140字SS置き場1

拍手お礼として置いていた140字SSを再掲しています。

  • 長編目次(ここにある作品の本編が読めます)
  • 140字SSその2
  • 一日五分間の彼

    彼の名前はもちろん知っているし、連絡先も知っているし、駅から五分の部屋にも行ったことがある。だけど正確な住所を聞きそびれていて、年賀状を書く手が止まった。迷った挙句、「直接、お届けに来ちゃいました」そう告げた後のすごく嬉しそうな顔、手渡しじゃないと絶対見られなかったな。

    仕事柄、バレンタインデーにはたくさんチョコレートを貰う。当然、一人では食べきれないから、毎年仕分けがてらゆきのさんにお裾分けしている。彼女もお礼がしたいからと、俺の部屋に来て、美味しいお茶を入れてくれる。毎年大変な行事ではあるけど、これがあるからバレンタインデーは嫌いになれない。

    主任とルーキー、七歳差

    日曜の夜。作ってもらった昼飯の残り、洗面所に残された化粧品の瓶、空っぽのパジャマ。どれも目につく度に寂しくてたまらなくて可及的速やかに結婚したくなる。三十過ぎてお前のいない切なさに胸が痛くなる恋をするなんて思わなかったぞどうしてくれる。とりあえず今夜は内緒でパジャマ抱いて寝る。

    『あけましておめでとう、藍子。今年も上司としてはびしびしと厳しく、彼氏としてはとろとろの激甘でいくからよろしくな。お前もその可愛すぎる可愛さで俺を今年と言わず未来永劫支えてくれ。年賀状に書くのも何だが、藍子、大好きだ!』 「あああの隆宏さんっ! 私、実家住まいなんですから!」

    二年目のバレンタインは、手作りチョコでびっくりさせたいと思ってた。できあがったトリュフチョコは自分で言うのも何だけど完璧な出来で、箱を開けた隆宏さんもびっくりしていた。一口食べたところで美味しいですかと尋ねたら、不意を突かれてキスされて「美味いだろ?」って。……あ、甘かったです。

    ナインカウント

    「もう顔赤くなってるよ」酒に弱い俺を見て、彼女がからかう。ビール一杯で顔に出るのがよほどおかしいらしい。「好きな子と飲んでるからだよ」そう言ったら、俺より強いはずの彼女がみるみる赤くなった。全く、酔いやすいのはどっちだ。いっそあれこれ言葉を並べて、先に酔い潰してやろうか。

    久々に年賀状を出したよ、という言葉通り、元日に年賀状が届いた。そういえば去年はメールでたくさんやり取りをしたが、直筆の手紙を貰うのは本当に久々だった。懐かしくて可愛い彼女の字が、『今年も仲良くしてね』と綴っている。たったそれだけのメッセージを、何度も何度も読み返している俺がいる。

    去年は随分と喜んでくれたみたいだから、今年も年賀状を書いてみた。『あけましておめでとう』直接言う方が早いけど。『今年もよろしく』当たり前だけど。『ずっと一緒にいようね』言うまでもなく、このハガキだって一緒に見てるだろうけど。あれから一年が過ぎて、二人で暮らしてる今、すごく幸せだよ。

    「巡くん、歳の数だけ豆食べるのって正直きつくない?」 「まあ、三十過ぎるとどうしてもな」 「それなら安心して。お豆腐一丁には大豆がなんと約三百八十粒使われてるんだって。二人で半分こして食べてもあと百六十年はいけるよ! だから節分はお豆腐を食べよう!」 「……何か妬けるな。豆腐に」

    席を離れた隙に、机にチョコレートが置かれていた。お留守の間に持ってきた子がいたんです、なんて皆がにやにやして言う。怪訝に思って箱を見れば、贈り主は『園田伊都』。直接渡すのが恥ずかしくてと彼女は言うが、こっちの方が恥ずかしいだろ。皆に冷やかされた分、家に帰ったら覚悟しとくように。

    レイトスプリングタイム

    腕時計を知らないかと電話が来て、慌てて鞄を探る。革ベルトの腕時計は鞄の奥底に入っていて、紛れ込んだ経緯を考えるうちに頬が熱くなる。見つかった旨を告げた後、外さなくてもいいんですよと言い添えたら、「傷つけたくないからだ」と言われた。そういえば先輩の爪はいつもきれいに切り揃えてある。

    彼女からの年賀状は毎年必ず元日に届く。高校時代からずっと変わらぬ筆跡は丸みを帯びていて柔らかく、可愛げがあって、どことなく彼女自身を思わせる。はがきの隅に記された彼女の名前を、確かめるように指でなぞった。この世で最も大切なものの名前は、紙に残された微かな凹凸さえいとおしい。

    先輩からの年賀状は毎年必ず元日に届く。ハガキには生真面目な人らしい整った字が並んでいる。画数が多くて覚えにくいであろう私の名前すら、丁寧に、美しく書いてくれている。一体どんな顔をして私の名前を書いているのか、気になる。私が先輩の名前を書く時のように、少しは照れたりするのだろうか。

    食べ物の嗜好には経験と記憶が密接に絡む。俺がチョコレートを好きになったのも、あの甘さと香りにまつわる忘れがたい記憶があるからだった。今年も彼女は俺の為に、何か作ってくれたらしい。俺はそれに合う紅茶を仕入れ、彼女が来るのを待っている。今日もまた、忘れがたい記憶を作れたらいい。

    隣の席の佐藤さん

    彼女はいつも、僕のバイト先に突然やってくる。さもお客様ですって顔をして現れて、でも演じ切れてなくて僕の顔を見てはにかんで、小さなお菓子の箱なんかをレジまで持ってきて「あの、お仕事頑張ってください!」なんて言う。いつもレジ台飛び越えたい気分になるので、ちょっとご遠慮くださいお客様。

    毛筆で書かれた立派な『謹賀新年』。昔習ってたんだってあっさり言ってたけど、本当に何でもできて、すごいなって思う。しかも今年は私にしか出さなかったんだって。それって私の為に筆や墨を用意して、書いてくれたってことだよね。「特別扱いみたいで嬉しいな」「……特別なんだよ、佐藤さんは」

    彼女から届いた年賀状は一面真っ白だった。といっても彼女らしいうっかりではなくて、今時やる人がいたのかと驚かされる、古式ゆかしいあぶり出しだ。仕方なくドライヤーで温めてみたら、じわじわと浮かび上がる『やまぐちくんだいすき』の文字。正月早々、ドライヤーを足に落っことしてうずくまる僕。

    誰より早く「おめでとう」を言おうと思って、年明け早々に自転車を飛ばした。真夜中の暗さも風の冷たさも吹っ切って駆けつけたのに、玄関先まで出てきた佐藤さんは、息を切らす僕より先に言う。「あけましておめでとう」先を越されてしまったけど、彼女が可愛いパジャマ姿だったから、よしとしておく。

    卒業以来、バレンタインのチョコは手渡しにしてもらっている。今年は一人で作ったというその出来映えは、溶かしてかけて固めただけのアーモンドチョコレート。ただし佐藤さん曰く、アーモンド一つ一つに『すき』ってメッセージを刻んだらしい。というのをどうして全部食べてしまってから言うんだ!

    去年と違い一人で挑む手作りチョコ。料理は得意じゃないから大したものは作れないけど、特別感のあるものにしたい。そう思って作ったのはメッセージ入りアーモンドチョコレート。ただしメッセージは恥ずかしいから、チョコの下に『すき』って刻んで隠してあります。あっ、山口くん、全部食べちゃった!

    運命は時が連れてくる

    好きになった人の心の中には、もう既に別の誰かが居着いている。そういう不幸な片想い。もしくは横恋慕。ここで諦めて一人で泣くか、心の中の先客を追い払って振り向かせようと努力するかが運命の分かれ道なのかもしれない。自分がどっちを選ぶかなんて、当たり前だけど言うまでもない。

    キスはボーダーラインだ。好きな者同士じゃないとしないだろうし、信頼してない相手とはできない。手を繋ぐよりわかりやすい愛情表現でもあるし、ここから更に関係を深めたいって意思表示でもある。今夜、そういう気持ちを何もかも全部込めてみたつもりだったけど、どこまでちゃんと伝わったかな。

    元旦、初詣に行きたいと言ったら、近所の神社に連れて行ってくれた。彼女は毎年来ているけど、誰かと一緒に来るのは初めてだって、幸せそうな笑顔で教えてくれた。最初は片想いだっただけにそんな『初めて』が残ってるのがすごく嬉しい。神様、どうか残りの『初めて』も全部俺のものになりますように!

    福袋に入ってたセーターがぶかぶかで、試しに彼に着てもらったら、肩幅も袖の長さもぴったりだった。スレンダーに見えた彼だけど、意外と肩幅あるんだねって呟いたら、その腕にぎゅっと抱き締められた。「ほら、都さんを包んであげられるくらいはあるよ」真新しいセーター越しの体温が、温かかった。

    一人暮らし歴が長くなり、誰にも「おかえり」を言ってもらえなくなってから随分経つ。だから、そう言い合える相手が見つかったら、大切にしようと思っていた。ベランダに出て帰りを待つ一月の寒い夜。風の向こうに耳を澄ませ、街灯が照らす夜道に目を凝らし、待ちぼうけの幸せをしみじみと噛み締める。

    彼と一緒に朝を迎える日は、寝癖があると、むしろ嬉しい。朝から丁寧にセットしてくれて、ヘアアレンジまでやってもくれて。でも一番嬉しいのは、彼と一緒に鏡の前に座って、優しく髪を弄ってもらう時間そのものだ。にやつきを抑えきれない私の頭越しに、幸せそうに髪に触れる彼の顔が映っている。

    レプリカナジミ

    「はっきり申し上げますと、お嬢様の読まれる漫画は健全とは言いがたいかと」「こ、このくらい普通だよ。庸介はもっとすごいの読むでしょう?」「断じて読みません」「嘘、男の子はベッドの下にすごい本を隠しているって漫画にあったもの!」「……やはり、健全とは言いがたい本をお読みのようですね」

    「よくお似合いです」新しい服をそう誉めると、六花はいつも拗ねる。違う誉め方をして欲しいみたいだけど、使用人の身分で本音は言えそうにないこともわかって欲しい。可愛くて少しわがままで、昔ほどは子供じゃない、俺の自慢のお嬢様。本当は俺も、違う誉め方と、違う呼び方がしたいって思っている。

    懸想する殿下の溜息

    彼女から貰った鍵には、栗色の房飾りがついていた。肌身離さず持ち歩くだけでは飽き足らず、たまに懐から取り出して、戯れに揺すってみたりする。軽やかに歩く彼女の束ね髪を思い出し、一度ならず口づけたことがあるのは彼女には秘密だ。その為に渡したのではないと、美しい眉を逆立てるだろうから。

    糸を縒り集めて、束ねて、房飾りを作る。自分と同じ髪色の糸を選んだのは、たまに思い出して欲しいから。鍵に房飾りをつけたのは、お守りとして懐に入れておくには邪魔だろうから。そして鍵を贈った理由は一つじゃない。恋と、信頼と、誓約と、覚悟。全てを込めた贈り物のつもりだった。

    二人で花を摘んだ後には、その花を花瓶に活ける。二人でリンゴを食べた後は、残りのリンゴを卓上に飾る。まるで思い出をなぞるように。そして今日、飾るように置かれていたのは香油の瓶だ。言葉に詰まり視線を送ると、飾った当の主は澄まし顔で言った。「次の機会には是非とも頼む」

    自己中執事と生真面目メイド

    彼女は自分の髪が赤くないと頑なに思っているらしい。かつては「赤薔薇のように美しい髪」などと言われるとたちまち機嫌を損ねたものだが、今では頬をほんのり染め上げて、気恥ずかしそうに私を睨むばかりだ。その髪色と頬の色、どちらの赤も美しく、いとおしく、両方を愛でられる幸いを噛み締める。

    彼は常に妻を誉めそやすが、彼の方こそ類稀なる美しさの主だ。磁器人形のように端整な顔立ち、碧玉のような瞳、均整のとれた長身、洗練された所作と品格――彼の誉め言葉がもう少し控えめなら、うろたえず逆に誉め返して赤面させてやれるのに。クラリッサはいつもそう思うが、実行できたことはない。

    柔らかい寝台と暖かな寝具、隣で眠る愛しい人の体温、微睡の中で身を寄せ合う喜び。かつて欲しかったものを全て手に入れたのに、彼女のあどけない寝顔を見ていたら、更に欲しいものができてしまった。次はこの家に、世界一幸福な子供を迎えたい。既に幸いを知った二人なら、きっといつか叶うだろう。