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家族の肖像(2)

 小学五年の頃だっただろうか、何の前触れもなく急速に背が伸びた。
 澄江さんの下で健全な食生活を送ってきたからか、身体的な成長は早くに訪れたようだ。小学生のうちに声が変わり、顔つきからもあっという間に幼さが抜けた。身長はクラスでも頭一つ分飛び抜けるほどになり、それに伴い手足も随分と伸びた。
 この身体的な成長は俺の学校生活に思いがけない変化をもたらした。それまでに受けていた理不尽ないじめが徐々に減少し、やがてぱたりと止んだのだ。体格で優る人間に好んで喧嘩を売ろうという馬鹿は子供だろうとそうそういない。殴り合いになってもリーチの長さは有効に働き、どうにか殴り返せるようにはなっていた。

 それまでの俺は言わば誰もが安全に、何の罪悪感や痛みもなくいじめることができるサンドバッグのような存在だった。俺に何をしようと怒って飛んでくるような親はいないし、更には健全ではない家庭の生まれだ。大人たちからも白眼視される俺は、他の子供たちからすればいじめの免罪符をぶら下げた格好の獲物だったことだろう。俺自身にも反抗心を持つだけの気骨はなかった。ただその時が早く過ぎればいいと願うばかりの、サンドバッグとしてまさに最適な子供だった。
 しかし背が伸びて視野が広がるとたちどころに世界が変わった。
 見下ろせるような位置にいる連中が俺に対して粋がるのがどうにも馬鹿馬鹿しくてならなかった。体格差のおかげで一度殴られたくらいでは吹き飛ばなくなり、びくともしない俺を見て連中が悔しがるのが滑稽だった。殴りこそしないが悪口を言いたがる小心者の連中は、目つきの悪さを生かしてひと睨みすればすぐに逃げていった。まして連中は揃いも揃って頭が悪く、語彙も貧弱だった。口論ともなればまず負けることはなく、言い負かした末に相手がべそべそと泣き出した時は嗜虐的な快感すら覚え、内心で快哉を叫んだ。
 つまり俺は、他人よりも早い身体的成長を遂げていながら、精神的には周囲の誰よりも成長が遅れていたということなのだろう。もっと幼いうちに経験するような子供ならではの残虐性を遅れて身につけたせいで、この頃は誰の手にも余る、生意気で不健全な子供へと変貌しつつあった。元より誰からも好かれてはいなかったが、いじめがなくなった代わりに一層忌み嫌われ、遠ざけられるようになった。
 そして俺にとっての苦痛は、後から覚えた嗜虐の快感がそう長続きするものではないということだった。
 クラスメイトを馬鹿にして泣かせてやった直後は誇らしい気持ちにさえなったが、そのうち焼きつくような空しさに襲われた。誰かを言い負かしたところで得るものなどなく、勝者に与えられるのはより一層の孤独と、告げ口の果てにやってくる教師からの糾弾だけだ。
 生意気で不健全で、手負いの獣のように攻撃的な子供を好んで相手にしたがる者などいるはずもなく、俺は相変わらず爪弾きにされたままだった。

 友達が欲しいと、いつからか漠然と思っていた。
 物語の中の主人公には、大抵の場合、誰かしら友人がいた。家族がいなくとも無二の親友はいる、という者もいた。しかしどうやって友人を得、交誼を結ぶのかという詳細を綴った作品はあまり多くなく、あったとしてもそれは波瀾万丈の人生の中で追い詰められながら育むような友情で、つくりものの物語に逃げ込む小学生の疑問に応えてくれる代物では決してなかった。
 友達の作り方を知りたかった。
 もっと言えば、友達でなくてもよかった。ただの話し相手でもよかった。俺を好いてくれなくても、理解してくれなくてもいい。とにかくまともに口を利いてくれて、俺の話を聞いていくらかの返答をくれるような、そういう相手が欲しくなった。
 澄江さんは保護者としては文句のつけようもなく、俺を深く慈しみ育ててくれた人だが、おしゃべりを覚え始めた生意気な小学生の話し相手としては適した人ではなかった。俺が話に熱中しすぎて長々喋り続けると、澄江さんを酷くくたびれさせてしまうようだった。会話の間に時々、頭痛を堪えるようにこめかみや眉間を押さえる澄江さんを目の当たりにすれば、俺も口を噤む他なくなる。
 それに、澄江さんは思っていたよりも読書家ではなかった。俺が読書の楽しみを覚え、自分の小遣いから好みの本を買い揃えるようになると、次第にそのことがわかってきた。
 ある時、俺と澄江さんは町外れをぶらぶらと散歩していた。澄江さんがゆっくりと、足に負担をかけないようにしながら歩くのに寄り添い、人気の少ない辺りを歩いた。ちょうど行く手に田舎らしい小さな療養所が立っているのが見え、そこの庭に生えたエニシダがちょうど花期を迎えて鮮やかに咲き誇っていた。目に眩しいくらいの黄色い花を眺めながら、俺はふと思い出し、当たり前のように澄江さんに告げた。
「エニシダと言うと『風立ちぬ』を思い出しますね」
 物語の中で節子が、この花の名前を主人公に伝える場面があった。あれもちょうど、病院の庭に咲いているエニシダの花のはずだった。
 しかし俺の言葉に澄江さんは目を丸く見開いて、
「そうなの?」
 と聞き返してくるだけだった。
 俺は澄江さんの反応が意外だった。というのも、彼女が家の書庫にある『風立ちぬ』を幾度となく開いては読み耽っているのを見たことがあったからだ。
「澄江さん、『風立ちぬ』は読まれているでしょう。堀辰雄です」
 驚いて聞き返すと、澄江さんは困ったような顔つきで俺を見上げた。
「そうねえ……。私はいつも、適当に開いたページから少しだけ、場面をつまみ食いするようにしか読まないの。目が良くないから一息にたくさん読むと、頭が痛くなってしまうのよ」
 だから、読んだ本の内容はあまり覚えていないのだと、澄江さんは言った。
 そういうものかと俺はがっかりした。澄江さんと読んだ本についてもっとたくさん話せたらいいのに、と日頃思っていたからだ。澄江さんの答えを聞いた俺は一層話し相手が欲しくなり、どこか申し訳なさそうに俺を見上げる彼女に対し、言い表しようのない寂しさを覚えた。
 大人になった今は――祖父が残した本を幾度となく開いては、内容を覚えていられないほど物思いに耽るあの人に、当時とは別の寂しさを抱いている。

 文章を書き始めたのもちょうどこの頃だった。
 きっかけは学校で作文の課題が出されたことだった。テーマはありがちだが『家族について』で、俺は原稿用紙と向き合いながら数日間本気で悩んだ。ありのままを書くのは嫌だった。親に捨てられたことも、澄江さんが俺の家族になってくれないことも、今更誰にも言いたくなかった。よほど白紙で出してやろうかとも思ったが、それで叱責されるのも癪だったから考えを変えた。
 自分なりに想像を巡らせて、俺が思う家族の肖像を描いてみることにした。
 物語の中にはいくらでも存在していそうな、ありふれた家庭だった。厳格な父親は子を叱る加減がわからずに子に反発され、温厚な母親は泣く子を慰めつつも父親を面と向かって咎めることができない。そうして子は両親に反発しながら、自立の道を歩んでいく――あまりにも平凡でありがちな筋書きだが、同時にこんなものを書く小学生の生意気さというものもよくよく表れた作品と、我ながら思う。
 何にせよ、教師は作文ではなく短編を仕立てていった俺を叱った。更には文章がしっかりしすぎているからと、さもどこぞの作品を剽窃したように疑いもしたが、俺が自分で書いた文章だと知ると呆れつつも誉め言葉をくれた。
「鳴海くんは将来、作家になったらいいんじゃないかな。文章は丁寧だしきれいだから、もしかしたら才能があるかもしれないよ」
 そのおざなりな誉め言葉が、幼かった俺の心に響いたはずもない。
 だが、そういう選択肢があるとわかったことは、俺にとってとても大きかった。
 思えば、自分自身のことを話すのは苦手だったが、本について、物語について話すといくらでも言葉が滑り出てきた。それを声ではなく文章にして紙の上に吐き出すと、言葉は一層スピードを上げて次から次へと湧き返り、溢れていった。初めのうちはただ書き散らかしただけだった文章がやがて繋がり、一つの場面が描き出され、それらがいくつもいくつも連なって一つの物語となる。架空の話を組み立て、築く楽しさをこの時知った。
 先の教師の懸念も実は的外れではなく、俺の書く物語は当初、どこかで見たような真似事ばかりのつくりものだった。しかし書いていくうちに、文章そのものよりもその中に生きる人間について考えるようになった。物語の中の人間にもそれぞれの人生が、家庭が、人格がある――その人生を考え、想像を膨らませていくのがとても楽しかった。自分ではない人間の話を細部にわたって作り上げることに、俺はたちまち夢中になっていった。
 中学に上がってからは、読書よりも創作に時間を割くことが多くなった。澄江さんも俺の書いたものは喜んで読んでくれたし、丁寧な感想もくれた。
「将来、作家になりたいと思っているんです」
 そう打ち明けた時、澄江さんはあまり驚かなかった。初めからわかっていたみたいに頷き、微笑んでくれた。
「寛治さんならきっとなれるでしょうね。今にあなたの書いたお話が、日本中どこのお店にでも並ぶようになるわ」
 澄江さんは少々俺を過大評価するきらいがあるが、とは言え俺も同じ夢を胸のうちに描いていた。
 大勢の人々に、俺の書いた物語を読んでもらいたい。
 話し相手が欲しかった。俺の話を聞いて、何がしか思ったことを打ち明けてくれるような存在が欲しかった。架空の物語を通して、誰かに俺の考え、思っていることを知って欲しかった。
 俺が作家になって、物語が本になれば、手に取ってくれる人もいることだろう。俺という一個人を知らない人が、俺の話を読んでくれるようになるだろう。他人との付き合い方を知らず、誰からも疎まれるばかりだった俺の言葉が、いつか誰かの心に響くということもあるかもしれない。
 たったそれだけ、叶えばいいと思っていた。
 あとは澄江さんの傍で、老いていくあの人を支えてひっそりと暮らしていけたらいい。
 他には何も望むものなどなかった。ないつもりだった。

 だがその夢が叶うよりも早く、俺は澄江さんの元から引き離された。
 中学三年の春、俺は父によって生家に呼び戻されたのだ。
 父は俺を捨てておきながら時折父親ぶったことを言っては、長期休暇の度に顔を見せるよう命じてきた。俺はそんな父が疎ましかったが、澄江さんの家にいる間の生活費をくれる存在とあっては逆らいようもなかった。父の傍にはいつも違う顔の女がいて、俺はそのことをとても気まずく思ったし、女の方もあからさまに俺を歓迎していない様子だった。
 その父の放蕩ぶりが祟り、とある女との間に子供ができた。父は女に関しては飽き性で長続きしないようだったが、子を設けてしまうとさすがに切り捨てようがなかったらしい。その女と再婚すると言い出した。それならそれで新しい家庭でも築いていけばいいものを、先妻との間の子を放棄したとなると外聞が悪いとでも思ったようだ。今更のように俺を息子扱いして、共に暮らすよう命じてきた。
「それに、あんな田舎じゃろくな教育も受けられまい」
 俺を呼び寄せた父は、ぬけぬけとそんなことまで言ってきた。
「こちらで大学まで行くといい。学費は出してやるから安心していいぞ」
 父の隣では新しい母となるらしい若い女が、膨らみかけた自らの腹を撫でていた。その優しげな仕種とは対照的に、俺を見る目は爛々と輝いていて、家庭に入り込んできた乱入者を警戒しているのがありありとわかった。
 俺はどうせなら澄江さんの傍にいたかった。だが父の言葉に逆らえば俺だけではなく、澄江さんまでもが辛い思いをすることとなる。澄江さんの暮らしを支えているのが父からの送金だという事実も知っていたから、やむを得ず父に従うことにした。

 生まれ故郷の、一年間だけ通った中学校での思い出は特にない。
 卒業を控えて団結したがるクラスに馴染めるはずがなかったし、相変わらず俺は友人の作り方を知らないままだった。修学旅行にも行ったが、一人で書店や図書館を巡り、空いた時間で創作に耽るような過ごし方をした。俺のそういった生活態度は父の耳にも入っていたはずだが、心配されることも咎められることもなく、家の中でも放ったらかしにされて過ごした。
 そんな父も、高校受験に際しては偉そうに口を挟んできた。向陽という、地元でも指折りの私立進学校を受験するようにと言ってきたのだ。何でもそこは祖父の、そして父の母校でもあるらしかった。俺もそこへ通うことができれば箔がつくということらしい。
 しかし俺にはこの時、別の目論見があった。向陽は父の家からは程近く、自転車で十五分もあれば着いてしまえる距離にある。ここへ受かってしまえば家から通わなくてはならない。既に新しい母には子が生まれていて、赤ん坊の泣き声が絶えず響くこの家に留まることは俺には耐えられなかった。違う高校、それももっと遠くへ通うようになれば、通学の為に一人暮らしをする許可も得られるかもしれない。
 結果として俺は、向陽の受験にわざと失敗した。
 だが不合格の知らせを受けた父は、俺が思っていた以上に落胆し、失望してみせた。ずっと捨て置いていた息子に期待を寄せていたというのも妙な話だと思うが、俺の中学での成績が申し分なかったせいで、合格できるものと信じて疑わなかったらしい。公立の方は易々と合格を決めた俺が『一人暮らしをしたい』と申し出ても耳を貸すことはなく、金の詰まった財布だけを寄越して、制服や学用品を自分で揃えるように命じてきた。

 かくして俺は目論見を外し、電車で何駅も先にある県立高校へと通う羽目になった。
 県立東高校。名前もシンプルなら制服も実にシンプルな黒一色の学生服で、地元ではあまり人気がないようだった。校則がやや厳しいことでも知られており、ここへ入るとアルバイトができないからと敬遠する向きもあるらしい。しかし県下の公立高校の中では唯一とも言える進学校であり、向陽などの私立に落ちたもの、あるいは経済的な理由などから私立校には通えない進学希望者が集まる高校だと言われている。
 東に通い始めた頃、俺は内心後悔していた。
 どうせ家を出ることが叶わないなら、素直に向陽に受かっておくんだったと何度も思った。
 しかし俺がこの時向陽に受かり、東高校に通っていなければ、とある人物と出会うこともなかったはずだ。巡り会わせとは不思議なもので、時折つくりものの物語よりも入り組んだ展開を見せることがある。これを運命などと甘ったるい呼び方をすれば、こちらの気も知らずに浮かれて喜ぶ奴がいるから、俺はあえて違う呼び方をしようと思う。
 合縁奇縁とはよく言ったものだ。
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