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13:世間の目

 ほとんど眠れなかった夜が明け、キャンプ当日の朝が来た。
 私は荷物をまとめて家の前で、伊瀬が来るのを待っていた。22歳の伊瀬のほうを。

 19歳の――本来こちらにいるはずの伊瀬とは、結局連絡がつかなかった。
 2回電話をかけても出る気配がなくて、不安で不安でしょうがなくて、迷った末に私はメールを送ることにした。
 でもその文面にまず悩んだ。未来から来た伊瀬のことは言っても信じてもらえる気がしないし、あんまり変なことは匂わせないほうがいい。久しぶりのメールに緊迫感があったら逆に心配かけちゃうだろうし、あくまでも友達からの挨拶的な雰囲気を作って送った。
『そっちでは元気にしてる? 返事くれたらうれしいな』
 メールの送信はできた。
 返信はまだない。
 メアドが変わっているならそもそも送れないだろうし、ちゃんと届いていることは確かだと思いたい。伊瀬だって新生活にも慣れた頃で忙しいだろうし、そんなにすぐ返事は来ないだろうけど――こういう時に既読か未読かわかる仕組みだったらいいのに。
 私は眠れないまま待ち続け、少しだけまどろんだ頃にアラームが鳴って飛び起きた。
 やっぱり返信はないままだった。

 そして22歳の伊瀬は、約束の6時前に現れた。
「ふわあ……おはよ、キク」
 大きなあくびをしながらやってきた姿は、昨日とほとんど変わりない。髪の色は人目を引くミルクティー色だし、ジーンズのぼろぼろ具合もウォレットチェーンのちゃらちゃらいう音も、ピアスの数だって同じだ。ただTシャツだけは違う柄になっていた。これもまたずいぶんとサイケなデザインで、万華鏡で見た世界を原色で描きました、みたいな柄をしている。
 着替えてきたってことは、とりあえずどこかに泊まれたんだろうか。
「昨夜はちゃんとしたとこ泊まったの?」
「スパ銭に。仮眠スペースで寝てきた、あとで釣り返す」
「あ、いいよそれは。使うかもだししばらく持っときなよ」
 そこまで話してからどうしてもツッコミたくなって、
「変わった柄のTシャツだね」
 思わず指摘した私に、伊瀬はちょっと傷ついた顔をした。服のセンスをとやかく言われたからかと思いきや、
「お前、案外普通に出迎えたな」
 違ったようだ。
「どういうこと?」
「俺にまた会えてうれしい、とか言ってくんねえの?」
 鋭い目つきの伊瀬がそう言った。
「も、もちろんうれしいよ」
 私は慌てて答える。 

 うれしかったのは本当だ。
 19歳の伊瀬からは電話もメールの返事もなくて、一晩中不安でしょうがなかった。22歳の伊瀬まで来なかったらどうしようって思いがあったのも事実だった。
 だけどそれをどこまで言葉にしていいのか、わからなかった。伊瀬とまた会えてうれしい、無事でよかった、でも19歳の伊瀬のことも気になるし、そもそも22の伊瀬はここにいちゃいけない人のはずで、一晩寝て未来に帰れたならそれが一番よかっただろうし――本音と建前がぐちゃぐちゃに入り乱れたまま心から、本当に言うべき言葉を引き出すのはとても難しかった。

「もう会えなかったら寂しいなって思ってた」
 ひとまずまごうことなき本音を口にする。
 にもかかわらず、伊瀬はちょっと拗ねたようだ。子供みたいに口を尖らせた。
「マジでそう思ってる?」
「思ってる思ってる」
「ならいいけど。俺だってもう会えなかったら嫌だなって思ってたんだからな」
 伊瀬がそう思っててくれたことも、私はうれしかった。確かに無事に帰れるのが一番だけど、お別れも言えずにもう会えないままになるのも寂しい。未来で会えばいい、というのも事実だろうけど――。
「うん、私も」
 私は笑って、それから思いついたことを口にしてみる。
「できたら、未来に帰る時は黙って行ったりしないでね」
「ん?」
 彼が奇妙な顔をした。
 考えてもいないことだったんだろうか。いや、私にも伊瀬がどんなふうに未来に帰るのかはわからない。来た時だってふつうに玄関のドアを開けたら現れたんだから、映画みたいに派手な稲妻に包まれていなくなるとも限らない。この次の瞬間には目の前からかき消えてしまうかもしれない。
 だから無理かもしれないけど、最後はちゃんとお別れを言いたい。
「いきなりいなくなったらもっと寂しいから、挨拶してから帰ってくれたらうれしいなって」
「ああ」
 それでようやく合点がいったらしい伊瀬は、さっき拗ねたことも忘れたようにすっきり笑ってみせた。
「わかってるって、俺もそんな不義理はしねえよ」
「本当?」
「約束するよ。絶対に黙って帰らない」
 そう言って、伊瀬がそっと小指を差し出してくる。
 一瞬うろたえたけど、私はそこに自分の小指を絡めて指切りげんまんをした。
 夏の朝6時はもう明るくて、まばゆい朝日が辺り一面を照らしていた。光を透かしてより白く見える伊瀬の髪と、その下でどこか陰って見える彼の笑顔を目に焼きつけておく。
 いつお別れが来ても、絶対に忘れたくなかった。
「はい、指切り。約束したからね」
 小指に精いっぱいの力を込めて、私は告げた。
「任せとけ」
 伊瀬は満足げに繋いだ小指を見下ろしている。
 そして指を離してから、今さら気づいたように眉をひそめた。
「けど俺、帰る時ってどんな感じで帰るんだろうな? やっぱ映画みたいにすっげえド派手なエフェクトに包まれたりすんのか?」
「それ、私も考えてたよ。BTTFみたいな感じかなって」
「え、マジか。日本車しか運転したことねえよ俺」
「今のうちに左ハンドルに慣れとかないとだね」
 約束はした。だけど私たちはまだ、伊瀬が未来に帰るための方法を知らない。
 今日もいっぱい話して、その糸口を見つけられたらいいと思う。手がかりなんて何もないしタイムマシンが存在するのかもわからない。でも、伊瀬が何の理由もなく過去へやってきたとは、私はやっぱり考えられなかった。

 それから私と伊瀬は、柳たちと待ち合わせをしている駅までの道を歩いた。キャンプに持っていく荷物はほとんど伊瀬が持ってくれた。
 そして歩きながら、私は伊瀬に柳からメールが来たことを打ち明ける。
「柳が言ってたんだけど、伊瀬は初対面の子たちと一緒のテントとか無理だよね?」
 今日のキャンプではレンタルのテントをいくつか張って、そこで寝泊まりする予定だった。参加人数は男子六人、女子四人という感じだったから、テントは三つ借りる予定だった。
 だけど伊瀬の飛び入りがあったから、もう一つ借りて私と伊瀬で泊まるのはどうかな、というのが柳の提案だ。
「じゃあお前とふたり?」
 伊瀬が若干うれしそうにしたので、ひとまず釘は差しておく。
「あくまでいとこ同士だから、そう計らってもらえるって話だからね。変なことしたら殴る」
「なんだよ変なことって。何を想定してんだよ」
 それを聞かれても答えられる私じゃない。
 柳の提案もあくまで厚意だっていうのはわかってる。だけど本当はいとこ同士でもなんでもないわけで、そんな伊瀬と同じテントで一晩過ごすと思うとどうしても意識せざるを得なかった。
 とは言えさしもの伊瀬も、初対面の男の子たちといきなり一緒のテントは厳しいだろうし。
「心配すんなって。子供に手を出す俺じゃねえし」
 私が黙ったのをどう思ったか、伊瀬が急いで言い添えた。
「子供って誰が?」
「お前。だってまだ十代だろ」
「……そうだけど」
 まあ、相手にしてもらえるとも思ってないけど――してもらいたいわけでもないけど!
「とにかく、柳の親切にはお礼言っておくから。今日はちゃんといとこらしく振る舞ってね」
 私がにらむと、伊瀬は困ったように笑って肩をすくめた。
「了解です、いとこのキクさん」
 
 しかし名字で呼びあういとこというのも珍しいんじゃないだろうか。
 世間の目に私たちはちゃんといとこ同士らしく映るのか、若干の不安がなくもなかった。
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