化学同好会の連絡網(1)
皆に言わせると、僕はあまりメールが上手くないのだそうだ。電子メールの利便性は言うまでもない。便箋や封筒や切手を用意しなくても携帯電話一つで連絡ができて、即日どころかものの数秒で相手方へ届く。筆跡の乱れを気にする必要もなく、常に読みやすく整ったフォントで読んでもらえる。手紙のようにしかつめらしい挨拶が要らないのも利点かもしれない。この合理的な文明の産物を、僕ら高校生はまるで日用品のように標準装備している。既に現代日本においては、高校生活を送る上で必要不可欠なものとなっている。
しかしそんな風潮にあって、僕が普段送るメールはとても冷たく、味気がないと批評を受けている。クラスの友達には、用件だけじゃなくてもう少し何か書いてこいとよくダメ出しをされる。付き合いが長い黒川はもっと遠慮がなく、
『上渡くん、これはちょっとどうかと思うよ。いや男同士だからまだ素っ気なくてもいいけどさあ、お前とは部活で顔を合わせるだけの関係でしかない、ってビジネスライクに言われてるみたいだよ。こんなの女子に送ってたら、まず間違いなく振られるね! 百円賭けてもいいよ!』
などと幾度となくごねられた。
そうは言ってもメールに手紙のような時候の挨拶を書いたら書いたで、それはおかしい、メールらしくないと言われるのだから扱いに困る。用件以外に何を記せばいいのか皆目見当もつかない。それに最近まで僕のメールの相手のうち、女子生徒に該当するのは栄永くらいのものだったので、振られるかどうかを気にする必要もなかった。
その栄永も当初は『会長も顔文字くらい使えば?』と勧めてきた一人だった。だから僕が試しに、
『本日はワックス掛けが入るので化学室が使えない。部活動は中止だ><』
と送ったみたところ、腹筋が攣るのでやめてくれとなぜか懇願された。お言葉に甘え、気取らないメールを送らせてもらっている。
さて、我が化学同好会は五月からメンバーが増えた。僕は同好会会長として他の四人にCCで活動内容についての連絡メールを送っているが、人員の増加を機に、電話連絡網も設けてみることにした。
どうしても一方的な通達になりがちなメールとは違い、電話での連絡網は各々が連絡を繋いでいくたすきリレーのようなものだ。皆で協力し合い、絆を深め合う共同作業――と言うといささか大げさかもしれないが、少なくとも僕の事務的なメールよりははるかに交流が深まるだろう。僕と他の四人という構図だけではなく、メンバー同士の横の繋がりが持てるのもいいことだ。
幸い皆からは異論も出ず、急を要しない連絡事項については連絡網を試してみようということになった。
「――というわけで、同好会の連絡網だ」
『待ってました!』
用件を伝えた途端、電話の向こうからは栄永の弾んだ声が聞こえてきた。
そんなに連絡網を歓迎してくれるのか。僕は驚きつつも喜んだが、
『これで大地先輩に電話する口実できたー。ありがとね、会長!』
続いた言葉に思わず肩を落とす。そういうことか。
連絡網の順番は、前回の会合の際に意見を出し合い決めていた。僕が栄永に連絡事項を伝えるところから始まり、栄永は稲多くんに電話を回し、その次は稲多くんが片野さんに、片野さんからは黒川に連絡をする。最後に黒川が僕に、連絡が行き渡ったことを伝えるという手順だ。会合では栄永と黒川がいつも通りの言い争いをしたり、天候の悪化の懸念があったりと多少ごたついたものの、最終的には誰からも文句の出ない形に落ち着いた。
「口実なんてなくても、君なら頻繁に連絡をしていそうだと思ったが」
僕が率直な感想を述べると、栄永は不満そうに唸る。
『メールはしてるけど。大地先輩、無難な返事ばっかだし、送るのはいっつも私からなんだよ』
そこから彼女は堰を切ったようにまくし立てた。
『大地先輩もさあ、もっと普段からメールくれたらいいのにって思わない? そりゃ返信あるだけいいのかもしんないけど何て言うの、この一方通行状態! 大地先輩もこんな可愛い後輩に慕われて、ちょっとは嬉しいとか思わないのかな? ねえ会長、どう思う? 黒川先輩は脈ないとか簡単に言うけどさ!』
一方通行とは、こうして栄永の話を延々と聞かされている僕の今の状況を指していうものではないだろうか。奔流のような彼女の言葉に僕はなかなか口を挟むことができず、ようやく言えたのも短い相槌だけだった。
「どうだろう」
『会長も一緒に考えてよ! メンバーの悩み事を解決し合うのが同好会の理念でしょ?』
ねだるように言われたが、栄永のその悩みを解決してしまうと、今度は他に困る人物がいることだろう。お断りしておく。
「さすがにプライベートな悩みまではフォローできないな」
『じゃあ個人的にでいいから知恵貸して! って言うか、最近の大地先輩は萩子先輩にべったりで、他の子なんか眼中にないって感じだから。そこがすっごい不満!』
どうやら栄永も現状を把握できてはいるらしい。
稲多くんが他の女子生徒など眼中にないというのはまさにその通りだ。ただもしかするとそれは最近という次元ではなく、僕らの知りえないずっと昔から継続されてきた、彼にとっては当たり前の意識なのかもしれない。その歳月で彼と片野さんが構築してきた関係、絆は、恐らく他の誰にも侵しがたい強固なものだろう。
そういう現状を理解しているはずの栄永がここまで彼にこだわる理由は、稲多くんを異性として好いているからなのか、それとも彼の幼なじみというポジションに憧れているだけなのか、僕には読みきれなかった。前者ならまだ可能性はあるのかもしれないが、後者ならば無理に等しい。
「あまり稲多くんに迷惑をかけないようにな」
僕から栄永へできる助言はそのくらいだ。彼女には不本意そうに唸られたが。
『迷惑なんて、全然かけてないよ!』
「彼も忙しい人だ。学業や部活だけではなく、店の手伝いだってしているんだからな。君へのメールが覚束ないのも仕方あるまい。むしろメールを送りすぎて、彼の負担になるようなことは避けるべきだ」
更にアドバイスを続けると、栄永は鼻を鳴らす。
『結局お説教ですか。会長に聞いたのが間違いだったかも』
「確かにお門違いな相談ではあるな」
『だよねー。会長には女の子の気持ちなんてわかんないもんねー』
散々な言い種の後、彼女は面倒くさそうに尋ねてきた。
『で? 連絡は?』
「……明日から期末試験前の部活禁止期間だ。よって試験終了まで活動はできないが、試験期間が明けたらまた集まりたいと考えている。各々、都合のいい日取りを手の空いている時にでも連絡して欲しい。そう伝えてくれ」
それでも僕の伝えた連絡事項をメモする細やかさはあるらしい。ペンを走らせる微かな音が聞こえてくる。しばらくしてその音も止まり、栄永の声が戻ってきた。
『うん、了解。あとは何にもない?』
「ああ」
『わかったー。じゃ、連絡回さなきゃだから切るね。ばいばーい!』
何だかんだで楽しげな挨拶と共に、電話は切れた。
逆に、僕はどっと疲れが押し寄せるのを感じながら、携帯電話を机上に置く。
女子の気持ちがわからないと栄永は僕に言ったが、そんなことはないと思う。人間にしろ妖怪にしろ精神構造にそう差はないはずで、それならば異性だからという理由だけでわかり合えぬこともあるまい。
ただ、日常生活においてはその理屈が通用しないらしいことも感じてはいる。例えば僕のメールを評して、『こんなの送ったら間違いなく振られる』と黒川が言ったのがそうだ。メールが素っ気ないくらいで振られるものなのか、メールで伝わりきらないことは電話か、直接会って伝えればいいのではないか、以前の僕はそんな風に考えていた。それが高校生の標準装備であり、コミュニケーションの一端を担う必要不可欠な存在であることを把握しきれていなかったのだろう。
片野さんに、いつでもメールをしていいと言ってもらった時、僕は柄にもなく慌てた。その狼狽ぶりを省みるなら我ながら無様なもので、どんなメールを送ればいいかという相談を、事もあろうに黒川へ持ちかけるという暴挙に出たほどだった。黒川は僕を『浮かれてた』と言ったが、実際に浮かれていたのは間違いなく奴の方で、好奇心で表情を輝かせながら根掘り葉掘り聞き出そうとしてきた。それでいて、件のメールの相手が誰かを僕が白状させられた途端、急に真顔になってこう言った。
――上渡くん、あの子は無理だよ。まず勝ち目はないよ。
黒川は誤解していた。僕が彼女を異性として好いているのだと思ったようだ。もちろんそうではなく、また彼女の幼なじみに成り代わりたいわけでもない。彼女と稲多くんの間にある信頼関係は確かに羨ましいくらいだが、それが一朝一夕で成り立ったものではないことも承知している。
ただ、嬉しかったから、お礼を言いたかった。
僕の正体を、現代日本においてどんなに異質な存在かを、全てではないにせよ知った上で、あんな風に言ってくれる人がいるとは思わなかったから。
本当に嬉しかった。折を見て、是非ともお礼を言いたかった。でもいつものような味気ない、冷たいと言われるメールでは、その感謝も、喜びも、全て伝えきれない気がして、だから黒川に助言を求めた。
今となっては感謝の言葉自体、告げるべきではないだろう。彼女は稲多くんにとってこの上なく大切な人だし、逆もまた然りだ。誤解を招くような行動を取り、二人に迷惑をかけるようではいけない。それは幽谷町に暮らす妖怪としても正しく、ふさわしい考え方だろう。
再び携帯電話を手に取り、現在時刻を表示させる。
二十時四十七分。各家庭でも夕飯時は過ぎた頃だろうが、連絡網が滞りなく行き渡ったとしても二時間は見ておくべきか。黒川から最後の連絡があるまで、試験勉強でもしておこう。
画面には時刻表示と並列して、今日の日付も表示されている。六月ももうじき終わる。七月に入ればすぐに期末試験があり、その後には夏休みが待ち受けている。長期休暇中にも同好会の会合を数回予定しているから、そちらのスケジュールも追々詰めていかなければならない。
そこまで考えて、――ふと思い出す。
そういえば彼女は、七月だと言っていたはずだ。
七月のいつだろう。今度、彼女に聞いてみよう。そのくらいなら誤解を招く行動でもないだろうし、彼女さえよければ、同好会として何かできたらいいと思う。もちろん予定がある可能性も考慮して、誰よりも彼女と、稲多くんの意思を尊重しつつ。