Tiny garden

出逢った事に感謝した(3)

 どこの家だってそうだと思うが、息子が帰るとなるとやたら張り切って飯を作りたがるのがうちの親だ。
 まして今回は息子の彼女――確定事項として『未来の嫁』でもある相手を連れて帰るっていうんだから尚更だろう。夕飯には少し早い午後四時半、石田家の食卓にはテーブルからはみ出さんばかりの料理の皿が並んでいた。
 うちの母さんは料理の腕はそこそこ、まあ不味いものは出したことないレベルの人ではあったが、いかんせんメニューにセンスと言うか統一感がない。晴れの日のご馳走は魚好きの父さんの為にまず刺身と決めていて、こういう日に使う用の唐草模様の大皿に料亭ばりの丁寧さで盛りつけてある。そうかと思えばかますの開きだって人数分焼いてあって、酒より早くも白いご飯が欲しくなる。しかしながらお客様がいらした際のご飯は甘いでんぶの乗ったちらし寿司とお約束のように定められているし、孫たちもいるならいなり寿司を食べきれないほど作ることだって忘れない。あと、甥や姪が揃う日にはお子様用の献立も必要で、エビフライやフライドポテトやヨーグルトにフルーツの缶詰を混ぜ込んだやつなんかも一緒に並ぶ。あとうちの母さんは生ハムを未だに高級食材だと思い込んでいるらしく、今日じゃ近所のスーパーでも売ってるって知ってるはずなのにご馳走メニューとして扱う。そんなわけで生ハムとレタスのサラダは青磁の大鉢によそわれて、刺身皿の隣を偉そうに占拠している。
 こんなにしてもらって文句言うのも申し訳ないくらいだが、それにしたって張り切りすぎだ。こういうの見るとつくづく、疑いようもなく俺の親だよなあ……って実感する。

 そして、晴れの日の為に誂えられた食卓の前で、藍子が深々と頭を下げる。
「お初にお目にかかります。小坂藍子と申します」
「……だから適当でいいって言っといたのに」
 格式張った挨拶に俺が突っ込みを入れると、顔を上げた藍子は恥ずかしそうに微笑んだ。
「すみません。こういうのは外しちゃいけないかな、って思って……」
 来る時にも言ってたな。並みの『ちゃんと』じゃ足りない、とか何とか。
 とは言え息子の嫁候補に対するうちの両親の心証が悪いはずもなく、それどころか藍子の初々しくも可愛い笑顔に、母さんはつられたようににへらと笑んで一言、
「あら可愛い」
 隣で父さんまで頷いている。
「うん、可愛い」
 しかしその後で父さんはどこか疑わしげに俺を見た。
「隆宏、お前、ちゃんと合意の上で連れてきたんだろうな? こんなに可愛いお嬢さんがよくお前みたいちゃらんぽらんなのについてきてくれたな」
「どういう意味だよ」
 どんだけ信用ねえの俺。あんたの息子だぞ、おい。
「合意の上だし、藍子のご両親にはもう既に軽く挨拶まで済ませてんだぞ。でなきゃ藍子もこんなに堂々としてねえだろ」
 俺が反論すると、母さんは芝居がかった仕種で溜息をついた。
「昔の映画にあったでしょ、ムショ帰りの男が親に嘘ついてたもんで、その辺で女の子かどわかして連れてくる話。こんな時に何だけど、お母さん思い出しちゃって」
「このタイミングで思い出すなよそんな話!」
 その映画なら俺も見た。話のオチは覚えてないけど、女の子役の女優がむちむちで堪らんかった。そして同じ状況なら俺も、藍子みたいな可愛い子見かけてたらついつい拉致ってたかもしれん――いやその前に、俺は真っ当に日々を送り国民の義務を果たす一社会人ですんで。そうそうムショには入らんわ。
 大体、拉致ってくる必要もないくらい合意はいただいておりますし。
「藍子だってついてきたくてここに来てるんだもんな。な?」
 俺が同意を求めれば、並んで座る彼女は素直に顎を引き、
「はい」
 笑顔で答えてからうちの両親へと向き直る。
「あの、私も一度、隆宏さんのご両親とお会いしてみたかったんです。隆宏さんはいつもしっかりしてて、とても前向きで、職場でも皆にとても頼りにされている主任なので、そんな方がどんなご家庭で育ったのか、是非見てみたいなって」
 やや緊張気味ながらもそう語る藍子は、俺を立てることも忘れないまさに彼女の鑑だ。たまに、ちょっと買いかぶりすぎじゃないかと思うこともあるにはあるが、今日みたいな舞台では誉めすぎなくらいでもいい。
 それを聞いたうちの両親はぽかんとしてから、まるで我が事のように照れ出した。
「いやいや、親の教育の賜物ってほどでもないですが……」
「ねえ。あの隆宏が頼りにされてるだなんて、私たちの育て方がよかったのねきっと」
 またすぐ調子乗るしよ、うちの親ども。
「違うだろ、俺が頑張ったから主任にだってなれたし、可愛い彼女だって連れて帰れたんだよ」
 俺は反論する。
 そうだよ、すっげー頑張った。仕事に関してもそうだが特に藍子関連では努力もしたし忍耐だってした。楽をするつもりであわよくば、なんて考えてた頃が懐かしい。
 まあ、努力っていう点はお互い様なんだろうが。藍子の実家にお邪魔した際のやり取りなんかを振り返れば――今となっちゃ楽できる恋愛なんてこの世に存在しないとさえ思うし、それがもう少し進んで結婚するってなったら面倒事も一層増えることだろう。こうして彼女を俺の実家に連れてきて、浮かれっぱなしの両親に会わせてみて初めて、まだゴールでもないなと改めて考えた。
 感慨に耽る息子とは対照的に、母さんはわざとらしい真面目顔で藍子に尋ねていた。
「藍子さん、本当? うちの息子、ちゃんと働いてます? 隆宏は昔っから飽き性な子でね、仕事も適当にやってるんじゃないかって心配なんですよ」
「そうなんですか? 今の隆宏さんは、そんな風には全然……」
 藍子はまんまるい目で俺を見てから、曇りのない表情で答える。
「隆宏さんは本当に仕事熱心な方ですよ。昨年度は新人の私を丁寧に指導してくれましたし、今年度も新卒の子の指導に当たって、その上でご自分の仕事もこなしてて、いつもすごいなあって思ってます」
 いやそれほどでもないですけどね。誉められて悪い気はしない。
「ならいいんですけど」
 母さんも悪い気はしてないようで、そこでちょっと微笑んだ。すかさず父さんが楽しげに続く。
「一度見てみたいな。学校の参観日だけじゃなく、職場参観なんてあればいいのに」
「あら、いいですね。隆宏は仕事の話も全然しないから、一度どんなもんか見てみたいものね」
「やだよ恥ずかしい」
 三十過ぎて親に出張られることほど恥ずかしいことはないし、ましてそれが仕事中ともなれば尚更だ。あの営業課に課員の父兄がずらーっと並んで、霧島辺りと『おー、お前の母ちゃん来てんじゃん、手振れよ手』『先輩こそお母さん来てますよ、しかも化粧ばっちりじゃないですか』とかやり取りすんのは何か、想像ですら居たたまれない。
「隆宏なんて、参観日って言ったら調子乗る子だったじゃない。見に行かない方いいって」
 姉ちゃんが口を挟んでくる。今までやけにおとなしかったなと思ったら、プール遊びでお腹を空かせた姪と甥の為にご馳走を取り分けてやったり、食べやすく切り分けてやったりしていたようだ。
「私はいろいろ覚えてますからね。せっかく参観日の為に作文書いたのに、何か物足りないって当日アドリブで発表しだしたのなんてあんたくらいのもんでしょ」
「そんだけちっちゃい頃から機転の利く子供だったってことだろ」
 言い返せば姉ちゃんは軽く笑い、
「機転の問題じゃないでしょ。理科の実験じゃリトマス試験紙飲み込んで騒ぎになるし、調理実習で焼く前のクッキー生地食べて先生に怒られたこともあったでしょ。学校の机にプリントと蝉の抜けがら溜め込んでお母さん呼び出されたのなんて隆宏くらいのもんじゃないの?」
「さすがに俺だけってことないだろ。そんなん普通だって」
 クラスでも他に何人かはいたと思う。全員男子だったけどな。俺なんて別におかしな点もない、ごくごく普通の男の子だったわけですよ。
「やんちゃな子だったんですね」
 藍子がおかしそうに笑う。彼女の子供の頃はどんな感じだったのか、気になる。以前ご両親とお会いした時にも少しは昔話を聞かせてもらっていたんだが、できれば実際会ってみたかったよなあ、なんて。無理だけどな。
 聞いた話の中でも特に覚えてるのはあれだ、小坂家はうちと違って、妹さんの方が気が強いらしいということだ。姉として振る舞う藍子も是非見てみたいとこだな。
 石田家はもう、こんなもんですよ。末っ子はいつまでも末っ子みたいな感じですよ。
「見ろよ藍子、姉ちゃんのあのどや顔。俺を弄るネタはまだまだあるぜって顔だ」
 俺は聞こえよがしに藍子へと囁く。
「お前は優しいお姉さんだから、妹さんにはそういうことしなさそうだよなあ。いいよなー優しいお姉さん。あー羨ましい」
 それで藍子はくすぐったそうな顔をしたけど、
「藍子ちゃん、妹さんがいるの?」
 むしろ姉ちゃんはその話題に食いついてきた。すかさず藍子も答える。
「はい、二人姉妹なんです。妹は今、大学生なんですけど」
「じゃあ藍子さんのおうちは、女の子ばかり?」
 母さんが更に割り込んできて、藍子ははい、とにっこり頷く。すると父さんがどこか同情めいた苦笑いを浮かべた。
「それはあれだな、藍子さんのお父さんも大変だな。隆宏、お前の責任は重大だぞ。もうちょっとしっかりして、藍子さんを是非とも幸せにしないと駄目だ」
 言われるまでもない。今度は俺が頷いたが、父さんはもう既にこっちを見ておらず、しみじみとぼやき始めていた。
「俺もお姉ちゃんがお嫁に行くってなった時はもう、堪らなかったからな。隆宏がよそのお父さんにそんな思いさせるとなるとな……」
「あ、お父さんの長話始まった?」
 茶化すように笑った母さんが立ち上がる。
「じゃあそろそろ乾杯でもして、始めちゃいましょうか。せっかくご馳走作っちゃったし、冷めちゃうともったいないものね」

 ビールで乾杯した後、俺たちはようやく今日の為のご馳走を食べ始めた。
 藍子は少し緊張気味のようだったが、食欲の方は決して減退しておらず、本日もいい食べっぷりを見せた。その方が母さんも喜ぶし、場の空気だって和む。俺もちょっと、ほっとする。
 それにしても、不思議な感じがしてしょうがなかった。
 とっくに俺の部屋なんて存在しなくなった、でも懐かしい実家の居間に、今日は藍子がいる。さすがに老けてきた父さん母さんと一緒に酒を飲んだり、まだぎこちないながらも楽しげに談笑したりしている。姉ちゃんとは以前電話でも話したからか、いち早く打ち解けたようで、屈託のない表情を見せたりもする。
「藍子ちゃん、よかったらこっちのいなり寿司も食べない?」
「あ、是非いただきます!」
「うちの子たち今日はまだ緊張しちゃってるみたいで、食が進んでなくってね」
「そうなんですか……。びっくりさせちゃったかな、ごめんね」
 藍子が柔らかく笑いかけると、姉ちゃんの横に並んだ姪ははにかみ笑いで会釈をし、甥は瞬きをしながら藍子を見つめている。いつもは生意気なことを言ったり、うるさいくらい走り回ったりする子供たちが、藍子の前じゃおとなしくしているのが面白い。
 でも何だかんだで藍子は可愛くて人懐っこいし、この滞在中に子供たちのハートも掴んでしまいそうな気がする。そしていつかは自然な流れで、『藍子叔母ちゃん』なんて呼ばれたりするようになるのかもしれない。うん、今は現実味ないが素敵なビジョンではある。俺としては一刻も早く呼ばせたいです。
 そういう想像ができるのが、しみじみ、幸せだなと思ったりする。
 もちろんこの幸せもまだゴール、終着点では決してない。だけど俺たちは着実に前へ進んでいるんだと、目の前の光景を眺めていれば実感できる。藍子は俺のものだし、彼女が存在する未来だって間違いなく、俺のものだ。
 そんなことを考えていたらふと、いなり寿司にかじりつく藍子と目が合った。ちょっと恥ずかしそうにしつつも彼女は言う。
「とっても美味しいです」
 相変わらず幸せそうな顔をしている。
 その顔を見ていれば、俺だって幸せだ。
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