ガラクタの街のあるきかた(2)

「店じまいをする間、少しお待ちいただけますか」
 ロックの言葉に、エベルは快く頷いた。
「ではその間、あなたに仕立ててもらった服に着替えておこうかな」
 そう応じて、先程引き渡したばかりの服を手に取る。
「あなたと会うのだから、新しい服を着るのがふさわしい」
 突然の告白から始まった一騒動で忘れていたが、そういえば試着がまだだった。一度合わせてもらう方がいいだろうと、ロックはエベルを試着室へ通す。
「もし合わないところがあればお直しします。一声かけてください」
 試着室に入ったエベルにそう告げると、彼は思い出したように目を細めた。
「ああ。だが着替えの途中であなたを呼ばぬよう、気をつけなくてはな」
「あの時は突然だったので慌てただけです! 別に平気ですから!」
 ロックは今も慌てて、試着室の帳を勢いよく閉めた。

 以前、彼が服を脱いだのにうろたえてしまったのは失敗だった。
 男装を始めて三年。男としての暮らしにすっかり馴染んだつもりだったが、慣れから来る気の緩みがあったのかもしれない。
 エベルの前でもぼろを出すわけにはいかない。ただでさえ鼻のいいお方だ、これ以上気取られてはならない。ロックは改めて気を引き締めた。

 それから店へ戻ると、窓に鎧戸を下ろしていたフィービが振り返る。
「あんた、本当に閣下とお食事に行くの?」
「もちろんだよ。こんな機会、めったにあるものじゃない」
 即答したロックに、彼女は広い肩を竦めた。
「あたしだったら、気のない相手に期待を持たせることはしないね」
 フィービの言いたいこともわかる。だが目の前に一儲けの予感をぶら下げられて、みすみす逃すことはしたくない。
「閣下は素晴らしいお客様だよ、フィービ」
 試着室に聞こえぬよう、ロックは声を潜めた。
「これでまた注文を貰えたら、君にもっと給金が払える」
 貧民街の仕立て屋に大口の注文がそうあるはずもなく、『フロリア衣料店』の利益はロック一人が暮らしていくのがやっとというところだった。フィービに払える給金も微々たるものだったが、彼女は不満一つ零さず働いてくれる。
「今更じゃない。いいわよ、あたしのことは」
 フィービは嘆息したが、ロックは彼女に大きな恩義と親愛を感じている。
 できれば店主として、働きに見合うだけの金を払えるようになりたいと常々考えていた。
「なら、君に新しいドレスを仕立てるのはどう?」
 彼女が着ているドレスは、ロックが足りない給金代わりに仕立てているものだ。
 顔立ちこそ疑いようのない美女ではあるが、フィービの身体つきは男そのものだった。そこでロックが仕立てたドレスは比較的露出を抑え、身体の線が出ない工夫が施されている。尖った喉仏を覆い隠す首の詰まった襟元、筋肉質の腕を目立たせないふくらんだ袖、スカートもドレープを効かせて脚の形がわからないようにしてある。初めてドレスを仕立ててあげた時、フィービは大喜びでロックを抱き締め、頬擦りまでしてくれた。
「今度はもっといい生地で作るよ。晩餐会に着ていけるようなドレスをね」
 ロックの言葉に、フィービもようやく笑みを浮かべる。
「つくづく期待を持たせるのが上手い子ね」
「楽しみにしててよ、フィービ」
「ええ。けど気をつけなさいよ、男は狼なんだからね」
 フィービの警句はよく聞く言い回しだったが、ロックがひやりとしたのは、別の意味を連想したからだ。
 男は狼。
 ある意味、エベル・マティウスほどその言葉が似合う男もいないだろう。
「大丈夫だよ。いざとなれば逃げ出してくる」
 ロックは自らに言い聞かせるように呟いた。
「ここは僕の庭なんだから、撒くのだって簡単だ」
 エベルはこの辺りを警邏していると言っていたが、ここに三年住んでいるロックほど明るくはないだろう。区画整理などされていない貧民街では、土地勘のない相手から逃げおおせるのはたやすい。
「それならいいけどね」
 まだ何か言いたそうにしながらも、フィービは鎧戸を下ろす作業を再開した。
 ロックも店じまいの為に、カウンターで帳簿をつける。
 そして売上金を金庫にしまったところで、フィービが思案顔でこちらを見ているのに気づいた。
「そんなに僕が心配?」
 笑いながら尋ねたロックに、フィービも弱々しく笑う。
「そうじゃないけど……ねえ、あんたのお母さんって――」
「ああ、それはごめん」
 切り出された話題に、ロックは慌てて詫びた。
 エベルの求愛を拒む為とはいえ、父の恋人の前で母の話をしてしまった。フィービからすれば気分のいい話ではないはずだ。
「フィービは気にしないで。父さんにも、父さんなりの考えがあったんだと思う」
 ロックが気遣ったのが伝わったのか、フィービもひとまずは頷いた。
「……そう、わかったわ」
 だがその後もどこか物憂げに、何か思いを巡らせていたようだ。ロックもその様子を気にしていたが、直後に試着室からエベルに呼ばれて、会話はそこで打ち切りとなった。

 店を閉め終えた後、ロックはエベルと連れ立って貧民街へ繰り出した。
「さすがはあなたの仕立てた服、着心地も極上だ」
 着替えを済ませたエベルは上機嫌で、ロックの仕立てに最大限の賛辞をくれた。
 ロックとしても自分の仕事に満足していた。均整のとれた身体つきのエベルは新しい衣服を難なく着こなしている。白い麻のシャツとホック留めの黒いベスト、それにサッシュベルトの革ズボン。どれもが彼の身体にしっくりと馴染み、驚くほどよく似合っている。伯爵と名乗るには格式や高貴さが足りないかもしれないが、街を行く伊達男としては申し分ない見映えだ。
「お気に召したようで光栄です、閣下」
 ロックがそう応じると、エベルは咎めるように苦笑した。
「待ってくれ。せっかくだから私のことはエベルと呼んで欲しい」
「それは……失礼に当たりませんか?」
 予想外の申し出にロックは戸惑う。
 貴族相手に尊敬の念など持ったこともないが、それが商売に響くのは避けたい。こわごわ聞き返せば、エベルは言い含めるように語を継ぐ。
「私も無用の騒動は歓迎しない。貧民街を歩くのには用心が要るだろう」
 伯爵閣下が貧民街をうろついていると知れれば、金の亡者どもが挙ってせびりに来るだろう。警邏の途中で人狼の姿にならざるを得なかったという話も聞いていたし、不用意に挑んで返り討ちに遭った無法者もいたのかもしれない。
 無事に仕事の話を終えたいロックとしても、無用の騒動はやはり願い下げだ。
「そういうことならわかりました、エベル」
 呼び慣れない男の名をぎこちなく口にすると、エベルは嬉しそうに破顔した。
「ありがとう、ロック」
 そして随分と柔らかく、大切なもののように名を呼び返してきて――ロックはその声音に面食らいつつ、話を進める。
「ところで閣下――エベルは、この辺りの食堂はご存知で?」
「あなたほど詳しくはないだろうな」
 エベルはかぶりを振る。
「二人でこの辺りを少し歩いて、いい店があれば入ろうと思っていた」
「それなら、僕が案内しますよ。安くていい店があるんです」
「ではお任せしよう」
 ロックの提案をエベルが了承したので、二人は共に歩き出す。

 貧民街の入り組んだ街並みは、歩き慣れない者にとっては迷路のようだった。
 帝都の管理された市街地とは違い、ここではめいめいが好きなように掘っ建て小屋を建てる。土地を有効活用しようと屋根の上に無茶な増築をしたり、隣の建物に勝手にはしごを架けたり、中には橋を乗っ取ってその上に家を建ててしまう者までいた。昨日までは通れた道が翌日には塞がれているというのもよくある話で、寄せ集めのガラクタで造られた街は日々増殖していた。
 だがそんな街並みでさえ、夕暮れ時には美しい色に染まる。
 ロックはこの時分に街を歩くのが好きだった。小汚い貧民街が一時だけ、蝋燭の炎のような輝きを見せるからだ。店を抜け出し夕食を取りに行く時、いつもこの夕映えに見惚れながら歩いた。
 もっとも、今日は見惚れている暇などない。エベルに道案内をする必要がある。
 彼はやはり慣れていないのか、ロックの隣をぴたりと離れずついてきた。
「エベル、こっちです」
 ロックはそんな彼の為に、道行きを丁寧に説明した。この辺りに詳しくない客の為の親切だったが、エベルもすっかり頼りきり、分かれ道が見えてくるとその度にロックを見つめてきた。
「この道はどちらへ曲がる?」
「左です。そこから少し歩いた先を、今度は右に曲がります」
「なるほど」
 道案内をしながらでは、それほど速くは歩けない。二人はは夕暮れの道を同じ歩調で進んだ。
「ふむ、いい夕暮れだ」
 肩を並べて歩くエベルが、満足そうに呟く。
 その端整な横顔も、街並み同様に美しく染められている。ロックはそちらを見ないよう、見惚れてしまわないように注意を払う必要に駆られた。

 やがて通りの向こうに目当ての食堂が見えてきた。
「エベル、あの店です」
 貧民街では珍しい石造りの二階建て。上階は公衆浴場となっており、その下にはパン屋が入っている。パンの窯の熱で湯を沸かすという、帝都ではさして珍しくもない浴場だ。
 ここのパン屋は食堂も兼ねていて、ロックの行きつけの店だった。貧民街には他にも真っ当なものからいかがわしいものまで多種多様な酒場があるのだが、酒を飲まないロックにとってはここが一番落ち着く店だった。
「あそこはジャガイモパンが名物なんです。美味しいですよ」
 ロックが説明すると、エベルは目を瞬かせてから、
「ああ、あの店か」
 さして驚いた様子もなく言って、逆にロックを驚かせた。
「ご存知なのですか?」
「警邏の途中で何度か立ち寄ったことがある。若夫婦がやっている店だろう?」
「え、ええ……」
 どうやらエベルはこの辺りにいくらか明るいようだ。戸惑うロックをよそに、エベルは一足先にパン屋の店先に歩み寄る。
 ちょうどそこには女将のジャスティアがいて、エベルに気づくなり顔を輝かせた。
「あら、閣下! またいらしてくださったんですね!」
「食事がしたくなってな。連れがいるのだが、奥の席は空いているか?」
「ええどうぞ。すぐにお食事をお持ちします」
 慣れた様子のエベルに、ジャスティアも愛想よく応対をする。そしてエベルの連れがロックであることを認めた途端、物珍しげな顔をした。
「連れっていうから女の子かと思えば、ロック、あなたなの? 閣下とお知り合いだとは知らなかった」
「いや、店のお客で……」
 事態が飲み込めずしどろもどろになるロックの代わりに、エベルがすらすらと答える。
「彼には服を仕立ててもらっている。今日もその商談を兼ねて、一緒に食事をするつもりだった」
「まあ、そうでしたの。ではお入りになって」
 パン屋にとっても伯爵閣下は上客なのだろう。ジャスティアはロックには見せたことのない笑顔を浮かべ、二人を食堂の奥の席へ通した。

 ランタンの明かりが照らす店の奥で、ロックはエベルと差し向かいに座った。
 そして、楽しげに見つめてくる伯爵閣下に物申した。
「この辺りに詳しいなら、そうと言っておいてください」
「何度か立ち寄ったことがあると言っただろう。なぜ不満そうにする?」
 エベルの金色の瞳に、愉快そうな光が躍っている。
 確かに、その言葉自体に嘘はないのだが、釈然としないのはなぜだろう。
「僕が案内する必要はありませんでしたよね」
「そうでもない。あなたに案内されての道行きは、短かったがとても楽しかった」
 どうやら彼は、ここまでの道程を大変楽しんだようだ。 
 ロックは溜息をつくと、もう一つの釈然としない事柄について言及する。
「ジャスティアは――ここの女将は、あなたを『閣下』と呼んでましたが」
「ああ。それがどうかしたか?」
「僕だって、あなたをお名前で呼ぶ必要はないのでは?」
 行きつけの店に顔を覚えられ、素性まで知られているのなら、用心も何もあったものではない。
 だがエベルは、ロックの不満を屈託なく笑い飛ばした。
「私がそうして欲しいから頼んだ。それでは得心いかないか?」

 男は狼。ロックはふと、フィービが口にした言葉を思い出していた。
 その真偽の程はさておき、伯爵閣下が食えない相手であることは確かなようだ。