我が愛しのフロリア嬢(5)

 そこは客間というより、物置に近い部屋だった。
 無造作に詰まれた木箱と書物の詰め込まれた本棚、それに大きなガラス窓があるだけの室内は、とてもではないが客人を通す場所には見えない。木箱の一つに置かれたランタンには既に火が入り、埃っぽい室内を漫然と照らしていた。
「荷物はそこに置け」
 グイドが床に視線を投げたので、ロックは抱えてきたドレスの箱をゆっくりと下ろした。
 それから困惑気味に尋ねた。
「どういうご事情か、伺ってもよろしいですか」
 するとグイドは鼻を鳴らし、馬鹿にしたような口調で答える。
「大したことじゃない。妹がお前の仕立てるふしだらなドレスは嫌だと言い出してな」
「は……?」
「それで帝都でも一等腕のいい仕立て屋に、妹に似合う品のいいドレスを仕立てさせたというわけだ」
 凍りつくロックに対し、グイドは快哉を叫ぶように続けた。
「貧民街の仕立て屋風情に流行の型を、品性を保って作れるとは思えん。お前の下品なドレスを着せて、商売女の真似事を妹にさせたくはないからな」

 その言葉は、ロックにとって最大限の侮辱だった。
 注文通りに仕立てたドレスを見もしないうちから貶されたことはもちろん、他の仕立て屋と比べるようなことを言われたのも不快だった。ロックは確かに仕立て屋としては若輩者だが、商人としては未熟でも、仕立ての腕には自信がある。
 何よりこのドレスには、ミカエラの為に心を尽くした証が意匠として残されている。グイドだって一目見れば、このドレスをふしだらだ、下品だなどとは言わないはずだ。

 だが蓋の箱は開けず、グイドは罵倒の快感に酔いしれている。
「エベルを誑かした魔性の者め。お前の作る服なんて、どうせろくなものではないだろう」
「人の仕事を、何だと思って……!」
 悔しさにロックが声を上げると、思いきり笑い飛ばされた。
「卑しい身分の癖に一端に腹は立てるのか、生意気な小僧だ」
 腹を立てるどころではない。相手が公爵子息でなければ向こう見ずにも殴りかかっていたところだ。
 だが頭に血が上っていても、グイドにそれをやれば身の破滅しかないことはわかっている。ロックは奥歯を噛み締めた。
「安心しろ。お前の仕事を無駄にはしないさ」
 そこでグイドは目を眇め、更なる侮蔑を込めてロックの全身を眺めた。葡萄酒色の髪から細い体躯、そして粗末な靴の足元まで無遠慮にねめつけた後、視線を顔に戻して言い放つ。
「言っただろう、お前は今宵の招待客だ」
 二度目の宣告に思わず身構えたロックだったが、直後、
「そのドレスはお前にやる。それを着て宴席へ出ろ」
 全く予想だにしない言葉が、ロックの横っ面を叩いていった。

 素性がばれたのかと思った。
 背筋に悪寒が走る。エベルならともかく、この男に今、知られたならまずい。ロックを男だと思って嘲るグイドが真実を知れば、恐らく逆上するに違いなかった。

「ぼ、僕は男です。ドレスなんて着るわけがない」
 それでロックは声を震わせたが、グイドは上手く動揺させたと読み取ったようだ。たちまち愉快そうに目を光らせた。
「だからこそ着ろと言っているんだ」
「何を……?」
「男のくせにエベルを弄びやがって。そのお前が女のドレスを着てエベルの前に出る。愉快じゃないか」
 そう言うとグイドは手を伸ばし、ロックの顎を片手で掴んで持ち上げた。
 冷たい手の感触と、指に込められた力の強さにロックは顔を顰める。
「離せ!」
「見れば見るほど女みたいな顔をしているな。全く、気色悪いことこの上ない」
 そう言うとグイドはロックに顔を近づけ、審問官のような検分の眼差しを至近距離から向けてくる。
 ロックは顔を背けようとしたが叶わず、グイドに吐息がかかる距離から囁かれた。
「エベルには本物の女との違いを見せてやる。そうすれば彼奴の目も覚めるに違いない」
 どうやらグイドは今でも尚、ロックを男だと思っているようだ。その上で女物のドレスを着せ、エベルの前に連れ出し、彼の幻滅を誘う心づもりらしい。
 悪趣味な計画はとうに破綻しているといってもいいのだが――どちらにせよ、ロックに諾々と従う理由はない。
「僕がご命令通りにするとでも? 帰らせていただきます」
 ロックはグイドの手を払いのけようとしたが、大柄なグイドの握力には敵わなかった。顎が軋むほど力を込められれば思わず声が漏れる。
「痛っ……」
「黙って帰れると思うな。今宵は警護に市警隊を呼んでいる」
 ロックの顎を潰さん勢いで掴み、グイドは低い声で脅してきた。
「貧民街のドブネズミが紛れ込んできたと言えば、連中は喜んでお前を投獄するだろうな」
 市警隊にとって貧民街の住人は忌避すべき厄介者に過ぎない。グイドの言葉が嘘でないことはロックにもわかる。
 何よりもロックを見下ろすグイドの目が、狂気を孕んでぎらついていた。貧民街にたむろする宿無しにもこういう目をする者がいる。いざとなれば殺しも厭わない、悪魔に魂を売った連中の目だ。
「ドレスさえ着てくれば無事に帰してやる」
 グイドはそう言うと、ようやくロックから手を離した。
「わかったらさっさと着替えろ。時間がないぞ」
 そして嘲る口調で言い残し、物置のような部屋を出ていく。

 室内には未だ開けられていないドレスの箱と、ロック一人が残された。
 痛む顎にはまだグイドの指の感触が残っている。汚されたような気分になり、ロックは服の袖でそこを思いきり拭った。それから憤りをぶつけるように怒鳴る。
「何なんだ、あいつ!」
 胸中にはもっと様々に絡み合った感情が渦巻いていた。心を尽くした仕事への侮辱に対する怒り、報われなかった苦労への悔しさ、グイドに対する言い表しようのない反発と、嘲られた分だけ募る軽蔑の念。それからほんの少しの哀れみもだ。
 前にも思った通り、エベルに執着しているのは元婚約者のミカエラではなく、グイドの方だろう。だが彼のやり方ではエベルの心は動かせない。今のロックにはそれが確信できる。
「エベル、来てないかな……」
 ロックは救いを求めるように、ふらふらと物置の奥にある窓辺に近づいた。
 ガラス窓からは眼下に広がるリーナス邸の庭が見渡せ、そこに停まる十数台の馬車の姿も確認できた。恐らくは今夜の宴席の招待客のものだろう。
 そこにマティウス家の馬車がないかとロックは目を凝らしたが、既に宵闇迫る庭からそれを見つけ出すのは困難を極めた。しばらく探しても見つからず、ロックは溜息をついて窓辺に寄りかかる。
「助けを乞うなんて考えない方がいい、か」
 もちろんエベルなら、ロックが求めればいくらでも手を差し伸べてくれるだろう。
 だがこの屋敷内で警護の市警隊に見つからないよう、彼だけを探すのは不可能と思えた。ロックはここの構造も把握しておらず、単身逃げ出すことさえできるとは思えない。
 そしてここは三階だ。窓から飛び降りる度胸も、ロックにはない。
 そうなれば、残る選択肢は――。
 ロックは床に放置された夜会服の箱をちらりと見やる。グイドの言いなりになってあれを着ていけば、上手くいけばエベルと会えるかもしれない。貴族階級の宴席なるものがどういった雰囲気かは知らないが、エベルなら広い会場でも、大勢の招待客の中からでも、ロックを見つけてくれるはずだ。そのことは信じてもいいだろう。
 そうとわかっていてもロックをためらわせているのは、グイドへの憤りではなく、胸の奥に秘めた女心だ。
「……ドレス、着なきゃ駄目かな」
 ロックはぼやいて、葡萄酒色の髪を手でかき上げた。
 朝に櫛を入れたきりの髪はきっとぼさぼさだろうし、化粧道具だってない。そもそもこの部屋には姿見がない。ミカエラの為に仕立ててきたドレスを自分の身体に合わせるのに、鏡がないのは困る。
 何よりも、少年と見間違えられるような自分に似合うかどうか。
「はあ……」
 苛立ちと焦りと心細さから、ロックは窓にもたれて嘆息した。

 すると背中で、窓ガラスがこつこつと音を立てた。
 ロックは何気なく振り向き、ガラス越しに上からぶら下がる影を見た。逆さまになってこちらを覗くその顔は、この三年間毎日のように見てきた顔だ。
「フィービ!」
 思わずその名を呼ぶと、窓の向こうで彼女の口が動いた。『窓を開けて』、そう訴えてくるので、ロックは言われた通りに部屋の窓を開ける。すると屋根にぶら下がっていたフィービは、敏捷に身を翻して室内に飛び込んだ。
「どうしてここにいるの?」
 ロックの問いに、フィービは窓を閉めてから答える。
「あの坊っちゃんがあんたをただで帰すとは思えなくてね。来てみたの」
 そう語るフィービの服装は、いつもの身体の線を隠すドレスとは違っていた。身体にぴったりと沿う革製の上着とズボン、それに鋲打ちの胸当てを身に着けている。油で煮込んだ革は主に鎧に用いられるもので、フィービが武装していることはロックにも見て取れた。腰には大人の肘までの長さがある短剣を佩き、美しい栗色の髪は高い位置で結い上げている。その姿は凛々しくも勇ましく、普段の骨太な美女という印象とは違う美しさがあった。
「その格好……」
 ロックが言及すると、途端に彼女は気まずげな顔をした。
「まあ、念の為にね。ドレスじゃ忍び込むのも大変だし、昔使ってた革鎧がまだあったものだから」
 フィービが武装した姿を、ロックは初めて目にしていた。
 普段、街中の喧嘩なら徒手空拳で果敢に挑むのがフィービだ。その彼女がこうして鎧姿で現れたのも、ロックの身を案じてのことだろう。何より不安なところに現れた彼女に、張り詰めていたロックの心がふっと解けた。
「来てくれてありがとう、フィービ!」
 嬉しくなって、ロックは彼女に抱きついた。
 それを難なく受け止めたフィービが照れたように笑う。
「何よ、柄にもないことして……あんたこそ、どうしてこんな狭い部屋にいるの?」
 そうだった。喜んでばかりもいられない。今のロックには差し迫った問題があるのだ。
 やむを得ず、ロックはフィービに事情を説明した。

 ドレスを届けに来たところ、ミカエラは既に別のドレスを着ていたこと。
 グイドからドレスを散々に貶され、おまけにそれを着て宴席に出るよう言われたこと。
 リーナス邸には市警隊が呼ばれており、ドレスを着ずに黙って抜け出すのは難しいこと――。

 耳を傾けてくれたフィービの顔は次第に険しくなっていき、その怒りはグイドに顎を掴まれたことを打ち明けた時、頂点に達した。
「あの野郎、うちのロックによくも!」
 憤懣やるかたない様子で吐き捨てたフィービは、すかさずロックの肩に手を置いた。
「他には何もされてない? 痛いところとかない?」
「大丈夫。罵倒はされたけどね」
 ロックが首を竦めると、フィービは収まらぬ怒りに足を踏み鳴らす。
「それだって許しがたいわ! 気色悪いって何よ、可愛いじゃないの!」
「そ、そうでもないけど……」
 場違いにはにかむロックに対し、彼女は敢然と宣言した。
「こうなったら目に物見せてやりましょう。ドレスを着なさい、ロック!」
「ええっ!? フィービ、本気?」
「当たり前でしょうが。あんた、馬鹿にされたままで悔しくないの?」
 もちろん、悔しいに決まっている。
 あのドレスを仕立てるのに費やした時間と労力、ミカエラに似合うようにと込めた心も含めて、グイド一人に踏みにじられるのは気に入らなかった。幸か不幸かグイドはロックが女だとは知らない。彼の度肝を抜くいい機会ではある。
 それにエベルの目に留まることができれば――彼なら、この状況を好転させてくれるはずだ。
「でも、僕にドレスなんて合うかな」
 気後れするロックを、フィービは朗らかに笑い飛ばした。
「似合うわよ。あんたはフレデリクス・ベリックの娘でしょう!」
 励ますように口にされた父の名に、ロックもはっとする。
 父は有能な傭兵だったという。危険な古代遺跡に潜り込み、骨董品を探しては五体満足で持ち帰る――きっと勇猛果敢な人物だったに違いない。
 その血を引いている自分が、こんなことに臆している場合ではない。
「大丈夫。化粧なら簡単にだけどしてあげられるから」
 フィービもそう言ってくれたので、ロックは決意し、頷いた。
「わかった。フィービ、手伝ってくれる?」
「当然じゃない、あんたの晴れ舞台ですもの」
 髪を結い上げた彼女が嫣然と微笑むのを、少々不思議な思いでロックは見上げていた。

 鎧を着てきたにもかかわらず、フィービはなぜか懐に化粧道具を隠し持っていた。
「何でそんなの持ってきてるの?」
 疑問に思ったロックが尋ねると、彼女はたしなめるように答えた。
「嫌ねえ。持ち歩くのは女の嗜みでしょうが」
「そうなんだ……」
「ほら、まずは着替えちゃいなさいよ」
 急かされたので、ロックはまずドレスの箱を開ける。
 ようやく日の目を見た絹の夜会服は、ランタンの光の中でなめらかに艶めいていた。ロックとしては会心の出来だと思っているが、まさか初めて袖を通すのが自分だとは、仕立てている間は想像もつかなかった。
 しばしそのドレスを見つめた後、ロックは意を決し、まずは着てきたベストとシャツを脱ぎ捨てた。
「わっ! ちょっと、脱ぐなら一声かけなさいよ!」
 背後でフィービが珍しく慌てたようなので、ロックは怪訝さに苦笑する。
「何言ってんだ、女同士だろ」
「そ、そうだけど! 女同士でも慎みってもんがあるでしょう!」
 振り返ればフィービは頑なに背を向けていた。その様子にもやはり疑問は覚えたが、ひとまず着替えてしまうことにした。
 道化の仕立て屋が、更なる道化になるべき時が来たようだ。