ほんとうは今でも
今日で一学期終わりだし、一緒に帰ろう、ってメールが来た。別にそんな理由付けなんてなくても、鈴木が部活のない日はもれなく二人で帰ってる。それでもわざわざメールをくれたのは奴なりに思うところがあるからなのかもしれないけど、あたしとしてもまあ、ちょっとは嬉しかった。
明日からは夏休みだから、当たり前ながらしばらくは一緒に下校出来ない。別にそれが寂しく思えてたりとか、会えない日もあるのかなあなんて不安に思ってたりとかはしてないものの、全く何にも感じてないわけでもないから、鈴木のそういうところはいいな、と素直に思う。優しいのは間違いない。
放課後、鈴木のクラスまで迎えに行くと、教室内ではまだ帰りのホームルームが続いていた。担任が夏休みに向けての諸注意を熱く語っているのが、ドア越しに廊下まで響いている。かわいそうにうちのクラスより長引いてる模様だ。
でもクラスに鈴木みたいな生徒がいたら、先生だって『休みの間は羽目を外しすぎるな』と強く念を押したくもなるだろう。何せあいつと来たら始終落ち着きはないし、人の話は聞かないし、これって決めたらもう脇目も振らずに邁進するし――そんな落ち着かない奴と付き合ってるあたしもあたしだ。今更ながら。
それでふと思い返してみたら、以前はそれほど落ち着かない人ってイメージもなかった、ってことに気づく。
以前と言っても相当過去の話だ。付き合うとかそういうことになるよりもずっと昔、高校に入る前のこと。あたしと鈴木は中学二、三年の時にクラスメイトだったんだけど、当時の鈴木の印象はそこそこ真面目で他の子よりも若干大人びた男子、だった。そもそも特別仲良かったわけでもないから記憶自体がぼんやりしている。仮に違う高校に入って接点もないままだったら、ある時ふっと思い出してそんな子もいたねってしみじみするだけだっただろう。それがまさか、あんなにも手に負えない暴走野郎だと知る羽目になるなんて。
あたしが中学時代の記憶を思い出しかけていたら、鈴木のクラスではようやくホームルームが終わったらしい。一斉に席を立つ音が響いて、さようならの挨拶の後、教室が一気に騒がしくなる。
そして鈴木は、真っ先に廊下へ飛び出してきた。
「うえのーっ! お待たせ!」
先生よりも早くドアを開け、まさに脇目も振らず飛びついてくる。
他の生徒もいる廊下で抱きつかれるのは嫌だから、あたしはとっさに両手を出して防御する。すると鈴木は代わりにあたしの手を左右ともぎゅっと握って、バカップルみたいに指を絡めてきた。
あ、『みたい』じゃないか。誰がどう見たってバカップルじゃん、これじゃ。
恥ずかしさからどうにかして振りほどこうとするあたしにはお構いなしで、鈴木は見る間にでれでれし始める。
「悪い悪い、担任の話長いのなんのって。結構待っただろ? くたびれてないか? 俺も上野が廊下で待ってるの見えてたから、もう一日千秋、むしろ一秒千秋って感じだったし。けど俺、上野に会いたいって一心で耐えた! 超耐えた!」
どんなに力を込めても振りほどけなかった手が、その言葉の後で急にほどけた。
かと思えば、こっちが待ったとも何とも言ってないうちから鈴木は頭を撫でてくる。
「よしよし。俺がいなくて寂しかったろ」
まるっきりウェンディにするみたいに、五本の指の腹で髪をかき混ぜる。大きな手でわしわしされると、ヘアゴムで無理やりまとめた髪が呆気なくゆるんだのがわかった。朝のヘアセット二十分の努力が、鈴木の一撫でで無駄になってしまうのもいつものことだ。
「別に寂しくなかったし! あと頭触るのやめて」
あたしが異を唱えると鈴木はきょとんとする。
「何で? いいじゃん、俺だし」
ものすごい言い種に一瞬詰まってしまった。いや、鈴木だからいい、ってわけじゃなくて。いつもされてるからって許してるわけでもなくて!
「誰だからいいって話じゃないの。くしゃくしゃになるから」
「いつもの流れだろ、この後俺が直してやるのも」
「……そうだけど」
そうなんだけど、いつもの流れだからって納得してるわけでもない。
鈴木は口ごもるあたしを説き伏せられたと思ったんだろう、頼みもしないのにゴムを解いて、あたしの髪を直し始めた。しかも廊下で。鈴木のクラスの真ん前で。
「あ、あのさあ、せめて場所移そう?」
「え、何で? すぐ済むし平気だろ、待ってろよ」
頭上でちょっと笑う声が聞こえると、妙にむずむずとくすぐったい気持ちになるのが居た堪れない。別に緊張なんてしてないし。人目が気になるだけだし!
ともあれ鈴木は基本的には優しい人なんだけど、やっぱり暴走野郎だと思うし、羞恥心ってものをどうやらかけらも持ち合わせていないようなのが困る。あたしは癖っ毛だから夏場は普通に結ぶのも大変なのに、鈴木は事あるごとに、そして場を弁えずにあたしの髪を触りたがる。人目があろうとなかろうとお構いなしで、しかもあたしに断りもなくわしわし触り出すからおかしい。犬じゃないんだからいい加減やめて欲しい。って言うか鈴木の方が犬っぽい。さっき教室から出て来た時の、尻尾の振り具合とか。
そうこうしてる間にも鈴木は手際よくあたしの髪をまとめてしまう。あたしの朝の二十分を全否定するかのようなハイスピードの手ぐしで髪を梳き、手ごわいはずの癖っ毛を痛みもなく一つに結わえると、仕上がりの合図みたいに頭をぽんと叩いた。
「ほーら出来上がり。可愛いぞ上野!」
「……そんなわけないでしょ」
「なくないって! 照れんなよー」
鈴木が不満げに口を尖らせた時、教室の開けっ放しだったドアから男子が数人出てきた。彼らは鈴木を見た後で足を止め、すぐに不思議そうな目をあたしの方へ向けてきた。他のクラスの子だから、あたしにとっては名前も知らない子たちだ。
「あれ、鈴木。その子誰?」
一人が、軽い調子で鈴木に尋ねた。
即座に逃げ出したくなるあたしとは対照的に、鈴木はあたしの頭をぐいっと抱くようにして、鼻高々で答える。あたしの身体が斜めに傾いて、転びそうになる。
「俺の彼女! 上野つかさちゃんです!」
馬鹿、声が大きい!
勢いで俯いたあたしの耳に、数人分のどよめきが聞こえてくる。
「彼女ってあの例の、四組の?」
「そうそうそれ。鈴木が毎日昼休みに、わざわざ迎えに行ってる子」
「ああ、通い婚って噂になってたやつな! そっか、この子かー」
ちょっと待った、噂って何なの噂って。確かに四組じゃ噂どころか付き合う前から外堀埋められてる状態だったけど、よそのクラスでまで知られてるとなると恥ずかしい。廊下歩けなくなりそうだ。
萎縮するあたしをよそに、更なる質問が鈴木に向かって飛んでくる。
「って言うか鈴木、彼女の前だとそういうキャラなの? いつもと違わね?」
「まあな!」
威張れることなんて一つもないと思うのに、鈴木と来たら誇らしげだ。あたしの肩に手を置きつつ言うには、
「普段はクールな俺も、可愛い可愛い上野の前だとつい冷静じゃいられないって言うかさ。ま、これが恋の魔力ってやつですよ。わかるかね諸君」
恋の魔力とかいうのもアレだけどそれ以前に自分のことクールとか。どの口が言うの。
もっともこれにドン引きしたのはあたしだけではなかったようだ。鈴木のクラスメイトたちもまた一様にげんなりしている。
「普段も別にクールではないだろ」
「冷静じゃないのは事実っぽいけどな」
「舞い上がってるって言う方が正しいような」
本当、そうです。こいつと来たら超舞い上がってます。正式に付き合い始めてから三週間が過ぎましたが、一向に落ち着く気配はないどころかヒートアップさえしております。
「彼女できたくらいで浮かれるタイプには見えなかったんだけどなー」
一人が呆れた顔で言うと、別の子が諭すように、
「馬鹿、鈴木は飼い犬だってあんなに溺愛するような奴だろ。彼女も溺愛してなかったらかえっておかしい」
それで皆が、ああ……と納得の表情を浮かべる。
どうやら鈴木のクラスメイトたちも、ウェンディについては知っているらしい。鈴木のことだ、愛犬の写真持ち歩いては事あるごとに『写真見る?』なんてやったり、それで食いついてくる相手がいようものなら大いに自慢してみせたりしてるんだろう。簡単に想像がつく。
「それによく見たら、彼女さん、本当に可愛いじゃん」
言いながら男子の一人が、あたしを見て興味深げに笑う。
慌てて否定しようとしたあたしの視界を、だけどその直後、鈴木の背中が遮った。
「俺の彼女にいかがわしい視線向けないでくださーい!」
「な、いかがわしくねーよ何言ってんだ鈴木!」
「軽々しく可愛いとか口走ったくせによく言うわ! 俺の方が数十倍『上野可愛い』って思ってるし!」
「自分で散々言っといて、俺らが可愛いって言うの駄目かよ! 別に他意もないのに!」
クラスメイトの反論に、鈴木は大きく首を横に振り、
「俺たちは目下付き合いたての微妙でデリケートな時期なんです。今は慎重に上野を手なずけてる真っ最中なんです。これがもうちょっと進んで上野が俺にベタ惚れになって名目共に堅固なバカップルとなるまでは、そういう揺さぶりは控えていただきたい!」
と言い放ったので、あたしは大慌てで鈴木のシャツの袖を引いた。
「――す、鈴木。もういいから帰ろうよ!」
これ以上喋らせたらどこまで暴走するかわかったもんじゃない。この廊下にいる人たち皆にこんな話を聞かれてしまったら、あたしは夏休みが明けても学校に出られなくなってしまう。
鈴木のクラスメイトたちも、駄目だこいつ、とでも言いたげに揃って頭を抱えている。ここまで重症だとは思ってなかったんだろう。心中お察しします。
あたしも、この豹変振りを初めて目の当たりにした時はそう思ったもの。
鈴木ってこんな奴だったのか、って。
逃げるように学校を出てみたら、明日から夏休みなだけあって、外は恐ろしいくらいの炎天下だった。
帰り道を歩き始めて五分もしないうちに、あたしも鈴木も汗だくになる。顎を伝う汗が気持ち悪い。ただでさえ髪が厚くて、首に張りついてくるのが邪魔でしょうがないのに。
「上野、大丈夫か? ほっぺた真っ赤だけど」
そうやって気遣ってくる鈴木もかなり暑そうだ。背中を丸めて、足を引きずるように歩いてる。今日みたいな日はさしもの鈴木でも元気でいられないらしい。
「まだ平気」
あたしの答えを聞いた鈴木は眉を顰める。
「水分取っといた方がいい。熱中症になるぞ」
「そうかな……」
喉は渇いてる。でも飲んだら飲んだでまた汗として出て行くだけじゃないかって気がしなくもない。それよりはさっさと家に帰った方がましなんじゃないかって。
だけど鈴木はあたしを押し留めた。
「そこにコンビニあるし、何か買ってくるよ。上野は日陰で待ってろ」
「え? 別にそこまでしなくても」
「いいから!」
強く言い残すと、鈴木は道路沿いのコンビニまでさっさと駆け出していく。暑いんだからわざわざ走らなくてもいいのに、やっぱり鈴木は元気だ。
一人になったあたしは悪いことをした気分になりながらも、とりあえず言われたとおりに日陰を探す。でもちょうど正午頃だけあってどこも日差しがきつく、結局鈴木の後を追うように、コンビニの前まで歩いていくしかなかった。
アスファルトの駐車場にはざっとだけど水が撒かれた痕跡があって、建物の影の中にいればいくらかは涼しい。店内の方がもっと涼しいだろうけど、用もないのに入ってはいけないし、一度入ったら冷房の魅力にやられて、もう外へは出られなくなりそうだ。
なのに鈴木は買い物を済ませたらさっさと店から出てきて、一直線にあたしのところへ戻ってきた。白いビニール袋からスポーツドリンクのペットボトルを取り出し、
「ほら」
蓋を外して手渡してくれる。
あたしは素直にそれを受け取り、二口くらい飲んだ。普段はあまり好みじゃないグレープフルーツっぽい味が、今はものすごく美味しく感じられた。
「ありがとう」
それからお礼を言ってペットボトルを返したら、鈴木はコンビニの袋と一緒に持っていた、絞ったミニタオルを広げて寄越す。
「首の後ろ冷やしたらいい、ちょっと楽になるはず」
そのアドバイスを受けて、あたしは結んだ髪を持ち上げ、濡れタオルで首の後ろを冷やしてみる。すうっとして少し気持ちがいい。
あたしの為に飲み物を買ってきただけじゃなく、タオルまで冷やしてきてくれたのか。本当、こういうところは至れり尽くせりの鈴木。普段の舞い上がりようとか過剰なスキンシップを咎めたくても、結局絆されてしまうから困る。手なずけられてるのかな。
鈴木は心配そうに、じいっとあたしを見下ろしている。クラスの子たちに彼女自慢をしてた時とはまるで違う、別人のように真面目な顔。でれでれもしてないし、本当にこっちのことを考えて、大丈夫かなって気を配ってくれてる表情だった。
間近で見るのも見られるのも恥ずかしくて、適当に口を開いてみる。
「鈴木って、昔はこういうイメージだったんだけど」
「ん?」
脈絡もない話題振りだったからか、鈴木は目を見開いた。
あたしは誤魔化すように笑う。
「真面目、って言うか。そこまで堅苦しくはないけど、結構しっかりしてて、他の子よりちょっとだけ大人っぽいなって思ってた。中学の頃、同じクラスだった時にはね」
その頃の印象はどうしてもぼんやりしてるけど、そう思ってたのは本当。
好きだとは思ってなかった。でも、嫌いでもなかった。あたしにとっては話しやすい男子のうちの一人で、教室では世間話程度はしてて、ただ学校の外で会うような友達になるほどでもなかった。誰かに聞かれたら『鈴木? ああ、いい奴だよねー』って答えただろう、そういう相手だった。
そして当時の鈴木もまた、あたしに対して他の子と違う態度を取るようなことはなかった。クラスメイトらしく、過不足ない感じの優しさで接してきていたはずだから、かつて本人が言ったように、目覚めちゃったのは高校入学後の話なんだろう。
鈴木はまだ文脈が掴めていないようだったものの、なぜか誉められたと受け取ったみたいだ。そこで得意げな顔をした。
「そうだろ。俺、すんごい真面目だし。大人の男の魅力ってやつも垣間見えちゃってるだろ?」
「今もそう思ってるとは言ってないよ」
「うえのー……」
今度は恨めしげにされてしまった。あたしはまた笑って、
「ごめん、嘘。……本当は今でも、大人っぽいとこはあると思ってるよ」
大人だ、とは断じて言わない。
だけど鈴木は優しい。その優しさが無闇やたらに乱発されるものじゃなくて、あたしにもウェンディにも時と場合に応じて割と的確に用いられるものだから、やっぱり鈴木は大人っぽいとこあるんだろうな、って思う。そしてあたしは、鈴木のそういうところはいいな、とも思っている。
だからこそ、高校入学後の怒涛の展開にはただただ圧倒されてしまった。
「さっき、鈴木のクラスの子も言ってたけど」
気分が楽になってきたからか、つい口も軽くなった。
「あたしも同意かな。鈴木は彼女が出来たくらいで、浮かれるタイプじゃないと思ってたのになーって。普段もクールではないけど、でも意外だったよ、すごく」
いつもは言わないようなことを告げてみたら、鈴木は瞬きをした。
それから、思いのほか真剣な顔つきになる。
「上野は、浮かれてない俺の方が好き?」
いきなり何を聞くのかと、あたしは息を呑む。肺のあたりが熱い。
「いや、す……きとか、そういう話じゃないし。何て言うか――」
「じゃあ、いつもの俺でもいいと思ってる?」
鈴木が畳み掛けてくる。
「よくはないけど……よく、なくないけど……」
なくない、のかな。なくなくない? とにかく、いつもの鈴木の暴走っぷりはどうかと思ってる。ただ、中学時代のそこそこ真面目、そこそこ大人っぽい鈴木のことをどう見てたかってことを考えると、あたしの好み的には――って言うか好みだから付き合ったってこともなくない? そりゃ、優しいところはいいと思ってるけど。だからって。
高校入って、鈴木に付きまとわれるようになって、中学時代の薄い印象とのギャップには大分驚かされたけど、それをいつの間にか受け止めかけてて付き合い出したりもしてる。これがつまり、手なずけられてるって状況なんだろうか。
暑い最中にごちゃごちゃ考え始めたあたしを、鈴木は柔らかい声で制した。
「――俺はさ、上野のこと、中学の頃から可愛いと思ってたよ」
「はあ?」
突然の告白と見上げた先のはにかみ笑いに、引いたと思ってた暑さがぶり返してきた。一気に頬が加熱する。
可愛いとか、クラスの子のこと言えないくらい軽々しく言うよねこいつは!
コンビニの駐車場は車の出入りこそなかったものの、徒歩で来たお客さんが行ったり来たりしていた。その中にはうちの高校の制服姿もあったりして、日陰で向き合うあたしたちがどう映るのかは少し気がかりだった。
いつも人目なんて気にしない鈴木は、さっきあたしが口をつけたペットボトルを捻り開け、ためらいもなく数口飲んだ。自棄酒みたいに大きく息を吐いて、でも酔っ払ったみたいなそぶりは当たり前だけどないまま、淡々と言う。
「可愛いとは思ってたけど、どうしたいかってのはよくわかんなかったんだよな」
「ど、どうしたいって、何が」
「変な意味じゃなく。同じクラスで普通に話してて、それはそれで楽しかったけど、でもそれだけだった。卒業して高校では違うクラスになっても、別にいっかって思うくらいで」
その言葉には恥ずかしながら、ほんのちょっとがっかりした。いや、さっき自分で『こいつの言う可愛いは軽々しい』って思ったばっかだけど。知ってたけど――再認識するとさすがに、そうなんだ、ってなる。別に大してへこんでないけど、まあ世の中そんなに甘くないし、そんなもんだよね、って。
あたしが鈴木をいい奴だと思うのと同じレベルで、鈴木はあたしを可愛いと思ってたんだろう。それだけのことだ。
「でもさ、うちで犬飼うことになって、ウェンディと初めて会った時に、ああこういうことなんだーってわかった感じ」
そしてまたウェンディの話だ。妬いてるとかでもないですけどね。
「最初に顔合わせた時、あいつ、ちょっとだけ怯えててさ。なかなか近くに来てくれなかったんだよな。でもしつこくしつこく呼んで待っててやったら、おっかなびっくりだけどこっちに歩み寄ってくれてさ。それから撫でられるようになるまではまた時間かかったけど、最後には俺の手舐めて、尻尾まで振ってくれるようになってさ」
嬉しそうに語る鈴木が、懐かしむように目を伏せる。その表情は落ち着いて見える。
「それで、わかったんだ。俺は上野とも、こういう風に接したかったんだって」
こういう風ってどういう風だ。
今度はあたしが瞬きをする番で、鈴木はあたしの顔を覗きこんでくる。
「ウェンディにするみたいに、上野のことも可愛がりたいってその時、思った」
いい笑顔で若干変態じみたことを言う。クラスメイト時代は知るよしもなかった、鈴木の裏の顔だ。
もっとも裏のない人間なんていないだろうけど、それにしたってこうも晴れ晴れと宣言されると反応に困る。鈴木はその発言自体を引け目だとか後ろめたいとかは考えていないようで、放っておいたら胸でも張りそうな堂々ぶりだった。
「これが俺の、恋のプレリュードってやつでした。我ながら超ロマンチック」
「どこが!」
「何だよー、そこはわかれよ上野」
いやいやわかんない。ちっともわかんない。あたしは十六年弱の人生で一度として、犬見て好きな人思い浮かべたこととかないし。
「って言うか、やっぱあたしのこと、犬扱いじゃん……」
再びのぼせてきたあたしは絶え絶えの声で言い、
「そんなことないって。いつも、お前とウェンディを同じ扱いにはしてないよな?」
鈴木はあっけらかんと応じる。
「俺だって犬と好きな子とじゃ構いたい度合いが違うし。触りたい場所も違うし」
「変態さんっぽいこと言ってる……」
「そっか? 男子的には普通だよ、こんくらい」
首を竦めた鈴木は、その後で妙な自信に溢れた表情を浮かべる。あたしが何を言ったって、全部お見通しなんだよとでも言いたげな。
「それに、上野はこういう俺が好きなんだろ? 中学時代の、普通にクラスメイトだった俺じゃなくて」
肯定はしたくない。
でも、間違ってはいない――なんて絶対言いたくないけど、けど、そういうことなんだろうなと思ってしまう自分が悲しい。さっきも似たようなこと聞かれたけど否定できなかったし、それこそ鈴木的にはお見通しなんだろう。ああもう、違うって言いたいのに! 全く言えないとかあたしも大概だ!
普通にクラスメイトだった頃の、そこそこ真面目で大人っぽく見えた鈴木よりも、今の本性丸出し暴走特急、優しくてあたしを引っ張ってもくれて、おまけに変に誤魔化したりもせず好きだって言ってくれる鈴木の方が、あたしは。
「……返事は?」
鈴木が催促してきても、あたしは当然、何も言えなかった。
認めたくない。心の中では確定サインが出てるけど、口に出したくない。
「答えないと明日からの夏休み、毎日お前の家通っちゃうぞ。ご近所さんだしな!」
更にそう言われて、うろたえたあたしの隙を奴は見逃さなかったようだ。
「それとも、そっちの方がいいから、言わない?」
参った。もう何もかも見抜かれてる。
わかってんだったら聞かないでいて欲しいのに、のぼせて目を逸らし黙り込むあたしからこれ以上の何を引き出したいというのか、鈴木は。
本当は今でも、言えなくはない。今の鈴木の方がいいんだって。
言動の変態っぽさとか甘やかしっぷりとか、人目を気にしないところはどうかなって思うけど、そういうの全部をひっくるめた鈴木の本性にやられてしまったんだという事実は否定できない。傍にいたいって思ったし、構って欲しくもなったし、――つまりは、うん、そういうことなんだけど。
でも言わない方がお得らしいので、やっぱり黙ってようかなと思うあたしは、鈴木の餌にまんまと釣られただけなのかもしれない。
やっぱりあたし、犬っぽい?