化学同好会の連絡網(2)
幽谷高校に入学して三ヶ月が経とうとしてて、つくづくイメージしてたのと違うなあ、なんて思う。中学の頃の私は高校生、とりわけ女子高生にめっちゃくちゃ憧れがあって、高校に行ったらドラマみたいな生活が待ってるんだと根拠もなく信じてた。高校には中学にないものがいっぱいある――クラブハウスとか購買部とか学食とか、ド田舎の幽高にだってそのくらいは揃ってる。そうして部活動やってそれなりに青春したり、学校行事に浮かれてクラスで団結してみたり、はたまたJKらしく格好いい彼氏作ったりって、そういう高校生活が待ってるんだと思ってた。
蓋を開けてみればそんな華やかさがド田舎の高校にあるわけなく、クラブハウスはあるけど使用できるのは運動部限定だったり、購買で売ってるパンはいつも品揃えが貧弱だったり、学食なんかもっと酷くてメニューが三種類ぽっちだったりする。日替わり弁当とカレーとうどん、このうどんにあぶらげが乗ってないと友達に聞いて以来、学食に行く気はすっかり失せました。
それでも幽高は制服だけはものすごく可愛いし、田舎っつったって遊べるとこがないわけでもない。ってことで彼氏作りくらいはどうにかなるんじゃないのって思ってる。つか、どうにかしたい! 彼氏欲しい!
でもクラスの男子のほとんどはまだまだガキって言うか。顔とか全然子供っぽくて、中学の制服着たら中坊のまんまって感じだ。それでもまれにそこそこ見れるのもいるけど、そういう奴って結構高校デビュー的なの多いんだよね。あんた今でこそキメキメのヘアスタイルだけど去年までお母さんに髪切ってもらってたじゃん、みたいなの。また田舎だから中学も一緒高校も一緒って子も多くて、高校デビューなんてしたらばればれなわけ。かといって弾けすぎてるヤンキーもパス。幽谷町のヤンキーは未だにボンタンだからね。あの制服でボンタンとかないよねー。
選択肢に乏しいこの状況を私が嘆くと、クラスの友達は決まって『花音には部活の先輩がいるじゃん』って言うんだけど、それこそないから! ありえない。だって顔怖い人か猫頭の二択だよ? 究極の選択だよ? そりゃやな奴だと思ってるわけじゃないしよく遊びにも行くし過去にはいろいろ恩もあるわけなんだけど、それとこれとは別。あの二人は論外です。そもそも部活動自体が化学同好会っていうザ文化系の地味なやつだし、たまに本当に真面目な実験とかするし、それでいて同好会の性質上、無闇に新入部員を勧誘できないしで想像してた青春とはかけ離れてる感じだった。
うん、『だった』。この間までは。
今はちょっと風向きが変わって、同好会にはすっごい格好いい先輩がいるんだ。
会長からの電話を切ってすぐ、私はその先輩に電話をかけた。
時刻は午後九時ちょっと前。大地先輩はいつもこのくらいならメールの返事をくれるから、きっと繋がるだろうと踏んだ。予想は的中して、二回目のコール音の後に先輩は出てくれた。
『栄永ちゃん? どうかしたのか?』
驚いたような声なのは、多分、あんまり電話をしたことないからだと思う。メールはいっぱいしてるけど。
「同好会の連絡網!」
『ああ、こないだの集まりで決めたやつ?』
「そうだよ。ね、今は時間平気?」
『いいよ。……あ、少し待った。メモするから』
先輩は自分の部屋にいるんだろうか、がらがらと引き出しを開ける音がする。先輩ってどんな部屋で暮らしてるのかなあ。一度呼んでよって言ったら『店ならいつ来てもいいよ』って返された。まあ、軽くて遊んでそうなのよりはずっといい反応だけど。
そもそも大地先輩は顔も声も超格好よくて、髪型もいつも決まってて、背が高くて運動神経もよくてそれでいて脳筋じゃない理想的な人だ。おまけにいつも明るくて、女の子に優しくて、だから当たり前のようにもてる。でもそれをいいことに、寄ってくる子に手を出しまくりってことも全然ないらしいのがすごい。私の友達にも憧れてる子は多くて、五月から同じ部活になった途端に皆からいいなあいいなあってめちゃくちゃ羨ましがられた。私も正直に言えば、そこそこ優越感なんて持ってたりして。
だって校内でも人気者の先輩と同じ部活で、メルアドとか知ってて、こうして電話だってできる仲って自慢じゃない? 皆から一歩リードって感じ。もちろん目指すところは先輩の彼女にしてもらうことだ。
『お待たせ。で、どんな連絡?』
メモを取る用意ができたようなので、私は張り切って連絡を告げる。
「えっとね、明日から部活禁止でしょ? ほら、テスト前だから。ってことでテストが全部終わったらまた皆で集まろうだって。それで、都合のいい日があったら暇な時にでも教えてって会長が」
『……へえ。テスト明けに何かやんのかな』
大地先輩は不思議そうに、むしろ疑わしげですらある口調でそう言った。
そういえば、何で集まんのかは聞いてないや。でも大した用事じゃないんじゃないかなあ、そうだったら会長は絶対事前に言うもん。
「わかんなーい。どうせ、また皆で遊びに行くとかじゃない?」
『そっか。ならいいんだけど』
気のせいかもしれない。でも大地先輩、どっか引っ掛かってるみたいな態度だった。今の連絡に先輩が気を揉むような何かがあるとは思えないけど、何だろうね。
「もしかして、私に会えなくなるの、寂しい?」
若干の望みをかけて聞いてみる。
『は? 寂しいって、何で?』
……それがこの答えですよ。何なのもう!
「何でってことなくない? 可愛い後輩の顔見れなくて寂しいんじゃないのっつってんの!」
『二週間もすりゃテスト終わってるし、そこまででもねえな』
「えー。ちょっとは寂しがってよ先輩!」
『はいはい、寂しい寂しい。で、連絡はそれだけか? 終わったんなら――』
こっちの望みなんてお構いなしで、大地先輩は電話を切り上げるモードに入った。慌てて食いつく。
「もう電話おしまい? も少し話そうよー」
『だって連絡網だろ。俺も次に回さなきゃなんねえし』
「でもでも、時間平気ってさっき言ったじゃん」
『俺が平気だって、萩子はそうでもねえからな。あいつ、たまにすっげー早寝するから』
出たよ。萩子先輩。
大地先輩がその名前を口にする時、たとえ本人が傍にいなくたって、声のトーンが変わるのを私は知ってる。それはもう宝物みたいに大事に大事に呼んでみせる。
もちろん私にとっては面白くない、何だか悔しい呼び方なんだけど、同時にすごく不思議な感じがする。何て言うか、よくわかんないなあって。
五月のあの一件の後、大地先輩と萩子先輩は以前にも増して仲良くなった。でもだからって付き合ってるわけではないって、二人は口を揃えてる。付き合ってるから、好きだから一緒にいるんじゃなくて、二人でいるのが本当に普通で当たり前みたいな――お蔭で私はこの二人がどういう関係なのか、全然わかんなかったりする。黒川先輩は『異性の幼なじみは鉄板だよ』なんて決めてかかってるけど、あいつの言うことだしね。
ってか大地先輩はすごく格好よくて何でもできて女子にもてるんだから、もし仮に萩子先輩のことが好きだったら、さっさと告ったらあっさり付き合っちゃえるんじゃないのって思う。そうしないのはどうしてか、やっぱよくわかんない。
だから私は、あの二人は普通にお友達なんじゃないかって考えて、希望を繋いでるわけなんだけど――。
「そんなに萩子先輩と話したい?」
思いっきり拗ねてやったら、向こうは向こうで微妙な間を空けやがった。
『……いや別に? 話したいってか、話すだけなら毎日してるし。そんなんでもねえけど』
しかも若干動揺してるし。むかつくわー。
「あーそう。そうですか。もういいです」
『つか、連絡網だから急がないとだろ。他の理由とかねえし、そんだけだよ』
わかりやすく早口になった大地先輩は結局、
『じゃあな、栄永ちゃん』
いそいそと挨拶を済ませてきたから、こうなるともう食い下がる気も消し飛んだ。
だからさあ、付き合ってんならそれはそれで、しょうがないって思うじゃん? 諦めもつくじゃん?
そうじゃなくてどうにもなってないはずなのに、大地先輩の態度があからさまなのが気に食わない。これで好きじゃないとかないよね。そして好きだったら、何にもしないで傍にいるだけとかないよね。
何なんだろ。
もやもやする気分で握り締めてた携帯を睨みつける。話ができたのはほんの五分程度だった。短すぎ。この後、萩子先輩とはどのくらい話をするのかな。連絡網だってことも忘れて長々話し込んだりしてね。あーあ。
すっきりしない私は、このもやもやをぶつけるべく、違うところへ電話をかけた。
『――お、どした栄永。何か用か』
いつも暇そうな黒川先輩は電話に出るのだって速い。聞こえてきたのんきな声に、私は積もり積もった苛立ちを投げ返す。
「聞いてよ先輩! 大地先輩が酷いんだよ!」
『はあ? いきなり何』
「大地先輩が私にすっごく冷たいの! 萩子先輩には優しいのに!」
『何言ってんのお前。そんなの、今に始まったことじゃないだろ』
黒川先輩はけたけた笑いながら応じてくる。むかつく。
わかってるけど。大地先輩には、どういう意味でもとにかく萩子先輩が特別なんだってことくらい。
「でもさ、あの二人付き合ってないじゃん」
『だから?』
「あんだけ仲良くても付き合ってないんだったら、割り込めそうって思うじゃん」
『ないない。どうせ時間の問題ですよ』
「そっかなあ……。いっそさっさとくっついてくれたら、こっちも見切りつけるのに」
『お前はもう諦めとけ。言っとくけど稲多くんなら、時間の問題っつっても相当かかるぞ』
何それ、どういう意味? 何で大地先輩だと時間かかんの?
どう見たって超楽勝コースだと思うんだけどなあ。私なら即決するのに、萩子先輩の好みは、大地先輩とは違う感じとか?
納得いかなさと訳のわからなさに頭がぐるぐるしてきた。そして諦めろと言われても目に見えた結果が出るまでは、諦めきれるもんじゃない。
「じゃあさー黒川先輩、誰か紹介してよ」
そう持ちかけたらまた笑われた。
『紹介と来たか。お前、実は男なら誰でもいいんだろ?』
しかもこの言い種。いちいちむかつく。
「誰でもいいわけないじゃん! 顔も性格も重視するよ!」
『あっそ……。とりあえず、稲多くんじゃなくてもいいんだな』
「そりゃあのくらい格好いい人だったらね。先輩の友達にそういう人いる?」
『いてもお前には紹介したくないわ……俺が友達失くしそうだし』
「何で失くすの? むしろ末代まで感謝されるはずだよ?」
『どっから出てくんだよその自信!』
だって可愛いもん、私。それはわかってるんだ。
問題はどうしたら、そんな私が理想通りの高校生活を送れるかってとこ。来月にはもう夏休みが始まっちゃうし、本当に、どうにかしたいって思ってます。