Tiny garden

繋がれて、絡め取られて(4)

 怪我を負いつつも、トリリアン嬢は気丈だった。
「例の彫像をあんたに売ったことは一言も喋ってないよ」
 ロックに向かって語る姿はいっそ誇らしげですらある。
「ただの業突く張りと思われちゃ困る。あたしだって義理は果たすさ」
 もっとも当のロックはその可能性に、この期に及んで思い至った始末だ。もしかしたら自分の部屋や店が襲われていたかもしれないと思うと、とても他人事ではいられない。
 いや、例の彫像が絡んでいる時点で既に他人事ではなかった。
 エベルが運命だと言った通り、自分もその因果の中に繋がれて、絡め取られていたのだろう。それならロックも今こそ義理を果たす時だ。父が持ち帰ったあの彫像がもたらす不幸を、打ち砕かねばならない。
「さすがだね、トリリアン嬢」
 決意を込めて彼女を誉めれば、
「惚れた男の為なら口も割らないさ」
 老いてますます盛んなトリリアン嬢は、フィービにちらりと流し目を送る。
 送られた方のフィービは呆れた様子で、美女らしい苦笑を浮かべた。
「いつまでもお若いものね、トリリアン嬢」
「オカマはお呼びじゃないって言ってんだよ!」
 怒鳴った後で痛そうに頭を抱える有様だ。強盗に押し入られたばかりの店主には全く見えない。
 傷に障っては一大事と、ロックたちもひとまず店を出ることにした。

 そしてすぐ、二階のロックの部屋を覗きに行った。
 トリリアン嬢の言葉を信用していなかったわけではないが、念の為だ。
 幸いにも見慣れた部屋に侵入者の形跡はなく、今朝方出かけた時のままだった。ロックが彫像を買ったという情報は、少なくとも強盗の一味には漏れていないようだ。
「まあ、どうせ手元にはないんだけど」
 ロックは安堵に肩を竦める。
 だがフィービの表情は尚も険しく、すぐにこう尋ねてきた。
「ロック、知っていたら教えて欲しいの」
「なあに?」
「閣下が人狼だってこと、グイド・リーナスは知ってるの?」
 彼の口から出てきた名前に、ロックもさすがに困惑する。
 忌み嫌う相手ではあるが、まさかこの件に絡んでいるとは思ってもみなかった。確かにエベルの秘密に最も近く、恐らくは肉親以外でそれを分け合った数少ない存在に違いなかったが――。
「知ってる。人狼の姿を見せたこともあるって」
 戸惑いながらも答えた。
 その時グイドは、それでもエベルに温かい言葉をかけたという。
「……なら、彫像のことも知ってる可能性があるわけね」
 一方のフィービは既に、狙いをグイドに絞っているようだ。
「もう一つ。閣下はあんたに、どんな条件下であの彫像が人を呪うのか、話したことはある?」
「ううん。それは僕も聞いてない」
 エベルは一言も口にしなかった。
 恐らくロックをこれ以上巻き込まない為にそうしたのだろう。その情報を得たがる者もいるかもしれない。
 あの彫像を強奪してまで求めた者は、果たしてそれを知っているのだろうか。
「フィービはどうしてあいつを怪しんでるの?」
 逆にロックが尋ねると、フィービは顎に手を当てて答える。
「リーナス邸に市警隊が入ってるって話だったでしょう」
「そう言われてたよ」
 貧民街のドブネズミをいつでも突き出せるように――グイドの言い種は今思い出してもロックをむかむかさせた。
「実際にいたのよ、あの役立たずども。屋敷をぶらついてる時に見かけてたの」
 フィービはあっさりと言ってのけた後、にわかに青い目を眇めた。
「今になって考えれば妙よね。あんた一人に嫌がらせをする為だけに市警隊を引き入れたとは思えない。かと言って、可愛い可愛い妹君の誕生日にしちゃ物々しい警備ぶりじゃない」
「何か、他に厄介事でもあったってこと?」
 ロックが口を挟むと、フィービは頷いた。
「そう考えるのが自然でしょうね。例えば柄の悪い傭兵崩れなんかが訪ねてくる予定があって、そいつらがごねたらいつでも追い出せるように、なんていうのはどうかしら」
 そういえば、ミカエラも言っていた。
 グイドには来客が増えたが、その客とミカエラが顔を合わせたことはない、と。
 思い出したロックがそれも告げると、フィービはますます疑念を深めたようだ。
「もちろん、今はまだ点と点だけよ。線で結べるほどの証拠はない」
 言葉とは裏腹に、その眼差しはここではないどこかを射抜こうとしている。
「だけど、ごろつきの目の色が変わるほど金を持ってて、人狼の秘密を知っている――これだけの条件が揃う人間なんて、帝都広しと言えどそう多くはない。そしてそれが閣下のご親友だっていうなら、あたしなら真っ先に疑うわ」

 ロックとしても、フィービが疑う理由は十分にわかる。
 グイドの狂気を垣間見た身として、何かやりかねないという懸念もある。
 ただ内心では、取り越し苦労であって欲しいという思いも燻っていた。グイドがあの彫像を、人を傷つけても欲しがっているのだと知ったら、エベルはきっと悲しむだろうから。

「もしグイドだとして、どうして彫像が欲しいんだろう」
 部屋を後にして、夜道を急ぎながらロックは呟いた。
 まだ武装姿のフィービが険しい面持ちで応じる。
「わからないわ。閣下を脅す材料にはなり得るでしょうけど」
「そんなことまで……するなんて思いたくないな」
 ロックが嘆けば、フィービはたしなめるように首を振った。
「あんた、あんな目に遭ってもそう言えるなら相当のお人好しね」
「違うよ。グイドのことを信じてるんじゃない」
 エベルの為にそう思う。
 彼がこれ以上傷つくのを、ロックだって見たくはない。
 だがだからといって現実から目を逸らすつもりもない。唇を引き結んだ後、ロックはもう一つの疑問をフィービにぶつけた。
「ところでさ、閣下のところまで歩いていくんじゃないよね?」
 二人は夜道を早足で進んでいたが、さすがに貴族特区まで徒歩では辛い。夜通し歩いても、着く頃にはとっくに夜が明けていることだろう。
 するとフィービはにやりと笑った。
「任せといて。こういうのは得意なの」
「……えっと、『こういうの』って?」
 三つ目の疑問には答えず、フィービは意気軒昂に歩を進める。

 やがて二人は、貧民街の外れに建つ馬屋へとやってきた。
 帝都は皇帝の居城を中心に築かれており、貧民街はそこから最も遠く、帝都を守る外壁にこびりつくようにして広がった居住区だ。その外れにある馬屋は、帝都の外へ旅立つ人に馬を貸したり、売ったりしている。逆によそから旅をしてきた馬を引き取ったり、預かったりすることもあるという。
 フィービとロックが馬屋に駆け込んだ時、既に夜も更け、日付が変わろうとしていた。外に繋がれた馬たちも何頭かは立ったまま眠っているように見えた。馬屋の主人も一杯ひっかけた後らしく、酒臭い息で二人を迎えた。
「またお前か、フィービ」
「ええ、さっきは世話になったわね」
 気安く応じたフィービが、その後でロックに囁く。
「あんたを追い駆けるのに荷馬車を紹介してもらったのよ」
 どうやらリーナス邸へはそういうやり方で訪れたらしい。彼の行動力と思いやりに、ロックはつくづく頭の下がる思いだった。
 では、今回も荷馬車に同乗させてもらうのだろうか。ロックが疑問に思った時、フィービは馬屋に切り出した。
「今度は馬を一頭借りたいの」
 そして金をいくらか差し出せば、馬屋の主人は受け取りつつも訝しがる。
「こんな時分にどこ行くんだ、オカマ野郎」
「今度も貴族特区まで。門をいくつか抜けるから、とにかく脚が速くて強い子がいいわ」
「冗談じゃない、うちの子をそんなことに貸せるか!」
 馬屋の主人が素っ頓狂な声を上げる。
 当然、ロックも驚いた。帝都は貴族特区、神聖地区、商業地区といったふうに区画分けがされており、各地区を繋ぐ門も設けられていた。帝都市民の出入りは自由となっているが、それは市民権のある者に限った話だ。貧民街住まいのロックに市民権があるはずもなく、だからこそエベルに招かれるまで貴族特区に行ったことはなかった。
 そして門を守る市警隊にとって、貧民街の住人はそれこそドブネズミと同じだ。見て見ぬふりをするのも、追い払うのも、気まぐれに捕らえて尋問にかけるのも自由だ。
 その門を、フィービは馬で抜ける気だという。
「心配しないで。あんたの子は傷つけず、ちゃんと返すわよ。あたしの腕を知ってるでしょ」
 自信たっぷりに告げたフィービを、馬屋の主人はまじまじと眺めた。
 そして革鎧をまとう物々しさに気づいたのだろう、
「何だってそんな急いでんだ。まさか夜駆けか?」
 物騒なことまで言い出した。
 するとフィービは眉一つ動かさず、迷いなく答える。
「友人の危機よ。急ぐのは当然でしょう」
 その口調にはただの出任せとは違う真実味が込められていたように、ロックは思う。
 友人の危機――ロックにとってはもっと別の意味合いを持ちつつある相手だが、ともかく黙ってはいられず、自らも主人に詰め寄り訴えた。
「すごく大切な友達なんです。早く知らせてあげないと危ない目に遭うかもしれなくて……お願いです。馬を貸してください!」
「お……おう。そういう事情なら……」
 馬屋の主人は気圧されたか、縋るロックの顔にしげしげと見入る。
 その後でフィービに視線を戻し、筒抜けの声で耳打ちをした。
「オカマのくせに、随分と可愛い子連れてんな。お前の女か?」
「可愛い可愛い『うちの子』よ。やらしい目で見たらぶっ飛ばす」
 フィービの声にはたっぷりの棘が含まれていたが、ロックの耳には不思議と甘く響いた。
 その言葉の意味を、今は確かめられなくてもいい。ただエベルの危機に、フィービが共に立ち向かってくれている。そのことを本当に頼もしく思う。

 馬屋の主人は大柄の青毛を貸し出してくれた。
 大人二人を乗せても速く、とびきり夜目も利く最高の馬だという。
「聞くのを忘れてたけど、あんた乗馬は経験ある?」
 フィービの今更の問いに、ロックは苦笑いで答えた。
「諾足ならあるよ。村にいる時、ちょっとだけ乗せてもらった」
「ほとんどないのと同じね。二人乗りは?」
「ない」
「座ってるだけでいいから、一人よりは楽よ。安心してね」
 それからフィービは鞍や鐙の具合を確かめた後、ロックの頭を覆うように頭巾を被せた。
 そして、
「じゃ、乗せるわよ。いい子にしててね」
「わ、わっ」
 慌てるロックを軽々と抱き上げて、鞍の前部に乗せた。
 すぐに自らも後部に乗って、ロックの肩越しに腕を伸ばして手綱を取る。
「悪いわねえ。男との二人乗り、初めてがあたしとだなんて」
 などと言いつつ、フィービはとても嬉しそうだ。声がうきうきと弾んでいる。
「寄りかかっていいわよ。ちゃんと掴まったらあとは楽にしなさい」
 促され、ロックは恐る恐るフィービにもたれかかった。微かに震える馬の背は、鞍があっても安定しているとは言いがたい。乗馬に慣れていないロックはすっかり緊張していたが、それをフィービはしっかりと抱き留めてくれていた。
 ほんの一時、ロックの胸には温かな安らぎが満ちた。抱き締められて感じる体温はどこか懐かしく思えて、心から信頼して背を預けることができた。
 だがそれも、馬が走り出すまでのことだった。
「さて、行くわよ。飛ばすから、しっかり掴まってて」
「わかった。……ところでさ、飛ばすってどのくらい?」
「口閉じてなさい、舌を噛むわよ」
 フィービのブーツが馬の腹を蹴る。すると馬屋自慢の青毛は勢いよく走り出し、放たれた矢よりも速く帝都の街へと飛び込んでいく。大人二人を乗せても尚、石畳を蹄で削るような力強さで駆けていく。奔流に呑まれたような速度で運ばれ、馬上のロックは意識が身体についていかない。フィービの腕が抱えてくれていなければ、たちまち落馬して地面に叩きつけられていただろう。
「わあああああああああ!」
 恐怖のあまり、いつぞやのようにロックは絶叫した。
 だが馬は構わず駆けた。被りたての頭巾が激しく揺れてロックの頬をばたばたと打つ。開けていた目が乾くような向かい風すら切り裂いて、夜の帝都を疾走する。
 途中、いくつかの門をくぐった。
 そのどこかで、暇を持て余していた夜間警邏中の市警隊に止められた。
「待て! この時分にどこへ行く?」
 それでもフィービは慌てず騒がず、堂々と答えた。
「エベル・マティウス伯爵閣下に火急の伝言がある。通していただきたい!」
「駄目だ、馬を降りろ!」
 当然ながら市警隊は容赦しなかったが、
「急ぐと言っている。失礼!」
 フィービは一喝すると、構わず再び馬を走らせる。市警隊の制止の声や怒声はあっという間に風に紛れ、ロックの耳には聞こえなくなった。

 そしてどこをどう走ったかもわからないが、フィービは彼らを撒くことに成功したようだ。
 マティウス邸に辿り着いた時、辺りは馬の蹄の音以外、とても静かだった。
「よく頑張ったわね」
 フィービは馬を止めると、ふらふらのロックを降ろしてくれた。それから馬のたてがみを労うように撫でる。
 慣れない乗馬の後で、ロックは地面にへたり込み、しばらく立ち上がれなかった。だがそれでも目の前の屋敷の様子を窺うことはできた。いくつかの窓に明かりが点っている。特に二階の――あの窓は、エベルの執務室だっただろうか。そこにちらりと人影が見えた気がした。
「ロック様!?」
 やがてマティウス邸の扉が開き、中からヨハンナが転がり出てきた。
 すっかり青ざめた顔の彼女は駆けてくるなりロックに飛びつき、
「ああ、来てくださるなんて! 閣下が、閣下が大変なんです!」
 涙ながらに訴えるので、ロックもフィービもはっとする。
「閣下が? どうしたんですか?」
「お帰りになった後、すぐにリーナス卿が押しかけていらしたんです」
 しゃくり上げるヨハンナは、よく見ればその手に暖炉の灰掻きを握り締めていた。
 武器のつもり、だろうか。
「閣下が通せと仰るので執務室にご案内したら、いきなり訳のわからぬことを喚き出して、閣下が――急に、ご意思に反して人狼になってしまわれて――」
 そこまで聞いたら、身体が自然と動いていた。
 ふらふらだったはずのロックは立ち上がるや否や、マティウス邸に駆け込んだ。一度訪ねたきりの執務室が二階、階段を上って廊下の最奥にあることは覚えていた。真っ先に駆け出したはずが途中でフィービに追い抜かれもしたが、それでもどうにか辿り着き、扉を蹴り開けたフィービに続いて室内に飛び込む。
「エベル!」
 叫んだロックは、その直後、室内の光景を目の当たりにした。

 床の上にうずくまる人狼に、グイド・リーナスが何かを突きつけている。
 彼の手に握られているのは紛れもなく、呪われた人狼の彫像だった。
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