ふたりで思い出づくり
僕らはその日、ショッピングモールでのんびりと過ごした。カフェでジェラートを食べ、いくつかのテナントを冷やかし、お昼ごはんはフードコートでそれぞれ好きなものを注文し、ふらっと立ち寄った書店ではお互いに好みの本を買った。
夏休みの思い出としては平凡かもしれないけど、正直みゆと一緒ならなんだって楽しかった。ジェラートやごはんを一口ずつ交換したり、肩を並べて立ち読みしたり、ただぶらぶらしながら最近あったことを話すだけでも会話が弾んだ。
そして夕飯の買い物を済ませ、ぼちぼち帰ろうかというところで彼女が切り出した。
「帰り、ちょっと寄りたいところあるんだ。いいかな?」
「もちろんいいよ、どこ?」
僕が聞き返すと、みゆはどこか遠慮がちに続ける。
「公園なんだけど……ちょっと、遠回りになっちゃうんだけど」
「公園? 夕涼みの散歩でもする?」
今日も一日楽しかったけど、夏休みの思い出というには地味だって思ったのかもしれない。大きな公園でも行ってのんびり散歩をすれば、思い出のいい締めくくりになるだろう。みゆもそう考えたに違いない。
と思った僕の予想は、微妙に外れていた。
「えっと、そんなに大きなとこじゃないの」
みゆは慌てたように両手を振って、
「児童公園、って言うのかな。前に行ったとこ」
「児童公園……?」
そんなものは市内のあちこちにある。僕が想定していた『公園』とは違って、ブランコと滑り台と鉄棒がある程度の小さな遊び場だ。
別にいいけど、なんでまたそんな場所に。
不思議に思っていれば、彼女はくすぐったそうに言い添える。
「ほら、高校の卒業式の前に行ったよね? あの場所、また行ってみたくて」
その言葉で、たちまち懐かしい思い出がよみがえった。
高校三年の冬、二月のことだった。僕は大学受験の前期日程を終えたところで、その報告をした折に彼女から『話したいことがある』と呼び出された。
駅前で待ち合わせて、そこで彼女と落ち合った。そこから行く宛てには迷って、結局ひと気のない近くの児童公園に足を延ばした。彼女から話したいことがあると言われた時、僕はほんの少し――いや、かなり期待していた。卒業間際だったし、バレンタインにはチョコレートももらっていたし、何より僕の気持ちはずっと前に伝えておいていたからだ。期待をふくらませつつ、邪魔の入らない場所、静かな場所を求めて公園に辿り着いた。
その頃の僕らは、まだ付き合ってもいなかった。
「わあ、全然変わってない……」
二年半ぶりに訪れた児童公園で、みゆは感嘆の声を漏らした。
ショッピングモールからバスに乗り、いつものバス停では降りずに駅前までやってきた。そこから数分歩いた先にこの公園はある。住宅街の一角だからか、駅前周辺の喧騒が嘘のように静かな場所だった。
ちょうど日が暮れ始めた頃で、あの日と同じようにひと気はなかった。遊具もまるで代わり映えしなかった。あの日と違うのは雪がないこと、代わりに夏の陽射しが残した熱気に溢れていることだ。
僕らは何も言わないうちからブランコに向かったけど、吊り下げる鎖の熱さには苦笑するしかなかった。
「夏の公園ってこうなんだね」
「どうりでひと気がないはずだよ」
この調子じゃ日中なんて、子供たちも公園では遊べないだろう。とは言え夕暮れ時でも涼めるほどではなく、汗をにじませながらブランコに座った僕らも僕らだ。
あの日と同じように、隣に並んだ。
すぐ傍の立木でヒグラシが鳴いている。そのやかましさが蒸し暑さに拍車をかける。それでも僕らはお互い帰ろうとせず、ブランコをゆっくりと漕ぎながら思い出話をした。
「懐かしいね……」
「うん……ここにはあれきり全然来なかったな」
この公園は僕の家からも、みゆの家からも近くはなかった。古いブランコとゾウの形のすべり台、それに砂場があるような児童公園は、付き合いはじめてしまえばデートで来るような場所でもない。それで今日まで来る機会もなかった。
あと、ここでの思い出がちょっと気恥ずかしいものだった、っていうのもあるかもしれない。
「今日、どうしてここに来ようと思ったの?」
僕は隣でブランコを揺らすみゆに尋ねた。
「思い出、だからかな」
みゆの声に、古いブランコの鎖がきしむ音が混じる。
「篤史くんとはいろんな、本当にたくさんの思い出があるけど、ここに来た日のことは特にはっきり覚えてるの。だって私、すごく緊張してたし、どきどきしてたから」
あの日のことを彼女の口から聞くのも、そういえば初めてかもしれない。
それを先に伝えておいてくれてたら、僕も勘違いせずに済んだんだけどな。
「僕はてっきり振られたのかと思ったよ」
「どうして? 私、ちゃんと『好き』って言ったのに」
僕の言葉にみゆはくすくす笑った。
でもあの言い方は誤解を招くと思う。いや、冷静に読み解けばわかるのかもしれないけど、そもそも当時の僕は冷静じゃなかったはずだ。勘違いしても仕方ない。
「篤史くんが大声上げたことって全然なかったからびっくりしちゃった」
みゆがなおも笑いながら続ける。
「あの時の篤史くん、すごく格好よかったな」
「どこが……みっともないとこ見せたと思ってるよ」
「ううん、素敵だったよ。誤解させてよかったかも」
「あ、ひどいな」
僕はむくれてみせたけど、みゆが楽しそうににこにこしているものだから、結局つられて笑ってしまった。
恥ずかしい思い出ではあるものの、でも決して悪い思い出ではない。忘れたいとも思っていない。だから今日だってふたりでここに来た。
僕らが記憶をたどり、ブランコを漕ぐ間にも、ゆっくりと日は沈んでいく。
空は一面燃えるような茜色で、目の前の路地では街灯がともりはじめた。
「あれから、思い出たくさん増えたね」
「そうだね」
「篤史くんと一緒にいるだけで、なんでもない日も思い出になるんだよ」
「僕もそうだよ。今日だって、楽しかった」
あれから僕らは高校を卒業し、みゆは就職し、僕は大学に進んだ。ふたりの進路は違っていてもたびたび会って、離れることはなかったし、今では一緒に暮らしてもいる。今日までの全ての記憶がみゆとの大切な思い出だった。
夏休みが終わっても、僕らの毎日は続く。
ずっと離れるつもりはない。二十年後と言わず、その先もずっと隣にいるつもりだ。
「本当に、私も楽しかった」
みゆが僕を見て微笑む。
その顔も夕陽の色に赤々と染まっている。
「だから今日の終わりに、ここに来たかったんだ。楽しい毎日も、今までたくさん積み重なってきた思い出も、これからどんどん増えていく幸せも――全部ここから始まったんだって思ったから」
そう、ここはある意味僕らの始まりの場所でもある。
普通そういう場所にはもっと雰囲気よかったり、あるいは縁があったりするところを選ぶものだ。たまたま行ける範囲にあったなんの変哲もない児童公園を、他に選択肢がなかったとはいえ告白の舞台として選ぶあたり、いかにも僕ららしいなと思う。
でも僕らにとっては、このなんでもない公園の景色すら忘れがたい。
今日、並んで乗ったブランコの鎖の熱さやヒグラシのやかましさ、夕映えの夏空もまた新しい、そしていい思い出になることだろう。
「また来ようか」
僕が言ったら、みゆはうれしそうにうなづいた。
「うん。ブランコ、いくつまで乗れるかな」
「二十歳過ぎても乗れたんだから、いくつでもいけるよ」
「おじいちゃんおばあちゃんになっても?」
「たぶん……いざとなったら口実に孫を連れてこよう」
「孫かあ」
彼女は想像を巡らせるように目を細めた。
夕陽に染まったその横顔は、思い出の中にある『佐藤さん』よりもきれいだった。
優しい面影はそのままに、だけど顔立ちも表情も、ぐっと大人っぽく変わっていた。外に出る時にメイクをするのが当たり前になったのは、こんなふうに静かに微笑むようになったのは、いつからだっただろう。
新しい思い出ができる度、僕はこうして見とれては、息を呑んでいるように思う。
それで僕はブランコごと少し隣に――彼女の方に寄せて、勢い込んで尋ねた。
「キスしていい?」
あの頃みたいに。
そうしたらみゆは困ったように目を泳がせ、眉尻を下げた。
「え……だ、だめだよ。ここ外だし、誰かに見られたら……」
「誰もいないだろ」
「で、でもだめ。だって私たち、もう大人だもん」
高校生だったら外でしてもいいんだろうか。
まあ、大人だから分別持てというのはわからなくもない。残念だけど。非常に残念だけど。
と思っていたら、その後でみゆは僕の方にブランコごと身を寄せる。
そして耳元に囁いてきた。
「家に帰ってからにしようね」
そう言われたら僕はもう迅速にブランコから降りるしかなかった。そして買い物袋を提げると言った。
「よし、みゆ帰ろうか」
「もう、篤史くんってば」
みゆは赤い顔で、くすくす笑いながらブランコを降りた。