボットが言葉に詰まるのもおかしなことかもしれません。でも、適切な言葉が全く出力できないことだってあるのです。

「眠れないんだ、傍にいて欲しい」
グレンぼっちゃんに乞われ、私は久方ぶりに彼の眠りに付き合いました。
「温かい手だ。昔から何も変わらないな」
ぼっちゃんの手が、私のつくりものの手を撫でます。
この体温もつくりものですが、大切な人を温められることはできます。それはとても『嬉しい』ことです。

ロボットの記録と違い、人は忘れることができます。
「俺はまだ一人じゃない。お前がいる」
グレンぼっちゃんは再び笑えるようになりました。それもまた私には『嬉しい』ことです。
「お元気になられてよかったです、マスター」
「……ぼっちゃんの次はそれか。名前で呼ばせる機能は、お前にはないのかな」

禁句の多い企画室

我が企画室では横文字を禁止しています。
同僚との会話はこんな感じです。
「桧山さん、お昼どうします?」
「店行って買ってくる。ついでに買う物あるか?」
「私、甘くて黒いものが食べたいです」
「かりんとう?」
「違います。原材料は豆です」
「おはぎか!」
「違います」
こんな感じに、回りくどいです。

ただ禁止しているだけでなく、横文字を使ったら罰金百円です。
だから私も桧山さんもいつも必死です。
「雪浦、これ四枚複写しといて」
「了解です。大きさはこのままでいいですか?」
「ああ。けど、もしかしたらインクが――」
「えっ?」
「――染料が、切れてるかもしれない」
「はい桧山さん、罰金です」

桧山さんは狡い人で、時々私を嵌めようとします。
「ゆきうらー、来週の火曜日は何の日だ?」
「知らないです」
「三月十四日だろ。先月お前は俺に何くれた?」
「知らないです」
「引っかかんないか。ところでお返し、何だと思う?」
「指輪ですか?」
「そ、んなわけないだろ、ホワイトデーだぞ! ……あ」

実は私も、時々やってしまいます。
「桧山さん、生地見本揃えました」
「ありがとな。お前はどれがいいと思う?」
「私は、このファー生地が――」
「ん? 雪浦、何て言った?」
「……ふあふあっとした生地が、いいと思います」
「往生際が悪い。はい、罰金百円!」
仕事柄、横文字禁止はとても辛いのです。

そもそも横文字禁止になった理由は、うちの社長がかぶれたからです。
「我が社では新たにレディスをターゲットにしたラインをスタートアップすることにした。コンセプトは『ラグジュアリーでコンフォートなオフィス空間』だ」
企画会議でのこの発言に、企画室では横文字アレルギーが起きたのでした。

我が社は事務機器メーカーです。企画室では、豪奢で快適な女性向け事務椅子を設計しています。
「けど、ふあふあっとした生地はないだろ。夏は暑い」
「桧山さんは何がいいと思います?」
「縮緬かな。季節を選ばないし、色バリエも豊富だ」
「バリエ?」
「……あー! 頑張って『縮緬』っつったのに!」

「罰金、結構貯まってきたな」
「ですね。私、この企画が片づいたら行きたいお店があるんです」
「へえ、どんな店だ?」
「えっと……異国風の、食堂と言うか……」
「なるほど。打ち上げは罰金でそこ行くか」
「はい。楽しみにしてます」
「じゃ、頑張って罰金貯めないとな」
「なんか変ですね、それ。ふふ」

「俺もな、この企画が片づいたら、お前を誘おうと思ってたんだ」
「へえ。どこに連れて行ってくれるんですか?」
「それは内緒だ。言うと罰金だからな」
「横文字禁止、全く不便ですね」
「まあな。でも、お蔭で目標ができた」
「罰金刑があると気が引き締まりますよね」
「……それだけ、じゃないけどな」

リースベット姫は生きているか

王女リースベットは十九の冬に病死した。だが死の二日後、息を吹き返した。王宮魔術師スヴェンの死霊術がその魂を冷たい肉体に呼び戻したのだ。だが禁忌の秘術に代償がないはずもなく。
「これで私とあなたは、生涯離れられなくなりました」
蘇ったリースベットに対し、スヴェンは至福の笑みを浮かべた。

人ひとりを蘇らせるのに必要な魔力は甚大だった。王宮魔術師のスヴェンでも、その魔力の全てを捧げなくては維持できぬという。
「姫様にはこれより常に、私の傍にいていただきます」
「なぜです」
「離れると、姫様の魂をそのお身体に固着できなくなるのです」
「なぜ、そんなに嬉しそうに申すのです……」

蘇ったリースベットには、生きている時と同様に食事が必要だ。
「姫様、お食事のお時間です」
「でも、恥ずかしいのですが……」
「近くでないと、あなたの魂が美しいお身体から離れてしまいます」
「だからって毎度、あなたのお膝に座るのは」
実は膝に座らせる必要まではないのだが、スヴェンは黙っていた。

リースベットには沐浴も必要だった。
「目隠しを外さないでください」
「承知しております、姫様」
「目隠し越しに見るのも駄目です、目をつむって!」
「承知。ところで、私の身体はどう洗えば?」
若いリースベットは羞恥に赤面しながら、命の恩人の背中を流した。その時、スヴェンは実に幸福そうだった。

リースベットの死は公式には伏せられていた。隣国の王子との結婚が決まっていたからだ。だが蘇ったところで、スヴェンを連れて輿入れはできない。
「婚約は解消だと、お父様が嘆いておりました」
リースベットは涙を流した。まだ見ぬ婚約者には何の感情もないが、国の為に生きることを望んでいたからだ。

「わたくしは何の為に生きているのでしょう」
リースベットの言葉を、スヴェンはすぐ傍で聞いていた。
「あなたの力を借りてまで蘇ったところで、国の為に生きられぬのなら無意味です」
「そんなことはない」
スヴェンはリースベットの涙を拭う。
「私はこの力をあなたに捧げたこと、後悔はしておりません」

スヴェンはリースベットに語る。
「国の為ではなく、これからは私の為に生きてください。私も力を使い果たした身、もう魔術師には戻れません」
「では、わたくしから離れればよいでしょう」
「それはできません、姫様。生涯離れられぬと申し上げたはず」
彼は今でも、この上ない至福の笑みを浮かべている。

「死が二人を別つまで。ずっと一緒です」
スヴェンが告げると、リースベットは涙に濡れた目を瞬かせた。
「あなたは死にさえその力で抗った。わたくしが死んでも離さない気でしょう」
「無論です、姫様」
一切の迷いなく、スヴェンは大きく頷いた。
「何を犠牲にしても、何度でもあなたを蘇らせてみせます」

冬の終わり、リースベット姫は王宮魔術師と共に城から消えた。政略結婚の駒にもならぬ姫君と、姫の命を繋ぐことしかできぬ魔術師にはおざなりな追手が差し向けられ、当然、発見されることはなかった。

同時期、山向こうの村に若い夫婦が住みついた。片時も離れず寄り添い合う、仲睦まじい夫婦だという。

人狼閣下と道化の仕立て屋

仕立て屋ロックは道化である。本名をロクシーといい、男のふりをしている。ならず者の顧客が多い下町ではそういった偽装も必要なのだ。
だがある夜更け、自らに勝るとも劣らぬ道化に出会う。
「服を一揃い、いただけるか」
入店するなりそう言ったのは、尖った耳に鋭い牙、漆黒の毛並みをした人狼だった。

人狼はエベル・マティウスと名乗った。その名は伯爵として知られているが、毛むくじゃらの狼男であるとは初耳だ。
「既製の服があなたに合いますかどうか」
ロックは呆然と、天井すれすれの長身を見上げていた。
すると人狼は優雅に一礼し、答えた。
「それだ、ご店主。私は人の身体に合う服を求めている」

試着室で着替えを済ませ、現れたエベルは鳶色の髪の美しい青年だった。毛むくじゃらの人狼は見る影もなく、腕や脚も程よく引き締まり、背丈も人並み程度だ。
「人狼の身体に、いつも着ている服は合わなくてな」
エベルは凍りつくロックに丁重な感謝を述べ、代金は後日払うと言い残して店を出ていった。

だが後日来店したエベルは、またしても人狼の姿をしていた。よくよく酔客に絡まれる男のようだ。
「服が破けた。新しいものをいただこう」
平然と語るエベルに、ロックは不快感を露わにした。
「変身の度にそれですか。あなたに破かれる服がかわいそうです」
「では、破かなくても済む服を仕立てて欲しい」

人ならざる者の採寸など初めてのことだ。
「あなたの身体が膨れたら、するりと脱げるつくりにいたしましょう」
ロックは巻尺を指で押さえ、人狼を採寸した。ふさふさの毛で覆われた首筋、筋骨隆々とした胸や肩、丸太のように太い腕や脚。ロックの指先がその身体を辿るのを、人狼は黙って見下ろしている。

「女の匂いがするな」
採寸が済んだ後、エベルが呟いた。
人狼の武骨な手がロックの手首を掴む。男装では誤魔化しきれぬ細い手首を観察され、ロックは内心ひやりとした。
「ここには女の客もおりますから」
「その女と懇ろなのだろう? 匂いが染みついている」
人狼の瞳には、微かな嫉妬の炎が揺れている。

「きれいな顔に似合わず、好色と見た」
口調ではからかうようにエベルは言った。
だが手首を離さぬ執着はあからさまで、ロックは己の身の危険を察する。こういう客がいるから男のふりをしてきたのだ。
「閣下は、男色のご趣味が?」
問われた人狼は黒い瞳にロックを映し、名残惜しげに手を離す。
「いいや」

ロックが人狼の為の服を仕立てた頃、今度は青年の姿のエベルが来店した。これまでの代金に色をつけて支払った後、新しい服の出来映えに満足そうにする。
「よい腕だ。いっそ、私の専属として働く気はないか?」
「もったいないお言葉です」
ロックが笑い飛ばすと、エベルはその笑顔を物惜しげに見つめた。

「やはりお前は、よい匂いがする」
エベルは人狼と同じ黒い瞳でロックを見つめる。
「いっそ試してみようか、ロック。お前こそ、男色に興味はないか」
あるはずがないとロックは慌てた。それでは男のふりをする意味がない。

だが人狼閣下は本気のようだ。道化の仕立て屋は、果たして逃げ切れるだろうか。