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贋作師の表の顔(3)

 瀬良さんは五月の連休を、例のミニチュアフード喫茶店製作に費やすそうだ。この休みの間に必ず完成させると意気込んでいて、完成したら見て欲しいと改めて言ってもらった。もちろん、私もそのつもりだ。
 一方の私はと言えば、せっかくの連休に骨休め以外の予定がなかった。やることが皆無というわけじゃない。部屋の掃除、お弁当用の作り置きストック、趣味の食品サンプルを見つけに市内の喫茶店をはしごするなど、やっておきたいことはむしろ山ほどある。ただどれも一人で完結できることだし、誰かと約束でもしないといつでも反故にできる予定だ。つまりサボりがちだった。

 それで結局、まともにメイクして外出したのは一日きりだ。
 大学時代の友人から連絡があり、こっちに来ているから少し会わないかと言われて出かけていった。
「莉愛ちゃん久し振り! 全然変わってないね」
 あゆ――笠川歩瀬とは、大学卒業以来の再会だ。お互い関東圏に住んでいるのになかなか会う機会もなく、SNSで細々と連絡を取りあっていた。去年は新社会人の荒波に揉まれていた同士だから、友人と旧交を温める余裕もなかったといえばそうなのかもしれない。
 もっとも会ってしまえば一年ちょっとのブランクなんて気にならないのが友達だ。私とあゆは思い出話に花を咲かせながら街をぶらつき、レトロな雰囲気の喫茶店でお茶をした。このお店にも食品サンプルが並ぶショーウインドウがあり、自社製品だと気づいた私がすかさず写真に収めると、あゆは『本当に変わってないね』と笑っていた。
「それで莉愛ちゃん、仕事はどう? 憧れの会社に就職できて」
 ステンドグラスの照明が美しい喫茶店内で、あゆはカフェモカをかき混ぜながら尋ねてくる。
「楽しいよ。毎日食品サンプル眺め放題だし、製造部にはすごく腕のいい先輩もいるし……」
 そういう意味では私の社会人生活は充実していた。瀬良さんとも仲良くなれたし、言うことなしだ。
 ただ悩みがないわけでもなくて、
「私、いまいち会社に貢献できてないんだよね。せっかく食品サンプルの製造会社にいるっていうのに」
 胸のもやつきを打ち明けたら、あゆは噴き出してから申し訳なさそうに苦笑する。
「会社に貢献? まだ二年目なんだから、そこまで気にしなくていいんじゃない?」
「でもせっかくだから、したいじゃない。求められて入社したいんだって思いたいよ」
 朝比奈さんも言う通り、事務の仕事だって疎かにしてはいけないのもわかっているつもりだ。私も縁の下の力持ちとしてささやかながらも我が社を支えていると思ってはいる。だけどささやかすぎる気がして、そこにまだ充足感を覚えていないのも事実だった。
「莉愛ちゃんも『好き』を仕事にしたんだから、それでよくない?」
 諭すように言うあゆは現在、都内の博物館で学芸員をしている。史学科で共に学んだ彼女もまた『好き』を仕事にした人だ。
「あゆは? 仕事に充実してる感ある?」
 私が聞き返すと、彼女は曖昧な笑い方でカフェモカを啜る。
「うーん……楽しい仕事だよ。不満がないわけじゃないけどね、職場寒いしお給料高くないし」
 そこはまあ、うちもさして変わらないかもしれない。
「でも私も好きなことを仕事にしたから。長く続けていけたらって思うんだ」
 そう話すあゆからは、言外に満足げな内心が窺えるようだった。彼女は言うほど仕事に不満がないのだろう。実際、『好き』を仕事にしたのだから当然なのかもしれない。
 その後もあゆは学芸員としての苦労話を教えてくれたけど、なんだか楽しそうでも、幸せそうでもあった。
 私もどうせなら幸せな気持ちで今の職場について語りたい。そう思う、二年目の春だ。

 そんな調子で連休が終わりかけていた最終日、明日の仕事の準備を始めていた私の元に、瀬良さんがメッセージで連絡をくれた。
『喫茶店、完成しました。誰より先に青戸さんに見ていただきたいです』
 私は思わず跳び上がる。どちらかといえばだらだらと過ごしてきた連休の、最後の最後にとても嬉しい出来事が起きた。明日からの仕事で憂鬱だった気分も一気に晴れ渡り、私はメッセージと共に送られてきたURLにアクセスする。

 ジャズミュージックっぽいBGMに乗せて、動画が再生された。
 動画での公開だとは思っていなかったから驚く。映し出された喫茶店は本物さながらの佇まいで、外壁はざらりとした質感の古いレンガ造りだった。張り出したオーニングは色褪せたえんじ色をしていて、白字で『喫茶 ルプランタン』と記されている。"Le printemps"はフランス語で『春』という意味だ。
 春の名を冠するにふさわしく、喫茶店前の花壇には白やピンク、紫のアネモネが咲き乱れている。ミニチュアとは思えない発色や花びらの艶に思わず目を奪われた時、カメラの端からすっと長い指が――瀬良さんの手が現れて、喫茶店のドアを押し開けた。ドアも年季が入ったように見える木製で、開いた瞬間にドアベルの涼しげな音が響く。先日あゆと訪ねた喫茶店に少し似ていた。
 ミニチュアハウスの喫茶店には屋根がなかった。撮影用に外したのか、そもそも作らなかったのかはわからないけど、カメラは俯瞰でお店の中を捉えている。オーニングと同じえんじ色のソファーが向かい合うテーブル席と、背もたれつきの丸椅子が並ぶカウンター席があって、カウンターの奥にはコーヒーサイフォンが三台置かれている。更に奥の棚にはアンティーク風のカップやソーサー、コーヒー豆の袋、透き通ったシュガーポットなどが並んでいた。ミニチュアだというのに全て素材が違うのがまた心惹かれるポイントで、コーヒーサイフォンはつるりとしたガラス製らしい光沢を帯びていたし、カップやソーサーは陶器の釉薬の質感が手に取るようにわかる。コーヒー豆の袋はクラフト紙に貼られたラベルまで再現されており、シュガーポットに詰まった琥珀色のコーヒーシュガーは不揃いな粒感が本物そっくりだった。
 店内には店員さんも、お客さんの姿もない。メアリーセレスト号みたいに、というと怪談じみてしまうけど、先程まで誰かいたようにテーブルの上にはいくつか飲食物が置かれている。そこに座っていた人たちを想像させるような組み合わせばかりだ――お子様ランチとクリームソーダが置かれたテーブルには、その隣と向かい側に、まるで囲むようにアイスコーヒーとサンドイッチがある。カウンター席には隣り合うようにブラックコーヒーのカップとオレンジジュースのグラスが並んでいた。食品のミニチュアも普段のサンプルと遜色なく、写実主義らしい瀬良さんらしい本物と見まごう仕上がりだ。
 こんなに小さいのに、どうして本物みたいに作れるのだろう――私が溜息をついた時、喫茶店の奥の席へとカメラが動いた。まるで人目を忍ぶような一番奥のテーブル席に、見覚えのあるグラスが二つ、向かい合って置かれている。グラスの中身はパフェだった。
「あ……!」
 一目でわかった。
 ホワイトデーの日に私が瀬良さんと食べに行ったあのパフェだ。
 私がイチゴを、瀬良さんが桜を選んだように、パフェも記憶そのままに作られていた。てっぺんを飾るのはそれぞれ熟したイチゴ、小さな三色だんごと桜の形をしたピンクの最中だ。添えられた丸いアイスはイチゴの果肉が作る筋やさくらの淡い色合い、ディッシャーで掬ったように見えるアイスの球面までしっかりと作り込んである。グラスの中身もあの時食べたのと同じく、ふわふわの生クリームに角切りのスポンジケーキ、赤々としたイチゴソースで、記憶と一緒に味わいまで蘇ってくるようで思わず喉が鳴った。
「すごい、本当にすごい!」
 私が歓声みたいに叫んでいるうちに動画は終わり、慌ててメッセージアプリを起動する。真っ先に見せてもらったのだから私もいち早く感想を言いたかった。感動のせいか指が震えてなかなか文章が打てなかったけど、どうにかこれだけ送る。
『喫茶店見ました! すごく素敵な完成度で言いたいことがたくさんあるので、明日お会いしてから全部言います!』
 今の気持ちをとても文章だけで言い表せそうになかった。すごいものを見せてもらえたという嬉しさもあったし、真っ先に見せてくれたことへの感謝も伝えたい。瀬良さんのいつもながらの丁寧な仕事と、細部まで行き届いた完成度も称賛したかった。そしてあの日一緒に食べたパフェの思い出をこうして形にしてもらえたことも――やっぱり、面と向かって話す方がいい。
 瀬良さんはいつぞやのように、私からのリアクションをじっと待っていたようだ。すぐに返信をくれた。
『では明日聞かせてください。お会いできるのが楽しみです』
 珍しく、素直な言葉が書かれた返信だった。

 翌日、連休明けの気だるい勤務をどうにか乗り切った終業後に私は『瀬良ゾーン』を訪ねた。
 制作部の奥の奥にあるスチール棚で囲まれた陣地内で、瀬良さんは私を待っていてくれた。顔を合わせた瞬間からどこかそわそわしている様子で、きまり悪そうにこちらを見て笑う。
「あの……ご足労いただき、すみません」
 昨夜のメッセージとはうって変わって、なんだか申し訳なさそうだ。
 瀬良ゾーンには最近、瀬良さんが座っているものとは別にもう一脚の椅子が追加されていた。自分が座っているものに私を座らせるのは忍びないから、などと彼は言う。別に気にしない私は、だけど私のために椅子を用意してくれた気持ちを嬉しく思っていた。
「私がお話ししたくて来たんです! あの喫茶店、本当に素敵でした!」
 贋作師ウォルフガング三世氏のSNSアカウントでも既にミニチュア喫茶店の動画、及び画像が投稿されており、その精巧さは大きな反響を呼んでいた。たくさんの絶賛コメントは私が昨夜のうちに追いきれないほどだったし、いろんな人が拡散や紹介をしていたのも確認済みだ。瀬良さんが正当な評価を受けているのはいいことだと思うし、私も嬉しい。
「動画で公開するとは予想外でしたけど、雰囲気たっぷりですごくよかったと思います!」
 ネットの皆さんに続き、私も感想を告げる。
 瀬良さんは猫背をほんのわずかにだけ反らしてみせた。
「ありがとうございます。せっかくなのでこだわってみました」
「全部本物そっくりでしたよね! レンガの壁とか花壇のお花とか、サイフォンや陶器のカップみたいな質感が違うものまでちゃんと作られてて」
「そこはまあ、得意分野ですから」
「あと食べ物が、いつもながらすごく美味しそうでした! 特にあのパフェ! ホワイトデーに私が食べたものと本当にそっくり同じで、夜中だっていうのにあの美味しさを思い出しちゃったところです」
 そう続けると、瀬良さんは照れ笑いを隠すみたいに口をむにゅむにゅさせた。
「青戸さんがそんなふうに感じてくれたなら嬉しいです。あの時も美味しそうに食べてましたもんね」
「美味しかったです。イチゴの甘酸っぱさやアイスの冷たさ、生クリームのふわっとした甘さとか……瀬良さんに思い出の味を形にしてもらったみたいに思いました」
 あの喫茶店は瀬良さんの創作した作品だけど、そこに思い出として事実が存在していることを私は知っている。食べたものの記憶はどんなに美味しくったって、どうしても次第に薄れていくものだけど、私はあのミニチュア喫茶店の、一番奥の席に置かれたパフェを見る度にあの味を思い出すことができそうだ。
「これから味を思い出したくなったら、瀬良さんの喫茶店にお邪魔することにします」
 春季限定のパフェを通年食べることはできない。だから私はそう決めて、瀬良さんも頷いた。
「ええ、是非いらしてください」
 その後で彼は、ふと気がついたように続ける。
「なんでしたらもう一つ作って、青戸さんに差し上げますよ」
「いいんですか!?」
 それは願ってもない申し出だ。SNSでもファンの皆さんから『言い値で買います』とまで言われている瀬良さんの作品を――もちろん私だって代金を払おう。それが贋作師を名乗る彼に対する正当な評価だ。
「ええ。どのみちイベント用にいくつか量産するつもりだったんです」
 瀬良さんはそこで、スチール棚の向こうを気にするように声をひそめた。
「七月のワンフェスに出る予定なんですよ。ディーラーとして」
 そうして告げられたのは知らない単語だ。
「わんふぇす、ってなんですか?」
「ええと……平たく言うと、アマチュアでも出られる造形物の展示即売会ですね」
 展示即売会というのは、企業用の合同展示会みたいなものだろうか。それにアマチュアでも参加できるということは、
「つまり、フリマみたいなものですか?」
 私が聞き返すと、瀬良さんは一瞬間を置いてから答える。
「まあ、類似点はありますね。申し込みをして出展するというところとか」

 彼曰く、ワンフェスとは正式名称をワンダーフェスティバルといい、造形メーカーが主催を務める造形やフィギュアなどのイベントだ。
 年二回の開催日には全国、あるいは海外など津々浦々から造形師や愛好家が集い、その日のために制作した作品を展示、販売したり、あるいは鑑賞や購入をしたりと大変賑わうものらしい。そこにはプロとアマチュアの垣根などなく、ただ造形を愛する人たちが集い交流を深める、まさに一大式典のようなイベントだそうだ。

 そんなイベントが開かれていることを全然知らなかった私は、俄然興味を持った。
「瀬良さん、そういうのに出られるんですね。ネットだけで作品を上げているのかと思ってました」
 自らコミュ障を名乗り、社内では同僚との交流すらどこか疎遠にしている瀬良さんも、趣味の集まりでは活発に表に出ていくようだ。私にハンドルネームを教えてくれた時は恥ずかしそうにしていたけど、それも趣味を同じくする人たちが相手ならまた違うのかもしれない。
「リアルのイベントというのも刺激になるんですよ」
 さらりと答えた瀬良さんは、椅子の上で足を組み直す。
「俺なんてまだまだ泡沫の造形師です。同好の士の目に触れる機会はいくらでも欲しいですからね」
「瀬良さんが泡沫なんて、謙遜じゃないでしょうか」
「そんなことはないです。そもそも食品サンプルは業種としてもそうですが、造形の趣味としてもメインストリームというわけでは決してないですから」
 実際、謙遜ではなさそうな口調で言い切られた。
「ワンフェスでも花形となるのはやはり人物を模したフィギュアです。版権ものにしろそうでないにしろ、人気があるのは見目麗しい人間というのは現実と一緒ですね。特に萌え系フィギュアなどは成人向けゾーンも設けられるほどの――」
 そこで瀬良さんは私の顔を見て、急ブレーキをかけるみたいに口を噤んだ。
 私としても成人向けフィギュアという存在はなんというかご縁がなさそうなので、あえて深掘りしないでおく。素知らぬふりをしていたら、瀬良さんが気まずげに咳払いをした。
「――とにかく、今回のワンフェスではミニチュアフードを何点か販売するつもりなんです。なので青戸さんがご所望ならついでに作ろうかと」
 もっともこの時点で、私の関心が向く先はミニチュアフードだけではなくなっていた。当然、尋ねた。
「そのイベントって、私でも行けますか?」
「来たいんですか? 会場、千葉の幕張ですけど」
 幕張なら余裕で日帰りできる距離だ。勢い込んで答える。
「行ってみたいです!」
 すると瀬良さんは目を見開き、戸惑った様子で語を継いだ。
「いや、全然行けますけど。あ、でも一日限りのイベントですから例年人出もすごいんですよ。一般入場はガイドブックというチケットを購入するんですが、待機列に並ぶ時間も細かく決められているので、初めてだと混乱するかもしれません」
 そう聞くとフリマとは全く趣が違う。近くでやっているからちょっと寄っていく、みたいなことができるイベントではないようだ。
「ですが、俺はディーラー参加ですので」
 そこで瀬良さんは、長めの前髪越しにちらりと私を窺い見る。
「例えば青戸さんにうちのブースの売り子として――つまりスタッフとして入場してもらうことならできますよ」
 彼の言わんとするところがすぐにわかり、とっさに聞き返した。
「つまり、私が瀬良さんの出展のお手伝いをすることで入場を取り計らっていただけるってことですか?」
「そうです。別に建前だけで、実際は手伝わなくてもいいんですけどね」
「そんな、せっかくですから働きますよ! なんでも言ってください!」
 本来なら一般参加として入るべきイベントに、スタッフを名乗って特別に入れてもらうのだ。入るだけ入って遊びまわるなんてできるはずがない。瀬良さんのご厚意に報いるためにもぜひ働かせてもらいたい。
 それと、職場とは違う環境下で同好の士と接する瀬良さんの姿を見てみたい気持ちも少しある。ネット上の彼と同じように、紳士的で穏やかな態度になるのだろうか。
「そこまで言うなら……お昼時の店番をお願いしようかな」
 自分から切り出したはずなのに、瀬良さんはなぜか後ろめたそうにしている。
「気を遣わなくていいですからね。一日俺のところに寄りつかず、あちこち見て回ってたってかまわないんですし」
「そんなことしませんって。そもそも一番の目的は瀬良さんを見に行くことなんですから」
 私は強く言い切ると、改めて感謝を告げる。
「ありがとうございます、瀬良さん!」
 それで瀬良さんは目を逸らし、恥ずかしそうな笑みを浮かべた。口元を引き締め損ねたような、いかにもきまり悪そうな笑い方だった。
「正直に言えば、俺も青戸さんが来てくれるのは嬉しいんで。お礼を言うのはこっちです」
 そこまで言ってもらったのだから、七月には必ず参加しなくては。
 早速、今からスケジュールに入れておくことにした。
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