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ふたりで指きり

 月めくりカレンダーが残り二枚になるとそわそわする。
 僕の誕生日が十一月にあるからだ。
 子供の頃は両親が早く帰ってきてくれて、家族でごちそうを食べに行けるのがうれしかった。高校時代はとにかく小遣いの臨時収入があるのがうれしかった。
 そして今は、彼女に毎年祝ってもらえるのが最高にうれしい。

「篤史くん、今年のお誕生日プレゼントは何がいい?」
 去年までは会った時に聞かれていたことを、今年は夕飯の席で聞かれた。
 僕は『待ってました』の内心が顔に出ないよう、落ち着き払って答える。
「誕生日か……みゆが祝ってくれるだけでうれしいよ」
 これはもちろん本音。
 正直に言えば誕生日を覚えていてくれるだけで十分だった。そして当日みゆに『おめでとう』ってかわいく言ってもらえたらもうそれだけでいい。
「そんな、私も何かプレゼントしたいのに」
 ところがみゆは僕の言葉に、かわいく口をとがらせる。
「私の誕生日には素敵なプレゼントもらったもん、篤史くんにも何か贈らないと公平じゃないよ」
「気持ちだけで十分だよ」
 これも本音なんだけど、それで彼女が納得しないこともわかっている。僕だって同じこと言われたら素直に引き下がれるわけがない。
 だから、こんな提案をしてみた。
「ふたりで食事でもどうかな? またお酒飲むとかでもいいし」
 実は最近気になる店を見つけていた。大学の友人に教わった店で、駅前通りにあるダイニングバーだ。よくある居酒屋と比べてあまり騒がしくなく、落ち着いた雰囲気だと評判がよかった。今の季節は鍋料理がおすすめらしく、掘りごたつのある個室でのんびり飲食ができると聞いている。
 そのことを話すと、みゆは物珍しそうに目をぱちぱちさせた。
「鍋料理かあ……いいかも。私、お店でお鍋って食べたことないんだ」
「それならちょうどいい、僕の誕生日に行こうよ」
「でも、お誕生日がご飯だけでいいの?」
 彼女はまだ物足りないという様子でいたけど、僕からすれば十分すぎるほどだ。誕生日を一緒に祝ってくれるだけで幸せになれる。それで件の店の鍋料理が評判どおりのおいしさなら、さらに言うことなしだろう。
「もちろんいいよ、すごく楽しみにしてる」
「……わかった。私も楽しみ!」
 僕が力いっぱいうなづいたからか、みゆも納得してくれたようだ。
 近頃めっきり寒くなってきたし、ふたりで囲む鍋料理もきっと素晴らしいに違いない。早速僕はその店に予約を入れ、来たる誕生日を待ちわびながら日々を過ごした。

 ところがだ。
 誕生日を三日後に控えた冷え込む朝、僕は奇妙な暑苦しさで目覚めた。
 隣に寝ているみゆの身体がいやに熱く、そのせいで布団の中にも熱がこもっているようだ。最初に触れた手の体温の高さにたちまち意識は覚醒し、僕は飛び起きて彼女の顔を覗き込む。
 頬が真っ赤で、薄く開いた唇は乾き、呼吸はいかにも苦しそうだ。
 僕の気配に気づいてか、彼女もうっすら目を開ける。
「篤史くん……」
 かすれた声で名前を呼ばれ、一瞬言葉に詰まった。
「みゆ、熱があるんじゃないか?」
「そうみたい……」
 額に手を当ててみるまでもなく、彼女の具合は悪そうだった。
 あわてて体温計を持ってくれば、デジタルの数字がものの数秒で三十八度まで駆け上がる。
「今日は休んだ方がいいな。で、僕と病院行こう」
 あいにく今日は平日だったが、この熱で出勤するわけにもいかないだろう。それに三十八度越えならただの風邪とも限らない。ちゃんと診察してもらうほうがよさそうだ。
「自分で職場に連絡できる?」
「ん……」
 もはや返事とも言えない声でみゆは答え、一旦は起き上がって職場に連絡をした。
 しかしそこで力尽きてしまったらしく、その後はベッドの上でしばらくぐったりしていて、朝食も食べられないほどだった。

 僕は彼女に手を貸して着替えを手伝い、近所の内科まで連れていった。
 幸い病院はそこまで混んでおらず、黙ってもたれかかってくる彼女を支えて診察を待った。診察室にはみゆがひとりで入ったものの、診察後には僕も看護師さんに呼ばれた。
「ご家族の方ですね?」
「あ、はい。一緒に住んでいる者です」
「佐藤さん、インフルエンザの診断が出ました。こちらの資料をお渡ししますので、念のためご一読ください」
 看護師さんは僕の素性をそこまで気にすることもなく、慣れた様子でリーフレットをくれた。
 そこにはインフルエンザについてひと通りの情報が掲載されていて、処方された薬は最後まで飲み切ること、解熱後二日間は外出を控えて感染拡大を防ぐことなどを訴えている。
 僕は診察を終えたみゆを連れ、処方された薬をもらって帰宅した。
 彼女に薬を飲ませて再びベッドに寝かせた後、今度は僕だけで買い出しに出かけた。
 思えば同棲を始めてからというもの、お互い病気もせず健康そのものだった。おかげで冷却シートや氷枕といった風邪を引いた時の必需品がまったく揃っていなかったのだ。この機会に購入しておいた方がいいだろう――僕も今でこそ元気だけど、いつ症状が出ないとも限らない。

 買い物を終えると急いで帰り、まずは彼女の額に冷却シートを貼ってあげた。
「はあ……」
 みゆがほっとしたように息をつく。
 額を冷やされて、ほんのわずか楽になったようだ。
 それから氷枕を敷き、スポーツドリンクを薄めに作って彼女に飲ませた。朝食を取っていないのにお腹が空いた様子はないようだ。この高熱じゃ食欲もないだろう。
「篤史くん、大学は?」
 ようやく人心地ついたのか、ベッドに横たわるみゆが僕に尋ねた。
「今日明日は様子見で休むよ。僕も保菌者かもしれないし」
 そう答えたら、彼女はすまなそうに瞼を閉じた。
「ごめんね……」
「気にしないで」
 具合の悪いみゆをひとりにしてもおけないし、インフルじゃなくても今日は休むつもりでいた。僕も体調を管理しつつ、今日明日は看病がてらおとなしく過ごすことにしよう。
「それに、お誕生日も近いのに……」
 みゆがだるそうな声で続ける。
 そういえば僕の誕生日は三日後だ。例のダイニングバーには予約を入れていたけど、キャンセルの連絡を入れたほうがいいだろう。仮に熱が下がっても彼女を連れだすことはできないし、体調が万全じゃなければおいしく食べられもしない。
「ちょっと機会が延びただけだよ」
 僕は彼女を安心させようと、少し笑って告げておく。
「治ったら行こう、また予約入れるから」
「ごめん……」
「気にしなくていいったら。それよりゆっくり休んで」
 布団の上からそっと手を置くと、中綿越しにも彼女を苛む高い熱が伝わってくるようだった。
 つらいだろうに、僕の心配までしなくても――心を痛めた僕をよそに、みゆは布団の中から火照った片手を出してきた。ぎこちない動きで小指を立てる。
「約束……絶対行くから」
「う、うん」
 指きりなんていつ以来だろう。最後にした相手は誰だったかも思い出せないほどだ。
 僕は彼女の小指に指を絡めて、簡略的に指きりをする。
「はい、指きった。治ったら一緒にお祝いしよう」
 みゆがとろんとした目で僕を見上げた。
 それでも口調ははっきりと、こう言った。
「約束だよ」
 だから僕も、その目を見返して顎を引く。
「約束だ」

 それからほどなくして彼女は寝入ってしまった。
 安らかに聞こえる寝息にひとまず安堵しつつ、僕は音を立てないようにベッドの傍を離れた。
 抜き足差し足で慎重に部屋を出たところで、
「篤史くん……」
 ふと名前を呼ばれた気がして、あわてて振り向く。
「みゆ? 呼んだ?」
 聞き返してみたけど返事はない。
 ベッドまで戻ると、みゆは瞼を閉じたままで呼吸も落ち着いていた。僕を呼んだ、というわけではないようだ。寝言かな。
 そう思ってしばらく見守っていたら、かさかさの唇がまた動いた。
「お誕生日、お祝いする……」
 起きている時よりもしっかりした口調ではなかった。
 でも、確かにそう聞こえた。
「うん」
 答えた僕の返事は、彼女に届いていないに違いない。でもこんな時だけど、熱にうなされながらもそう言ってくれる気持ちは、うれしかった。

 彼女が眠る部屋を後にしつつ、そういえば昔にもうわごとを聞いた覚えがあるな、なんて思い出した。
 あの時の言葉は正直複雑だし、当時は彼女を保健室まで連れていくのが精いっぱいで他にできることなんてなかった。養護の先生が来てくれるのを黙って待っているだけの無様さだった。
 でも今は傍にいて、思う存分看病することができる。
 そして熱にうなされてつぶやく名前が僕なんだから、誕生日の予定がつぶれたくらい、どうってことなかった。

 だけどこの部屋の静けさだけは慣れないから――早くよくなるといいな、みゆ。
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