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So beautiful(2)

 彼女は舐め上げるより、舐め下ろす方が好きらしい。
 言われたことはない。でも無意識に腰を揺らす反応と、声の上げ方でわかる。舌で襞の形を確かめるようにゆっくりと、ざらりと舐め下ろしてみた。
「はあっ……うぅっ」
 聖美がくぐもった喘ぎ声を漏らす。
 口いっぱいにほおばっているからそうなる。そして彼女が喘ぐたび、熱い吐息が俺の脚の付け根辺りを刺激してぞくぞくする。
 それに意識を持っていかれまいと舌を動かした。一番敏感なあたりを舌先でつつくように舐めると、掴んでいた太腿が小刻みに震えだす。
「あ、んん……っ」
 彼女が倒れ込むように、俺の膝頭にしがみついてきた。
 気持ちよくなってくれているのがわかる。そうしてたまらなくなっている彼女を見ているのが好きだ。いつもやられっ放しだからというんじゃなく、ただ本当に、気持ちよくしてやりたくて。
 ふうっと吐息をかけてやると、目の前のやわらかい尻が物欲しげに揺れる。
 そこに一刻も早く打ちつけたい欲求を抑え込み、求められるがままにもう一度、反応がいい場所を舐めた。濡らした指でするのと同じように、小さく円を描くように優しく、じっくり舐める。反射的に引こうとする腰を逃がすまいと掴み、ぬるぬるとした箇所にねちっこく舌を這わせる。
 とたんに彼女の尻や太腿がぴんと張りつめるように緊張した。
「あふ……う、うぅ、ああ……」
 彼女は自分の身体を支えきれなくなっていて、それでも俺のだけは放すまいと咥えたままでいる。ただ舌の動きはずいぶんと緩慢になりつつあり、集中できなくなってきているのがそれだけでわかった。
「やぁ……ん、も、もう挿れて……」
 聖美が耐えきれなくなった様子でねだる。
「もう? 早くないか?」
 めったに言わせてもらえない台詞を俺が返せば、彼女は請うように尻をゆらゆら揺らした。
「欲しくなっちゃったの」
 でも耐えきれなくなっていたのは俺も同じだ。だから口元を手で拭い、彼女の身体を再びひっくり返した。ベッドの上にあおむけに寝かせる。
 快感にとろけた顔の聖美は、赤い頬と潤んだ瞳で俺を見上げた。
 そしてうっとりと微笑む。
「ね、今夜はつけないでして」
「え?」
 避妊をするなと言われて俺は戸惑った。
 夫婦になったその日に、というと本当にできた時恥ずかしくないだろうか。
「もしできたら、ハネムーンべビーとか言われちゃうだろ」
 俺がそう答えたら彼女は、今度はくすくす笑った。
「心配するのそれだけ?」
「それだけ。実際できても、問題はないしな」
「だったらいいじゃない。ね、お願い……」
 結婚式を挙げた時点で、覚悟は決めていたようなものだった。
 いや、覚悟なんて大げさな言い方だ。聖美と一緒に生きると決めた時から、むしろ夢描いていたことだった。俺の知らない幸せな家庭をつくる――そのためなら、なんだってできる。
 美しいその夢と目の前にある即物的な快楽の乖離具合といったらない。
 でも俺にとっては、どちらも幸せの象徴に違いなかった。
「挿れるぞ」
 そう声をかけて、俺は彼女の脚を開かせる。
 濡れた部分にぱんぱんに張りつめた先端を擦りつけると、くちゅっと小さな水音がした。
「んっ……」
 仰向けの聖美が腰を揺すって、俺の先端を咥え込もうとする。その動きに合わせてゆっくりと押し込めば、ずぶずぶと中に沈んでいって、彼女がそっと目をつむった。
「は、あ……」
 大きく、満足げな息をつく。
 俺も同じように深く息を吐いた。初めての生の感覚は思ったよりも強烈で、締めつけうねる中の動きがゴム越しよりも如実に伝わってくる。聖美の身体はこんなにも『搾り取る』ことに執心していたのか、薄いゴム一枚を隔ててはわからなかった。
 何も隔てるものがなくなって、俺たちは直に繋がっている。
「ヤス、笑ってる……」
 いつの間にか瞼を開いた聖美が、俺を見て自分も微笑んでいた。
 化粧を落とした顔はほんのり火照り、額には汗も浮かんでいる。喘ぎどおしの唇は渇いていて、肌にはいくつも赤い痕がついている。
 きれいだと思う。
「いい夜だなと思ってさ」
 俺が言うと、聖美は一度まばたきをしてから言った。
「私も。……大好きだよ、ヤス」
 それから彼女がキスを求めてきたから、俺は彼女に覆いかぶさり唇を重ねて――そしてゆっくりと動き始めた。
「あ……あ、んっ……」
 聖美が気持ちよさそうな声を上げながら、長い髪を振り乱して身をよじる。
 腰を打ちつけるたびに肌のぶつかる音と彼女の嬌声が響き、そして中がうねりながら締まる。
 濡れた肉のやわらかさと窮屈さ、それに熱をじっくりと味わった後、彼女が俺をきつく抱き締めたのと同時に俺は彼女の中で果てた。

「波の音、聞こえるね」
 ベッドの上に寝そべって、聖美が俺に囁く。
 俺の二の腕を枕にして、横向きの姿勢でこちらを見ている。ウェディングドレスを着ていた時の神聖さはもう掻き消えていて、かといってセックスの間の艶っぽさとも違い、今はただ甘えるような表情をしていた。
「ああ。でも、もっとうるさいかと思ってた」
 夜の海は一層静かで、耳を澄ませば微かに聞こえる、とても穏やかな波の音だった。聞いているだけで自然と眠たくなってくる。
 いくらか日に焼けてしまったようで、シーツの冷たさが肌に気持ちよかった。
「思ってた以上に素敵なところだったね」
 聖美もまどろみはじめているのか、心なしか瞼が重そうだ。
 無理もない。ここには昨日着いたばかりで、時差ボケも治らないうちから今日の挙式だ。それでなくてもお互い初めての海外、俺は何かと不慣れだったし聖美はとにかくはしゃぎ回っていた。くたびれていて当然だった。
「結婚式もあっという間だったけど、夕日きれいだったし……」
 挙式自体は誓いを立て合い写真を撮るだけの実に簡素なものだった。と言うより、日本を出る前に入籍を済ませてきたので結婚自体はとうに成立していた。
「どうしようね、日本に帰りたくなくなっちゃうかも」
 くすくす笑った聖美が、俺の胸にそっと手を置く。その薬指にはまだ真新しい銀色の指輪が填まっている。
 俺の、聖美の髪を撫でる手にも同じように指輪がある。し慣れないものだから今は違和感の方が強いが、そのうちに馴染んでいくことだろう。これから長い付き合いになるのだから。
 そしてもちろん、聖美とも。
 もう既に長い付き合いではあるが、これからは夫婦だ。つまり、家族だ。
「俺はどっちでもいいけどな」
 そう応じると、聖美は眠そうだった目を瞬かせた。
「どっちでもいいって、何が?」
「モルディブでも、日本でも。どこでも」
 確かにここはいいところだ。静かで人がいなくて景色が夢のようにきれいだ。日がな一日のんびりと過ごせる、非日常的なリゾート地。きっとここにいる間に、俺達はもっと幸せな思いができるだろう。
 だが日本に帰ってからだって、始まるのは幸せな日々だろう。今日のように忘れがたい思い出だって、これからたくさんできるだろう。
 俺にとっては初めての、失いがたい家族ができた。
 これから先の未来が、何もかも楽しみで仕方がなかった。
「お前が昔、言ってただろ。俺とだったらどこへでも行けそうだって」
 聖美はいつもそういう台詞を、妙に自信たっぷりに言い切った。
 俺からすれば何の根拠があってそんなことが言えるのか、断言できるのかといつも思っていた。この世に確実なものなんてないし、信じていれば痛い目に遭うのはいつも俺の方だ。殻にこもることで嫌な思いをしなくて済むならそっちの方がいい、聖美と一緒にいる間さえ時々そう思っていた。
 でも今は、俺が聖美に断言できる。
「俺もお前となら、どこにでも行けそうな気がする」
 現にこんな遠い国まで飛んできてしまった。ふたりきりで結婚式を挙げる為だけにだ。そして何にも知らないこの国で、聖美と今、幸せな時間を過ごしている。
「そしてどこにいても、お前となら幸せだ」
「本当っ!?」
 声を上げたかと思うと、聖美が俺に抱きついてくる。
「こんな時に嘘つくわけないだろ」
「嬉しい……! 私もヤスとなら、どこにいたって幸せだよ!」
 さっきまで眠そうにしていたくせに、今は声を弾ませはしゃいでいる。放っておいたら夜通し起きてるんじゃないかってくらい元気だ。体力、活力が有り余っているところは昔とちっとも変わってない。
 気がつけば俺は、聖美からそういう――生きる為の力をたくさん、たくさん貰っていた。そして今日まで生きてくることができた。
 その結果、結婚式を挙げて、ふたりで家庭まで築いて、もっと生きたくて仕方がなくなっている。
 こうなったらうんと長生きしてやろう。誰に嫌われてもいい。疎まれてもいい。聖美が傍にいてくれたら俺は生きていけるし、どこへでも行ける。もう簡単には死ねない。何せ、守るべき大切な家族がいるのだから。
「日本に帰ってからもよろしくな、聖美」
 そう告げてから顔を近づけると、彼女は返事の代わりに目をつむった。
 そして唇を重ね合った後で、指輪をした手で俺の前髪をそっとかき上げ、俺の顔を見つめてきた。しばらくの間、珍しく黙ったままで。
「……ねえ、ヤス」
「どうした?」
「ずっと一緒にいようね。これからも」
「当たり前だろ、夫婦なんだから」
 答えを聞くと聖美は満足げに微笑んで、俺に短いキスを返してきた。
 それからふたりで抱き合って、静かな潮騒を聞きながら眠りに就いた。

 新婚旅行を終え、また半日近く飛行機に乗って、俺達は日本へ帰ってきた。
 今まで同棲していたアパートには早朝に辿り着き、真っ先にしたのは窓を開けることだった。
「久々の日本の空気、味わわないとね!」
 聖美がそう言いながらあちこちの部屋の窓を開けていく。換気扇を回しておいたから空気がこもっていることはなかったが、家の中は懐かしい匂いがしていて、ああ帰ってきたんだなと思った。
「ヤス、洗濯物出してー。朝のうちに洗っちゃうから!」
「わかった」
 俺も早速荷物を解いて、旅の間の汚れ物を洗濯機に放り込んだ。聖美も後に続いて、洗剤を投入してからスイッチを入れる。久々の仕事とばかりに張り切り出す洗濯機を確かめて、俺達は何となく笑った。
「早くも日常に戻ってきた感じだな」
「だね。でもヤスとなら、こういうのもいいな」
 聖美はこんなことでも楽しそうに、幸せそうにする。
 こっちまで妙に浮かれた気分になって、俺は休みもせず旅行鞄の中のゴミをまとめ始めた。カレンダーを見れば今日がちょうど収集日だったから、俺はゴミ袋を提げて部屋を出る。
「聖美、ゴミ捨ててくる」
「うん、お願い! でも新妻を放っとかないで、すぐ帰ってきてね!」
「ゴミ捨て場に行くだけだよ、すぐ戻るよ」
 玄関の前で靴を履き直し、ふと振り返ると、真新しい表札が目に入る。

 鷲津康友 聖美

 改めて、いい名前だと思う。
 美しい彼女の名前をもっと呼びたい。ゴミ捨てなんて早く済ませてしまおうと、俺はアパートの階段を二段飛ばしで駆け下りた。
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