menu

僕たちの離れ離れの日々(2)

 佐藤さんは店の外で僕を待っていてくれた。
 てっきり彼女一人だろうと思っていたのに、なぜか職場の皆さんも一緒だった。周囲を囲むおばさんたちは僕の姿が見えた途端に冷やかすような声を立てる。若いっていいわねえとか、私にもこんな頃があったわあ、なんていうベタな台詞を口々に叫んでいた。佐藤さんは皆さんに僕のことを何か言ったんだろうか、そうだとしたら、一体どんなふうに説明したんだろうか。
 そう思っていたら、あのヤンキー風の男が、はにかむ佐藤さんに向かって尋ねた。
「あれが佐藤の彼氏?」
「うん」
 佐藤さんはためらいもなく、ただしちょっと恥ずかしそうに頷いてくれた。
 それから僕の方へ駆け寄ってきたから、こっちも何となく照れつつそれを迎えてみる。おばさんたちが一層囃し立て、ヤンキー風の男が僕に頭を下げてくる。
「ああ、どうも。佐藤さんにはいつもお世話んなってます」
「どうも。初めまして」
 僕も下げ返したものの、こういう時、どう挨拶していいのかわからない。こちらこそお世話になってます、っていうのも何か変だよな。身内ならまだしも佐藤さんはそういうのではないし。
「皆さん、お疲れ様でした! また来週よろしくお願いします!」
 佐藤さんが皆に挨拶をする。
 それから僕に向かって迷いなく、
「じゃ、行こうか。山口くん」
 と言ってくれた。
 こっちから誘ってあるんだから当たり前のことなんだけど、僕らは付き合ってるんだから一緒に帰るのだってそう珍しくもないんだけど。
 佐藤さんが何にも聞かず、確かめずに、行こうかって言ってくれた。
 それだけのことが妙に嬉しくて、僕もすぐさま応じた。
「うん。帰ろう」

 帰り道で聞いた話によれば、やはり今夜の集まりは職場の飲み会だったらしい。
「わざわざこっちまで出てきてやるんだ?」
「うん、向こうだとあんまり飲むところがないんだって。オフィス街だからね」
 佐藤さんの職場はビルや小さな工場の立ち並ぶ、やや無機質な街並みの中にある。僕も一度、暇を持て余していた時に、試しに足を運んだことがあるから知っている。さすがに佐藤さんの働いているところまでは見られなかったけど――見てみたいのかどうか、自分でもよくわからないけど。
「でもすっごい偶然だよね。まさか山口くんと会うなんて思わなかったよ」
 そう話す佐藤さんの表情は、夜道を照らす水銀灯の光できらきらしていた。
 この偶然を一応は喜んでくれてるのかもしれない。
 僕も、まあ、嬉しくなくはない。佐藤さんと会えるなら何でも嬉しい、と言いたいところだけど、ちょっともやもやすることもあったからどうしたものか。
「さっき、僕に挨拶してくれた人も職場の人?」
 さりげなく、僕はあのヤンキー風の男についても探りを入れておく。
 すると佐藤さんはにっこりした。
「そうだよ。配送の人なんだ」
「へえ……」
 内心複雑な思いでその笑顔を見下ろせば、佐藤さんは何気ない調子で、
「あの人、私たちの一個上なんだけど、奥さんいるんだよ」
 と言い添える。
 多分、特に意識せずに言ったんだろう。僕を安心させようなんて気持ちは微塵もないだろうし、そもそも僕が何を思ってるかなんて、佐藤さんみたいな気の利かない子には見通せるはずもない。
 でもこの瞬間ばかりは、佐藤さんのタイミングのいいフォローに感謝した。
「……そうなんだ」
 僕はほっとしたのを誤魔化すように息をつく。
 佐藤さんはやっぱり気づかない。歩きながら上機嫌で続ける。
「すごいよね。私と一つしか違わないのにしっかりしてて、いつも見習わなきゃって思ってるんだ」
 そうやって彼女があの男を誉めると、必要ないってわかった直後にもかかわらず再びもやもやしてくる。ただし今度はもう少し違う意味でのもやもやだ。

 今の僕は、佐藤さんに『すごいね』って言ってもらえるような人間だろうか。
 進学したからって真面目になるわけでもなく、真面目にやってることと言えばバイトに飲み会ばかりだ。そうして付き合いで出た飲み会では可愛い女の子と楽しくお喋りしてるくせに、佐藤さんが他の男と話してるところを見るのは気に入らなくて、子供っぽく嫉妬なんてする。
 大学に行ったら大人になれるような気が、高校時代はしていたのに。
 実際なってみたら、全然そんなことなかった。
 佐藤さんは働きに出て、大人になれたんだろうか。見た目には昔と全然変わらない、地味で垢抜けない佐藤さんだ。でもあの男やおばさんたちとは上手くやってるみたいだし、何だかんだで今の仕事も続いているようだし、僕の知らないところではぐっと大人になっているのかもしれない。今の僕たちは離れ離れで、そういう些細な変化や成長にお互い気づけない状況にある。
 高校時代、C組にいた頃はずっと隣にいられた。
 でも僕たちはこれからも隣にいられるだろうか。離れ離れになっても、違う環境にいても、どちらかがより早く大人になってしまっても。

 そういう不安がふと、僕の頭の中で別の言葉に変換された。
「……僕たちもしようか、結婚」
 ぽろっと言ってしまってから、馬鹿みたいなこと言っちゃったな、と自分で悔やんだ。
 それでも割かし冷静だった僕とは対照的に、佐藤さんは夜道の端っこでぴたりと足を止めると、そのまま三秒くらいフリーズした。瞬きすらしない静止状態の後、彼女はようやく声を発した。
「え……ええ!? 本当に?」
「そんなわけないだろ」
 もっと可愛い反応できないものかな、と僕は内心呆れてしまう。佐藤さんが真っ赤になってあたふたし始めるから、そういうのはちょっと面白いなと思うけど。
「大人になったら、だよ。今すぐなんてできっこない」
「そ、そっか、そうだよね……」
 佐藤さんが胸を撫で下ろしている。よほどびっくりしたらしい。裏表のない佐藤さんらしいけど、そこでほっとするのもどうかと個人的には文句を言いたい。
「それに、単にその方が一緒にいられるなって思っただけだから」
 僕も素っ気なく弁解しつつ、本当に、それだけ今すぐ叶えばいいのにと考える。
 今でもずっと隣にいたい。離れ離れでなんていたくない。佐藤さんについて知らないことなんてあって欲しくないし、他の誰かの隣で笑うくらいなら、僕の言葉で笑ってくれればいいのに。
 そういうのが全部叶うのは、やっぱり、一緒に暮らすことじゃないかって。
 あと、さっきみたいに職場の人から挨拶された時、『こちらこそお世話になってます』って返事もできるだろうし。
「……山口くんの、言う通りかも」
 しばらく黙った後でふと、佐藤さんが呟いた。
 彼女の方に視線を向けると、俯いた彼女がこちらにおずおずと手を伸ばしてきた。もしかしたら手を繋ごうとしたのかもしれない。でも、ただでさえとろい彼女がこちらを見ずに僕の手を捕まえるなんて器用な芸当ができるはずもなく、掴めたのは僕の服の裾だけだった。それでもぎゅっと握り締めて、彼女は言った。
「いつか、そうなったらいいね。山口くん」
 気が利かない佐藤さんは、そんな微妙な答え方をする。
 だから僕は、服の裾を掴む彼女の手を無理やり解くと、黙って自分の手で握って繋ぎ直した。そのまま、返事をする代わりに夜道を歩き出す。佐藤さんは何も言わずについてきたし、手を振り解こうともしなかった。

 早く大人にならなくちゃいけない。
 いつか、じゃない。そうなったらいい、でもない。そうするんだ。必ずそうなってみせるって思うから、僕は佐藤さんの手を引いて帰り道を急いだ。
 こうして手を繋いでいても、彼女の家に着いたらまた離れ離れになってしまう。
 離れなくても済む日が早く来るように、僕は、急いで大人になってやろう。
top