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家族の肖像(1)

 社会の最小単位は家庭であるという。
 自分という一個人が初めて出会う他者は、大抵の場合自らの家族となるだろう。もちろん家族だからと言って無条件にわかりあえるわけでもなく、人と人が接する以上はいくらかの軋轢や衝突もあるだろうし、むしろそうしてぶつかりあうことによって他人との接し方を学んでいくものだ。単純に言ってしまえば家庭とは、他人との接し方を学ぶ最初の訓練場であるのかもしれない。
 では、その家庭に何らかの欠陥が存在した場合、どのような影響があるだろうか。父親が子を疎み、母親は父親を憎み、両親が共に子育てを放棄した状態の家庭で育った子供は、果たしてどんな歪んだ成長をするのだろう。
 両親はよくわからない理由で絶えず口論をしていた。そのうちに母親が家を出た。父親曰く『勝手に出て行った』とのことだったが、後に何度か顔を合わせた母親は『あの人に追い出された』と主張していた。どちらにしても父親は子供に関心などなく、母親も子を連れて行く気はないらしかった。そのうちに父親には新しい女ができ、いよいよ厄介者となった子供はかつて祖母だった人の家へと追いやられた。
 その頃はまだ、外の世界を知らなかった。
 よその家庭がどんなものか、家族とは一般的に言ってどういうものか、何も知らなかった。
 俺にとっては自分が過ごしたあの家だけが、当時知りうる唯一の『社会』だった。他人との違いも、他人との接し方も、何一つ教わらないままだった。

 初めて澄江さんに会った時のことは、今も鮮明に覚えている。
 小学校に入ってすぐの話だった。両親が別れ、母が家を出て行き、父が新しい女を家へ連れてきた。入学式を終えたばかりだった俺は澄江さんの家へ行くように言われ、ランドセルを背負い、ドラムバッグを引きずるようにして一人で電車に乗り込んだ。
 小さな子供のうちは恐れ知らずだった。社会を知らなかったがゆえ、だったのかもしれない。自分がこの世界の中心で、他の人間はただの脇役か、書き割り程度の存在だと思っていた。だから切符の買い方を駅員に尋ねるのも、目的の駅で降りてから通りすがりの人間に道を聞くのも、何も怖くなかった。
 五月の港町は風が強く、時折砂が目や口に入ってきて酷く痛かった。からからに乾いた海沿いの道を辿り、漆喰の白壁が眩しいあの家まで歩いた。荷物の重さのせいで息が上がり、驚くほど汗をかいていた。それでも立ち止まらなかったのは、祖母と会えるのが嬉しかったからだ。
 澄江さんは俺の父方の祖父の、かつての妻だった。俺が生まれるよりもずっと前に祖父と別れ、以来この港町で一人きりで暮らしていると聞いていた。俺にとっては面識のない相手だったが、物怖じしない子供にとって祖母が怖い人間のはずもない。両親に捨てられた俺が、無意識に甘え依存できる相手として澄江さんを求めていたのも、今となっては疑いようのない事実だろう。
 初めて顔を合わせた時、澄江さんは家の前にいた。
 その頃から既に足腰が悪く、だから駅までは迎えに行けないと言われていた。だが家の前まで出て俺を待っていてくれて、姿が見えると少し微笑んでくれたようにも見えた。全体的に白くなった髪の毛には光沢があり、皺だらけの顔は柔和で、優しそうだった。
 小さな二階建ての家を背にして立つ、小さな姿の澄江さんを目にした瞬間、一人旅など怖くはなかったはずなのに堪らなく安堵したのを覚えている。
「あなたが、寛治さんね?」
 今思うとあの時、澄江さんもいくらか緊張していたような気がする。そう尋ねた声は震えていた。
「はい」
 俺はドラムバッグを足元に置き、背筋を伸ばして答えた。
「鳴海、寛治です。初めまして、おばあさん」
「……ええ。初めまして」
 一瞬だけ表情を曇らせた澄江さんは、その後で俺の荷物を持とうとしてくれた。だが腰の曲がった老婦人にそんなことはさせられないと、自分で家の中へと運んだ。
「寛治さんは力持ちなのね」
 そんなふうに誉められて、くすぐったい気分になったことも覚えている。もしかすれば俺の記憶にある中で、生まれて初めて他人に誉められた瞬間、だったかもしれない。

 澄江さんが暮らす家は、いつも潮風の匂いがしていた。
 風通りがよく、それでいて外とは違い、砂が目や口に入ることはない。守られているような気がして、初めて来た時からとても居心地が良かった。
 長い道のりを一人で辿ってきた俺を、澄江さんはひとしきり労った後、よく冷えた麦茶を用意してくれた。
「くたびれたでしょう。お菓子でもどうぞ」
 それから、和菓子をいくつか振る舞ってくれた。
 俺は子供時代から甘い物があまり好きではなかった。食事を用意しない母親が代わりに寄越したのが、生家の仏壇に供えられていた菓子類だった。おかげで今では見るのも嫌なほど苦手だが、当時はまだ、飢えを解消する手段として我慢しながら食べられるだけの根性があった。
 それに、俺がお菓子に手を出さずにいると、澄江さんが寂しそうな顔をした。
「もしかして和菓子は苦手かしら? ごめんなさいね、あなたくらいの歳の子の、好きなものってよくわからなくて……」
 そう言われてしまえば食べずにはいられない。
 ただでさえ目の前のこの人は、これから自分が世話になり、縋って生きていかなければならない相手だ。この人を悲しませてはならないということは、小学生の俺にもわかっていた。
 だから和菓子の包み紙を開き、現われたもなかを食べた。ぱさぱさした皮と甘い粒餡のおかげで酷く喉が渇いた。最後の方はほとんどお茶で流し込むようにして食べきった。
「美味しかったです」
 お菓子を食べ終えた俺がついた嘘を、澄江さんは運悪く見抜けなかった。その上、俺の好物を知ったことに喜び、顔を綻ばせていたから、俺は真実を打ち明ける機会を完全に逃してしまった。
「そう。じゃあたくさん食べてちょうだい。和菓子だったらたくさんあるから」
 彼女は俺が甘いお菓子を、特に和菓子を好んでいると思い込んだようだった。おかげでその日から始まった澄江さんとの生活で、俺は事あるごとに『大好物』を振る舞われるようになった。それは数年後、俺が嘘をついたことを打ち明け、澄江さんに対してきちんと詫びるまで続いた。
 俺の人生において、澄江さんという人がどういう点でも悪い影響を及ぼしたとは断じて思いたくないのだが――甘い物嫌いという点においてだけは、あの人の影響も全くないとは言えないだろう。俺の甘い物に対する嫌悪はその後、とある人物と出会うまで、わずかなりとも解消されることはなかった。

 ともかくも、俺と澄江さんの共同生活はぎこちなく幕を開けていた。
 俺が訪ねた最初の晩、夕飯の前に澄江さんは、俺にこう言い聞かせた。
「私はもうあなたのおばあさんではないの。だから『澄江さん』って呼んでちょうだい」
 その言葉に、幼いながら何の疑問も抱かなかったわけではない。
 ただ当時、俺には澄江さんしかいなかった。あの人の言葉は絶対だった。だからすぐに頷き、その呼び方を受け入れた。
「じゃあ、よろしくお願いします。澄江さん」
「ええ。よろしくね、寛治さん」
 正直に言えば、俺より何十と年上の人を名前で呼ぶことに抵抗がなかったわけではない。家族のことは『おじいさん』『お父さん』『お母さん』と呼んでいたから、それならなぜ澄江さんは『おばあさん』と呼んではいけないのだろう。小さなうちは全く訳がわからなかった。
 それ以外の点では、澄江さんとの二人きりの生活は概ね順調だった。
 澄江さんは優しい人で、しかし俺を不必要に甘やかすこともなく、箸の持ち方すら覚束なかった俺に一通りの礼儀作法を教えてくれた。予防接種を済ませていなかった俺が水疱瘡や風疹に罹った時は、高い熱に苦しむ俺の傍にいて、甲斐甲斐しく看病してくれた。四月二十九日、俺が生まれた日を世界で唯一覚えてくれていて、その日はちらし寿司を作ってお祝いしてもらったのも忘れがたい思い出だ。
 春の日のように暖かく、穏やかな記憶があの家には残っている。
 そのうち俺も澄江さんに対して、義務的でも依存的でもない親愛を抱くようになっていた。この人の為に何かしてあげたい。助けになりたいと思うようになり、率先して家事を手伝った。足腰の悪い澄江さんに代わって買い物へ出かけ、台所に立ち調理の手伝いをした。いくつかの献立を習ってからは、時々代わりに食事の支度もした。初めのうちは大して出来もよくなかったはずだが、俺の作ったものを澄江さんはいつも、美味しいと言って喜んで食べてくれた。
 それから、俺に読書の楽しみを教えてくれたのも澄江さんだった。あの家の二階には古い蔵書を貯め込んだ書庫があり、澄江さんはそこで時々本を読んでいた。俺にも立ち入ることを許してくれ、好きなものを読んでいいと許可もくれた。ただ小さな子供にはいささか難しい本ばかりだったから、俺が本格的に読書を始めたのはもう少し先の話だった。初めのうちは読書をする澄江さんの隣に座り、潮風と古い本の匂いが混ざり合う空間でただ静かに過ごしていた。
「この本は、全部澄江さんが集めたものなんですか?」
 一度、俺はそう尋ねたことがある。
 すると澄江さんは穏やかな顔つきでかぶりを振った。
「いいえ。あなたのおじいさんが集めて、ここに残しておいたものなのよ」
 俺が小学生の頃は生家にまだ祖父がいた。ほとんど自室に篭って過ごし、食事も自分一人だけで作って食べ、俺や俺の両親とも顔を合わせたがらなかった祖父について、俺はどういう感情も抱けなかった。澄江さんも祖父のことはほとんど話そうとしなかったが、必要があって口にする際は、こんなふうに穏やかで、懐かしむような表情を見せていた。

 だが二人きりの生活が平穏で暖かくても、あの家を一歩離れると、俺はたちまち庇護を失った。
 入学式を迎えたのとは違う小学校に通い始めた俺は、程なくしてクラスから孤立した。幼稚園にも行かせてもらえず、生家にいた頃は外で遊んだこともなかった俺に、小学校での集団生活はあまりにも過酷だった。誰とも馴染めず、誰とも仲良くできなかった。
 そこへ俺の家庭事情の特殊さが拍車をかけた。田舎町ともなれば噂の伝播は恐ろしく速く、すぐに俺が両親に捨てられたこと、祖母ではない人と暮らしていることなどをクラスメイトに知られてしまった。おまけに澄江さんはあの町では評判のいい人ではなく、むしろ若いうちから家を持ち、隠棲してきたことが災いして、根も葉もない卑しい噂を立てられていた。大人たちは外出する澄江さんを見かける度にひそひそと囁きあい、彼女の隣を歩く俺にも険しい目を向けてきた。
 大人たちのそういう空気を、子供は敏感に察するものだ。やがて俺はごくありふれたいじめを受けるようになった。面と向かって親がいないことをからかわれた。文房具やノートを隠されたり、捨てられたりした。幸いにも父親から不相応なくらいの小遣いは与えられていたから、失くしたものは黙って買い直せばよかった。だが数人の上級生に取り囲まれ、理不尽な理由から殴られ顔を腫らして帰った時は、どうにも誤魔化しようがなかった。俺の無様な姿を見た澄江さんは声を上げて泣き伏せ、俺も澄江さんを悲しませてしまったことに、どうしようもない苦痛を覚えた。
 そうしてだんだんと、自分のことがわかってきた。俺の家庭が普通ではないらしいこと。クラスの他の子供たちは皆、俺のような暮らしはしていないらしいこと。俺が、生まれてからずっと、もしかしたら酷い目に遭ってきたかもしれないこと――。
 大人になった今なら、虐待を受けてきたのだとわかる。だが小さかった俺にはそう気づけるだけの判断力などなかった。親に捨てられた不幸も、いじめられている惨状も、澄江さんと二人だけの暮らしも、特別おかしなことではないと思い続けてきたのだ。
 胸に芽生えた小さな疑問を、俺はある日、澄江さんにぶつけた。
「澄江さんは僕のおばあさんですよね?」
 こちらの問いに、澄江さんは静かに答えた。
「いいえ。今はそうではないの」
「でも、僕と澄江さんは家族です。それは間違いないでしょう?」
 クラスの連中が俺を指差して、お前には家族もいないくせに、などと度々罵ってくるのが癪に障っていた。確かに俺には両親などいないのも同じだったが、それでも澄江さんがいてくれたのに。
 だが、澄江さんは首を横に振った。
「いいえ」
 きっぱりと答えた後で、悲しそうな顔をして続けた。
「あなたにはお父さんと、おじいさんがいるでしょう。あなたの家族はあの人たちだけよ」
 俺はその答えに納得がいかなかった。
 父親や祖父が俺の家族だというのなら、どうしてクラスの他の連中みたいに一緒に暮らしていないのだろう。俺を慈しみ、案じてくれるのは澄江さんだけだった。俺の誕生日を覚えていて、祝ってくれたのも、やはり澄江さんだけだった。そんな人をどうして家族と呼べず、俺を捨てた人間を家族と呼ばなければならないのだろう。

 やがて俺は、本を読み始めた。
 最初はただの逃避行動だった。家で何もせずにいるといろんなことを考えてしまう。学校でクラスメイトから言われた悪口への悔しさ、振るわれた暴力への痛みや恐怖、俺の本当の家族だという父親たちのこと、俺の家族ではない澄江さんのこと――考えないようにする為に、暇を見つければすぐに読書に没頭した。
 物語の中には様々な人間がいた。彼らにはそれぞれ異なる人生があり、それぞれ異なる家庭事情を持っていた。俺と同じ身の上の主人公はなかなか見つからなかったが、同じくらい普通ではない登場人物ならいくらでもいた。血の繋がりがあっても憎しみあう家族の話もあれば、他の家族から嫌われ爪弾きにされる話もあった。温かい家庭がたった一つの事件から壊れてしまう話もあれば、親の愛を受けていながら破滅の道を歩む主人公の話もあった。
 そうして本を読んでいくうち、俺は、この世界の仕組みに気づいた。
 この世界は俺一人を中心にしてできあがっているわけではない。
 誰もが皆、歩んできた人生と生まれ育った家庭に基づき、それぞれの人格、意識を有している。
 であれば、きっと各々理由があるのだろう。俺を捨てた父親にも、出て行った母親にも。他人との関わりを拒む祖父にも、その祖父と離縁した澄江さんにも。俺をいじめ、悪口を言うクラスメイトにも。俺を殴ってきた上級生たちにも。澄江さんを白い目で見る町の大人たちにも、この世で働く全ての善意と悪意にも、誰かの意識が必ず、それぞれの理由で働いているのだろう。
 だがそうと気づいた時、かえって酷く悲しくなった。理由を持って捨てられた自分が惨めで、みすぼらしい存在に思えた。何の理由もない悪意であった方がよほど気が楽だった。そうまでして疎まれる理由が、子供のうちはちっともわからなかったのだ。
 何冊か本を読み終えた後、俺は思った。

 温かい父親と優しい母親のいる、普通の家庭に生まれてみたかった。
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