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化学同好会の連絡網(5)

『――でね、そいつらったらずっとそんな調子で、男子同士で固まって行動してたからさあ。そうなるとこっちも盛り下がるじゃん。そのくせもう帰ろってなったら口々に連絡先交換しようとか言い出してさあ。一応乗ってやったけど、どいつもこいつも次は二人っきりで会いたいってメール寄越してきたから、適当に断っといた。やっぱガキっぽいのはパスだなーって』
 と、のたまうのはつい去年まで中坊だった栄永花音さんであります。
 俺はかかってきた電話を軽い気持ちで受けてしまったのが運の尽き、さっきからこうして延々と愚痴混じりの恋愛トークに付き合わされている次第であります。一応こちらは受験生、しかも期末テスト直前という状況なのに、気配りってもんが皆無なのがこの女狐です。
 ちなみに現在は隣町の農業高校の高一男子たちと合コンした時の話にまで発展しており、同い年の男どものサービス精神のなさ、女子に不慣れなことが丸わかりな数々の言動、それでいて下心は隠さない鼻息の荒さなどに幻滅した栄永さんは、『やっぱ付き合うなら年上だよねー』との結論に至ったそうです。知らんがな。
『大地先輩クラスの人ってなかなかいないよねー。どっか妥協するとしても、とりあえず顔が好みじゃないとやだし、でもって頼れる人がいいし、付き合い出したら積極的にリードして欲しいし、でも下心しかない奴はきもいし……そうなったら同い年とかないじゃん?』
 気配りもできないくせに栄永はやたらと理想が高い。いいからお前はまず女の子らしい細やかさを身につけろ。本当に口が悪いったらない。
『ねえ先輩、さっきから黙ってるけど、私の話聞いてる?』
「まあそれなりに」
『ちゃんと聞いてよ! つか何か変な音すんだけど、何やってんの?』
「あ、悪い。あんまり話逸れるから床にコロコロかけてた」
 コロコロの粘着シートを剥がしながら答えると、栄永が耳元で怒鳴る。
『ちょっと! こっちは真面目な相談してんだけど!』
 真面目な相談っつったって、俺がまともにアドバイスしたら文句言うんだろどうせ。
 そもそも高校生男子に大人の男並みのエスコートっぷりを期待するのも無茶なら、可愛い女子を目の前にして理性を保てってのもまた無茶な話だ。ましてあそこの農高は共学とは言え女子の割合がめちゃくちゃ少なくて、それはもう飢えてる連中ばっかだからね。そこに性格はともかく見た目まずまずな他校女子との合コンの話が舞い込んだら、お祭り騒ぎどころの次元じゃなくなる。その気持ちは俺にだってよーくわかる。
 でもって、そういう男どもに冷たい目を向ける栄永が、同じようなことを誰かさんにしてるんだって事実はいいのか。
「あのな、栄永。一応言っとくけど男の側にだって選ぶ権利くらいあんだぞ。お前が好きなタイプの男が、お前みたいなお子様を相手にすると思うか?」
 真面目に助言してやれば、栄永は思った通りに不満を唱え始める。
『お子様って何! 黒川先輩には言われたくない!』
「いやいや、俺もお前に比べりゃまだ大人ですがな」
『またそうやって年上ぶって! 言っとくけど私、いくら年上でも先輩だけは論外だから!』
「心配すんな。俺もお前だけはないと思ってるから」
 同じように言い返しただけなのに、栄永は悔しがるみたいにむううと低く唸った。
 本当にめんどい奴だわ……いくら可愛くてもこいつだけはマジでありえん。
 大体、この中身もなけりゃ実益もないくっだらねー恋愛トークを、もうかれこれ二時間以上も続けてる時点でどうよ。よくもまあこんなにだらだら話し続けられるなと呆れるを通り越して感動すら覚えるね。時計を見れば既に夜の十一時半を過ぎていて、このまま栄永の愚痴を聞きながらコロコロかけながら新しい日の始まりを迎えるのかと思うと空しすぎる。俺だってどうせならこんなめんどいガキじゃなく、美人で優しいお姉さんと会話しながら輝かしい明日を迎えたいわ!
『あーあ。せめて大地先輩ともうちょい仲良くなれたらなあ』
 この二時間のうち、何度となくループしている栄永の願望がこれだ。どんなに話が飛躍しようと、愚痴を連発しようと、結局はここに落ち着く。もう何度目になるかわからん呟きだった。
 そして栄永にとって、年上で頼れてリードもしてくれる理想の彼氏を作る以上に厳しい難題でもあるだろう。
「無理だって。稲多くんには片野さんがいるんだから」
『だから! 付き合ってないんだったらどうにかなりそうに思えるじゃん!』
「どうにかなるんだったら、とっくに栄永じゃない他の女子と付き合ってるだろ」
『何それー。私に問題があるとでも言いたいわけ?』
「問題は大有りだけど、それ以前の話。あの二人に付け入る隙なんてないから」
 そうじゃなかったら俺も、上渡くんを止めたりしないって。
 栄永は誰よりも物わかりがよくないから、未だに粘ってみせてるようだけど、無駄だと思う。
『つか先輩、いっつもわかってるみたいに言うけどさ。逆に何で、あの二人が鉄板だって思うの?』
 物わかりの悪い奴が尋ねてきた質問に、俺は正直には答えられない。
 なぜかって言ったらそれは、俺が稲多くんと萩子ちゃんについて、栄永も、恐らくは上渡くんだって知らないことを知っているからだ。七年前に一度壊れかけて、でもそれらを見事に乗り越えて再び一緒にいるようになった幼なじみが、どうして鉄板じゃないと思えよう。
 幸せになって欲しい、とか、柄でもない考えかもしれないけどさ。俺もあん時は気持ちささくれ立ってて、俺以外にも嫌な目遭ってる子たち見かけて、本当に世の中ろくでもないなってガキなりに思ってたから。あの時の二人がちゃんと元通りになれたんだったら、何か、悪くない感じするじゃん。ろくでもないように思えて、捨てたもんじゃないとこもあんのかなって。
 ただまあ、元通りで満足してんなよ、とは正直思いますがね。あいつ、顔いいくせに思った以上にへたれ野郎だなーと。いや、七年前の出来事のせいでいろいろ慎重になってるっていう事情はわかる、わかってんだけど、五月からこっち、あんまりにも目に見えた進展ないもんだからこっちがやきもきするっつうの。
 いっそどうにかなってくれたら、栄永も黙るんだろうけどねー。
「異性の幼なじみなんて鉄板に決まってる。ましてやあの夫婦っぷり、割り込もうって方がおかしいわ」
 とりあえず口ではそう言っとく。
 当然、栄永は納得なんてしてくれない。
『幼なじみだからって鉄板とかずるくない? 生まれで全部決まっちゃうじゃん』
「生まれで全部決まるんだよ。知ってんだろ」
『えー、そんなの納得できないよ! じゃあ日本中の幼なじみは決まって鉄板なの? 違うじゃん』
 もちろん、世の中には幼なじみでも相性よくない間柄だってあるだろう。幼なじみだからって異性同士とも限らないし、異性だからって必ずしも恋愛感情持つわけじゃない。
 と言うか、生まれで決まるってのはその点だけじゃなくってだ。
 時々思うんだけど、栄永はどこまで自分の身の上を理解してるんだろう。こんなややっこしい存在に生まれついちゃった以上、男を顔や性格だけで選別して、合コンだの紹介だのって盛り上がってる余裕はないだろうに。年上だとか頼れるとか男前だとかっていう要素以前に、もっと気にしなきゃいけないところがあるはずなのに。
 そうやって作った彼氏が、お前の正体まで好きになってくれるかどうか、わかったもんじゃないんだぞ。
 だから俺は、何を言われても栄永に友達は紹介できそうにない。――ああ、一人だけなら問題ないのがいるけど。栄永もよく知ってる奴だ。少なくとも正体バレの心配はない。
「お前さ、上渡くんとかどう? 一応年上だし、頼れるって点では相当じゃん」
 思いつきで提案してみたら、
『はあ? いきなり何? つか何で会長? 黒川先輩並みにありえないんですけど』
 またきっつい物言いで否定された。ひでーな。
「けど女子には優しいし、頭いいから勉強も教えてもらえるぞ。お得だろ」
『だからって……』
「それにあいつと付き合ったら、交通費とか結構浮きそうじゃん」
『あ、それはありかも。でも会長とだと、時々話噛み合わないのがねー』
 とことん身勝手な栄永の返事を聞きつつ、いっそ一度痛い目に遭ってしまえ、などとは思えない辺りが俺の性格のいいところだ。いや善人は辛いなあ。
 と言うか、こんなくだらない電話に二時間以上も付き合ってる時点で俺も大概お節介焼きですよねー。切り時見失ったってのもあるんだけどさ。
『って言うか、あの会長に彼女ができるっていうのがまず想像つかないし。さっきだってさあ……』
 栄永は深い溜息をつく。
『私が大地先輩のことで相談したら、なぜか逆にお説教食らったんですけど。本当、石頭なんだから――』
 そしてそう言いかけた時、今度は吐いたばかりの息を全部吸い込むような勢いで、
『あっ!』
「うわっ、うるさいよ栄永! 耳元で大声出すな!」
 こめかみ辺りに響いた声に頭がぐらぐらした。なのに俺が呻いても栄永は悪びれるところか妙に慌てている。
『先輩! 先輩どうしよう、連絡網!』
「お前こそいきなり何だよ。ちゃんと説明しろ」
『だから連絡網だってば! 忘れてたの!』
「どこのだよ。クラスのか?」
『違う! 同好会の! さっき大地先輩に回して、もう萩子先輩のとこまで行ってるかも!』
 化学同好会の連絡網は上渡くんから始まって、栄永、稲多くん、萩子ちゃん、そして最後が俺、という順番である。
 それが萩子ちゃんまで回ってるかもってことは――。
「栄永。お前の言う『さっき』っていつ?」
 俺の問いに、栄永は珍しいほどのしおらしさで答える。
『く、九時過ぎくらい……だったかも……』
 呆然とする俺の傍らで、時計の長針と短針が十二の位置にぴたりと重なった。

 それからはもう、ばたばたでした。
 うろたえる栄永を宥めすかして連絡内容を聞き出し、萩子ちゃんには『連絡の内容は聞いたから電話は要らないよ』と説明及びお詫びのメールを送った。聞いたところによればたまにものすごく早寝するらしい萩子ちゃんは、それでも今夜はまだ起きていたようで、すぐに『よかった、繋がらないからどうしようかって思ってたんだ』などと返信をくれた。
 と言うかこれって、俺への電話待ちで起きてたってことですよね……。
 ああもう、栄永の馬鹿! 間抜け! お前みたいなうっかり狐に彼氏なんか百年早いわ!

 そして俺は連絡網アンカーとしての役割を果たすべく、同好会会長へ電話を入れる。
『意外と時間かかったな』
 上渡くんが驚いた様子で言ってきたので、俺はぐったりしながら訴える。
「あのさ、連絡網使うの止めない? 俺らには向いてないよ多分」
『なぜそう思う?』
「だって栄永がさあ……も、全部あいつのせいですから! この疲労感も時間の浪費も!」
『栄永が? 一体、何があったんだ?』
 何だか不思議そうに聞かれた。
「聞きたい? 長くなるよ。コロコロかけながら聞くくらいがいいかもだよ」
 だから俺が脅しをかけると、
『……なら、遠慮しておく。もう夜も遅い』
 俺ほどお節介ではない上渡くんは、あっさりと引き下がってみせた。ですよねー。

 この一件があったからかどうか知らないけど、連絡網はその後しばらく使われることはありませんでした。もしかしたら上渡くんが俺の苦労を酌んでくれたのかもしれないし、栄永が自らの振る舞いを反省してやめようと言ってくれた、なんてことはまずないと思うけど、めんどいからやめよっか、くらいは言ったのかもしれません。
 残念がってる人が一部にいたようですが、君らはもう同好会とか関係なしに交流持ってんじゃん! 連絡網の口実要らないじゃん! ってそのうち言ってやろうと思います。
 あ、栄永だけは話が別な。お前は早いとこ見切りつけなさい。お前にとって理想の彼氏も、そのうちどっかに現われるかもしれないし――他に何はなくとも、とにかく『理解』のある奴をお勧めしますがね、俺としては。
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