あなたに伝えたいこと(4)
男は、ランベルトと名乗った。帝都に住む下級貴族ということだが、生業は学者だと語った。歳の頃は三十後半といったあたりだろうか。身なりは小ぎれいで質がよく、顔や神の色つやもいいが、表情は憔悴しきっている。ここに辿り着くまでに肝を冷やすようなことでも起きたのか、いやに汗をかいていた。
ロックが店主だと名乗り返せば、彼はひどく困り果てた様子で切り出した。
「急ぎの仕事を請け負ってはいただけませんか。ほうぼうで断られ、もうこちらしか当てがないのです」
「お仕立てをご用命ですか?」
聞き返せば、ランベルトは手巾で汗をぬぐいながらうなづく。
「ええ。私には娘が三人おりまして、それぞれに一着ずつドレスを仕立ててやりたいと考えておりました」
「三人……つまり三着ですね」
「そのとおりです」
どうやらたやすい案件ではないようだ。
ロックにはこれから皇女殿下の花嫁衣裳を仕立てるという重要な使命がある。小さな仕事ならともかく、内容如何では断りを入れなくてはならないだろう。
慎重に聞き入るロックの傍らで、エベルとフィービが目配せをかわす。
一方、ランベルトは切々と語った。
「娘たちは年が近く、揃って年頃となりました。三人とも近々社交界へお目見えをと支度を始めていたのですが、そこへめでたくも皇女殿下がご結婚されることとなりました。祝賀の席には我が娘たちも出向かせるつもりでしたが、それには上質なドレスが必要となります。しかし……」
そこで彼は肩を落とす。
「帝都内の仕立て屋には全て断られました。あのフォーティス服飾店にも行ってみましたが、職人が皇女殿下のドレスを仕立てるため、他の仕立てを請け負う余裕はないと……」
よその店も各々動き始めているようだ。時期を考えれば当然だろう。
だがそれによって、しわ寄せを食らう客もいるということか。
「別の店でも同じように断られました。いちどきに三着はどうしても無理だと。それならば一着ずつ違う店でとも交渉しましたが、今度は出来映えを他店と比べられるようで困ると、結局断られてしまったのです」
帝都の中の衣料品店はなかなかに気位が高いようだ。ロックとしてはわからなくもない言い分だが、自分ならむしろ張り合いが出ると気勢を上げるところだろう。
無論、平時ならという話だ。
今はロックにも、三着のドレスの仕立てを請け負う余裕はない。
「お願いいたします。どうかこちらで、晴れ舞台に臨む娘たちを着飾らせてはいただけませんか」
ランベルトは頭を下げ、相場の三倍の報酬を払うと言い添えた。そちらさえよければ手付金も置いていく、さらに材料費も言い値で先に払い、期日よりも早く仕上がればさらに報酬を上乗せするとまで言ってくれた。
急ぎの仕事とはいえ、この待遇は破格だ。
普段ならみすみす逃したりはしないのだが、ロックは内心歯噛みする。
「お言葉ですが、ランベルト卿」
しかし表向きは平静を装って切り出した。
ひとまずやんわりと断るつもりでいた。
「僕が言うのもなんですが、ここは帝都の外の貧民街です。ここで大切なお嬢様のドレスを仕立てたとあればあなたのお名前に傷がつきはしませんか?」
こんな卑下した物言いをするのも気分が悪いが、上流階級から見れば事実だろうから仕方ない。
エベルのように、ロックの仕立てた服を喜んできてくれる貴族は希少だ。多くは帝都の壁の外まで足を運ぶことさえしないだろう。
だがランベルトはここまでやって来た。
「ええ……失礼ながら、ご紹介いただいた時はそうも考えました」
彼は正直に答え、その後で自らかぶりを振った。
「ですが人づてに聞いた話では、あなたの店のご評判はたいしたものだと。社交界でもあなたの腕は大層話題になっておりますよ」
「僕が?」
ロックは思わずうろたえる。
そんな話は初めて聞いた。帝都の外にある店が、帝都の中で話題になるなど本当だろうか。
「そちらのマティウス伯も、お召し物はこの店で仕立てていると聞き及んでおります」
ランベルトがエベルに視線を向ける。
すがるような、救いを求めるような眼差しだった。
「ここで娘たちのドレスを仕立てることが、むしろ娘たちにとって最高の衣裳を用意してやれることになると私は思っております。マティウス伯もそう思われるでしょう?」
「確かに、ロック・フロリアの仕立ての腕は素晴らしいものだ」
常連客でもあるエベルはそう言い切ってくれたが、一方で眉をひそめてランベルトに向き合う。
「だがランベルト卿、あなたは先程『ご紹介いただいた』と仰った。この店のことを、一体どなたに紹介されたと仰るんですか?」
たしかに、彼はそう言った。
貴族の彼が敬語を使う相手だ。同じように身分貴い相手と考えて差し支えないだろう。無論、ロックにも貴族の知己はそれなりにいる――エベル以外にもリーナス家やアレクタス家とは面識があり、彼らもロックの仕立ての腕は知っている。
逆に言えば、それ以外の名前が出てきた場合は――。
ロックはちらりとエベルを見た。
ランベルトを見据える彼の目はやや険しく、口元だけがどうにか礼を失しない程度に微笑を保っている。彼がランベルトを疑ってかかっているのはロックにもわかった。
フィービもまた、気づけば壁に背を預けて成り行きを見守っている。父がそういう体勢を取る時は、何かを警戒している時だと知っていた。
ロックとて無条件にランベルトを信用しているわけではない。おいしい仕事には裏があるものだとクリスターの一件からも学んだ。ましてや記憶の喪失などという事態の後では、怪しむなというほうが難しい。
もしもロックがこの案件を引き受ければ、誰が得をするか。
それは当然、ロックを花嫁衣裳の仕立てから遠ざけたい人間だろう。
問われたランベルトは、虚を突かれた表情になる。
「――誰に?」
おうむ返しに繰り返した後、はっとした様子で口元に手を当てた。
「あ、いえ……確かに紹介いただいたのですが、はてどなただったか……」
そして三人分の怪しむ視線を浴びていることに気づくと、あわてた様子で続ける。
「いや、しかしご紹介いただいたのは確かです。そうでなければ私はこの店のことを存じませんでしたし、失礼ながら、人づてに噂を聞いても気にも留めなかったでしょう」
そうだろうとロックも思う。いかに腕がいいと言われようが、貧民街の仕立て屋に服を仕立てさせようと考える貴族はそうそういまい。ましてや愛娘たちのドレスとなれば尚のことだ。
だが紹介者について覚えがないと言うなら、それは奇妙な話だろう。
ロックがユリアのことを忘れたように、ランベルトもこの店を紹介してくれた相手を忘れてしまったというのだろうか。
「ともかく、もはやあなたの他に頼める店はないのです」
雲行きが怪しくなったと見てか、ランベルトは話を強引に戻した。
「お願いいたします。どうか私と、私の娘たちのためにお引き受けください。このままでは娘たちに悲しい思い出を作ってしまうことになりかねません。ほうぼうから断られ、今となってはあなた以外に頼れる当てもないのです。どうか……」
娘のことを思い、ついには涙ぐむ彼の姿は情に訴えかけてくるものがあった。
「無論、支払いが足りぬとお思いでしたら仰ってください。私が払える限りの額をご用意いたします。それだけのことをしてでも、娘たちを笑顔にしてやりたいのです」
ここだけ聞けばなんと魅力的な話か。
情よりは金に心を動かされがちなロックだったが、今回ばかりはその誘惑も断ち切らねばならない。
「あいにくですが、僕も皇女殿下の花嫁衣裳を仕立てるつもりでいるんです」
ロックは悔しがりつつもランベルトにそう告げた。
「お嬢様のドレスが一着ならばお引き受けできましたが、三着ともなると……」
たちまちランベルトの表情がしおれた。
彼はがっくりと床に膝をつき、力なくうなだれる。
「そんな……ここが、この店だけが最後の希望だったのに……」
その脱力した様子、絶望感漂う嘆きには嘘はないように見えた。
ロックが引き受けなければ、彼はどうするのだろう。家で待つ娘たちに悲報を持ち帰り、それぞれに悲嘆にくれるのだろうか。娘たちが父を責めるようなことがなければいいとロックは思う。
あるいは、そう思わせることすら策なのかもしれない。
ロックの記憶を消させ、そしてランベルトをこの店に行くよう仕向けた者は、こうして彼が打ちひしがれることも、すがられたロックが悩むことも読んだ上で全ての絵を描いたのかもしれない。
何者かがロックを、ユリアから遠ざけようとしている。
その陰謀に飲まれてしまうのは願い下げだが、かといって必要以上に怯えるのも腹立たしい。ましてその相手が他の人間すら悲しませようとしているなら、このまま逃げて通るのもしゃくだった。
何より、ロックは仕立て屋だ。
仕立て屋の仕事は、人を幸せにすることだ。
腕を揮って服を仕立て、それを着た人々を笑顔にする。それこそが自分の務めだろう。
「……わかりました」
決心がついた。
ロックはランベルトの前に屈み込み、涙ぐむ彼に告げる。
「あなたのご依頼もお引き受けいたします」
「ロック!」
「ちょっと、いいの!?」
エベルとフィービが同時に声を上げたが、ロックには考えがあった。ふたりに向かって笑いかけると、またランベルトに向き直る。
「ですからどうぞお立ちください。次はお嬢様がたと一緒にご来店いただいて、採寸をさせていただきたく存じます」
「よろしいのですか!?」
ランベルトは手巾で涙を拭うと、深々と安堵の息をつく。
「ああ……ありがとうございます。これでようやく家に帰って、娘たちに報告ができます……!」
そして何度も何度も繰り返し謝意を述べた後、気前よく手付金をくれ、弾むような足取りで店を出ていった。
店のドアが閉まり、ドアベルの音が鳴りやむまで待ってから、エベルが言った。
「本当によかったのか、ロック?」
「ええ、僕が引き受けなければランベルト卿はいよいよ困り果てていたはずです」
懐が一気に暖まったロックは笑顔で答えたが、エベルはもちろん、フィービの表情も険しかった。
「あんたね、気づいてないなら言うけどこれは恐らく罠よ」
「いや、それは僕にだってわかるよ。僕を忙しくさせて、花嫁衣裳を仕立てられないようにしてやろうっていうんだろ?」
「わかってるならどうして引き受けたの?」
それは仕立て屋としての矜持、というとあまりにも格好つけすぎだろうか。
もっと簡単に言うなら、悔しかったからだ。
おいしい話を棒に振るのも、花嫁衣裳を仕立てられないのも、ロックは嫌だった。
「ドレスを三着ともなれば、大変な負担になるんじゃないのか?」
エベルもやきもきした様子で気づかってくる。
「嫌がらせにしても非道な手段を使ってくるものだ。あなたの優しさ、そして親子愛に訴えてくるとは……だが今からでも遅くはない、事情もあるのだし、断っても許されるはずだ」
もちろんその気づかいはうれしいが、ロックとて情だけで引き受けたわけではない。
気がかりをふくらませてばかりのふたりに対し、きっぱりと告げた。
「僕はやるよ。できると思ったから引き受けたんだ」
「冗談でしょう? 花嫁衣裳に加えてドレス三着なんて、あんたひとりじゃ――」
「そりゃあ僕ひとりじゃ無理だよ」
フィービの懸念を遮って、ロックはにんまり笑う。
「人を雇うつもりなんだ」
「雇うですって? 誰を?」
「クリスター・ギオネットだよ」
この間、倒れた時に彼の妻ニーシャと話をした。
彼女は『脚を悪くしてから、クリスターが仕事を取れなくなってる』と言っていた。仕事が多いならこちらに回してくれ、とも。
こういう時に雇い入れるならぴったりの相手だろう。
「幸い金は入った。クリスターを釣り上げるには十分な額が手元にある」
ロックは胸を張って続ける。
「僕の敵が誰なのかはわからない、でもこのままやられっぱなしなんて癪だろ。だったら僕は僕にできることを最大限やる。向こうの策を逆に利用して、もっと名の売れた仕立て屋になって、皇女殿下の御前まで行くよ」
自分の言葉にしてもずいぶんと壮大すぎて、なんだか笑えてくるほどだ。
しかし夢はこのくらい大きいほうがいい。
そのほうが、叶えがいもあるというものだ。
「何より、僕はひとりで戦うわけじゃないんだ」
ロックは言って、あっけに取られているエベルを見やる。
その言葉は、さっき彼が言ってくれた。
「そうですよね、エベル?」
確かめるように名を呼べば、エベルは金色の瞳を大きく瞠ってから――とびきりうれしそうに笑った。
「そのとおり。あなたは決してひとりじゃない」