古書に埋もれた夏の話(1)
雛子が、かねてより旅行に行きたいと言っていた。澄江さんが、俺の後輩である『柄沢』に一目会いたいと言っていた。
大槻が、雛子に息抜きをさせるべきだと言っていた。
そして俺の中で大きな心境の変化があった。
いくつかの条件が揃い、俺は夏休みを利用して、雛子を旅行に連れ出すことに決めた。
とは言っても、実現させるまでにクリアしなければならない問題もある。
まずは他でもない雛子の意思を確かめることだ。
無論、彼女の日頃の言動を踏まえるに、俺が旅行の計画を正式なものとした場合は彼女も一も二もなく賛成するだろう。雛子の反応自体は容易に想像がついたので、彼女への最終確認は後回しにすることに決めた。
気になるのは雛子の、俺と旅行へ出かけるという事柄に対する考え方の軽さだ。普通の感覚で言えば女子高生が二十歳の男と外泊旅行など許されざることだろう。だが雛子はそれをいやに軽く見ている節があり、むしろ恋人と泊まりがけで出かけるのは当たり前のことだと考えているらしい。それは彼女自身の考えというより、彼女のクラスの友人たちから吹き込まれた考えのようにも思えた。事あるごとに雛子は『そんなの普通です』『皆そうしてます』といった発言をするからだ。俺はその軽薄さ、主体性のなさを危惧している。連れ出した後で『やっぱり来なければよかった』などとは思われたくない。
それに雛子はもし俺との旅行が実現した場合、ご両親には嘘をついて出かけるつもりだと言っていた。そのことについても懸念がある。そんなことをさせていいのか、もしばれた場合、ご両親は俺の謝罪に耳を傾けてくれるだろうか。彼女を誘う場合はそこまでの責任も負う覚悟がなければならないだろう。
ただ、彼女の希望も叶えてやりたいという気持ちは確かにあった。
彼女が俺とどこかへ出かけたいと言うなら、できる限り長い時間を共に過ごしたいと言うなら、望む通りにしてやりたい。
俺としても彼女を澄江さんに、なるべく澄江さんが元気なうちに会わせておきたかったし、あの港町へ雛子を連れて行ってみたいという気持ちもあった。特に何もない寂れた町だが、潮風と波の音と、それに古い本がたくさんある。絵はがきに記されたあのメッセージは未だ記憶の中に息づいていて、それを実現させられるであろうことにもささやかな幸せを見出していた。
澄江さんには先に連絡をして、夏休みにそちらを訪ねたいと伝えておいた。
例の後輩も同伴するかもしれないと聞いた澄江さんは大層喜んでくれ、急に若返ったように声を弾ませた。
『まあまあ、寛治さん以外の若い人とお話しするなんて何年ぶりかしら? 楽しみねえ、寛治さんのお友達には是非お会いしたいと思っていたのよ』
友人、という分類が誤りであることを伝えるべきかはやはり迷った。前もって打ち明けておく方がいいに決まっているのだが、雛子について一から説明するのはどうしても気恥ずかしかった。それにどうせ顔を合わせれば澄江さんはいろいろ聞きたがるだろうから、気恥ずかしい機会も一度で済ませてしまいたいという思いがあった。
『うちはいつでも歓迎よ。今からお部屋を掃除しておくから、好きに使ってちょうだい』
澄江さんがはしゃいでいるので口を挟みにくかった、というのも少しある。
「ありがとうございます。まだ本決まりではないのですが、詳しい日程など決まりましたら連絡します」
『ええ。柄沢さんにもよろしく伝えてね、どうぞお気軽にいらしてくださいって』
電話越しに、澄江さんから期待されているのがひしひしと伝わってくる。
俺としてもこれが、俺にできる孝行になればいいと思っている。澄江さんの記憶の中では、俺はまだ一人ぼっちで本ばかり読んでいる閉じこもりがちの子供でしかない。現在はそうではないことをきちんと証明し、安心させなくてはならない。
そして旅行において最大の問題となるのが、金である。
これがなければいかんともしがたい。たとえ雛子が旅行に行きたがっても、澄江さんが俺たちを招きたがっていても、旅費が工面できなければ実現させるのは不可能だ。
幸い、宿泊先は澄江さんの家と決まっているから宿泊費については問題ない。食費もあの家の台所を借りて作る分には最低限で済むだろう。だが交通費は浮かせようがない。電車で行くなら往復で、五桁の金がかかる距離だった。もちろんそれを二人分という計算になる。
仕送り生活の俺は学費の他に生活費も十分な額を貰っていたが、今回ばかりはそれに手をつけることに抵抗があった。それでなくても普段から口座に金を貯め込んでいるので、父親がよく『お前は何を食べて生活しているのだ』と訝しがっているのだが、俺の方は現在の仕送り生活に負い目もあるのだった。早く自立して、あの父親の世話にならないようにしたいと常々思っている。倹約しているのも将来、父か義母あたりに金を返せと言われた時、最低限の返済で済むようにする為だった。
となると、金が要る。金を稼ぐ手段が要る。それも夏休みに備えて早急にだ。
駅前で配布されている、求人情報が掲載されたフリーペーパーを貰ってきた。
これまでにアルバイトの経験はない。東高校ではバイトが禁止されていたし、大学に入ってからも特に関心を持つ機会はなかった。だが将来的に就職を考えているのだから、この時期にアルバイトを経験しておくのも意味のあることだろう。そう思い、俺はフリーペーパーをめくった。
前期授業の終了と定期試験の日程が近づいているからか、学食は意外なくらい空いていた。七月ともなるとそろそろ新入生たちも大学の食堂に飽きが来る時期なのかもしれない。またこの時期は大学構内各所にあるコピー機に長蛇の列ができるようで、そちらに並びながら昼食を済ます人間も少なくないらしい。おかげで俺は六人がけの食卓に一人で着くことができ、昼食を食べ終えた後も悠々と誌面を眺めていられた。
掲載されている求人情報は飲食店とコンビニがほとんどだった。時給と勤務時間はどれもが似たり寄ったり、チェーン店の制服を着て笑顔を向ける店員一同の写真の横に『学生歓迎!』『明るく楽しい職場です』『笑顔溢れる素敵なお店』といった一、二行のキャプションが添えられている他は個性の出しようもない様子だった。職種も大半は接客でレジ打ちやホール係、たまに商品管理といった具合だ。自分が接客に向いているとは到底思えず、なるべくならそれ意外でと探してみたが、あったのはせいぜい数日間の棚卸しアルバイトだけ。それも一日千円程度という、目標額には程遠い日給だった。普通免許があればもう少し選択の幅も広がるようだが、今から取りに行く時間はない。
どうしたものかと求人情報を眺めていると、その誌面に誰かの影が差し込んだ。
「アルバイト探しかい?」
顔を上げれば、つるりとした禿頭の教授が丼を乗せたトレイを手に、俺を見下ろしていた。
どこの大学にも風変わりな教授がいるものだと聞くが、うちの大学にもやはり何人か、少々変わった教授がいる。
そのうちの一人がこの人だ。つるりとした頭は毛根の滅亡が近いことを察した時、自らの手でとどめをさすが如く剃ったものだそうだ。専攻は近現代西洋哲学だが、その潔い頭と鶏がらのように痩せこけた風貌、物腰から常に漂う浮世離れした穏やかな雰囲気から、一部学生の間では『仙人』と呼ばれている。大槻あたりは構内ですれ違う度に『ありがたや、ありがたや』と後ろ姿を拝んでいる。そうすることでみるみるご利益があり、レポートが通りやすくなったり試験の成績が向上したりするのだそうだ。そもそも仙人とは拝むものなのだろうかという疑問もあったが、大槻自身もあくまで先輩からの伝統を引き継いでそうしているらしいので、指摘したところで無意味だろう。
そしてこの教授の変わったところというのもは風貌だけではない。この人は浮世離れした雰囲気そのままに温厚な人物で、俺の入学以来、声を荒げるどころか機嫌を損ねたそぶりすら見せたことがない。日頃から学生との距離が近く、偉ぶったところが微塵もない上、気さくに話しかけてはつまらない冗談を言うので学生からは人気があるらしい。小学校時代から教師という人間を好きになれたことのない俺にとって、この教授は好ましい人物でもあり、別の意味で苦手な手合いでもあった。この教授は友人に物を頼むが如く学生に雑用を頼むことでも知られていたが、俺は事のほか雑用を任されることが多かったからだ。この人は物腰柔らかながらも、断られることなど端から念頭にないという調子でもあるので、断る隙を与えないところがまた厄介だった。
閑話休題、教授はずっと空いていた俺の隣に腰を下ろした。得意そうな顔つきで続ける。
「それは大変素晴らしいことだ。昔から言うからね、『日本の夏、勤労の夏』って」
「勤労の夏、ですか」
初めて聞く言い回しだ。俺がその言葉を繰り返すと、教授は箸を手に取りながら横目で俺を見る。
七月にもかかわらず三つ揃いで決めた教授は湯気の立つ月見うどんを注文したらしく、一瞬、俺の方が間違えて夏服を着てきてしまったような錯覚に囚われた。
「鳴海くんは、CMとか気にしない方なのかな」
不意に、教授が脈絡のないことを尋ねてきた。
「ええ。そもそもテレビが部屋にありませんから」
「そうか、失敗だったな」
なぜか悔しそうにしながら、教授がうどんを啜り始める。もうもうと立ちこめる湯気は見ているだけで暑苦しいが、文句を言うのも筋違いなので黙っていた。
そのうちに教授は、俺の手元のフリーペーパーを覗き込んできた。この人は普段、細かい文字を読む時は老眼鏡をかけるのだが、今はその手間が惜しかったようだ。仰け反るように身を引きながら誌面を読んでいる。
「どこでバイトをするのかね」
「まだこれといっては……。自分に向いたものがあるといいのですが」
俺の答えを聞くと教授は目を細めて頷く。
「そうだね。神はいない、神は死んだと言われたところで、サービス業にはお客様という荒ぶる神がたくさんおいでだからね」
この人は歳の割に、例えば澄江さんあたりと比較しても目元の皺が少ないように思う。恐らく人生の荒波も、この飄々とした態度で飛び越えてきたのだろう。
「鳴海くんがコンビニや居酒屋で働くなんて、哲学を齧るのにいきなり『論考』から始めるようなものだよ」
「はあ……。確かにそうですね」
率直な物言いをされてしまったが、実際その通りなのでこちらも頷いておく。
ああいうところでの接客が自分に向いているとは思えないし、見慣れた各チェーン店の制服を着た自分を想像するのも難しかった。それにどこへ勤めても雛子や大槻が面白がって見物に来るに違いない。できれば人目につかない仕事がいいのだが、そんな都合のいいものがあるはずもない。
と、そこで教授が言った。
「ところで、君に向いていそうな、いいバイトがあるよ」
もったいつけるでもなく軽い口調で言われたので、俺はうっかり聞き流すところだった。
慌てて尋ねた。
「本当ですか。それは一体……」
「古書店。知り合いがやってるんだけどね、最近忙しくて店内の整理も覚束ないって言うんだよ」
会話の合間にうどんを啜る教授を、俺は思わずまじまじと見つめた。
「古書店とは、市内のですか?」
「ああ。駅近くにある『古本の船津』ってお店だよ」
「それなら、名前は聞いたことがあります」
市内の古書店にはあらかた足を運んでいたので、その店名にも覚えはあった。だがどんな店かは覚えていないあたり、それほど俺好みではない店構えだったのだろう。古書店と一口に言っても様々で、まるで蔵書狂のようにありとあらゆる本を受け入れ詰め込んでいる店もあれば、本を厳選して仕入れる整然とした店もある。俺は後者の方が好きで、前者も嫌いだというわけではないのだが、店によっては客層が悪く、本を乱雑に扱うような輩が湧くのが気に入らない。
だが働き口としてはどうだろう。古書店で勤務するということは、客に狼藉を働かれる前の本に出会えるということでもある。それに、好きなものを相手にしながら働くことができるというのも大変魅力的に思えた。
「誰か学生を紹介してくれと言われてね。まずは鳴海くんに聞こうと思っていたんだ。古本にまみれて過ごす夏を喜んでくれそうな人物と言えば、君くらいのものだからね」
教授は熱いうどんのせいか、顔全体をピンクに上気させている。背広のポケットから藍色のハンカチを取り出し、額に浮かぶ汗を拭き取りながら続ける。
「時給は千円。雇用期間は長くて一ヶ月くらいと言ってたかなあ。仕事内容は商品整理と簡単なレジ打ち」
条件は悪くない。フリーペーパーに掲載されていた情報によれば、市内のコンビニで平日、日中に勤務する場合、時給は八百円台前半がいいところだった。それと比べると随分好条件だ。
「接客もあるんですか」
「あんまり人が来ない店だから、そう頻度は高くないよ。それに古書店じゃスマイルの注文なんてまず入らん」
「スマイルとは何ですか?」
「頼んだことがないのかね」
驚きに瞠目した教授が、その後で楽しげに笑んだ。
「今度、ハンバーガー屋で尋ねてみるといいよ。無料で素晴らしいものがいただける」
そもそもハンバーガーを食べに行くことがまずない俺には、教授の話が一向にぴんと来なかった。後で雛子か大槻にでも聞いてみよう。
「あと商品整理の方も、店主が日中店を空ける時に、店番がてら見てくれればいいという話でね」
そうこうしている間にも教授はアルバイトについての説明を続けている。聞けば聞くほどいい話に思えた。
「ただし本は重いから、男子限定でと頼まれてるんだよ。君、どう? お友達も誘って行く気はないかね?」
教授の口調がまさしく仙人を髣髴とさせる泰然さに溢れていた為、俺は肝心な情報を聞き落としたまま返事をしてしまった。
「是非お願いします。友人にも聞いてみます」
バイトの話を大槻にも持ちかけてみたところ、奴は二つ返事で乗ってくれた。
「ちょうど探してたとこだったんだよ。夏休みは遊びにも行きたいし、楽団の合宿もあるしさ」
幸いなことに、大槻は過去にアルバイトの経験があるらしい。全くの未経験同士で連れ立って行くのもどうかと思っていたのでありがたいことだ。
「こう見えても高校時代はバイトに明け暮れてたからね!」
大槻は自慢げに語ってみせた。
「俺はほら、成績アレだったからさ。卒業が無理ならせめて手に職つけとくかってバイトしてたんだ。ハンバーガー屋でね」
当人の口ぶりとは裏腹に、それは自慢になるのかと首を捻りたくなるような内容でもあったが。
「でもいいとこまで行ったんだよ、給料もそこそこ上がったし。三年になったら先生に『何としても卒業させたいから辞めてくれ』って懇願されて、しょうがなく辞めたけど」
よく大学に入れたものだ、と俺は密かに思う。
しかし大槻は普段から自分の話、こと失敗談や情けない話を誇張気味に話して笑いを取るようなところがあり、高校時代の数々の逸話も実は、さして酷いものでもないのかもしれない。あいにく俺には向陽出身の知り合いがいないので知りようもないが、高校時代の大槻を見てみたいという気持ちもなくはなかった。
ところでハンバーガー屋という単語が出た為、俺は教授との会話に挙がった『スマイルの注文』について大槻に尋ねた。大槻は大笑いしながら詳細を説明してくれて、俺もスマイルの何たるかを知るところとなった。うっかり雛子のいるところで注文しなくてよかった、と思う。
大槻は散々笑った後、ふと真顔になって呟く。
「……けどその口調だと仙人、普通にスマイル注文して回ってそうな予感する」
「してるんじゃないか?」
あの言い方は俺をからかっているだけではないように思えた。店でどんな対応をされているのか、気になるところだ。
そして前期試験も済んだ七月下旬、俺と大槻は連れ立って件の古書店へと向かった。
教授が店の方に話を通してくれた為、俺たちはその日、直接向かうだけでよかった。そして店のほうからは教授を通して、服が汚れるだろうからエプロンを持ってくること、昼食は出ないので自前で調達することだけを事前に言い渡されていた。エプロンは前日に衣料品店で安いものを購入し、昼食は夏場ということもあり、店近くの弁当屋などを利用することに決めた。
午前十時半、俺たちは駅前の商店街を歩いていた。元より賑やかな通りでもないアーケード街は、午前中のうちはほとんど客足もなく静まり返っている。七月ともなると気温はこの時分から既に高く、息をするのも苦しいほど蒸していたが、どこかの店先に吊るされた風鈴が涼しげな音色を奏でていた。
「仙人の紹介する店か……どんなとこだと思う?」
歩きながら、大槻が俺に尋ねてきた。大槻もその店のことはよく知らないらしく、先日からずっと勝手な想像を膨らませている。
「どんなって、普通の店じゃないのか。目立つ店だったら俺たちが揃って知らないってこともないだろう」
俺は肩を竦めたが、大槻の考えは違うようだ。
「甘いな鳴海くん! 仙人の知り合いがやってる店だよ? 普通なわけないじゃん!」
人差し指を芝居がかった仕種で左右に振りながら、
「ページに人を閉じ込めて夜な夜な呻き声を上げる本とか、名前を書くとその人が不幸な目に遭う本とか、開くと可愛い女の子が実体化して飛び出てくる本とか、そういうのがあるに決まってるね!」
子供みたいな発想で可能性を羅列する。
付き合いきれないと思っていたところに、ちょうど例の店が近づいてきた。
飲み屋が数軒入った雑居ビルと、昭和の空気漂う二階建ての洋品店の間に『古本の船津』はあった。二階建ての小さな店は外壁が白く、ところどころペンキが剥げかけていた。アーケードのすぐ下には色褪せた看板もあったが、ひさしの陰になっているからか文字が読み取りづらく、目を凝らしてようやく店名が読み取れる程度だった。店のガラス戸は開けっ放しで、店の前の路上には本を詰め込んだスチール棚が雑然と並べられていたが、周囲に人の気配はない。ただ店の前に一台だけ自転車が停まっていたから、中には誰かいるのかもしれない。
「鳴海くん、賭けしない?」
店が見えてきたところで、大槻がこちらを向いてにやりとした。
「賭けとは何だ」
「勝った方が帰りにアイスなり、飲み物なり奢ってもらうってことで」
「必要なら自分で買うからいい」
俺はそう言ったが、大槻はまあまあと手をひらひらさせる。
「あの店の店長、男だと思う? 女だと思う?」
吹っかけられた質問に顔を顰めかけて、そういえば聞いていなかった、と思い当たる。
教授は店主の名を『船津さん』と呼んでおり、そこそこ長い付き合いだと言っていた。だが性別はもちろんのこと、店主の年齢や人となりを聞いておくのを忘れていた。あの教授の紹介なら悪い人物のはずがないから、聞いておく必要がないと思ったのもある。
あの教授の知人で、しかも駅前の歴史ある商店街に店を構えているというのだから、それほど若い人間ではないだろう。性別も、男の働き手だけを限定して募っているのであれば、雇い主も男と考えるのが自然ではないだろうか。少々ステレオタイプ的だが、教授と同世代の、まだ老人とは呼べない中高年の男性をイメージしていた。皺だらけの顔をしていて気難しげだが、本についての薀蓄は滔々と語りだして止まるところを知らない神経質な男。俺の予想はこうだ。
「俺は女だと思うなあ」
こちらが答えるより早く、大槻が声を弾ませた。そうであって欲しいという願望にも聞こえた。
「なぜそう思う?」
俺が尋ねると奴はもっともらしい口調で、
「そりゃあ、古書店の店主っつったら乾物みたいに干からびかかった爺さんか、眼鏡で巨乳なお姉さんかの二択と相場が決まっているからだよ」
と言い放った。
「後者の方の相場は聞いたことがない」
当然、俺はそう言ったが、大槻は呆れたように肩を竦める。
「遅れてるなあ鳴海くん。最近のトレンドはむしろこっちなんだよ!」
「それは知らなかった」
俺はこの市内の古書店を巡り歩いているが、若い女の店主には一度としてお目にかかったことがない。だから可能性としては限りなく低いように思えるのだが、大槻はそこに今回のモチベーションを見出そうとしているようだ。
「とにかく俺はお姉さんに賭けるね! 鳴海くんは?」
「なら、俺は男でいい。根拠はないが、年配の方だと思う」
賭けをする気はなかったのだが、気づけば大槻に乗せられていた。
奴は意気揚々と店の前まで歩を進め、俺も遅れずそれについていく。