客観的にはそう見える(1)
根拠その一。安井は脚フェチである。
根拠その二。
本人曰く、何でも笑って許してくれる女の子が好きらしい。
根拠その三。
何年か前、あいつは園田の勧めでいきなり髪型を変えてきたことがある。
根拠その四。
近年になって、飲みの時にやたら豆腐ばかり好んで食べるようになった。
そして根拠その五。
何かもう全体的に。園田と一緒にいる時のあの機嫌のよさとか、そこに俺が割り込んだ時の手のひら返しっぷりとか、わかりやすいくらいのやきもち焼き加減とか、表情や雰囲気そのものとか――。
以上の理由から、安井は園田に惚れてると判断しました。
というかぶっちゃけだだ漏れすぎて、この天才的洞察力を持つ俺じゃなくても簡単にわかるレベルだ。
安井と来たら園田の前じゃ常にでれでれだし、急に短髪にしてきたと思ったらそれも園田に言われたからだっていう。おまけに豆腐好きなのも園田と同じとか、好きな子に影響されちゃう小学生かよ。
俺が社食で園田と一緒に座ってたら、めちゃくちゃ絡んできたこともあった。
弁当を一口、たった一口味見させてもらった話をしたせいで、未だにねちねちねちねち言われてるからな。あの粘着性、背中に貼ろうとしてひっついた湿布より強力だ。俺だって藍子の前じゃ凛々しく渋い表情をキープしてるし、ああまでねちっこく妬いたりしないのにな。
まあ安井がそれならそれで付き合っちゃえばいいんじゃねーのと思えば、そういう間柄でもないらしい。
らしい、というのはあくまで客観的にそう見えるってだけだが、安井にここ数年彼女がいないことは本人も公言している。社内恋愛だから隠してるって線もなくはないだろうが、だったら彼女を不安にさせないよう『いない』とは言わないはずだ。少なくとも俺ならそうする。
一方の園田は、相手もいないのに花嫁修業なんぞを始めてしまった。こちらも付き合ってる相手はいないそうな。
となると俺の慧眼による見立てでは、安井氏は柄にもなく控えめな片想いを、それも長いことしていらっしゃることになる。
あの安井が、片想い。
これはもう見ただけで吹くパワーワードってやつじゃなかろうか。
普段から妙に達観したそぶりで、恋愛のいろはは知り尽くしてるぜって顔してる安井がだ。すぐ傍に好きな子がいるのに何にもしてないっていうのは意外すぎて笑える。あいつ実は口だけだったりするのか、あるいは格好つけすぎて何にもできなくなってるってオチか。後者の方があり得るな、安井のプライドの高さはエベレストもかくやだからな。
なんてことを思いつつ、にやにや静観していたわけだ。
さすがに三十過ぎて恋のキューピッド役を買って出るほど野暮じゃない。あれだけ園田にでれでれの安井が手も出さずおりこうに『待て』をしているのには何か大きな、あるいは器のちっちゃな理由があるんだろう。それを生温かく見守ってやるのも腐れ縁というものだ。
それで俺は安井の動向に目を光らせつつ、園田に関してはあまり言及しないことにしてたんだが。
事件はそんな調子で迎えた秋に起きた。
社食で相席にした園田に、社内報でコラムを書くことを頼まれた。
日頃から使いどころのない文才や語彙力を持て余している俺だ。その程度の文章をでっちあげるのは造作もないことで、もちろん快く引き受けた。
「いいぜ。知的でウィットに富んだ秀逸なコラムを仕上げてやろうじゃないか」
「ありがとう、すごく嬉しいし助かるよ! さすが石田主任、頼りになる!」
園田は持ち上げ上手だ。俺を惜しげもなく称えてくれて、なかなかいい気分になった。
せっかくだから安井の前でやってみて欲しかったな。きっとめちゃくちゃ羨ましがっただろうに。
のんきな妄想に耽っていれば、
「石田さん、もう聞いてるかもしれないけど」
園田が、いきなり改まってそう言った。
「お、何だ?」
その前置きに、もしやいい報告かと俺は期待した。
折しも安井のことを話していたタイミングだった。秋生まれのあいつの誕生日がもうじきで、このままでは三十一歳を片想いのまま迎えてしまうかわいそうな安井くんになってしまう。
だから俺も珍しく気を遣って、園田に安井のことを売り込んだり、その裏で安井にメールを送ったりしてたわけだ。
今、社食で園田と飯食ってる。お前も飯まだだったらはよ来い、何だったら二人きりにしてやるから――返事はなかったが、読んだら速攻で飛んでくるはずだった。
という時に、園田が言った。
「私、実は最近、お見合いしたんだ」
その一言で、頭に雷が落ちたように感じた。
俺は息を呑み、呆然と聞き返すしかなかった。
「え……。マジで? お見合い?」
それに対し、園田が黙って頷く。
特別好意持ってるわけでもない女の子のそういう知らせに、これほどショックを受けるとは。
だが本当にショックだった。その瞬間、言葉もなかった。
そして思った。
――この知らせ、安井には聞かせたくねえな。
そんなのは無理だって自分でもわかってる。
でも安井が打ちのめされるのを見たくなかった。
道徳の教科書に載ってそうなほど素直で、模範的な感情が胸を過ぎったのはなぜか。
相手は安井だ。何かというと軽口叩いてくるわ、人の恋路を土足で荒し回るわとろくでもない男だ。藍子のことで会議室まで全力ダッシュさせられた日のことは今でも忘れてないし根に持ってる。
そういう相手であっても――いや、そういう相手だからこそ、かもしれない。
振られて落ち込む姿を見たくなかった。
しかし事実は事実だ。
「本当にお見合い、しちゃったのか?」
「うん」
何度尋ねても答えは同じだ。園田は頷いていた。
「そっか……うわ、そうなのか……」
俺は溜息をつきかけて、はたと思い当たる。
今の話は安井にとってはどん底に叩き落されるような不幸でも、園田にとってはいい話かもしれない。それなら園田のことは祝ってやらねば。
「あ、いやいや。よかったなそういうご縁があって」
慌てて取り繕った後、それとなく尋ねてみた。
「で、上手くいったのか? 結婚すんのか?」
「結婚、すると思うよ」
園田はそう答えつつ、どこか探るように俺を見ている。
反応がおかしいとでも思ったのかもしれない。
「だよな……わかった」
ここで俺もどうにか気持ちを落ち着けて、まずは素直に祝福した。
「幸せになれよ園田。お前は絶対いい嫁になれるって」
味見させてもらった弁当、美味かったし。
あと何だかんだで園田はいい子だ。同期としての付き合いも長いからよく知ってる。俺と安井のくだらなく下品な悪ふざけを、笑いながらちゃんと突っ込んでくれる貴重な人材だ。
だからこそ、安井も好きになったんだろうな。
溜息が出そうになるのを堪えた。
「お前が嫁に行くことで泣く奴がいるかもしれないがな。そいつのことは俺に任せとけ。盛大に慰めとく」
そして園田に、そう請け負った。
もちろん、向こうに俺の言葉の意味などわかるまい。
でもそれでいい。園田は何も知らないまま、とことん幸せになればいい。
その代わりと言っちゃなんだが、不幸になる奴の悲しみとか、湿っぽさとか、あるいはもっとはっきりした怨嗟なんかは俺が全部引き受けよう。
園田の幸せに一点の瑕疵もあっちゃいけない。
そして安井にも、できればあまり傷ついて欲しくない。
無理だろうけどな。でも俺は、俺のできる限りのことをする。
それも腐れ縁の義理ってやつだろう。
――なんてことをしみじみ思っていたらだ。
「覚悟しろ。浮気の現場を押さえに来たぞ」
聞き慣れた安井の声がすぐ傍でして、心臓が飛び出すかと思った。
見れば俺たちが囲むテーブルに、カップ麺を手にした安井が不機嫌面で立っている。何でお前が一緒に座ってやがんだと、非難がましい目を向けてくる。
でも今はやきもちとか焼いてる場合じゃないぞ安井!
ってか誰だよこんな時にこいつを社食に呼んだのは!
「や、安井……お前、何でここに来てんだよ」
俺がうろたえながら聞き返すと、安井は何言ってんだと顔を顰める。
「何でじゃない。お前が『飯まだだったら食堂来い』って誘ってきたんだろ」
呼んだの俺だった!
「あ、そっか。そうだったよな……うわ、やべえ」
意味もない言葉が口をついて出る。
これはまずい、破滅へのカウントダウンってやつだ。園田がお見合いの件を安井にも打ち明けたら安井の奴、恥も外聞もなく泣き出すかも知れん。そうじゃなかったとしても、今ここでぶっちゃけられるのはまずい。
とは言えこの事態を招いたのは他でもない俺だ。
これ以上の悪化を避ける為に、今こそ力を尽くす時だと思った。
そこからの俺は、いかにもいつもの調子で軽口を叩いた。
「そうだ安井。俺もうじきノンフィクション作家としてデビューするからな」
園田が何か言おうとするのを目で制し、冗談半分で言ってみる。
当然、安井は鼻で笑った。
「はあ? 何を寝惚けたこと言ってるんだ」
「いやマジで。ついさっき広報から社内報のコラムを依頼されたんだよ」
「そんなことで作家デビューなんて言うのか石田は。小学生みたいだな」
そこからいつも通りの応酬が続いて、ほっとしかけたのもつかの間。
不意に安井が園田の方を見て、ふっと柔らかく笑んだ。
意識して笑ったというより、顔が自然とほころんだような、そんな笑い方だった。
「園田も、石田に頼むならちゃんと釘刺しとけよ。下ネタはお断りだって」
しかも声までめちゃくちゃ優しい。お前そんな声出せたのかよ、普段から俺や霧島に使えよって声だ。
今更だがどこまでわかりやすい男なんだ安井。もう本当にでれでれじゃねーか。それでいてお見合い相手に出し抜かれてるんだから手に負えない。
俺が言葉を失くしていれば、当の安井は怪訝そうにこっちを見やる。
「何だ、どうした石田。微妙な顔して」
「お前の顔が最近緩んでるように見えてしょうがねえなって」
「緩んでないよ失礼な。色惚けのお前と一緒にするなよ」
「……どうだか。ったく、こっちがへこむわ」
何で俺まで振られた後みたいな、感傷的な気分になるんだか。
しかしともかくも、園田本人の口からお見合いの事実が語られることだけは避けられた。
そうこうしているうちに戻る時間になり、俺は席を立つ。
「俺、そろそろ戻んないと」
「そうか。じゃあまたな、石田」
まだ何も知らない安井がそう言って、適当に返事をした。
「ああ、お先」
それから取り急ぎ、釘だけは差しておこうと園田を手招きする。
「園田、ちょっといいか。社内報の件で一つだけ」
「私? うん、わかった」
園田が立ち上がり、テーブルから距離を置く俺についてきた。
安井はと言えば、気になってしょうがないって様子でこちらを振り返っていたが――聞かせるわけにはいかない。
たっぷり距離を取って、口の動きさえ読み取れない位置まで来てから、俺は園田に懇願した。
「なあ、一つ頼みがある。お前が見合いをしたこと、俺からあいつに言わせてくれ」
柄でもない頼みだってことはわかってる。
現に園田は思いがけなかったようだ。奥二重の目を見開いて、立ち竦んだように身体を震わせた。
「まだ安井は知らないんだろ? なら俺が教えとく」
そして俺も、自分で驚くくらい必死になって訴えた。
「もちろん園田に迷惑はかけない。お前から聞くより、俺が酒でも飲ませながら伝える方がいい」
その方がいい。
園田のせっかくの幸せを曇らせるわけにはいかない。
安井が受ける傷だって、なるべくなら浅い方がいい。こんな小細工をしたところであいつが傷つくのは決まったようなものだが、それでも黙っちゃいられなかった。
「俺がこうして頼んでる理由はわかるよな? 察してくれ」
ためらってからそう切り出すと、園田の顔が打ちのめされたように強張った。
もしかしたら安井の気持ちに気づいていたのかもしれない。
あるいは今気づいたのか――どちらにせよ、お前が気遣う必要なんて一切ない。
あとは、俺が引き受ける。
「……勝手なこと言ってごめんな」
俺は園田に詫びると、最後はできるだけ明るく笑って告げた。
「あと原稿、仕上げたら連絡する」
黙ったままの園田に踵を返し、俺は社食を後にする。
営業課まで戻りながら、今夜は安井を飲みに誘おうと心に決めた。
こういうことは早い方がいい。辛いが、覚悟を決めなくては。