ふたりでハロウィン
十月になると、街を飾るのはオレンジ色のカボチャだ。少し前まではハロウィンと言ったら、一部の人が楽しむマイナーなイベントだったような気がする。それがいつの間にかクリスマス並みの存在感になりつつあって、あちこちでハロウィン商戦が活気づいている。僕のバイト先のコンビニでもお化けの顔のケーキやらパンプキンパイやらが並んでいて、ある意味こういうところから新しい行事は浸透していくんだろうな、と思う。
チーズムースを白い求肥で包んだお化けケーキがあまりにもかわいかったので、バイト終わりに買って帰った。
そしておみやげだよと渡したら、みゆは大喜びで歓声を上げた。
「ほんとだ、かわいい!」
「だろ? この質感がよくってさ、店の売り上げに貢献しちゃったよ」
求肥をまとった姿はさながらシーツをかぶったお化けもどきのようで、ご丁寧にチョコ製の帽子まで乗っけているからついつい手が伸びてしまった。もっとも、それも食べてしまえば見る影もないんだけど――味もたいへんおいしかったのでよしとする。
「そっか、もうじきハロウィンなんだよね」
みゆはケーキを食べ終えてから、パッケージを見て初めて気づいたようだ。
「ハロウィンって何する日か、いまいちわからなくて。篤史くんは?」
「僕もあんまり。みゆのお店ではハロウィン商戦ないの?」
「ないなあ……カボチャってお弁当にあまり入らないしね」
言われてみれば、甘みのあるカボチャは濃いめの味つけが好まれるお弁当には向かないのかもしれない。お弁当屋さんでハロウィン向け商品を考えるのは難しいか。
「そういや昔、友達の家でハロウィンパーティしたことあるよ」
僕が知るハロウィンの記憶と言えば、小学生時代にまでさかのぼる。
クラスの友達がパーティをやるからって家に招いてくれた。
ただし参加条件があった――絶対に仮装してくること。
「篤史くん、仮装したの?」
たちまちみゆが好奇心に目を輝かせたので、僕は苦笑気味に応じた。
「仮装って言っても大したことないよ。タトゥーシール顔に貼りつけて、百均に売ってるぺらぺらの黒マント羽織って、それだけだ」
もちろん僕だけじゃない。小学生の仮装なんて大したことないものばかりで、猫耳のヘアバンドにひげ描いただけの子もいれば、ふわふわしたキーホルダーをベルトループにつけてウサギのコスプレだって言い張る子もいた。かと思えば親戚の結婚式に着ていったというドレス姿の子もいたし、ハロウィンらしいカオスなパーティだったかな。
「でも仮装してやったことは、乾杯してお菓子食べてみんなでゲームして……お誕生会やクリスマス会と大差なかったよ」
「ふうん。それでも楽しそうじゃない?」
「楽しかったけどさ、ハロウィンだから特別にすることっていうのはなかったな」
海外では、ハロウィンになると子供たちが仮装姿で家々を練り歩き、お菓子をもらったりするらしい。でもその文化は日本には根づかなかったようだ。迎えるほうの準備もあるから当然か。
日本ではむしろ『公然とコスプレを楽しめる日』みたいに扱われてるように感じる。
「このあたりでも、仮装して集まろうってイベントがあるみたい」
みゆは興味深げに語った。
「駅前のアーケード街あるでしょ? あそこでパレードするんだって。当日はすごく混雑するって話だよ」
「ああ、去年も人多かったって聞いたよ」
渋谷あたりならともかく、こんな片田舎の街でハロウィンなんて盛り上がるのかと思ったけど、去年はそこそこ人が集まったらしい。僕の大学でも参加した連中がいて、ハロウィンを口実に女の子と仲良くなっただの、テキーラを何倍飲んだだのと自慢話を聞かされた。それを自慢だと思われるのも困ったものだ。
しかも今年のハロウィンは平日ど真ん中、次の日だって平日だ。夜通し飲もうって連中の気が知れない。
「私もその日は仕事だから、混み合う前に帰ろうと思ってるんだ」
みゆがそう言ったから、すかさず僕は提案した。
「迎えに行こうか? 人増えるし危ないだろ」
「え? さすがに大丈夫じゃないかな」
「酔っ払いも増えるし、女の子目当ての奴もいるらしいし、みゆがそういうのに絡まれたら困る」
もちろん彼女がそういう輩になびく子じゃないのはわかっている。でも酔っ払いっていうのは質が悪いものだから、女の子ひとりで出歩くのはよくない。みゆがもし危険な目に遭いでもしたら、僕はひとりで歩かせたことを一生後悔するだろう。
「篤史くん、心配しすぎだよ」
みゆは僕の懸念を笑ったものの、
「でも来てくれるのはうれしいな、帰りに買い物していきたかったし」
提案は素直に受け入れてくれたので、僕もひとまずほっとした。
ハロウィン当日、僕は大学を出たその足で駅へと向かった。
午後五時半を回った駅前周辺は予想以上の人出で、スーツ姿のサラリーマンや制服を着た学生たちに紛れて仮装をしている面々を見かけた。駅前のアーケード街はさらに顕著で、ほぼコスプレをしている人しか見つからないほどだ。そのコスプレもやはり千差万別、猫耳をつけただけの人からウィッグに衣装にメイクにと凝りに凝っている人まで様々だ。
僕は当たり前だけど普段着で、人波にぶつからないよう駅舎の外でみゆを待つ。
「篤史くーん」
六時前の電車で帰ってきたみゆは、新たな人波に押し流されるように駅舎から出てきた。電車から降りてくる乗客も仮装した人としてない人が五分五分といった割合だ。
あっという間に辺りが賑やかになってきて、僕は急いでみゆの手を取る。
「もっと混み合う前に帰ろう」
「うん」
みゆも僕の手をぎゅっと握り返してきた。
見慣れた街の風景が、今夜はハロウィンの空気にすっかり飲まれている。
道行く人々は思い思いの仮装をして、笑いさざめきながら通りを歩く。誰も彼もが浮かれ調子で楽しそうだ。通りに並ぶ店もカボチャのライトや骸骨を模したガーランドなんかで飾られていて、ハロウィン商戦ここに極まれりという風情だった。一方で交通整理のパトカーや警官も見かけたから、全くご苦労様だと思う。
僕はハロウィンの何たるかを未だにわかっていないのに、世間じゃすっかり当たり前になっているようだ。
はぐれないように強く手を繋ぎつつ、僕らは人混みに半ば流されながら歩く。
「すごい人だな」
思わず僕がぼやくと、みゆもすかさずうなづいた。
「本当。これだけ集まるくらい、ハロウィンが広まりつつあるんだね」
「そうなのかな……」
みんな騒ぐ口実が欲しいだけって感じもする。
お祭りってそういうものだと言えば、そうだろうけど。
「ほら、見て見て篤史くん」
みゆの声も、心なしか弾んでいる。
そして彼女が目で示した先には、ずいぶんと気合の入ったお化け仮装の一団がいた。ドラキュラ、狼男、ミイラに魔女――どれもお化け屋敷から抜けだしてきたかのような衣裳映えで、カラコン入れて牙まで生やしてる徹底ぶりだ。
「すごいね、本物みたい!」
歓声を上げる彼女に、その一団が手を振ってくれた。みゆもぴょんぴょん飛び跳ねながら手を振り返す。
そうかと思えば彼らの横を、明らかに本物じゃないセーラー服の集団が通り過ぎていく。みんなしっかりメイクしてたし顔つきも大人で、これもコスプレの一種なんだろうなと思う。
顔を白塗りにしてキャラクターものの頭巾をかぶった人もいれば、季節外れの浴衣を着てきた人もいる。着ぐるみを着込んで抱っこされてる小さい子もいる。子供の頃のパーティの記憶と同様に、ハロウィンってやつは実にカオスだ。
「ハロウィンってなんなんだろうな……」
僕のつぶやきを雑踏の中でもみゆが拾って、こう言った。
「きっとね、これから育っていくお祭りなんだと思うな」
「これから?」
「うん。今はみんな、ハロウィンを楽しもうって模索してるところなんだよ。あと何年かしたら、もっと違う雰囲気になっているのかもしれないね」
育っていくお祭り、か。
そう捉えると、このカオスぶりにも納得がいく。
僕の子供の頃はマイナーなイベントだったハロウィンが、いつしか街を熱狂させるような行事に変わっていた。みゆの言うとおり、何年か後にはまた別の趣きを呈しているかもしれない。いい方向に育ってくれたら、みんなが楽しめるお祭りになるかもしれない。
僕としてはコスプレなんてするつもりもないし、もうちょっと人出が少なければいいなと思う程度だ。この人混みじゃ歩きにくくて仕方ない。
「わっ……」
そう言ってるうちから、みゆが誰かにぶつかってよろけた。
「大丈夫?」
慌てて僕が振り返ると、彼女はきまり悪そうに苦笑する。
「ごめんね」
「人増えてきたし、急いで抜けちゃおう」
「うん、……じゃあ」
みゆは僕の手を掴んだまま、ぎゅっと腕ごと抱くようにしがみついてきた。
「えっ」
予想外の行動に、僕はちょっとうろたえた。
普段なら人前でこんなにくっついてくることはないのに、みゆは僕を見上げてはにかむ。
「ほ、ほら、人多いから。はぐれちゃうと困るし……」
「そ、そっか。そうだよな」
左腕が彼女の体温で包まれ、やわらかい。
「だめ? 歩きにくいかな……」
「だめじゃない全然だめじゃないよ、行こう」
これはしょうがない。人が多いし、はぐれると困るし、省スペースにもなるからいいんだ。
僕は彼女に腕を貸したまま、ぎこちなく人混みを抜けていく。
周りにはコスプレをした女の子たちもけっこういたけど、そちらには全く目が向かないほど腕に意識を持ってかれてる。みゆがしっかりと抱きついてくるからだ。
もちろん幸せじゃないわけがなく――こうやって歩けるなら、今の混み合うハロウィンもまあいいか、などと思う僕がいた。