誤解だから

「嘘でしょ? 二人とも、本当に付き合ってないの!?」
 これで何人目になるだろう。大学の友達では五人目くらい、かな。
 私と達哉は事あるごとに、恋人同士だと誤解されている。
「付き合ってないよ。ねえ?」
 毎度のことに笑いつつ、私は達哉に同意を求める。当然、達哉も苦笑していた。
「なあ? それは誤解だ」
「だって達哉くんと直子、普段からすごーく仲良さげじゃない」
 友達になった子は皆そう言う。私と達哉を見て、必ず一度は誤解する。ちゃんと説明をしても、その後も延々と誤解し続けて、顔を合わせる度に見当はずれな冷やかしを飛ばしてくる子もいる。今日も相変わらず仲がいいねとか、そんな風に――まあ仲がいいのは事実なんだけど。
 私と達哉は幼稚園の頃からの仲良しだ。小学校も一緒、中学校、高校もそう。そして大学も一緒に通っている。知らないことはないかもしれない、くらいの仲。当たり前のようにいつも一緒にいるから、誤解されるのももしかするとしょうがないのかもしれない。でも、男の子と女の子が一緒にいるだけで誤解されるっていうのも、ねえ。
「本当に恋人同士じゃないの?」
「そうだよ」
「本当の本当に?」
「そうだってば。皆、すぐ誤解するんだもんなあ」
 私と達哉は顔を見合わせ、お互いにあはは、と笑う。誤解されるのはいつものことだけど、あんまり慣れない。いつもくすぐったく感じてしまう。
 今回疑問をぶつけてきた友達は、まだあまり納得がいってないらしい。それもよくあることだ。しげしげと見比べられる視線に、二人で首を竦めていると、更に尋ねられた。
「でも、どう見ても付き合ってるっぽいけど……」
「そうかな。どの辺が?」
「だ、だって!」
 彼女は私と達哉を遠慮がちに指差してきた。ちょうど、私たちの首の辺りを。
「付き合ってなかったら普通、一つのマフラーを二人で巻いたりとかしないでしょ!」
「え? そう?」
 長いマフラーを半分こするのは私と達哉の習慣となっていた。外出する時も大抵一緒だったから。でも、これ、まずいの? 私がぎくりとすれば、尚も言われた。
「おまけに冬場はいつも手ぇ繋いでるし! 手袋もしないで!」
「うっ……そ、それは……」
 思わず返答に詰まる。そこへ達哉がすかさず口を開いた。
「これは単に、直子が迷子にならないようにしてるだけなんだ」
「ええっ!」
 言われて私はぎょっとした。二十歳にもなって迷子だなんて、今更だ。
「失礼な、もう迷子になんてならないよ!」
「昔はよくなってただろ。直子、泣き虫だったしな」
「そんなの昔の話でしょ。今は違いますう!」
「どうだか。俺が手を引いてやらないと駄目なくせに」
「――もういいから、お二人さん」
 呻くような声がして、見れば、件の友達は頭痛でもしてるみたいにおでこを押さえていた。そして急に顔を上げるなり、辺り一体に響くような声で叫んだ。
「四の五の言わずに認めなさいっ、付き合ってるんでしょ!」
「だから、それは違うってば」
「誤解だから」
 本当に誤解されてばかりで、困ったものだ。

 マフラーを半分こしているのには理由がある。
 手袋をしていないのにも理由がある。
 説明するのが億劫になるような、でも些細でしかない理由。もちろん私が迷子になってしまうからとかそういうことではなくって――もう子どもじゃないんだから、迷子になったりはしない。ただ、手を繋いでいたいと思っているだけだ。

 私と達哉は、二人暮らしをしている。
 人に聞かれたら『同棲』じゃなくて『同居』だと言っている。もちろんやましいところなんて微塵もない。胸を張って言える、私たちは恋人同士ではなくて、本当に仲のいい幼馴染みなんだって。
 大学から程近い安普請のアパート。居間の他に一部屋しかないような狭いところで暮らしている。お互いに貧乏なんだからしょうがない。実家からの仕送りは常にかつかつ、贅沢の出来る状況ではなかった。それでも二人で夢を追いたくて、無理を言って、実家から遠く離れた大学に通っている。お互いバイトもしてるけど、もちろん学業が最優先。だから少ないお金の使い道には頭を悩ませる訳で。
「でも、マフラーは買わない?」
 お互いバイト先から帰宅して、今は二人で夕飯の支度中。私は箸を並べながら、それとなく水を向けてみた。
「マフラーなあ」
 達哉がコンロの火を止め、溜息をつく。こちらを見る表情が困惑気味だ。
「やっぱり皆が誤解するのって、マフラーのせいだと思うんだ」
「まあ、そうなんだろうな」
「だからマフラーをもう一本買ったら、誤解されなくなるかなあって」
「直子、鍋敷き。鍋敷き置いて」
 早口気味の指示に、慌てて鍋敷きを座卓の上に置く。そこへ達哉が熱々の鍋を乗っける。冬場はほぼ毎日のように鍋物だった。簡単だし、安上がりだし、栄養満点だし、身体が温まるからいい。
「けど、二人で使えるからってわざわざ長いマフラー買ったんだぞ」
 達哉は鍋の中身をお皿に取り分けてくれた。鍋奉行なので私は黙って見てるだけ。本当、鍋物は楽でいい。
「また新しいの買い足すなら、せっかくのマフラーがもったいないだろ」
「それもそうなんだけど……」
 二人分、取り分けたところで、お互い向かい合わせに座る。手を合わせて、いただきます。はふはふ言うばかりで、しばらく会話のない晩ご飯となる。
 安アパートは学生ばかり住んでいるせいか、あちらこちらが賑やかだ。隙間風に混じってどんちゃん騒ぎが聞こえてくる。楽しそうで羨ましいけど、私には達哉がいてくれるからいい。
「私たちってさ、節約の方向性がなんか違わない?」
 一杯目を平らげて、お替りをねだりつつ、私は達哉に尋ねてみた。お玉で鍋の中身を盛りつける達哉が、不思議そうな顔をしてみせる。
「そっか? どの辺が?」
「んー……なんて言うか、二人で使うからマフラーも一本でいい、とか思っちゃうとこ?」
「それって、どこかおかしいか?」
 達哉は本気でわからないという顔をする。私も今日までは、幼馴染みだし、仲良しなんだからいいじゃないと思っていた。でもあの子の反応から察するに、どうやらそうじゃないらしい。
「多分さ、普通の感覚からすると、恋人同士じゃない人たちがマフラーを一緒に巻くのとか、手袋しないで手を繋ぐのとか、しないんじゃないかな」
 言った直後にお替りの皿を受け取って、ありがとうを告げる。そしてまたはふはふ言いながら熱々の鍋に舌鼓。うん、冬ってこれがあるから好き。
 一方、達哉は箸を止めていた。眉間に皺を寄せて、ぽつりと言う。
「そもそも、恋人同士に間違われるのって、何かまずいのか?」
「へっ?」
 私は危うく、白菜を喉に詰まらせるところだった。飲み込んでから慌てて、答えた。
「いや、だって、面倒じゃない? いちいち訂正するの」
「別に面倒じゃないな」
「えー、でも……」
「口頭で訂正するだけなら、お金が掛からないだろ」
 きっぱりと言い切る達哉。全くもって、ごもっとも。私は心底感服して、頭を垂れる。
「ははあ、おみそれしました」
「そうだろ。俺は正しい。絶対的に正しいからな」
 真顔で言ってから、また鍋を味わい始める。達哉の物言いはいつでも自信たっぷりだ。本当に正しいと思わされてしまう。長い付き合いだけど、言葉のやり取りでは敵わないなと思う――敵いたいとも思ってないけど。
「でも、さあ」
 食い下がりたかった訳ではなく、ただ、気になっていることがあった。私はもう一度水を向けようとして、今度は強い視線を食らう。
「まだ言うか」
「や、だって、今はいいかもしれないけど、後々困るかもじゃない?」
「何がだよ」
「もしもだよ? 達哉に彼女が出来たとして、私とそういうことしてたら――」
「それはない」
 またしてもきっぱりと言われた。でも達哉は、顔は悪くない。幼馴染みのひいき目ってやつかもしれないけど、ふとした瞬間の表情が格好いいと思ってる。性格もまあ、倹約家ではあるけど、それを差し引いても面倒見がよくて、もてない理由がわからないくらいだ。私が知らないだけで、好きになった女の子がいないとも限らないんじゃないだろうか。
 そういう子が私の存在を知ったら、そして皆と同じように誤解してしまったら、困るんじゃないだろうか。
「俺はな」
 達哉は視線を手元に向けたままで言った。
「こう見えても二十年間、一度として彼女がいたためしがないんだ」
「知ってるよ。それに、私だってそうだもん」
「二十年出来なかったってことは、この先も出来ないに決まってる」
「え、早くない? 諦めるの早くない?」
 まだたったの二十歳。花盛りはこれからだ。多分。
 それを二十年間の経験だけで、彼女が出来ないと決め付けちゃうのはどうだろう。達哉は結構、格好いいのに。そりゃあ達哉に彼女が出来たら、きっと私は寂しくなるだろうけど――私もこの通り、彼氏いない歴二十年だから。
「いいんだよ、誤解するような彼女なら、別にいなくても」
 鍋の蓋を開けながら、達哉が言い張る。もうもうと沸き立つ湯気の向こうで声がする。
「俺はお前といる方が、余程気楽でいいんだ」
 そう言った時の表情は、何も見えなかった。
 でも、私は思わず笑う。
「そっかな。うん、私もそうかも。どうせ彼氏なんて出来そうにないし」
「何だよ。お前だって諦めてるんじゃないか」
「だって二十年間もいなかったしねえ」
「だよな。諦めたくもなる」
 湯気が晴れた。お互いに顔を見合わせて、えへへと笑い合う。

 晩ご飯の後はいつもお風呂に入る。
 壁の薄いアパートで、初めのうちは騒音を気にしていたけど、直に気にならなくなってしまった。どうせ隣も上もうるさいもん。
 子どもの頃はよく、達哉と一緒にお風呂に入った。今はさすがに無理だ。なぜかって、アパートのお風呂はむちゃくちゃ狭いから。
「でもな、ここだけの話」
 と、達哉は真顔で言った。
「二人でいっぺんに入ると、水道代と光熱費が安く上がるらしいんだ」
「……うっ」
 ちょっと心惹かれた。貧乏暮らしが長いので、安いとかお得とかそういうフレーズに弱い。超弱い。二十歳にもなって、幼馴染みと一緒にお風呂というのは、さすがにハードル高いけど。というかこれこそ人にばれたら誤解される。
 でも安く上がるんなら。ううん悩む。
「浮いたお金でマフラーと手袋買えるかなあ」
「何だよ直子、まだ引き摺ってたのか」
「いや、さっきのことじゃないけど。バイトのシフトが合わない時、困ってるじゃない」
 マフラーが一本しかないと、出掛ける先が別々だった時に困る。大学は同じだしバイト先も同じスーパーだけど、バイトのシフトはどうしても違う。そういう時、達哉は私にマフラーを譲ろうとして、私は達哉にマフラーを譲ろうとする。そして大抵、口の下手な私がマフラーをする羽目になる。
 手袋だってあった方がいい。これからますます冷え込みが厳しくなる時期だ。いつも手を繋いで出掛けられるとは限らないから。
「まあ、風呂場のこの狭さじゃ無理だよな」
 薄暗いバスルームを一瞥した達哉はそうぼやいて、肩を竦めてみせた。
「お前、先に入っていいぞ」
「え、でも、いつもはじゃんけんで」
「いいから。俺の気が変わる前に一番風呂に入れ。それとも適度に温くなった二番風呂がいいのか?」
 達哉が急かすので、私は釈然としないながらも一番風呂の権利に与った。
 湯船に浸かり、体育座りをしながら、ふと思った――もしかして、話を逸らされたのかな。達哉、よっぽど節約したいんだろうなあ。

 お風呂に入った後は、湯冷めしないうちに寝ることにしている。
 達哉曰く、風邪を引かないようにすることが究極かつ至高の節約方法なのだそうだ。
「……でもさ、達哉。私ちょっと思うんだけど」
「何だよ、布団蹴るなよ。寒いだろ」
「あ、ごめん。でも、あのね」
「だから何だって。夜更かしは健康にも美容にも大敵だぞ」
「うん。あの、晩ご飯の時の話なんだけどね」
「は?」
「やっぱり、恋人同士っぽいことしてるんじゃないかなあって思うんだよね、私たち」
 節約の為、私たちの部屋には布団が一組しかない。私と達哉は毎晩、ぴったり寄り添って眠っている。もちろん、健全な関係だと胸を張って言えるけど。
「一緒に寝ただけで恋人同士になるのか」
 とは、達哉の反論。眠そうな声で言われた。
「だとしたら俺と直子は幼稚園の頃から恋人同士じゃないか」
「あ、そっか。そうなるよねえ……でも」
「大体、この隙間風の中、お前の体温なしで寝付くのは無理だ」
 達哉が、ぎゅうと私を抱き締める。二人でくっついているととても暖かい。布団一枚でも十分なくらい暖かい。
「今更だろ。俺は嫌じゃない」
 本当に眠そうな、スローモーションの声。それもだんだん聞こえなくなり、代わりにリズミカルな寝息が聞こえてくる。
 私も、嫌じゃないな。それはそう思う。達哉の腕の中で眠るのは落ち着くし、小さな頃からそうしていたから慣れっこだった。きっと私も、達哉なしでは眠れないと思う。
 彼の胸に、鼻の頭を埋めてみる。彼の匂いがする。小さな頃からずっと、誰より一番近くにいてくれた達哉。これからもそうだといいな、なんてぼんやり思う。

 私と達哉は、お互いにお父さんがいない。
 お母さん同士は同じ職場で働いていて、それで小さな頃から面識があった。お母さんたちは夜のお仕事をしていた。真夜中、誰もいない部屋に一人でいるのが寂しくて、そういう時は隣の部屋のチャイムを鳴らしていた。隣には達哉がいた。私の手を握って、私を抱き締めて、同じ布団の中で一緒に眠ってくれる達哉が。お蔭で私は迷子にならずに済んだ。達哉が手を引いてくれたら、夢の中でも安心出来た。
 同じ夢を追い駆けようと思ったのも、多分、当然の成り行きだったんだと思う。小さな子どもたちを幸せに出来るような、そんな仕事に就きたいと思った。達哉と二人で。お互いのお母さんには無理も言ってしまったけど、どちらのお母さんも快く私たちを送り出してくれた。二人ならきっと大丈夫だって、言ってくれた。
 だから私たちはその夢を叶える為、頑張ろうと思っている。達哉となら大丈夫。寒い時とか、辛い時とか、いろいろあるけど平気だ。からかわれるのだけは、未だに、ちっとも慣れないけど。


 慣れないと思っていたのは、私だけじゃなかったのかもしれない。
 数日後、達哉は私に紙袋を差し出した。バイト先のスーパーの。
「少し早いお年玉ってことで」
「クリスマスプレゼントって言えばいいのに」
 でも、ありがとうはちゃんと言い添えて、私は紙袋を開けた。中に入っていたのは手袋だ。赤い毛糸の、しっかりした作りの手袋。
「高かったんじゃない? もっと安いのでもよかったんだよ」
 私が尋ねると、黒い毛糸の手袋を填めた達哉が、真面目くさった顔つきで言った。
「こういうのはちゃんとしたのを買うべきなんだ。安物買いの銭失いって言うだろ?」
 なるほど、ごもっとも。
「マフラーは次の機会にな。しばらくはお前、一人で使ってもいいぞ」
 達哉はそう言って、ちらと私の顔を見た。白い吐息が消えたその奥、うかがうような目つきをしていた。だから私は平気なそぶりで言い返す。
「別にいいよ、二人で巻いても」
「いいのか? また説明が面倒になるかもしれない」
「口で説明するだけならただなんでしょ?」
 お互いに顔を見合わせ、それからいひひ、と笑い合う。
 いつものようにマフラーを、二人の首に巻きつける。手袋をした手も、結局繋いだ。いつものように二人、並んで歩き出す。
「ねえ、達哉」
「どした?」
「やっぱり誤解されてもしょうがないのかもね」
「まあな。でも、そのうちわかってもらえるだろ」
 そうだといいなあ、と思う。
 恋人同士ではないけど、私たちが寄り添って生きていること、ちゃんとわかってもらえるようになれたら。
「いざとなったら直子のことは、俺が貰ってやるから」
 達哉がぼそっと呟いて、私はちらとその表情をうかがう。マフラーに口元を隠した彼が、眉を顰めてみせた。
「もし俺のせいで誤解があって、一生彼氏が出来なかったら、の話な」
 そうなるかもしれないなあ、と思う。
 でも私は笑っておく。いいんだ。彼氏いない歴がこの先何年続いたって、達哉が傍にいてくれたら。

 いつものように大学に行ったら、案の定友達に突っ込まれた。
「どこからどう見たって、付き合ってるようにしか見えない!」
「だから、違うってば」
「そうそう。誤解だ誤解」
 私たちは慣れない弁解を重ねつつ、今日も二人で、一緒にいる。
 達哉は私にとって、すごくすごく大切な存在だ。だけど恋人同士みたいっていうのは誤解。恋人以上に大切な存在のことをなんて呼ぶのか、いつか誤解なく、人に話せるようになりたい。

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