人狼閣下と道化の仕立て屋(3)

 一体、彼の身体はどうなっているのだろう。
 先程まで人並みの体型をした青年だったというのに、あっという間に人狼へと成り代わってしまった。

 仕立て屋を生業とするロックも、人ならざる者の採寸など初めてのことだ。
「全く得がたい経験をさせていただいております、閣下」
 ロックは巻尺を指で押さえ、人狼のエベルを採寸した。
 ふさふさの毛で覆われた首筋、筋骨隆々とした胸や肩、丸太のように太い腕や脚。ロックの細い指先がその身体をゆっくりと辿るのを、エベルは黙って見下ろしている。巻尺を身体に当てられる度、そしてロックの指が触れる度、金色の瞳がまるで意味ありげに光った。
「一つ、気になっていることがある」
 人狼の身体の採寸も済んだ後、エベルがそう切り出した。
「何でしょう?」
 巻尺を首にかけたロックが聞き返すと、不意に人狼の武骨な手がロックの手首を掴んだ。鋭い爪が触れぬよう、慎重に、しかし振り解けぬ強さで掴まれた。
「閣下、何事です」
 ロックは訳もわからずに抗議の声を上げる。
 すると人狼は、金色の瞳でロックの全身を射抜いた。
「あなたは、女の匂いがする」
 大きな口が動き、生え揃った鋭い牙がぞろりと覗く。
 ロックは内心戦慄した。男装では誤魔化しきれぬ細い手首を観察され、焦燥に駆られながら言い返す。
「閣下の……勘違いでは? 僕は男ですよ、あいにくと」
「鼻には自信がある。確かにこれは、女の匂いだ」
 エベルは濡れて光る黒い鼻をひくつかせた。
 それは人ならざる者ゆえの五感の鋭さなのだろうか。ロックはどうにか誤魔化そうと言葉を並べた。
「ここには女の客もよく来ますし、女の店員も実は一人おります。その匂いでは?」
「では、その女と懇ろなのか?」
 人狼の瞳には、微かな嫉妬の炎が揺れている。
「匂いはあなたの身体に染みついているようだ。余程深い仲の女がいるのだろう?」

 慧眼――いや、慧鼻とでも言うべきか。
 どうやらエベルはロックの本質を見抜きつつあるようだ。
 会話の間にも手首を離さぬ執着はあからさまで、ロックも己の身の危険を察した。こういう客がいるからこそ、今日まで男のふりをしてきたのだ。紳士的に見えていたマティウス伯がそういう男だという事実はとても、とても残念だったが――。

「閣下は、男色のご趣味がおありで?」
 ロックは、突き放すように尋ねた。
 その途端、エベルは夢から覚めたように息を呑んだ。金色の瞳から熱っぽい光が失せたかと思うと、ゆっくりとロックの手首を解放する。
「……済まなかった。無礼なことをした」
 彼は尖った耳を伏せ、尻尾を丸めて項垂れた。
「こういう言い方は妙だろうが、どうしても気になってしまって――いや、理由がなんであれ無礼には違いないな。本当に済まないことをした」
 エベルの言葉が真実なら、それは一時の気の迷いに過ぎないのだろう。
 よりにもよって、男に化けた貧弱な娘に欲情するとは哀れなものだ。ロックは笑い飛ばそうとしたが、動揺に顔が引きつり、上手くいかなかった。貧民街の他の客のように、もっと下卑た態度であればたやすく撥ねのけられるというのに。
「いいえ、閣下。気にしておりません」
 平静を装い、ロックはどうにかかぶりを振った。
 エベルはすっかり萎れてしまい、短く嘆息してみせる。
「そう言ってもらえると、ありがたい」
 その後、ロックは何事もなかったかのように工賃を計算し、エベルはそれにいくらか上乗せした額を支払ってくれた。
 だが二人の間に漂う微妙な空気は消しようがなく、掴まれていたロックの手首はしばらくの間、不思議な火照りを帯びていた。

 何にせよ、ロックは人狼伯爵の為の服を五日で仕立てた。
 そしてエベルの屋敷に使いを出し、服が仕上がったことを知らせると、すぐに取りに来る旨の返答があった。

 エベルが来店する日、やはりロックはフィービを早めに帰した。
「最近、隠し事が多いんじゃないの? 男ができたんなら紹介なさいよぉ」
 フィービは相変わらず詮索したがったが、今日はあまりごねずにあっさり店を後にした。
 そして入れ替わるように、鳶色の髪の青年が店に現れた。
「先日は済まなかったな、ロック」
 エベルは顔を合わせるなり、先日の無礼を詫びてきた。
 だがその表情は人狼の時とは違い、随分と晴れやかで明朗だった。
「いえ……もう、気にしておりません」
 ロックも笑って答えたが、ここ数日寝不足であることは伏せておく。仮に看破されたとして、仕事が忙しかったのだと言えばよい話だ。
 ともあれ、その仕事の話だ。
 仕立て上がったシャツとベスト、ズボンを差し出すと、エベルはその一つ一つを丁寧に広げ、つぶさに検分してみせた。
 そして縫製やホック、サッシュベルトの仕上がりなどを確かめた後、深い溜息をつく。
「つくづくよい腕だ。若いのに大したものだな、ロック」
「お褒めにあずかり光栄です、閣下」
「いっそ、私の専属として働く気はないか?」
 エベルはカウンターに手をつくと、その中に立つロックに対し身を乗り出した。
「あなたを私の屋敷に雇い入れたいと思っている。無論、その腕に見合うだけの賃金は払う。住み込みの為の部屋も用意するし、小間使いもつけよう」
 報酬だけを見れば、それはこの上なく魅力的な誘いに違いない。
 だがロックは、伯爵閣下の言葉を笑い飛ばした。
「もったいないお言葉です。私にはこの店がありますから」
 父が遺してくれた財産で構えたこの店を、ロックは命よりも大切だと思っている。だから手放したくはない。何があっても。
 それに――これ以上この青年と関わると、自分にとってよくないような気がするのだ。
 これまで頑なに守ってきたものを、たやすく掻き乱されてしまうような気が。
「……残念だ」
 エベルは、ロックの笑顔を物惜しげに見つめた。
 だがすぐに気を取り直し、隙をついてロックの手を取る。
「では、誘い方を変える」
 青年の大きな手が、ロックの華奢な手を握る。
 思わず凍りついたロックに対し、エベルは爽やかな笑顔で言った。
「この間、あなたは『男色に興味があるのか』と聞いてくれたな」
「え……ええ、まあ」
「考えたのだが、私は元より異形。その私が相手の性別にこだわるなど馬鹿げた話だ」
「……ええ?」
 ロックは声を裏返らせる。
 だがエベルは意に介さず、金色の瞳をきらきらと輝かせて続けた。
「ロック、私はあなたに惚れた。あなたが男であろうと構わない、恋人になってくれ」
「ご……ご冗談を!」
 思わぬ告白に、ロックはすっかり色を失くした。
 こういう事態の為に今日まで化けてきたというのに、これでは男のふりをする意味がない。性別を理由に断ることもできやしない。
 しかしエベルはロックを見つめている。美しい顔立ちと金色の瞳を明るく輝かせ、もし人狼の尻尾が見えていたなら、ぶんぶんと振り回していただろうことが想像できるご機嫌さで――ロックは迂闊にも、その顔に見惚れそうになった。

 と、そこに、
「やぁっぱりぃ! ロック、あなた男を連れ込んでたのね!」
 帰ったと思っていたフィービが、待ち構えていたように飛び込んできた。
 フィービは男がロックの手を握っていることに眉を顰めたが、男の顔を見た途端、大きく目を見開いた。
「マティウス伯爵閣下!」
「いかにも、私はエベル・マティウスである」
 エベルはロックの手を固く握りしめたまま名乗り、次いでロックに尋ねてきた。
「あちらのご婦人……いや、紳士か? 見た目は婦人のようだが、ともかく、あの方は?」
「う、うちの店員のフィービです」
 ロックは律儀に答える。
 そしてフィービに対しては、素直に助けを求めた。
「フィービ、どうしよう! 閣下に口説かれてるんだけど!」
「口説かれてるって……閣下、この子、こう見えても男でございますのよ?」
「無論、承知の上だ」
 フィービの問いに、エベルは揺らがず頷く。
「私はロックが男であろうと、女であろうと構わぬつもりだ」
「……あらそう。まあ、落とせるもんなら落とせばいいんじゃない?」
 どこか呆れたようにフィービはぼやき、そのまま店の入口へと取って返す。
「ちょっと、フィービ! 助けてくれないの?」
 ロックが悲鳴を上げると、フィービは肩を竦めた。
「そのくらい自分で何とかなさい。こういう客、珍しくないんでしょう?」
「えっ……」
 エベルがぎょっとしてロックを見る。
 どうやら今の言葉は、彼の心に火をつけてしまったらしい。金色の瞳に嫉妬の炎が燃え上がるのをロックは見た。
「私以外にも口説く者がいるだと……頼む、ロック。私を選んでくれ!」
「いや、ちょっと、困ります閣下!」 

 どうやら伯爵閣下は本気のようだ。目を見れば、フィービにはわかる。
 道化の仕立て屋は、果たしてどう応えるだろうか。
「……伯爵閣下ねえ。上手くやれば玉の輿、ってとこかしら」
 一人、店外に退避したフィービはそう呟き、店の中を覗き見る。
 エベルはぐいぐいとロックに迫り、されるがままのロックはすっかり赤面している。何せ初心な子だ。色恋沙汰にはとんと疎い。
「だからこそ、男に化けろって言ったんだけどね」
 フィービからすれば、そういう無防備さが心配で堪らなかったのだ。
 いくつか男のあしらい方も伝授してやろうとしたが、やんわり断られていた。
「まあ、あの子は幸せにしてあげないといけないからな」
 周りに誰もいないのをいいことに、フィービはそっと呟く。
 相手は、男でも女でも構わないという惚れ込みようだ。それが事実なら問題はないが、一時の気の迷いという可能性もなくはない。見届けてやるのも自分の仕事かもしれないと、フィービは溜息をつく。
「マティウス伯。うちの娘に釣り合うだけの男かどうか、ちょっと検分してやるか」
 その呟きも、当然ながら誰の耳にも入らなかった。
 フィービは、いつものように美しい女の顔で店へ戻っていく。

 帝都に住まう道化は、人狼閣下と仕立て屋ロックだけではないのだった。