ふたりで過ごす夏の終わり
長い長い夏休みが終わろうとしていた。長いとは言っても持て余していたわけじゃない。むしろ今年の夏はインターンシップにバイトにサークルにと大忙しで、あっという間に過ぎ去ってしまったように感じている。みゆのお父さんのお墓参りにも行けたし、充実した夏休みと言えるんじゃないだろうか。
もっとも、みゆは少しばかり不満というか、心残りがあるらしい。
「せっかくお盆は一緒だったのに、私の都合で篤史くんを連れまわしちゃったかなって……」
「そんなこと全然思ってないよ」
むしろ連れていってもらえてうれしかったと僕は思っているのに、みゆ曰く、お盆休みの予定がお墓参りだけでつぶれてしまったことが申し訳ないらしい。
「夏休みの思い出、それだけだったら物足りなくない?」
みゆが口にした単語は、ずいぶんと懐かしい響きだった。
「久々に聞いたよ、『夏休みの思い出』」
小中学生の頃はよく言ったし、絵日記やら作文やらに書いたりもした。高校時代もなくはなかったかな。特に思い出っていう思い出もないけど。
大学に入ってからは夏休みの長さをどう有意義に過ごすか考えるばかりで、そういえば思い出を作ろうなんて意識は一切なかった。絵日記なんかの宿題が出るわけでもなし、とりあえず効率よく過ごせたらそれでいいと思うばかりだった。
「そうなの? 大学生になるともう言わない?」
みゆが不思議そうにするので、僕も笑って答える。
「言われてみれば、ちっとも言わなくなったな」
「それはちょっと寂しいね」
「まあね」
寂しいという意識はこれまでなかったけど、確かに無味乾燥って感じはなくもない。
もちろん充実した夏休みではあった。その事実は変わらないものの、せっかくだからもうひとつくらい思い出があってもいいかもしれない。
せっかく、彼女がいるんだから。
「じゃあ今日は予定もないし、これからどこか行かない?」
ちょうど彼女も、僕と同じことを思っていたようだ。
九月半ばの週末だった。週が明けたら僕の夏休みは終わりで、夏休みの思い出を作るなら今日明日しかチャンスはない。そして幸いなことにこの土日、僕もみゆも予定は入れてなかった。
「いいよ、思い出作りに行こうか」
僕は一も二もなく答えた。
途端にみゆの顔が輝く。
「うん! 私もね、このまま夏が終わっちゃったら寂しいなって思ってたの」
そういうことなら今日は思いっきり楽しまないと。
夏休みの最後の最後に、一番いい思い出を作ってやろう。
とは言え、戸外は暑い。
九月も半ばで残暑見舞いすら季節外れの時期だというのに、日中の気温はいまだ三十度を下らない。今日もまた憎たらしくなるほどの晴れ空で、この炎天下を思い出求めて無為無策にうろうろすることは絶対に避けたかった。夏休み最後の思い出がふたりで熱中症だなんて最悪すぎる。
思いつきで行くのに遠出は無理だし、海はもう泳げないし、となると――。
僕らが選んだ行き先は、よく行く郊外のショッピングモールだった。
「ごめん、思いついた先がここしかなくてさ」
バスを降り、すっかり見慣れた入り口をくぐりながら僕が詫びると、みゆは大きくかぶりを振った。
「ううん、私も他に候補なかったし。突発的に出かけたいってなったらまずここだよね」
実際、ここにはなんでもある。食料品はもちろん家電、家具、おもちゃに文房具といった広大な売り場があるし、一通りのアパレルブランドや大きな書店もテナントに入っている。レストラン街もフードコートもあるから予算に応じてご飯が食べられるし、究極にすることがなくなったらシネコンで映画を見るという手もある。
だから、僕らが思わず足を運んでしまうのも仕方ないのかもしれない。
「私、ちょうど服見たかったんだ」
冷房の効いたモール内を歩き出しつつ、みゆがそう言った。
「通勤服の洗い替えを買い足したくて。毎日暑いから、涼しい服が欲しいの」
「わかった、まずはそれ見に行こうか」
異存はなかった。普段は食料品を見に来ることが多いから、服をじっくり見る時間というのも貴重だ。せっかくだから僕も何か買おうかなと思いつつ、ふたりでアパレルのテナント地帯へ足を向ける。
ところが、ここに落とし穴があった。
僕とみゆはいくつかの店をはしごして、ようやくそのことに気づいた。
「もう秋物ばっかりだね……」
彼女がつぶやいたとおり、どこの店も売りに出されているのは秋物ばかりだ。半袖は見る影もなく、並んでいるのはニットのセーターやカーディガン、それに厚手のネルシャツなどなど。アウターも充実し始めていて、僕らは秋の到来を肌よりも先に目で感じ取っていた。
「毎シーズン思うけど、アパレルはどこも気が早いよな」
僕がぼやいた先、ショーウインドーの中ではマネキンがいち早くマフラーを撒いている。リブセーターとコーデュロイのスカートはどちらもこっくりした秋色で、夏の鮮やかな色合いはもうどこにも見当たらなかった。
「でも、もう九月だもんね」
みゆが言って、首をすくめた。
「外はまだ全然暑いけど、暦の上では秋なんだよね」
「そっか、夏も終わりか……」
終わるのは夏休みだけじゃない。夏もそうだった。
今年の夏は特にやることがたくさんあって、慌ただしく過ぎていってしまったように思う。それが悪いわけではないけど、その慌ただしさに取り残されたような気分にもなっていた。
「歳を取ると一年があっという間って言うけど、こういう感じなのかもなあ」
父さん母さんを筆頭に、僕より年上の方々が口をそろえて言うことだ。
僕もぼちぼち実感しつつある年頃になってきたのだろうか。
「篤史くんも気が早いよ」
みゆは、そんな僕をおかしそうに笑ってみせた。
「まだ『歳を取った』なんて言える歳じゃないでしょ?」
「まあ、そうだけど。二十歳じゃ早すぎるか」
「そうだよ、二十年後に言ってたら私も『そうだね』って同意したけど」
「二十年後か……」
今の年齢の二倍か。さすがに途方もなさすぎて自分がどうなっているか、想像もつかない。
そもそも志望先もぼんやりしている現状で、二十年後の自分なんてイメージできるはずもなかった。ちゃんと就職できてたらいいんだけどな。できれば、やりがいのある仕事を見つけたりして。
そして二十年後となると、みゆも四十一歳か。
これもこれで想像つかないな。いくつになっても彼女はかわいいだろうけど。
「篤史くんの二十年後、どんな感じなのかなあ」
ちょうどみゆも、僕とまるっきり同じことを考えていたようだ。でも想像を巡らせてもはっきりしたビジョンは浮かばなかったらしく、やがて苦笑しながら言った。
「思い浮かばないけど、二十年経ったら見られるんだもんね。その時のお楽しみだね」
「え、うん」
とっさに僕がうろたえかけると、彼女は怪訝な顔をする。
「どうかした?」
「いや……二十年後も僕と一緒にいてくれるんだ、って思ってさ」
「そんなの当たり前だよ」
みゆはきっぱりと言い切った。
まるでなんでもないことみたいに。
いや、僕だってそう思ってたけど。
でもそんな思いを口にするのはまだ照れくさいというか、それこそ気が早いんじゃないかって思っていた。いつかは言うつもりだった。絶対に言うつもりでいたけど――。
「うれしいよ、ありがとう」
気を取り直し、うろたえる心をどうにか落ち着けてから、僕は言った。
「え? どうしてお礼言うの?」
みゆはそこでもきょとんとしていたけど、やがて何かに思い当たったみたいだ。急にあたふたしはじめた。
「あっ、そっか、えっと……ごめん、こんなこと言うの図々しかったかな。勝手にずっと一緒にいる気でいたけど……」
「いや全然! むしろ大歓迎だよ、二十年後も一緒にいよう」
「う、うん……」
彼女は僕の勢いに押されるみたいに顎を引く。
それから小声で、恥ずかしそうにつぶやいた。
「プロポーズ、みたいだね」
これをプロポーズに認定されても困る。しかるべき時にちゃんと装備を整えてから言うって決めてるんだから。
でもまあ、その予定があるってことは伝えておいてもいいはずだった。
お互い、これから先もずっと一緒にいる予定なんだから。
「なんか、暑くなってきちゃった……」
みゆは赤くなった顔を手で仰ぎつつ、秋物ばかりの店頭を振り返る。
そして、はにかみながら言った。
「秋物はまだ早いみたいだし、冷たいものでも飲みに行かない?」
「そうしよう」
その提案には全面的に賛成だ。僕も暑いと思っていた。
暦の上では秋でも、僕らの体感温度はまだまだ高いままだった。