卵しかない日
お弁当作りを始めてから、僕にはたびたび立ちはだかる強大な敵ができた。それはお弁当箱に生じる『隙間』だ。
例を挙げると、メインのおかずは焼き鮭、そこに茹でたオクラを付けるとする。
最近購入したオーバル型のお弁当箱にご飯を盛り、その上に焼き鮭を載せ、さらに輪切りにしたオクラを添える。これだけでもお弁当として成立するといえばそうかもしれない。でも、明らかに寂しい。
またご飯の上におかずを載せる盛りつけは見映えこそいいのだが、おかずの品数が少ないと白いご飯が目立ってしまって格好つかない。やっぱりおかずは多いほうが食べ応えがあるし、お弁当に余白があるのは見た目的にいまいちだ。
そういう時のために存在するのが、いわゆる隙間おかずというやつだろう。
ただ残念なことに、僕はまだお弁当作りを始めたての初心者だ。それ以前は自炊も時たまに、というレベルだったのでレパートリーがごく少ない。お弁当に隙間が生じた時、じゃあ冷蔵庫にあるもので一品――などという器用な芸当ができるはずもなかった。そもそも冷蔵庫に常備している食料品なんて、せいぜい卵くらいのものだ。
そんな僕が頼りにしているのは、お弁当作りに長けた遠方の友だった。
「卵だけで作れる隙間おかずを教えて欲しい」
僕がそう切り出すと、電話の向こうで播上が唸った。
『渋澤、卵以外の食品も買い置きしたほうが楽じゃないか?』
「買い置きって、例えば?」
『そうだな、ウインナーとかちくわとかチーズとか……』
今でも札幌在住の播上は、すらすらとそう答える。
『加工食品があればお弁当の隙間なんてすぐ埋まるよ。何かしら揃えておくと困らない』
播上の趣味は料理だ。
僕も札幌にいた頃、一度だけ奴の部屋に招かれて、手料理をご馳走になったことがある。リクエストしたのは好物のハンバーグだったが、これがめちゃくちゃ美味しかった。ぎゅっと詰まった挽き肉はジューシーで、焼き加減も絶妙な柔らかさ。おまけにソースまで数種類用意してくれて、すっかりおもてなしされてしまった。
今は僕が東京にいて、播上とはもう一年も会っていない。札幌にいるうちにもう一回くらい播上の手料理を味わっておきたかった、なんて今さらのように悔やんでいたりもする。
それに、札幌にいるうちに播上から料理を習っておけばよかった、とも思う。
「でも加工食品って意外と日持ちしないだろ」
僕は最近あった出来事を思い返しながら答えた。
せっかく始めたお弁当作りをとにかく継続させたくて、僕はおかずになりそうな食料品を一通り買い込んでみた。ハムや佃煮や、それこそウインナーなんかだ。ところが朝寝坊をしたりちょっと忙しかったりでお弁当作りを休んでいたら、買い込んだ食料品はあっという間に期限が来てしまっていた。慌ててウインナー丼を夕飯にしたのも記憶に新しい。
「気を抜いてるとすぐに期限が来るんだよな。つい冷蔵庫の奥にしまい込んで忘れちゃったりもするし……播上はそういうのもちゃんと把握してそうだけど」
『慣れれば自然と把握できるよ、大丈夫』
播上はあっさりとそう言った。
さすが、学生時代からずっと自炊している奴の言うことは違う。
片や僕は東京に来るまで自炊と言えば麺類だった。パスタ、焼きそば、焼きうどんといったメニューを作って満足していたのだから、お弁当作りに活かせるスキルなんてさほどない。だからお弁当に生じた隙間程度で頭を抱えてしまったりするわけだ。
『卵だけで隙間を埋めるなら、例えば茹で卵なんていいんじゃないか』
悩める僕に、播上がそうアドバイスをくれた。
『鍋一つでできるし茹でるだけ。しかも見映えもなかなかいい』
「なるほど……けど、茹で卵ってけっこう時間掛かるよな?」
小学校の時に調理実習で作ったことあるけど、まず卵を冷蔵庫から出して十分放置、次に水から茹でて沸騰してからさらに十分、とか掛かった気がする。
『お湯から茹でればそこまで掛からないよ』
「お湯から? 水じゃなくて?」
『ああ。朝ならコーヒーとかお茶とか飲んだりするだろ? その時の余ったお湯で茹でたらいい。冷蔵庫から出したての卵でも割れないから大丈夫だ』
「へえ……」
茹で卵一つとっても、僕には知らないことがまだまだあった。播上のやり方なら確かにいくらか早く作れそうだ。
『味つけはシンプルに塩でもいいけど、半分に切ってマヨネーズ載せて焼くのもいいよ。ちょっと焦げ目がつくほうが美味しそうに見えるしな』
「あ、それ美味そう。今度作ってみるよ」
『あとは前の晩に茹でておいて、煮卵にするって手もある。殻を剥いたらめんつゆなんかに漬けておくだけだから簡単だ』
やっぱり播上に相談して正解だった。料理初心者である僕にもできそうなメニューを、注文通り的確に教えてくれる。
「助かったよ播上、ありがとう。やっぱ頼りになるな」
『料理だけが取り柄みたいなものだからな』
僕の称賛に照れたのかどうか、播上は謙遜めいたことを口にした。
その後で、
『また何かあったら聞いてくれ。いつでも力になるから』
とも言ってくれて、料理だけが取り柄なんてことないだろ、と僕は思う。
僕にはいい友達がいる。直線距離にして八百キロの、ずっと遠い故郷にだけど。
播上とはこんなふうに、お弁当のことでよく連絡を取り合っていた。
ただどういうわけか、料理のことには博識かつ饒舌な播上も自分自身の話となると微妙に口が重かったりする。最近仕事はどうか、みたいな話題はあんまりしないし、『メシ友』清水さんのことなんて僕がよほど突っ込んで聞かないと教えてくれない。まあ、相変わらず仲はいいみたいで一緒にお弁当食べたりしているのは確からしい。
札幌支社の社員食堂の片隅で、いつも肩を並べて座っていた播上と清水さんの姿を覚えている。
あの頃は純粋に羨ましいと思っていた二人のことも、今ではひどく懐かしい記憶だ。もう見ることはないのかもしれない、なんて感傷的な考えも過ぎったりする。東京から札幌はたやすく帰れる距離ではないし、仮に訪ねていったところで社員食堂で顔を合わせることもないだろうから。
僕は最近、札幌にいた時のことをよく思い出してしまう。播上や清水さんだけじゃなく、両親や祖母といった家族のこともそうだし、あるいは子供の頃からずっと過ごしてきた見慣れた街並み――ニュースでたまに映る大通公園やテレビ塔、北大のイチョウ並木なんかを見ては、無性に切ない気分になったりする。ちょっと前までは僕も、あの街並みの中で当たり前みたいに暮らしていたのに。
僕がお弁当作りを始めた理由の一つは、そういった郷愁から気を紛らわせたかったからだ。
もちろん、東京だっていい街だ。
移り住んでから一年、僕はだいぶこっちの暮らしにも慣れてきた。観光名所なら札幌にも引けを取らないくらいあるし、買い物には全く不自由しない。公共交通機関も充実した素晴らしい日本の首都。電車はちょっと混みすぎだけど。
僕の住まいは代々木にあって、職場のある田町までいつも電車で通っている。たまにお弁当を持っていく。毎日は無理だけど、それでもできる限り継続させられたらと思っている。
今日のおかずは予定通り、焼き鮭と茹でたオクラ、そして茹で卵の――メニュー名がわからないが半分に切ってマヨネーズ掛けてトースターでちょっと焼いたやつ。焦げ目のついたマヨネーズは確かに食欲をそそる見た目をしている。焼き鮭も皮までパリッと焼き上がっているし、脂の乗りもいい感じだ。オクラは青々としていて彩りもいいし、しゃきしゃきの食感も好みだった。
初心者が作ったにしては品数も悪くなく、なかなかの出来映えじゃないだろうか。
気を紛らわすための弁当作り、とはいえ料理自体に楽しさを覚えているのも事実だ。自分の食べたいものを作れるというのはそれだけでお得な気分だし、一日のスケジュールの中に料理の時間を組み込むだけで生活に張り合いも出る気がする。スーパーの食料品コーナーを回れば忘れがちな季節を思い出せるし、北海道にはなかった野菜や魚を見つける楽しみもあったりする。
でも、一番の楽しみは。
「あ、渋澤さん。今日もお弁当持ってきたんですね」
休憩室でお弁当を広げていると、声を掛けてくれる人がいること、かもしれない。
背丈は僕と同じくらい。いつもぱりっとしたスーツ姿の彼女は、僕の総務課の後輩だった。
名前は、芹生一海さん。
涼しげな目元と上品な微笑み、それにきれいなイントネーションが印象的な人だった。