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相手にとって不足なし(1)

 数日後、ロックたちはクリスターの元に話を持っていった。
 急ぎの依頼を受けて人手が足りないことを掻い摘んで話すと、彼はふたつ返事で引き受けてくれた。
「仕事があるのはありがたい。よく声をかけてくれたな、ロック」
「ニーシャにはこないだお世話になったからね、そのお礼だよ」
 彼女から頼まれた事実は伏せておくことにする。当のニーシャは、クリスターの隣でにこにこしている。
「手付金ももらったから先にいくらか払えるよ。その分、しばらくは忙しくなるけど」
 ロックはランベルトからの依頼についてさらに詳細を話した。ランベルトの愛娘三人のためのドレスであること、いい加減な仕事では許されないことなどを打ち明ける。事情が事情ゆえにたいへん金払いのいい客であることも話しておいた。
 するとクリスターはにわかに表情を曇らせる。
「お前、俺があんだけの目にあったのに同じ轍を踏むのかよ……」
「ち、違うって。これは本当に確かな筋なんだよ!」
「うまい話には裏があるって、俺が身をもって証明しただろうよ」
 クリスターは例の一件で片脚の自由を失くしている。そんな彼を納得させるにはそれなりの時間がかかってしまった。
 無論、そう言われても仕方ないくらいの好条件ではある。ロックも罠だと知った上で引き受けたので当然だが。

 ランベルトについては、エベルがすでに調べを入れてくれた。
 それによれば彼に三人の娘がいること、彼女たちが年頃であること、そしてまだ社交界へのお目見えが済んでいないことは全て事実だという。彼の家は下級貴族の中でも比較的裕福な暮らし向きのようで、ロックに支払われた手付金も恐らくランベルト自身のものと捉えてよさそうだ。
 また帝都の中の仕立て屋がどこも忙しいのは事実のようで、エベルの命を受けたヨハンナが数軒回ってみたところ、行く先々で『仕立てのご用命はまた日を改めて』とお願いされてしまったという。ランベルトの話に嘘はないのかもしれない。
 気になるのは、彼にロックの店を紹介してきた相手だ。
 これについてはランベルトの交友関係を洗ってみても浮かび上がるものはなかった。ランベルトは貴族たちと広く浅く付き合いがあり、一方で学者仲間とはたびたび集まって議論を楽しむのが趣味だそうだ。しかしそこに皇女リウィアとの直接的な繋がりは見つけられず、彼がロックの店を教わった後、どのように記憶を消されたのかはわからないままだった。
 だが、彼が記憶を消されたのは確かだとロックたちは見ている。
 もちろんその話をランベルトにするつもりはないが、今後も警戒を怠ってはなるまい。

「……閣下が保証してくださるんなら安心かもな」
 結局、クリスターにはエベルの名前を出して納得してもらった。
 記憶を消された云々、という話は彼にもしていない。それを打ち明ければクリスターのみならずニーシャまで不安にさせるだろうし、いよいよ手を貸してもらえなくなりそうだからだ。
「けど、フィービは微妙な面してんな」
 そこでクリスターは、ロックのお目付け役としてついてきたフィービに目を向ける。
「実はあんたも、この仕事には気が乗らないって思ってんだろ?」
 するとフィービはふんと鼻を鳴らした。
「ロックの決めたことですもの、あたしは傍で支えるだけよ」
「心配でしょうがねえって顔してんのにか?」
「心配は心配よ。でも何かあればあたしが守ればいい話でしょ、ロックもあんたたちもね」
 そう言い切ったフィービだが、ここ最近はクリスターに言われたとおり、浮かない顔をしていることが多かった。
 浮かない、というよりは思案顔と言うべきか。
 ロックもそんな父のことは気になっていたが、今のところ安心させられる材料が存在しない。この仕事を無事片づけ、花嫁衣裳を仕立てること以外に不安を晴らす方法はなさそうだった。

 フィービには、ロックとエベルの口からすべての事情を話していた。
 ユリアと名乗る少女の正体も、ロックの記憶を消したのが彼女かもしれないということも、それを指示した何者かがいるであろうことも――それらの話の大半はまだエベルの推測に過ぎない話ではあったが、それでもフィービは腑に落ちたようだ。疑いはせず、ただいっそう険しい顔になってこう言った。
『どうやら敵はずいぶんとやばい奴みたいね。勝算はあるの?』
 ある、と言い切れば嘘になる。
 ロックを皇女から遠ざけるためにこれだけの手を打ってくる相手だ。ランベルトを差し向けただけで安心しきっているはずがない。むしろロックたちがあきらめていないことに気づけば次の手を打ってくるだろう。
 だがロックに引く気はさらさらない。
 皇女の花嫁衣裳を仕立てたいと思うのは金や名誉が欲しいからだし、自分と父の悲願のためでも、恋人の隣に胸を張って並び立つためでもある。
 そして、会った記憶のない――顔も声も覚えてはいない『友人』のためでもあった。

 花嫁衣裳の図案を描き上げた夜の、晴れやかな達成感だけをかすかに覚えている。
 きっと自分にはそのドレスを着てもらいたい相手がいたのだ。
 そう思い、ロックは欠落した感情を奮い立たせるようにしていた。

「フィービがクリスターを守ってくれるなら安心だね」
 ニーシャは上機嫌で、椅子に腰かけた夫の肩に手を置いた。
 それを温かい微笑で振り返った後、クリスターはロックとフィービに向き直る。
「いざとなったら本気で頼むぜ、フィービ。俺はこの脚だから逃げることすらできないし、ロックはこのとおり貧弱な小娘と来てる」
 クリスターもずいぶん用心深くなったようだ。いつぞやの傷のせいか、あるいは所帯を持った責任感からだろうか。どちらにせよ、彼とニーシャを悲しませることはしたくないとロックも思う。
「わかってるわよ」
 フィービは力強くうなづいた後、思い出したように言い添えた。
「それより、よその娘を捕まえて『貧弱』だなんて聞き捨てならないわね」
「まあ事実だからね」
 ロックのほうはその評価を否定するつもりもなかった。腕っぷしはあいにく遺伝しなかったのだからしょうがない。
 荒事に腕を揮うのはフィービに任せることにして、ロックはクリスターと共に仕立ての腕を揮うべきだろう。
「仕事はいつからだ、ロック」
「来れるなら明日からでも来てほしい」
 クリスターの問いに、ロックはそう答えた。
「ちょうど明日、ランベルト卿の三人の娘たちが店に来るんだ。採寸にね」
「貴族様のお嬢さんがたか……俺が行って、顔をしかめられやしないか?」
「僕だってどうかわからないよ。今回の仕事は先方たっての頼みではあるけど、お嬢様がたのお気持ちは測りかねるしね」
 父親が決めてきた店が帝都の外の仕立て屋となれば、箱入り娘たちは抵抗感を抱いてもやむを得まい。明日はそれを宥めすかすのも仕事のうちになるかもしれなかった。
「ま、いざとなったら相手の顔を金貨だと思うか」
 そんな口ぶりで、クリスターは明日の来店を約束してくれた。

 クリスターたちの家を出た後、ロックとフィービは『フロリア衣料品店』へ向かった。
 今日は昼過ぎで店を閉めていたが、それは明日に備えてのことだ。貴族のお嬢様がたをお迎えするために、店の掃除を済ませてしまうつもりでいた。店内は普段からフィービがきれいにしているものの、試着室にいい香りの花を飾ったり、鏡を磨いたりと、やっておくべきことは山ほどある。
「そういうのはあんたに任せるわ、ロック」
 フィービはと言えば、例によって思案顔で言ってきた。
「あたしはちょっと調べものがあるの」
「調べものって?」
「引っかかることがあってね。帳簿、見せてもらうわよ」
 そう言うとフィービはカウンター内の椅子に腰かけ、店の帳簿をめくりはじめる。
 彼女の『引っかかること』が何か、ロックにはわからない。だがこういう時のフィービはどっぷり集中してしまうと知っていたから、しばらくそっとしておくことにした。

 フィービは、ユリアが皇女だと聞かされた時も驚かなかった。
 むしろエベルがそう告げたとたん、『でしょうね』と即座に応じたほどだ。
 だがこの一件の黒幕については彼女にも心当たりはないようだった。それでも性分なのか、わからないままにしておくのは嫌なようで、独自に調べをつけると宣言していた。
 そのフィービが店の帳簿を調べ出したということは、客に怪しい者がいると疑っているのだろうか。
 気になるロックはそわそわしながら店の掃除を始めた。

 そして試着室の鏡を磨き、中に摘みたての花を飾って、店へ戻ってきた時だ。
「ロック、ちょっと」
 まだ帳簿を開いていたフィービが手招きしてきた。
「なあに?」
「あんたに見てもらいたいものがあるの、この日よ」
 ロックが近づいていくと、フィービは帳簿からある一日の記述を指差してきた。
 それは今からひと月ほど前の日付で、他の日と同様に客数と品名、それに売上額がロックの字で記されていた。ただ他の日と比べるとその日は売上額が大きく、しかしその割に品数はいつもどおりだ。どうやら手袋の仕立ての依頼があって、それを引き渡した日らしい。
「手袋の仕立て……? そんなのあったかな」
 帳簿を覗いたロックは首をかしげた。
 手袋を自分用に仕立てさせる客は、貧民街にはそうそういない。割高になる仕立てを頼んでくるのはそれなりに余裕のある者に違いない。
 だがそれほど珍しい客があったにもかかわらず、その相手のことをロックは思い出せなかった。
「覚えてないでしょう? あたしもなのよ」
 フィービは言って、腕組みをする。
「これだけ儲けた日だっていうのに、儲けさせてくれた客がどんな人だったか覚えてないの。妙じゃない?」
「フィービ、それってまさか――」
 ロックが言いかけると、彼女はうなづいてから別の帳面を取り出す。
 それは店に来た客から受けた依頼をまとめた注文書だ。あとから文句をつけられた時のために、品物を引き渡した後も紐で閉じて、しばらく保管しておくようにしていた。
 ちょうど店にはひと月前の注文書が残っていたらしく、先程フィービが示してきた日付のものもちゃんとあった。
 それによると仕立てたのは男性用の革手袋らしく、『急ぎの注文、三日で仕上げる』と付記されていた。
 注文主の名前は『ヴァリ』というそうで、注文と照らし合わせれば恐らくは男だろう。
「ヴァリさんか……やっぱ、覚えがないな。なんでだろう」
 ロックは眉をひそめた。
 つい最近も記憶が消えたばかりだ。また同じ目に遭ったと思うと気分が悪いが、今回の客は皇女ではなく男のようだ。なぜこの記憶を消したのか、そこがわからない。
「たまたま忘れちゃったのかもしれないけど」
「あたしとあんたがふたり揃って? そんな都合のいい忘却があるかしら」
 ロックの言葉を否定したフィービは、こめかみを揉みほぐしながら続ける。
「でもね、あたし覚えがあるのよ。この日の昼は金が入ったからって、ふたりで豪勢な食事をしたの。あんたはどう?」
「あ……!」
 それはロックも覚えていた。
 いつもより儲けたから、ふたりで少しいい食事をすることにしたのだ。行ったのはいつものジャスティアの店だが、普段は頼まない鶏の炙り焼きを注文して食べた記憶はある。ふたりが酒を飲まないからと、ジャスティアが葡萄の果汁を冷やしたものを持ってきてくれて、乾杯した覚えもある。あれはとてもおいしかった。
 食事の味は今にもよだれが出そうなほど覚えているのに、手袋を注文した客のことは全く思い出せない。
「以前にも、僕らは同じ目に遭ってたってこと……?」
 ぞわぞわと這い上がってくるような悪寒を覚え、ロックはうめいた。
 フィービはと言えば、険しい面持ちで娘を見ている。
「そういうことなのかもね」
「でも、なんで? この手袋の人はユリアと関係があるの?」
「ええ、恐らくそうでしょうね」
 心当たりでもあるかのように、フィービは声を潜めた。
「実を言うとね、ユリア――皇女殿下の兄上の名前は『ヴァレッド』というのよ」
 それを聞いた瞬間、ロックは思わず息を呑んだ。
 ヴァリ。
 ヴァレッド。
 まるで隠す気がないような名乗り方だ。
「我が帝国の第四皇子。ま、あたしも御尊顔までは存じないけど」
 口調の軽さとは裏腹に、フィービの表情は硬い。
「でも閣下は、『ユリアに記憶を消させた誰かがいる』って仰ってたでしょう。この帝国で皇女に言うことを聞かせられる相手なんて、目上のきょうだいか親くらいのものじゃない?」
 それはロックも、そしてエベルも考えていたことだ。
 推測が当たりだとすれば、ヴァレッドはひと月も前からロックの店に目をつけていたことになる。手袋を注文したのは腕前を見るためか、あるいはただの気まぐれか。注文書に名前が残ることは知っていたのだろうか。
 なんにせよ、これは有力な手掛かりにもなりえるだろう。
「覚悟なさい、ロック」
 フィービが目を伏せ、深く息を吸い込む。
「あんたの――あたしたちの敵は、こっちのことも知り尽くしているかもしれないわ」
「覚悟ならできてるよ」
 ロックは即答した。
 相手に店まで入り込まれていた事実にはぞっとするが、当たりがついたと思うとむしろせいせいした気分だ。ユリアに命じたのが兄皇子と思うと、いくつかの疑問も納得がいく。
 そして、なにがなんでもユリアに会わなくてはならない、と思う。
「フィービこそ覚悟は大丈夫? どうやら相手はやんごとなきお方のようだよ」
 虚勢を張るつもりで聞き返せば、フィービはロックを見て、不敵に微笑んだ。
「こっちは歴戦の傭兵よ。相手にとって不足なし、ってなものよ」
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