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相手にとって不足なし(2)

 翌日、ランベルトは三人の娘を伴ってロックの店に現れた。
 年若い娘たちは揃って愛らしく朗らかで、そして好奇心旺盛だった。学者の父譲りなのだろうか、店内に入るなり小鳥のようにきょろきょろと辺りを観察し始めた。
「まあ、こじんまりして素敵なお店!」
「壁の外といっても、帝都の中とそう変わらないのね!」
「こんにちは、仕立て屋さん! 壁の外の人とお会いするのは初めてよ!」
 彼女たちの来訪により、『フロリア衣料品店』の空気もたちまち華やいだ。ロックもいい気分でお辞儀をする。
「いらっしゃいませ。本日は貸し切りとなっておりますので、どうぞお寛ぎください」
 いつぞやのエベルがそうだったように、娘たちはロックを一目見ても店主だとは思わなかったようだ。そう名乗ると、三人は一斉に声を上げた。
「そんなにお若いのにお店を持っていらっしゃるの?」
「ええ、わたくしたちとそう変わらないように見えてよ!」
「壁の外ではそれも普通のことなのかしら?」
 賑やかに騒ぐ娘たちを見て、ランベルトはあわてて口を挟む。
「こらお前たち、少しは行儀よくしなさい。おしゃべりも過ぎるとみっともないといつも言っておるだろう」
 それで三人の娘は品よく口をつぐんだが、目は相変わらずきらきらと輝いてあちこちを見回していた。
 だが彼女たちの態度にロックはむしろ安堵していた。貧民街だからと忌避されて、刺々しい態度を取られるよりは遥かにいい。仕事もしやすくなりそうだ。
「では向こうで採寸をいたします」
 澄ました様子の娘たちに、ロックは早速切り出した。
「採寸は僕と、それからこちらのクリスター、そしてフィービが担当いたします」
 紹介されて、ここまでずっと黙って控えていたクリスターがぎこちなくお辞儀をする。
 彼が浮かべた笑みは引きつっており、ランベルトの娘たちの雰囲気に気圧されているのがはっきりと見て取れた。ロックと違い、貧民街の客しか相手にしたことがないのだから無理もない。恐らく彼女たちが返った後で何かしらの愚痴をこぼすだろうが、今のところは品性を保とうと努めているようで、その努力はロックも認めたいところだ。
 一方のフィービは慣れたもので、妖艶に笑ってこう言った。
「よろしくお願いいたします、お嬢様がた」
 骨太の美女から発せられた濁声に、さしもの娘たちも一瞬固まった。
 かと思いきや、次の瞬間には一層目を輝かせて詰め寄りはじめた。
「こちらの方、まさか殿方でいらっしゃるの?」
「まるで本物のご婦人のようにおきれいよ!」
「どうして女の格好をしておいでなの? ご趣味?」
「こら、失礼なことを聞くんじゃない! 行儀よくしていなさい!」
 ランベルトがたしなめに入るほどの質問攻めに、当のフィービは落ち着き払って答える。
「趣味というより、こちらのほうが性に合っているというだけでございます」
 それで納得したのかどうか、娘たちは尚も好奇心に満ち満ちた視線をフィービに送り続けている。
 どうやら今日の仕事は賑々しくなりそうだ。ロックは気合を入れ直し、娘たちを試着室へと案内した。

 おしゃべり好きな娘たちの採寸は、幸いにして和やかに、そして滞りなく行われた。
 その後でロックは娘のひとりひとりからドレスの要望を伺うことにした。急ぎの注文とは言え、彼女たちにとっては社交のために着飾る初めてのドレスだ。可能な限り望みどおりのものを着てもらいたいと考えていた。
 娘たちもそれぞれに要望があったらしく、尋ねれば堰を切ったように語りだす。
「初めて着るドレスですもの、夢のように美しいものがいいわ! 虹のように色とりどりの生地を使って、遠くからでも人目に留まるようにしたいの。それを身にまとうだけで貴婦人のようになれるなら言うことなしね」
「わたくしはせっかくだから肌を見せるドレスがいいの。お父様は何かと口うるさいけれど、この美しい肌を晒しておけるのも若いうちだけでしょう? 特に背中はうんと大きく開けてちょうだいね、仕立て屋さん」
「前にお見かけしたご婦人のドレスが、生地を幾重にも重ねていてとても素敵だったの。くるくる回れば花開いた薔薇のように見える、たっぷりしたスカートのドレスよ。それを着てわたくしもくるくる回ってみたいの!」
 彼女たちの要望はどれもこれもかわいらしく、書き留めるロックはその度にそっと微笑んだ。
 無論、実際の仕立てには出資者たるランベルトの要望も大いに影響することになりそうだが、そのあたりの擦り合わせも仕事のうちだ。
「あまり肌を見せるのは品がないように思うが……それとわがままを言いすぎないようにな」
 ランベルトがそうして口を挟み、その度に娘たちから抗議の眼差しを向けられるのを、ロックは温かく見守っていた。

 それからふと、記憶にない友人ユリアのことを思った。
 彼女について依然何も思い出せないままだ。だがロックは彼女のために花嫁衣裳の意匠を考え、図面をしたためた。それも事実だ。
 彼女とは、その意匠について話をしたことがあったのだろうか。
 エベルの話では、ユリアはロックが花嫁衣裳を仕立てようとしている事実も知っていたようだ。それならば彼女と直接その話をしていても不思議ではないし、彼女に意見を求めたり、彼女の要望を聞こうとする機会だってあったかもしれない。いや、自分ならそうするという確固たる自信がある。
 だがそういった情報はどこにも書き留められてはおらず、彼女と過ごした時間もまた『忘れてしまった』状態だった。
 だからこそ、ロックは考えてしまう。
 自分はユリアと、どんな話をしたのだろうか。
 彼女は自らが着る花嫁衣裳にどのような思いを寄せていたのだろうか。
 それを聞いていたからこそ、自分はあの衣装に帝都の城壁と夜空、そして皇帝の居城をあしらったに違いないのだが。

 ドレスについておおよその注文がまとまった後、ランベルトと三人の娘たちは満足げに帰っていった。
 そして『フロリア衣料品店』にも久方ぶりの静寂が戻り、
「ふうっ……」
 真っ先にクリスターが息をつく。
「貴族のお嬢様がたってやつは揃いも揃ってあんなにもおしゃべりなのかね? ランベルト家がああなだけか? とにかくまあうるさくて敵わなかったぜ」
 そして予想どおり、くたびれた様子でまくし立てた。
「かわいらしいじゃないか」
 ロックはやんわりたしなめる。
「もっとつんけんされるかと思ってたから、僕からしたらありがたかったよ」
「確かに、毛嫌いされてもしょうがねえとは思ってたけどな……」
「だろ? あのくらいよくしゃべるお客のほうがやりやすいくらいだ」
 三人の娘たちは採寸にも抵抗なく応じていたし、こちらを見下したり侮蔑したりということもなかった。貧民街の質の悪いのに比べたらまったく行儀のいい客だ。
「あたしなんて採寸の間、ずっとこちらが質問攻めだったのよ」
 フィービがおかしそうに笑う。
「『そのお化粧はどこまで作り込んでらっしゃるの?』だの『ドレスはここで仕立ててもらったの?』だの『本当はおいくつなの?』だの……お嬢様の好奇心ってやつは全く底なしね」
「ま、フィービみたいなのはどこでも珍しいだろうけどな」
 クリスターはそう言うと、ひとつ大きく伸びをした。
 それからロックとフィービに対し、こう切り出した。
「腹減らないか? 一仕事の前に食事にしようぜ」
「いいわね、ちょうどお腹空いてたのよ」
「僕も僕も」
 フィービとロックは揃ってうなづいた。
 気づけば窓の外の太陽は傾き始めており、昼時はとっくに過ぎていたようだ。今日はこれから生地を選び、型紙づくりをする予定だった。つまりはやるべき仕事はいくらでもあり、そのために英気を養う必要がある。
「そう思って、ジャスティアに話を通しといたんだよ」
 どこか得意げに言ったクリスターが、彼女の店に行こうと促してきた。
「きっとパンを山ほど焼いといてくれてるはずだ」

 彼の言うとおり、ジャスティアの店を訪れたロックたちはおいしそうなパンの香りに出迎えられた。
「あれ、遅かったじゃないの。パンがちょっと冷めちゃったかもしれないよ」
 ジャスティアは口ではそう言いつつも、席に着いた三人に温かいパンとスープ、それによく冷えた果物の盛り合わせを振る舞ってくれた。
「まだ注文してないよ、それにこんなにたくさん……」
 その迅速さにロックが目を丸くすれば、クリスターが代わりに胸を張る。
「だから、話通しといたって言ったろ。昼に三人で行くからうまいもんいっぱい用意しといてくれって言っといたんだよ。でかい仕事が入ったから、景気づけにおまけしてくれってな」
「おまけした分は後で払うって、そればっかりだったけどね」
 ジャスティアがからかうように口を挟んだ。
「あんたはいつもそうだ、金は出さないでおまけばっかりねだるんだからね。所帯持ったんだから少しは払いがよくなるかと思ったら」
「所帯持ったからこそ財布の紐が固くなったんだろ」
 とは、クリスターの反論だ。
 もっともジャスティアも『おまけ』をすること自体に異論はないらしい。ロックに上機嫌でこう告げてきた。
「まあ、でかい仕事ってのは本当なんでしょう? だったらたっぷり食べて、体力つけてもらわないとね。特にロック、あんたはこないだ倒れたばっかりなんだから」
 彼女が語るその肩越し、竈の前のカルガスもうんうんうなづいている。
「ありがとう、そうするよ」
 ロックはありがたく夫妻の厚意を受け取ることにした。
 クリスターの根回しのよさには呆れたものの、景気づけが必要なのもまた事実だ。いい食事は何よりの活力になる。
「ついでだ、余ったパンは持っておいき。どうせ遅くまで仕事なんでしょうし、差し入れだよ」
 さらにジャスティアはそうも言ってくれて、その気前のよさにはロックが心配になるほどだった。
「そんなにいいの?」
「差し入れだって言ったでしょう。焼き立てを店まで持ってってやってもいいんだけど、あんたたちの手がいつ空くかもわからないしね、自由に持っておいき」
 彼女はさっぱり笑んだ後、ロックに向かって念を押してくる。
「ただし無事に一儲けできたあかつきには、うちの店でもいっぱい使ってもらうからね」
「わかってるよ、ジャスティア」
 もちろんそのつもりだった。
 三着分のドレスを仕上げ、さらに花嫁衣裳を無事仕立て終えたその時には、この店で打ち上げをしよう。一仕事終えた喜びをここで、みんなで分かち合おう。ロックは今からそう決めていた。

 ジャスティアの店でたらふく食べ、さらにお土産にたくさんのパンを持たされた三人は、午後もしばらく仕事を続けた。
 その後脚の悪いクリスターは安全のため日没前に帰宅し、ロックとフィービも日没後にはいったん仕事を切り上げた。三着分の型紙は無事仕上がり、明日からは仮縫いに入れそうだ。
「フィービは先に帰っていいよ」
 ロックは道具を片づけながら彼女に告げた。
「あんたはどうするの?」
「僕はもう少し残るよ。花嫁衣裳のほうを少しでも進めておきたくてさ」
 なんでもない調子で答えたロックだったが、フィービはしばらく無言だった。奇妙に思ってロックが顔を上げると、彼女は少し硬い表情でこちらを見ている。
「ひとりで残って大丈夫?」
「いつもひとりで残ってるだろ、平気だよ」
「いつもの話じゃなくて、最近の話よ」
 フィービが声を尖らせたので、ロックもようやく言わんとするところを察した。
 この間倒れてから記憶がなくなった、あの時のことを、もはやふたりは体調不良のせいだとは思っていなかった。誰かがロックの記憶を消し、意識を失わせた後にジャスティアの店の前まで運んだのだろう。
 またひとりになれば同じ目に遭うかもしれない。フィービはそう案じているのだろう。
「でも、フィービも疲れてるんじゃない?」
 ロックが案じ返せば、フィービはわざと怒ったように鼻を鳴らした。
「失礼ね、あたしはそんな歳じゃないわ」
「歳のことを言ってるんじゃなくてさ」
「あんたが残るなら付き合う。それだけのことよ」
 フィービの気づかいはもちろんうれしいのだが、彼女が以前より気を張るようになったこともロックは知っている。娘があんな目に遭ったのだからやむを得ないことだと思う。だが同時に娘として、父を気疲れさせたくないとも思う。
 仕事をもう少ししておきたいのも本当のところで、どう答えようかロックが迷っていた時だ。
 店のドアベルが軽快に鳴り、
「よかった、まだ店にいてくれたか」
 エベルが姿を現したかと思うと、覆いをかけた手籠を軽く持ち上げてみせた。
「あなたがたに差し入れだ。うちのヨハンナが作った焼き菓子を持ってきた」
 まったくいい折に現れてくださったものだ。
 ロックとフィービは顔を見合わせ、フィービのほうが先に口を開いた。
「閣下がいらしたなら、あたしはお暇したほうがよさそうね。お邪魔でしょうしねえ」
「……そんなこと、ないけど」
 ロックの反論は歯切れの悪いものとなってしまったが、エベルの顔を見られてうれしかったのも事実なら、父を帰す理由ができてほっとしたのも事実だった。
 それを彼とふたりきりになりたいからだと誤解されるのも気恥ずかしいのだが――そのほうがフィービは納得してくれそうだから、ぐっとこらえて黙っておいた。
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