Tiny garden

幼馴染みの空白期間(2)

 アスファルトの道は蛇みたいなまだら模様だ。
 あちらこちらで打ち水の跡が残っている。二人乗りの自転車がそこを通り抜ける時、タイヤはずりりと湿った音を立てる。でも跳ねるほどの水は残ってない、今日はとっても暑かったから。
 私は立ち乗りをしながら、自転車を漕ぐ静司くんの頭を見下ろしている。静司くんはへそ曲がりなのでつむじが二つある。でもその理屈だと、私にだって二つや三つはないとおかしい。曲がり具合ならちっとも負けてない。
 掴まらざるを得ない両肩は私の手を置いても余裕なくらい広くて、静司くんが男の子だってことも、二つ年上だってこともものすごく意識したくなる。結局、敵わないんだろうなと思ってしまう。
 考えてみればずっと、そうだった。私たちは今まで真正面からぶつかる喧嘩をしたことがなかった。小さな頃はいつも私が早い者勝ちみたいに泣いちゃって、それを見た静司くんは怒るのを止めてしょうがないなって顔をして、あれこれ慰めようとしてくれてた、ような気がする。それより少し大きくなってからは、静司くんの方が私の相手をしてくれなくなって、私も何だか近づきがたくて嫌だなって思ってた。だから喧嘩には絶対、ならなかった。
 そして今は、――泣かなくなった私は、だけど今でも静司くんに『しょうがないな』って顔をさせてる。静司くんは昔よりもずっと笑うようになった。私が怒っても拗ねても無茶を言っても笑っているようになった。今はその笑い顔が羨ましい。
「お前、二人乗り上手いな」
 静司くんは意外そうに、息を吐きながら言った。ちらっと首だけで振り向いて、私を見上げてくる。
「コンビニ着くまでに一回はこけると思ったのに」
「平気ですよーだ。慣れてるし、私、バランス感覚いいんだもん」
「頭は固いけどな」
 また笑われた。
 ちょっとむっとしたけど、でもこうして自転車に乗せられてる時点で敵わないんだろうな。怒るのも馬鹿馬鹿しくなったし、ちょうど向こうにコンビニの看板が見えてきたから、私は口を噤んでおいた。
 夕方になってもまだまだ気温の高い日だった。無性にアイスが食べたくなってた。

 アイスが食べたいのは静司くんも同じだったようで、汗をだらだら掻きながらコンビニに入るや否や、アイスのケースに飛びついていた。選んだのはソーダアイス、真ん中でぱきっと割れる奴。
「希は何にする?」
 コンビニの店内は冷房がよく効いてて天国みたい。気がついたら普通に肩を並べて、一緒にアイスを選んでた。私は気まずさを誤魔化すつもりで聞き返す。
「奢ってくれるの?」
「誰がそんなこと言った」
 返ってきたのはやっぱり、呆れたような苦笑い。
「えーだって、バイトしてるでしょ静司くん」
 嫌味のつもりはなくて、『まだ給料貰ってないよ』っていうツッコミ待ちで言ってみた。
 だけどその時、静司くんは笑うのを止めて、何か言いたそうな顔をした。
 少し間を置いてから、
「安いのでいいなら」
 とだけ答える。
「いいの?」
 無理強いする気ももちろんなかった。予想外の反応に私はちょっと慌てたけど、そしたらさっき以上に呆れられた。
「お前が言い出したんだろ。いいよ、ただし百五十円以内な」
「うん、じゃあ……ご馳走になります!」
「あ、それとカップも駄目。棒つきの奴にして」
「何で?」
 カップのでも安いのあるのに変だなって思ったら、
「帰り、食べながら帰るから。喉渇いた」
 静司くんはやっぱりくたびれた顔で言い切った。

 コンビニからの帰り道、自転車は押して歩いた。
 私はチョコがけのバニラを、静司くんはソーダのアイスをかじりながら、真っ赤な空の下を帰る。空気のむわっとする夕暮れ、外で食べるアイスはとびきり美味しくて、気分もすっかり直ってしまった。
 静司くんがアイスを半分、ぱきっと割って分けてくれたので、私も一口食べていいよと差し出してみた。右手でアイスを持ち、左手で自転車を押す静司くんは、そのくらいしてあげないと食べられないからだ。それで静司くんは照れたような顔をして、めちゃくちゃ大きな一口を披露した。
「棒まで食べられるかと思っちゃった」
 私がびっくりしていれば、ひょいと肩を竦めてみせる。
「いいだろ。俺の奢りなんだし」
 別に駄目なんて言ってない。静司くんはソーダアイスもめちゃくちゃ素早く食べきってしまったから、きっとすごくくたびれていたんだと思う。今日がバイト初日だったんだし疲れているのも当然だ。それなのに私のわがままにも付き合ってくれて、アイスをご馳走してくれて、帰りは自転車まで押してくれて。
 大きな一口の跡が残ったチョコがけアイスを片づけて、ソーダアイスの片割れを咥えながら、私はタイミングを計っていた。どこかで謝らなきゃ、そう思っていた。つまらないやきもちを焼いたこと、一人で勝手に怒って、勝手に拗ねたこと。まずはごめんなさいって言わなくちゃと思って、全部食べ終えてからにしようって決めた時、
「バイトのこと、悪かったな」
 先に、静司くんが切り出した。
 はっとして、首を横に振っておく。アイスを咥えているので喋れなかったけど、こっちを見た静司くんは笑ってくれた。
「お前には相談しとくべきかって迷った。けど時間なかったのは本当だし、それに、理由聞かれたら上手く答えられなかっただろうから」
 その言葉にはどきっとする。
 バイトを始めた理由が何かは聞いていなかった。その分、おかしな想像も一杯してしまった。知りたいような、知るのが怖いような気がする。
 でも、怖かったのは静司くんも同じなのかもしれない。
 まだら模様の道を行く横顔は、夕焼けに照らされても少し硬い。どういうことなんだろうって不思議に思う私の前で、とても長い間ためらって、ためらって、やがてようやく決意したらしい。
 慎重に言葉を継ぐ。
「うちは、片親だからさ」
 静司くんは、普段なら使わない言い方をした。
 もちろんそれは本当のことで、静司くんの家族はおばさんだけだ。だけど私は今更みたいに強くショックを受けていた。
 当たり前のことすぎて、今までちっとも気にしないできたけど、私は静司くんのお父さんを知らない。会ったことがあるのかどうかすらわからない。ただ静司くんのおうちにあるテーブルの椅子が、一脚なくなった頃のことはおぼろげに思い出せる。それだけ。
「あいつはあれで、結構そういうの気にする方だから。あんまりはっきりとは言わないけど、俺に不自由させたくないみたいなことは考えてるらしくて。考えすぎなんだけどな」
 おばさんのことを話す時、静司くんはいつも同じ顔をする。今日ばかりはその顔を冷やかす気になれなかった。むしろ、どうして気が付かなかったんだろう。
 どうしてそういうの、言われる前にわかってあげられなかったんだろう。
「金のことであんまり、引け目を感じさせたくなかったっていうか。大学行くとどうしても金かかるし、付き合いもあるだろ。小遣いは足りてるのかとか、あいつ、しつこいくらいに聞くんだ」
 大学生と高校生の違いは、夏休みの長さだけじゃない。
 学費の額だってそう。友達との付き合いに、飲み会なんてものが平然と名を連ねるのもそう。
「だから、自分で稼げる分くらいは稼いどきたいって思ってさ」
 静司くんが言うから、私は咥えていたソーダアイスの片割れに、急に罪悪感を覚えてしまった。慌てて口から抜いて、だけど食べかけな上に溶けかけじゃどうしようもないから、とりあえず項垂れたくなる。
「静司くん、あの……」
「ああ、それはいいよ。高いもんじゃないし」
 また、ちょっと笑われた。
「それに、食うのに困ってるとかでもないから。そんなに切羽詰ってない、だから希も、気は遣わなくていい」
 そうは言われても遣わないわけにはいかない。
 静司くんはやっぱりおばさん思いだなあって実感した。同時に、詳しい事情も聞かないうちから散々困らせた挙句、アイスまで奢らせた自分が嫌になる。わがままでずるくて、幼馴染みってことに甘えてばかりの、嫌な奴だと思う。
「ごめん、静司くん」
 私が謝れば、しょうがないなって顔をされた。
「気を遣うなって言ってるのに。……言えなかったのは俺の方なんだから、希が謝ることない」
「でも」
「むしろ、ごめんな。正直に言えなくて。こういうことはやっぱり、言いにくかったから」
 そんなの当然だ。静司くんは悪くない。
「だけど、お前には言うべきだったって思う」
 サドルの上がった自転車を押しながら、私の幼馴染みは真剣な顔をする。
「別に知られちゃまずいことでもないのに、言いにくいからってだけで黙ってて、それでお前を怒らせたりするのはすごく、格好悪いってわかった。だからこれからはちゃんと言う。何でも話す」
 決意の滲む声もする。
「俺の言うこととか、本当のことを聞いても、お前は気を遣わなくていいからな。お前が何でもない顔しててくれる方が助かる。心配かけたいわけでもないんだ、それはわかってくれ」
「うん」
 私は頷く。静司くんは、私思いでもある。本当に。
「俺、お前を怒らせるのは嫌だ。しまいに泣かれるんじゃないかって思うから」
「うん」
 二回目に頷いた時、ソーダアイスが棒から落っこちそうになっていた。速やかに片づけてから私は、もう泣いたりしない歳になった私は、勢い込んで言う。
「でも、でもね。格好悪いっていうなら私の方こそそうだよ。静司くんがバイト始めた理由、怖くて聞けなかったんだもん」
「怖い? 何で?」
 即座に問い返されると答えに詰まる。でも、ここまで来たら黙ってる方が格好悪い、よね。
 私と静司くんは幼馴染みだけど、相手のことを何もかも全部知ってるわけじゃない。離れてた時間だってあったし、これからしばらくは高校と大学とで離れてなくちゃいけない。だから、言うべきことは言って、気になることはちゃんと聞かなきゃ。勝手に不安になったり、やきもち焼いたりするのは駄目だ。
 それで、言った。
「もしかして、バイトしなくちゃいけないくらい、友達と遊びに行ってるのかなって思って……」
「は?」
「あと、静司くんの友達に、女の子はどのくらいいるのかなあって……」
 全部言うのは結構勇気が必要だった。
 なのに静司くんと来たら、一瞬置いてからむかつくくらい得意げな、したり顔的な笑い方をして、
「なーんだ、そっか、そういうことか。お前も案外そういうこと気にすんのな」
「な、何そのうれしそうな顔! 気にするよ! 当たり前でしょ!」
「別にうれしくはないけど。でも希が妬いてるのって新鮮だよな、言わないだけでちゃんと気にしてくれてるわけだ、へえ」
 大学に受かった時以上にうれしげな静司くん。喜んでもらえたならいいのかもしれないけど、でもちょっとだけ正直に言ったのを後悔した。これ、悔しくてものすごく恥ずかしい。
 道の向こうに私の家と、静司くんの家が見えてきた。いっそ自転車を奪い返して、さっさと逃げ帰ってしまおうか。そう思った私に、
「じゃあ俺も、格好悪いついでに質問するけど」
 ふとトーンを落とした問いかけが聞こえた。
「……お前さ。二人乗りって、誰とやったの」
「誰って? ああ、うん。友達とだよ」
 友達としたことが何回もある。だから後ろに乗るのも、乗せるのも平気。
 だけどその答えは、静司くんの望んでたものとは違ってたらしい。もう一つ聞かれた。
「そうじゃなくて。……女の子だよな?」
 ああ確かに、別にうれしくはなかった。
 でも次の瞬間、照れくさいようなくすぐったいような、ちょっと得意がりたくなるような混ぜこぜの笑いが込み上げてきて、私はここぞとばかりに言ってやる。
「静司くんもそういうの気にしちゃうんだね!」
 幼馴染みは思いのほか真面目に答える。
「だって俺、お前のこと全部知ってるわけじゃないし。全部知りたいとは、思ってるけど」
 うん。だからこれからは、何でも話して、何でも聞くようにしよう。
 離れてた時間はお互いに、後からちゃんと埋めていかないと。幼馴染みだって知らないこと、私たちの場合はたくさん、あるんだもん。
「アイス、食ってかないか?」
 にやつく私を見かねてか、静司くんが自分の家を指差して尋ねる。
「えー、今食べたばかりだよ」
「じゃあ茶でも出してやるから」
「それに静司くん、バイト帰りで疲れてるんじゃない? いいの?」
「いい。っていうかお前、さっきの質問に答えないままで家に帰れると思うなよ」
 それだってお互い様だと思うけど。
 でも、いいタイミングの誘いだってことは確かだ。夏休みはこれからだから、まずはつまらないやきもちの分、ちゃんと埋め合わせておこうか。
▲top