Tiny garden

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給料日の前の日

 給料日前の冷蔵庫は殺風景で少々寂しい。
 料理以外にお金のかかる趣味もなく、さほど贅沢をする質でもない。そもそも毎月カツカツになるような生活もしていないつもりだが、それでも給料日前には食材の買い出しをする機会がぐっと減る。余分な買い足しをしなくても済むように、なるべく有りもので料理をすることにしていた。
 それは毎日作る弁当でも同じことだ。
 本日の食材はと冷蔵庫を覗けば、まず目につくのはお弁当の隙間埋めにぴったりのちくわ。そういえば一本余らせていたんだった。野菜室の中ではこれまた登場回数の多い大葉と、買ったはいいがなかなか食べきれないアボカドが気になった。どちらも今日のうちに消費したい。
 となると今日の献立は――天ぷらにしよう。

 ちくわも大葉も火の通りやすい食材だ。アボカドも厚く切りすぎなければすぐほくほくになるし、高温でさっと揚げるくらいがいいだろう。三種類だとちょっと物足りないので、焼き海苔も一緒に揚げることにした。
 小麦粉と氷水をさっくり混ぜて作った衣に、打ち粉をしたそれぞれの食材をくぐらせる。それから熱した油に、温度が下がらないよう少しずつ投入して揚げていく。
 弁当用に揚げ物はよく作るが、唐揚げやフライと比べると天ぷらは少々難易度が高い。衣が温くなるとすぐべたべたになるし、油の温度を間違うとすぐに焦げたり、でも中まで火が通ってなかったりと失敗した記憶がいくつもある。だから今日みたいに、火の通りをそこまで気にしない食材だと楽でいい。
 揚がった食材の粗熱を取ってから弁当箱に並べる。どれもからりと揚がってきつね色だ。衣をまとってしまうとアボカドの緑がわかりづらいので、箸休めも兼ねてピーマンの塩昆布和えを添えておく。
 給料日前の弁当にしてはなかなか豪勢にできたんじゃないだろうか。
 欲を言えば俺も、天ぷらならエビやホタテなんかを揚げたかったが――そういう贅沢はボーナスが出た時にでも取っておこう。

「天ぷら弁当? お給料日前にいいもの食べてる!」
 俺の本日の弁当に対し、清水はすごく羨ましそうな顔をしてくれた。
 そういう反応を嬉しく思いつつ、正直に応じる。
「材料費だけなら格安だよ。ちくわ一本、大葉一枚、アボカド四分の一に焼き海苔だからな」
 付け合わせのピーマンを加えても材料費は二百円もいかないだろう。まさに給料日前向けの弁当だ。
「アボカドを天ぷらにするの?」
 品目を聞いた彼女が怪訝そうにする。
「私、サラダくらいでしか食べたことないな。揚げても美味しい?」
「もちろん美味しい。火を通すとジャガイモみたいにほくほくになるんだ」
 生のアボカドも舌触りなめらかだしクリーミーな味で、寿司ネタになるのも頷ける。実際酢飯やわさび醤油との相性もいい。
 ただ家で食べるとなると追熟がちょっと面倒で、気づけばいい食べ頃を逃してしまう。そんな時は今日みたいに天ぷらにしたり、照り焼きなどにして食べることにしていた。
「へえ、食べてみたい!」
 清水が興味を持ってくれたので、俺はアボカドと彼女が選んだ焼き海苔の天ぷらを進呈した。
 一方、清水の本日の弁当はオムライスだそうだ。ご飯を黄色い薄焼き卵で包んだ弁当は、上からケチャップで可愛いクマの顔が描かれている。
「絵が上手いな」
 褒めたにもかかわらず、清水は拗ねながら笑った。
「まず味を褒めて欲しいな。節約した分、美味しく作ったんだから!」
 どうやら彼女も今日は節約弁当らしい。それもそうか、給料日は同じ日だ。
 清水は俺にオムライスを少し取り分けてくれて、まずはお互い、もらったものを食べ始める。

 オムライスの中身はケチャップライスで、具は豚バラ薄切りとみじん切りの玉ネギだった。オムライスには豚肉の方が俺も好みだ。鶏肉より早く火も通るし。
「美味しくできてるよ。ケチャップはちょっと焦がした方が甘み出るよな」
 俺が感想を述べると、彼女は嬉しそうに目を細める。
「ありがと! でも本当言うと、もう一品くらい欲しかったんだよね」
 それからちょっと悔しげに溜息をついた。
「全然足りないじゃない、色合いも栄養素も」
「俺も付け合わせには悩んだよ、何か足さないとって」
「お給料日前なんてそんなものだよね」
 唸るように言いながら、清水がアボカドの天ぷらにかじりつく。
 そしてすぐに、納得したように力いっぱい頷いた。
「ほくほくしてる!」
「だろ? 火を通しても美味しいんだ」
「なるほど、これは天ぷらにいいかも!」
 かりかりに揚がった衣の下にほくほくのアボカド、この組み合わせは最高だ。そのまま食べても美味しいが、甘だれをかけて天丼風にするのもまた美味い。
「海苔もさくさくで美味しい!」
 清水は焼き海苔の天ぷらも気に入ってくれたようだ。食べる度にさくさくといい音がする焼き海苔は、もちろんご飯との相性も抜群だった。物足りない時のもう一品にもぴったりだろう。
「私も今度真似しよ。揚げ物あんまり得意じゃないけど」
「さっと揚げるだけだから他の具材よりずっと楽だよ」
 その後は天ぷらの揚げ方や失敗談などで盛り上がりつつ、俺たちは美味しく楽しく昼食を済ませた。
 食べ終えてしまえば大満足の弁当だった。

 食後には並んでお茶を飲みながら、俺たちの話題は給料日前の苦労にシフトしていた。
「やっぱりこの時期はどうしても節約ご飯になりがちだよね」
「そんなに使ってるつもりないのにな」
「ね。まあ飲み会とか、予定外の出費もあったりするけど……」
 俺も清水もまだ三年目、それほど給料も上がってない。表立っては言えないが、そもそも給料の高い会社でもない。
 ただ一人暮らしも学生時代から続けているし、仕送りと給料は違うにしても食費の使い方にもぼちぼち慣れておくべきだろう。
「清水は一人暮らし歴長いのか?」
「大学三年の時からかなあ。播上は?」
「俺は入学した時から。身の回りの家事とかはけっこう慣れたんだけどな」
 うちの両親は店をやってて忙しく、特に夜は家を空けがちだ。だから俺も早いうちから自炊を学んでいたし、中学の頃には一食分の献立を一人で作れるようになっていた。
 そういう環境で両親も配慮してくれていたんだろう。今思えば実家では冷蔵庫が空になっていることはなかった。いつも何かしらの食材が入っていて、俺はそこから好きに選んでご飯を作ればよかった。
「出てからわかる、実家のありがたみってあるよな」
 子供時代を思い出しながら俺が言うと、思い当たることがあったか、清水も苦笑いを見せる。
「あるある! 実家だと食べるに困るってことまずないもんね」
「だよな。いつも冷蔵庫をいっぱいにしておいてくれた」
「一人暮らししてから、食べ物の意外な値段に気づいたりするよね。お野菜とかお魚も、種類によってはけっこう高いな、とか」
 そうやって手探りでも食材の価格を知っていくことが、自立の第一歩とも言えるのかもしれない。自分で買い物をしてみなければわからない。そういうものがたくさんあった。
 函館にいる両親とはここ数年顔を合わせていないものの、電話で連絡は取り合っている。今度電話をする時に感謝でも伝えてみようか――ひもじい思いをせずに済んだのは父さんと母さんのお蔭だよ、とか。いや、逆に心配されるか。
「たまに家帰ると、お母さんがお土産いっぱい持たせようとしてくるんだ。そういうのも悪いなって思うようになっちゃったけど、断るのも悪いじゃない? だから結局貰ってきちゃう」
 清水がはにかみながら打ち明けてくる。
 彼女の実家は恵庭市だそうだ。彼女は車があるから、一時間もあれば帰省できる距離だろう。思い立ったら帰れるような近さに実家があるってどんな気分なのか、俺には想像がつかない。
 ただ清水の照れ笑いには普段見ないような幼さがあって、彼女が実家でどんな顔をしているのか、垣間見られたような気がした。
 次の瞬間にはいつもの彼女に戻って、朗らかに口を開く。
「播上は実家、道南だったよね」
「ああ、函館だよ」
「ここからだと三百キロくらい? ちょっと気軽に帰れる距離じゃないか」
「まあな。すっかり足が遠のいてる」
 特急に乗れば三時間半、高速バスならもう少しかかる。飛行機もなくはないが、気軽に使うのはためらわれるくらいの距離だった。
 もっとも、帰らないのはそれだけが理由ではない。
「函館かあ、小学生の頃に一度行ったきりだよ」
 清水は何か思い出そうとするように顎に手を当てる。だがその時の記憶はおぼろげなのか、残念そうに続けた。
「夜景がすっごくきれいだったことくらいしか覚えてない。他にもいろいろ見たはずなんだけど」
「観光都市だし、見どころいっぱいあるからな」
「そうだよね! また行きたいなあ」
 彼女が屈託なく語るから、俺も複雑な思いは押し込めて言った。
「行く時は言ってくれ。美味しい店や面白い観光名所、いくらでも知ってるから教えるよ」
「本当?」
 清水は目を瞬かせた後、嬉しそうににっこりしてみせる。
「じゃあその時は頼りにしちゃうね。ありがとう!」

 その機会が来る前に、しばらく帰ってない故郷について下調べでもしておこうかな、と思う。
 俺が帰ることはまだ当分ないだろうが、生まれ育った地元はやっぱり大切だ。
 もしも清水が訪ねていくなら、いい街だって思ってもらいたいから。
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