佐藤さんと僕の待ち合わせ

 僕と佐藤さんは、よく待ち合わせをする。

 晴れて東高校を卒業した僕らはごく普通にお付き合いをしていて、その過程で休日に、こうして駅前なんかで落ち合う約束をする。
 二人で会うのは初めてじゃないし、高校在学中からデートくらいはしたことある。だけど何度場数を重ねても、こうして彼女を待っている間はそわそわする。
 いや、緊張してるわけじゃない。佐藤さんと会うのに緊張なんてしない。僕らは二年間もクラスメイトだったんだから、今更二人で会うくらいで前の晩眠れなくなったり、落ち着かない気分になったりはしない。
 ただ昨夜はベッドに入ってから雑誌を読んだりしたせいで寝不足だった。そして今日はとてもいい天気なので手のひらに汗をかいている。日なたに立っているせいで頭が熱くて、その熱が全身に回っているような気もする。
 たったそれだけのことだった。

 それにしても、佐藤さんが来ない。
 何かと鈍くてとろい佐藤さんは、それでも待ち合わせにあまり遅刻をしてこない方だ。
 人を待たせるのが好きではないと言っていて、だから誰かと待ち合わせをする時はなるべく早めに家を出るのだとも話していた。現に僕と会う時は約束の二十分も前から待ち構えていることがあって、少し気が急いた僕が早めに待ち合わせ場所へ向かうと、それよりも先に来ていた佐藤さんが笑顔で手を振っている――なんてこともよくあった。
 多分それは、彼女が昔、辛い待ちぼうけを食らったせいでもあるんだと思う。僕はこの件に関してはあまり、と言うかできればもう二度と思い出したくもないんだけど、でも佐藤さんのことだからどうしても忘れられない。僕ならそんなことはしないと言い切れるし、佐藤さんも今はそう思ってくれている。だから彼女が二度とあんな思いをすることはないし、心配も要らない。
 心配と言うなら今の佐藤さんだ。既に待ち合わせの五分前だというのにまだ来ていない。
 まさか何かあったんじゃ、なんて気を揉むには少し早いかもしれないけど、佐藤さんならあり得る。いつもならこんなに遅くはならないからだ。

 もしかして連絡が来ているかもしれない。そう思って携帯電話を確かめたけど、メールも着信もなかった。
 だったらやっぱり、何かあったのかもしれない。
 そう思ってきょろきょろと辺りを見回すうち――。

 ふと後ろを振り返った僕の目に、佐藤さんの姿があっさり映った。
 佐藤さんは白いオフショルダーのワンピースを着ていた。以前、二人で買い物に行った時に僕が勧めた服だ。それを着ていれば佐藤さんも格段に大人っぽく見えるんだけど、いかにも運動音痴っぽいもたもたした動きと、醸し出す雰囲気はいつものままだった。僕は人混みの中から佐藤さんを見つけ出すのが得意で、今も人で溢れた休日の駅前の風景からいともたやすく彼女を見つけた。
 だがどういうわけか、佐藤さんは僕が振り向いた途端、出来の悪いスパイみたいな動きで近くの街路樹の陰に飛び込んだ。

 ……何だ?
 今の反応、まるで僕に見つかるまいとしているようだった。ちっちゃい子がやるかくれんぼみたいな。でもどうして僕から隠れる必要があるんだ。
 僕は気づいていないふりを装いつつ、辺りを見回しながらさりげなく視界の隅で彼女を捉えた。
 佐藤さんは僕が振り向きかけると隠れるけど、僕が顔の向きを戻そうとすると街路樹の陰から首を出す。そして抜き足差し足でこちらへ近づいてくる。どうも、僕の背後を取ろうとしているらしい。
 ということは、まさかと思うけど、僕を驚かそうなんて子供じみた考えでいるのか。
 佐藤さんがじりじりと近づいてきたので、僕は首を動かすのをやめ、正面に向き直ってから携帯電話を操作した。ミラーアプリを立ち上げて、画面を見るふりして僕の背後を映し出す。
 既に佐藤さんは表情がわかるくらい傍まで来ていて、画面にはいたずらっ子にしては無邪気な彼女の笑顔が映っていた。
 せっかく可愛い服を着てきたのに、何やってるんだか。

 ともあれ彼女の魂胆はわかった。
 恐らく僕の背後から『わっ』と声をかけるか、あるいは肩をとんとんとつつくかして、僕が度肝を抜かれる姿を見ようと思っているんだろう。
 そういういたずらは佐藤さんらしくないと思うけど、同時にその子供っぽさはすごく佐藤さんらしく感じる。まあ、そういうところも可愛いと言えなくもないんじゃないかな。佐藤さんなら。
 ただ、僕はいち早く彼女に気づいてしまった。
 こういうことは対象に気づかれると上手くいかないもので、僕は佐藤さんが期待するほどには驚けないだろう。そうすると佐藤さんはがっかりしてしまうかもしれない。
 それに、僕もこの人通りの多い駅前であっさり彼女を見つけてしまったことを、多少気恥ずかしく思っている。いつもなら早くやってくる彼女より先に待ち合わせ場所に到着してしまって、佐藤さんが来ないからと落ち着きなくきょろきょろして、そして人混みの中からたやすく佐藤さんを見つけ出す。まるで僕が佐藤さんを待ちきれなくてみっともなくうずうずしているみたいだ――いや、事実そうなのかもしれないけど。そうだとしても、そうと見られたくないのが男心というものだ。
 だから僕は佐藤さんに気づいていないふりをしてあげなければいけない。
 彼女が背後に立ち、『わっ』と大きな声を上げたら、さも不意を突かれたというように大げさに驚いてみよう。佐藤さんが来ていることなんて気づかなかったよ、みたいな態度で――多分その方が佐藤さんも喜ぶ気がする。

 僕は携帯電話の画面で佐藤さんの姿を確かめる。
 彼女はもうあと三メートルほどの距離まで来ていた。僕が気づいているなんて知りもせず、にこにこと屈託のない笑顔で距離を詰めてくる。
 そろそろかな。僕は迫真の演技を見せようと、静かに深呼吸をした。耳を澄ましていれば彼女の押し殺した息遣いが聞こえてくる。そして足元に落ちた僕の影に、彼女の影がそっと重なった。
 来るか、と思った時だった。

 突如、僕の背中に誰かがぶつかってきた。
 と同時に僕の目が、柔らかい両手で覆われた。
「山口くん、だーれだ?」
 その声は深く考えるまでもない、耳によく馴染んだ佐藤さんの声だった。
 だけど、僕は息が詰まってしまって即答できなかった。
 佐藤さんの行動が僕の予想から外れてしまったせいでもあるし、僕の視界を遮る彼女の手が温かくて、本当に柔らかかったせいでもある。
 もしくは僕の方が背が高いせいで、僕の目を覆うには手を上へ伸ばさなければいけなかった佐藤さんが、僕の背中にぴったりと自分の身体をくっつけてきたせい、かもしれない。
 ともかく僕は危うく握っていた携帯電話を落っことすところだった。
 慌ててそれを握りしめながら、心臓が飛び出てきそうな口を開けてどうにか応じた。
「さ……佐藤さん、だろ? 普通にわかるよ……」
 僕の答えを聞いた佐藤さんは、僕の目からゆっくりと手を外した。
 そして僕の背中から身体を離すと、背後から顔を出して僕を見上げてくる。
「せいかーい! すごいね、山口くん!」
 そう言った瞬間の佐藤さんは屈託なく笑っていた。
 でもすぐに、心配そうな顔をする。
「あっ、ごめん。そんなに……驚かせちゃった?」
 そんなに驚いた顔を、僕はしていたんだろうか。
 そりゃちょっと動悸は激しくなっているけど、それは驚いたからというよりは――いや、一応驚いたことに変わりはないか。何だかまだ背中が熱い。
「だ、大丈夫だよ。別に」
 僕は慌てて首を横に振る。不安げに僕を見上げる佐藤さんに向かって、続けた。
「そんなに驚いてないよ。と言うか僕、気づいてたんだ」
「え? 本当?」
「うん。佐藤さんがにこにこしながらこっちに向かってくるの見えてたし、驚かそうとしてるのわかってた」
 それは嘘でも何でもない本当のことだったけど、今言うとなぜか負け惜しみみたいに聞こえてくるから不思議だ。
「そうだったんだ……」
 佐藤さんは納得したように頷き、それから安堵の笑みを浮かべた。
「山口くん、すごく目を丸くしてたから。てっきり驚かせすぎちゃったかなって」
「まあ……多少は驚いたよ。驚かせるにしてもいきなり声をかけるとかだろうって思ってたし、それなら僕も多少は驚いてみようかなって身構えてたけど、まさかそうくるとはさ。意外だったよ」
 嘘じゃないのに僕の説明はどこまでも言い訳がましい。まだ動悸が収まらないせいかもしれない。
「それも考えたんだけどね」
 彼女はそこで照れたように頬を赤らめた。
「でも山口くんだったら、声だけでも私だってわかってくれる気がして……変だったかな? こういうの」
 声どころか、僕は佐藤さんだったら遠くから見たその動きとか、雰囲気だけでわかる。
 そういうのだって別に変じゃないと思う。付き合ってるんだから、普通のことだ。
「変じゃないよ。僕も佐藤さんの声ならわかるし」
 僕がそう告げると彼女は喜んだみたいだ。赤い頬のまま微笑んで、僕のシャツの袖を握る。
「ありがとう、山口くん。わかってくれて嬉しいな」
「だから、そんなの当たり前だって」
 言葉では軽くあしらった僕だけど、顔が緩んでくるのを抑えきれなかった。もちろん佐藤さんにもばっちり見られて、ますます嬉しそうにされた。
「そうだよね。山口くんはすごい人だもん、絶対わかってくれるよね」
 そこは『すごい人だから』じゃなくて別の言い方をして欲しいところなんだけど、僕も訂正する余裕はなかったし、何より佐藤さんが喜んでいるみたいだからよしとする。
 とりあえずデートを楽しむ為にも、早く気持ちを落ち着けて、佐藤さんの手を握らないと。

 僕と佐藤さんはよく待ち合わせをするけど、そのくらいで緊張なんかしない。
 でも今日みたいなことをされたら驚いてしまうと言うか、どぎまぎしてもしょうがないと思う。
 まだ背中が熱い。繋ぎ直した佐藤さんの手も温かくて、そして佐藤さんがちらちらと僕を見てきたから、僕の心臓はしばらくの間、うるさく鳴り続けていた。