ガラクタの街のあるきかた(3)

 しばらくして、ジャスティアが山盛りの料理を運んできた。
「お待たせいたしました!」
 この店の名物ジャガイモパンは、細切りにしたジャガイモを生地の上に散らし、窯でこんがり焼いたものだ。ロックの大好物でもあるのだが、五枚六枚と重ねて持ってこられればさすがに色を失くした。
「ちょ、ちょっとジャスティア、こんなに?」
「そりゃあもう、お得意様だもの!」
 その他にもトウモロコシのスープ、赤カブとキャベツの酢漬け、こんがり焼いたチーズに蜂蜜、果ては高級品の豚の塩漬けまで出してきて――財布の中身が心許ないロックは、この時点で不安を覚えた。
 会計を持つのはエベルという話だったが、彼に逃げられでもしたら、これら全てが自分の支払いになってしまう。
 それは困る。というより、無理だ。

「エベル、大丈夫ですか?」
 ジャスティアが厨房へ下がった隙に、声を潜めてエベルに尋ねた。
「釘を刺しておかないと、女将はテーブルが埋まるまで料理を持ってきそうですよ」
「食卓ががら空きでは食事もつまらないだろう。これでいい」
 エベルは平然と応じ、別の皿を運んでくるジャスティアを笑顔で迎える。
「閣下はよくお食べになる方だからね」
 ジャスティアも上機嫌で、食用のブドウを入れた器を置いていく。
「ロック、あんたも少しは見習って食べなさい。じゃないといつまで経ってもひ弱なままだよ。ねえカルガス?」
 彼女はそう言って、厨房にいる夫に同意を求めた。
 妻と違って寡黙なカルガスの声は聞こえなかったが、どうやら頷いたようだ。ジャスティアはもっともらしく語を継ぐ。
「ほら、カルガスだってそう思ってるってさ」
「僕はちゃんと食べてるよ!」
 ロックの反論を鼻で笑って、ジャスティアはその二の腕をむぎゅっと掴む。二十歳の男を自称するにはあまりにも細いその腕を、ロックはいつも人々から笑われてきた。
「ちょっと、痛いよジャスティア!」
「このくらいで悲鳴上げないの、軟弱なんだから!」
 ジャスティアはけらけら笑うと、エベルにはしっかり頭を下げてから立ち去った。
 ちょうど店には新しい客が来たようだ。ジャスティアが駆け寄った入り口に、フードを目深に被った大柄の影がちらりと見えた。

 ロックは掴まれた腕をさすりつつ、事態を見守っていた伯爵に告げる。
「彼女はいつもああなんです。僕をからかうのが好きで……」
 口こそ悪いが気立てのいいジャスティアは、ロックが店に来る度に食事の少なさを心配してくる。時には『おまけ』と言って一皿余分にくれたりもする。ロックも決して少食ではないのだが、同じく常連のフィービはロックの三倍以上食べるので、際立って少なく見えるのかもしれない。そういった女将の気遣いは、ロックがこの店に足を運ぶ理由の一つになっていた。
 ひ弱なのはどうしようもないので、そこは放っておいて欲しいのだが。
「あなたは確かに細いからな」
 エベルもロックの腕をちらりと見て、それから口元だけで笑む。
「だがそれ以上に、あなたは魅力的だ」
「……え?」
「誰もが放っておけなくなる容貌をしている。親切にされるのも、そういうことだろう」
 そう語るエベルの金色の瞳は、なぜか全く笑っていなかった。
 ロックは困惑した。外見を誉められたようだが、これまでにそんな言葉をくれたのは亡き母とフィービだけだった。そして誉めてくれたはずのエベルは、なぜか面白くなさそうにしている。
 だがその胸中をロックが斟酌する前に、エベルは気を取り直したようだ。
「さて、食事にしようか」
 話を変えるように切り出してきて、ロックもひとまず頷いた。
「ごちそうになります、エベル」
 その点だけは念を押しておかなければならない。自分の手持ちだけでは、今夜の食事代を賄える気がしないからだ。
「ああ。遠慮なくどうぞ」
 エベルも今度は嬉しそうに笑んで、自らもフォークを手に取った。

 身分貴い相手と食事を共にするのは初めてだ。
 だからだろうか、ロックは気づけばエベルの一挙一動に目を奪われていた。
 例えば匙でスープを掬い、口へ運ぶ手つきの優美さ。例えば、パンやチーズをナイフで丁寧に切り分けるきめ細やかさ。伏し目がちにして食事を味わう表情さえ上品で、彼の方こそ魅力的な人物だとロックは思う。
「……どうかしたのか、ロック」
 エベルがロックの視線に気づき、含んだような笑みを浮かべる。
「随分と興味深げだな。何か私に、気になる点でも?」
 食事の様子を観察されていたというのに、それを面白がっているようなそぶりさえ見せた。
「あなたは本当に伯爵なんですね」
 ロックが感心してみせたからか、エベルはそこで吹き出した。
「作法でわかった、ということか?」
「ええ。貧民街の住人は、あなたのような食べ方はしません」
 食事作法すら洗練された、眉目秀麗の若き伯爵閣下。
 彼の正体が人狼だとは、誰に言っても信じてもらえまい。
 街の噂によれば人狼は人を襲い、その肉を食らうという。だがそれが事実であれば、ロックはとうに食べられてしまっているはずだ。そもそも誰が言い出したかもわからない噂を信じている方がおかしい。
「では、あなたの目から見た私には、一体どんな服が似合うと思う?」
「僕の目……ですか?」
「ああ。次の注文はあなたに見立ててもらいたい」
 エベルは信頼しきった様子でロックを見つめてくる。
「あなたが私を見てどんな着想を得るのか、是非知りたいのだ」
 なかなか難しい注文だったが、できないと答えるのは仕立て屋としての自尊心が許さない。
 ロックはじっくりと考え込んだ。

 そもそも、エベルに着こなせない服などあるだろうか。
 伝統ある儀礼服から流行最先端の服まで、何を身にまとったところで様になりそうだ。端整な顔立ちと均整のとれた身体つき、それに優雅な物腰は、ロックが自慢の腕を振るうに申し分ない客だ。
 貧民街の男たちに人気があるのはサスペンダーつきのズボンだ。以前は上流階級の為のお洒落着だったが、近頃になって庶民にも浸透してきた。逆に商業地区の一流の仕立て屋で流行っているのは、詰め物をしたダブレットと呼ばれる上着だ。いい店では天鵞絨や本繻子で仕立てるそうだが、ロックの店にはそこまで金を出せる客はそうそう来ない。より材料費の安いキルトや羊毛で仕立てることが多かった。
 だがエベルなら、材料費を惜しむこともないだろう。
 ロックが本当に作りたい服を作る、いい機会なのかもしれない。

「最上級の材料であなたの為に、ダブレットを仕立てたいです」
 ロックは意気込んでエベルに告げた。
「流行の最前線にある上着を、僕も仕立ててみたいのです」
「なるほど。さすがは仕立て屋、流行にも明るいようだ」
 エベルは意外そうにしたが、すぐに頷いてくれた。
「いいだろう。ダブレットならば着る機会も多いし、あなたの仕立てたものを私も着て歩きたい」
 それから念を押すように言い添える。
「できるだけ、愛を込めて仕立ててもらえると嬉しいな」
「もちろんです。僕はいつだってそうしてます」
 ロックは仕事には手を抜かない。服の一枚一枚を真心込めて縫い上げる。
 今回は特に払いのいい客、そして滅多にない上等な服の注文だ。そして相手は、いい服の着せ甲斐がある見映えのいい伯爵閣下だ。仕立て屋として、これほど情熱を掻き立てられる仕事もそうそうないだろう。
「お任せください、エベル。あなたに一番似合うダブレットを仕立ててみせます」
 ジャガイモパンを頬張りながら、ロックは気炎を上げた。
 その様子を眺めるエベルが目を細める。
「任せたよ、ロック」
 それから着ているシャツの胸元にそっと手を当て、
「この服にもあなたの愛が縫い込まれているなら、尚のこと大切に着なくてはな」
 と呟いた。
 その表情はとても幸福そうで、そして神々しいほどの美しさに見えた。雲間から光が差したような彼の微笑に、ロックはなぜかどぎまぎする。
「ええと……大切に着ていただけるなら喜びます、服が」
 パンをかじるのも忘れて、ぼそぼそとそれだけ言うのが精一杯だった。
 そしてそんなロックを、エベルはやはり満足そうに見つめていた。

 食事を終えてパン屋を出た時には、日もすっかり沈んでいた。
 頭上には満天の星空が広がり、冷たい夜風が路地を吹き抜けていく。二階の公衆浴場の窓からは光が漏れていて、辺りの路地を柔らかく照らしていた。
「今日はごちそうさまでした、エベル」
 店を出てすぐ、ロックは彼にお礼を言った。
 約束通り、エベルは全ての会計を持ってくれた。そしてジャスティアの言う通り、彼の健啖ぶりには目を瞠るものがあった。結局、あれだけの品数を残さず平らげてしまって、ジャスティアにはまたしても『見習いなさい』とつつかれたほどだ。
 そのエベルが、笑顔でかぶりを振る。
「感謝しているのは私の方だ。楽しかったよ、ロック」
「いいえ。次のご注文もいただけて、ありがたいです」
 終わってみれば夕食分の食費が浮き、新しい仕事も舞い込んできた。まさにいいこと尽くめの夜だった。
 恐らくフィービはロックを案じてやきもきしているだろうが、胸を張っていい知らせを伝えられるだろう。明日の朝にでも話してあげようとロックは思う。
「では、僕はここで――」
 暇を告げようとしたロックを、しかしエベルが素早く引き止める。
「送っていくよ、ロック」
「ご冗談を!」
 その申し出を、当然ながらロックは笑い飛ばした。
「男同士で食事に出かけて、部屋まで送ってもらうのは妙でしょう」
 それでなくとも貧民街はロックの庭、何を心配されることがあるだろう。ここから借りている部屋までは目と鼻の先で、近所にはフィービも住んでいる。心配は何もない。
「何より、エベルのお住まいまでは距離があります。僕に構わずお帰りになった方が、遅くならずに済みますよ」
 帝都中心部にある貴族特区から、帝都の端に吹き溜まりのように生じた貧民街までは、歩きだとそれなりの距離がある。ロックが案じてみせたからか、エベルはそこで微かに笑んだ。
「私なら脚にも自信がある、心配は要らない」
「はあ……ですが」
「それに、気になることもある」
 ロックの反論を封じるように、エベルがふと眉を顰める。
 金色の瞳が一瞬、辺りをぐるりと見回した。
「何です?」
 聞き返したロックの腕を掴み、彼はパン屋前の道をでたらめな方向へと歩き出す。
 人狼の毛むくじゃらの手に、手首を掴まれた記憶もまだ新しい。腕を掴まれると不安になり、ロックは引っ張られながらも呼び止めた。
「あの、エベル?」
 すると彼は声を落とし、
「……どうも、後をつけられているようだ」
 ロックの耳元にそう囁いた。
「えっ」
 とっさに振り返ろうとしたが、腕を引いて制される。
「見てはいけない。気取られる前に撒いてしまおう」
 お蔭でロックは追跡者の姿はもちろん、その真偽さえ掴めていない。
 ただされるがまま、エベルに腕を引かれている。

 公衆浴場の前を離れ、二人は貧民街の奥へ奥へと踏み込んでいく。
 この時分は行き交う人もほとんどおらず、夜道に二人の足音が甲高く響いた。だが追い駆けてくる者の足音は、ロックの耳には聞こえてこない。果たしてエベルの言うことを信じてもいいのだろうか。彼の気のせいということはないだろうか。そんな思いが加速する。
 納得がいかなくなり、ロックは尋ねてみた。
「一体、誰につけられてるって言うんですか」
「さあ。複数であることは確かだ」
 エベルは次第に歩調を速めながら、鬱陶しげに鳶色の髪を揺する。
「四人――いや、三人と一人だ。三人の方はせいぜい雇われのごろつきだろうが、一人の方は只者ではない」
「そんなことわかるんですか?」
「私は耳もいいのだよ、ロック」
 彼の口ぶりには揺るぎない自信が窺え、それがロックを一層不安にさせた。
 もしもエベルの言葉が事実なら、それほどの追手は、一体何が目的なのだろう。

 確信すら持てぬまま、ロックはエベルに腕を引かれ、街灯もろくにない裏路地に誘われていく。