冬の日に歌を(1)
いつの間にやら今年も、残すところあと一ヶ月となった。朝晩はめっきり冷え込むようになり、部屋で過ごす際は電気ストーブが欠かせなくなった。街路樹の葉はいつしかすっかり落ちて、丸裸の木々がほうぼうで風に震え上がっている。大学の講義室は暖房が入っているものの、冷たい空気は足元に澱んで消えることなく、逆に頭ばかり暖められて意識が朦朧としてくる有様だ。頭寒足熱という言葉に逆行する環境が身体にいいはずもなく、大学ではこのところ体調を崩す者が増えていると聞く。
もっともそれはある種の流行、風物詩のようなものでもあるだろう。風邪が流行るのも毎年恒例なら、『今年の風邪は質が悪い』と言われるのもやはり恒例である。そろそろ澄江さんが連絡をくれる頃だとふと思い、俺自身は雛子の体調が気にかかっている。先月の文化祭以来、雛子とはほぼメールのみでやり取りをしていたが、今のところ風邪を引いたということもなく元気でいるらしい。文芸部は引退したと言っていたが、気を抜くこともなく受験勉強に励んでいるようだ。今後も体調管理に気をつけるよう、毎日メールで言い渡している。
そんな冬の始まりの時期、俺は大槻から『とてもとても重要なお願いがあります』と呼び出された。
用件は概ね察しがついている。何せ今は十二月だ。
午後三時に大学の食堂で落ち合う約束だったが、大槻は時間通りには現われなかった。
俺はその間、本を読みながら奴を待っていた。クリスマスツリーが飾られた学食は程よく空いていて静かだったが、それでも他の客がいないわけではない。俺のいるテーブルの傍を通り過ぎていく人影がふと目に留まることもあり、そのせいで二度ほど読書を中断する羽目にもなった。俺の視線を攫ったのはどちらも眼鏡をかけた女子学生で、しかしよく見るまでもなく、雛子とは似ても似つかぬ女たちだった。
そもそもここに彼女がいるはずもないのに。
悩んでいてもいなくても、満ち足りた気分でいる時さえ、俺は雛子を探してしまう。そんな自分がおかしくて、俺は苦笑を噛み殺した。
約束の時間から二十分が経過して、ようやく食堂に姿を見せた大槻は、俺を認めるなりぺこぺこと頭を下げた。
「鳴海くんごめん本当ごめん! 呼び出しといて遅れるとかマジないよね。ごめんね!」
謝ってもらうことに異存はないが、らしくもない腰の低さには違和感がある。
恐らくそれもこの度呼び出した用件がさせていることなのだろう。俺は何とも言えない気分で頷き、読んでいた本に栞を挟んで閉じる。
自販機で紙コップのコーヒーを二つ購入し、大槻がこちらへ近づいてくる。
「お詫びって言うんじゃないけど、まあこれでも飲んで」
そして片方のコップを目の前のテーブルに置かれた。
俺も既にコーヒーは飲んでいたが、温かいものが欲しかったのでありがたく受け取っておく。
「悪いな、ありがとう」
「いえいえ。呼び出したのこっちだしね」
もう一つのコップを手に隣の椅子を引きながら、大槻がふと、俺の持つ本の表紙に目をやった。
「何読んでんの? えっ、『不思議の国のアリス』?」
そしてタイトルを読み上げた後、訳がわからないというように首を傾げる。
「こないだのシンデレラと言い、君、読書傾向変わった? 何か急に少女趣味じゃない?」
「そうでもない。ちょっと読み直しておこうという気になっただけだ」
アリスと言えば西洋児童文学の代表作と呼べる作品だ。俺のような人間が読んだところで別段不自然でもないだろう。シンデレラは確かに不自然だったかもしれないが、そもそも人がどんな本を読もうと当人の自由だろうし、それはいちいち他人に批判されるようなものでもないはずだ。
この本も船津さんの店でアルバイト中に見つけたものだった。先月の文化祭で雛子たちが仮装のテーマにしていたこともあり、今一度読み返しておこうと思ったのだ。内容自体は以前読んでいたものとほとんど変わらず、やはり帽子屋は女王から死刑の宣告を受けているという設定だったが、それはもう気にしないでおく。どうせ俺も別の意味で、彼女の虜になっているのと同じだ。
いつだったか雛子と二人で、同じ本を読み返すことの面白さについて話し合ったことがある。当時、彼女は『同じ本でも、その時の気分や読み方によって、以前とは違う印象を受けることもある』と言い、俺もその意見に同意を示した。同じ本でも後から読み返すことで、初めて読んだ時とは違う印象を受けたり、新たな発見が得られたりするものだ。文芸部の部室で交わされた会話のうちの一つだった。
思えばあれも、十二月の話だった。
そして、『不思議の国のアリス』を再読した俺は今、かつてないほどこの物語に興味を持っている。
「アリスの物語の成り立ちはとても興味深いと思う」
俺がそう続けると、椅子に腰を下ろした大槻が怪訝そうな顔をした。
「真顔で言われるとシュールだなあ……まあいいや、どういう点で?」
「この物語は元々、ルイス・キャロルがアリスという名の少女の為に作ったものだ。物語を贈る相手に楽しんでもらえるよう、喜んでもらえるように趣向を凝らして編み出された」
無論、アリスの物語が出版される際には手直しをしたというし、現在こうして本の形になった以上、物語を贈られたのは本を手にした読者全てということになるのだろう。
だがその原点は、物語の始まりは、もっと身近な相手に対し、親しみを込め捧げたものだった。
「誰かに伝えたいこと、訴えかけたいことを綴るのではなく、純粋に誰かを楽しませる為の物語というのも、素晴らしいものだと思った」
俺はそこで何となく笑い、
「いつか……俺もそういう物語が書けたらと思っている」
照れながらも言い添える。
今までは書きたいことばかり書き連ねてきたが、一つくらいはそういう物語があってもいい。整合性もなくてんでめちゃくちゃな話でも、多くの人間にくだらないとそっぽを向かれるような話でも、ただ一人雛子だけは笑って、楽しんでくれるような物語を、いつか書けないだろうか。
アリスの物語を読み返しながら、近頃そういうことを考える。
彼女がそう望んだように、俺も俺の物語で、彼女を幸せにできないものかと。
「ああそうか。少女趣味ってか、ロマンチストになったんだね、君」
大槻は穏やかに笑み、湯気の立つコーヒーを一口啜る。
茶化されたのか真面目な感想なのか表情からは読み取れず、俺は聞き返した。
「おかしいか」
「いや、普通じゃない? そんなもんですよ男なんて」
意外にも、大槻は軽い口調で肯定してみせる。
「どんなリアリストも好きな子ができりゃ夢の一つや二つ見ちゃうし、甘っちょろいことも考えちゃうんだって」
ロマンチストという表現が正しいかどうかはわからない。だが事実として、俺は昔から考えもしなかった甘い夢を思い描くようになった。今では彼女の笑顔の為なら、雛子を喜ばせる為なら、俺の全てを懸けてどんなことでもできるとさえ思う。
「いつか書けるといいね、雛子ちゃんの為のお話」
冷やかしめいた大槻の言葉には、思わず我に返ったものの。
「俺は雛子の為に書くとは言ってない」
「もう言ったようなもんだろ! ばればれなんだよ!」
奴は俺を指差してげらげら笑い、図星を指された俺はこれ以上の否定もできず、黙って本を鞄にしまった。
熱いコーヒーを飲みながら大槻が笑い終えるのを待ち、話題を今日の用件へ戻す。
「それで、お前の言う重要なお願いとは何だ」
すると大槻は塗り替えたように真面目な顔になり、自分の鞄の蓋を開いた。そこからクリアファイルを取り出し、数枚の紙切れを俺に見せる。つるつるとした光沢紙の表面に『クリスマスジャズコンサート』と印刷されたその紙切れは、栞よりも一回り大きいくらいのサイズで、半券が切り取れるよう端にミシン目が入っている。
「これなんですが……」
やけにおずおずと大槻が切り出す。
「今年もチケット、買ってくれないかなあなんて思いまして……」
俺は試しにチケットを受け取り、表面に印刷された一通りの情報に目を通す。
それは予想通り、大槻が所属する吹奏楽団による、クリスマスコンサートのチケットだった。今年の開催日時は十二月二十四日、去年より一日遅い。会場は去年と同様に市民会館、開演時刻も変わらず午後七時半からとなっている。
同じようなチケットを、俺は去年も買わされていた。
聞くところによればこういったコンサートのチケットにはノルマがあるもので、楽団員一人当たり何枚とチケットを渡されて、それを売り捌けなければ自腹を切らなければいけない慣例らしい。団員に負担を強いる悪しき慣例ではないかと俺は思うのだが、大槻はどこもそんなものだと平然と言ってのけた。
ともあれ去年の大槻はノルマ達成に血眼になっており、俺を捕まえるや否や実演販売員のようなセールストークを展開してチケットを買わせようと試みた。曰く、彼女とのデートにぴったりだの、ジャズはムード満点でいい雰囲気になれるだの、夜遅くのコンサートではあわよくばということもあるだのと――とにかく、本当にうるさくてしつこくて敵わなかった。その前に俺が雛子の存在をうっかり匂わせてしまったことにも一因はあるのだが、それにしても酷かった。小柄な大槻のどこにここまで食い下がる体力があるのかと思えるほどしつこくしつこく勧められた。
最終的に俺はそのチケットを二枚購入した。奴のセールストークを真に受けたからではなく、二千円弱で奴を黙らせられるなら安いものだと思ったからだ。
そして金を出した以上は無駄にするのももったいないから、雛子を誘ってコンサートへ出向いた。これが去年の出来事の一部始終だ。
こうして去年のことを振り返るうち、気になる事柄が一つ浮上した。
今年の大槻はどういうわけか低姿勢だ。去年のような押しの強さがない。
俺の目の前で大槻は両手を合わせて頭を下げている。
奴に殊勝にされるとかえって恐ろしい気がして、俺は思わず尋ねた。
「なぜそんなに下手に出る」
「え? いや、だってさ……」
顔を上げた大槻が申し訳なさそうに笑う。
「今年はどう考えたって雛子ちゃん連れて来れないだろ? ただでさえ音楽聴かない人なのに、その上君だけでも来てくれっていうのも何か悪い気がしてさ」
「あいつは受験生だからな。今年はさすがに連れ出せない」
十二月の戸外は寒さ、乾燥、風邪の流行と受験生にとってはこと危険なもので溢れている。そうでなくても夜のコンサートは、寸暇も惜しんで勉強に励む相手を連れて行くような場所ではない。
だが雛子がいようがいまいが、俺のすることは変わらない。市民会館の大ホールの椅子に座って、ステージで楽団が奏でるクリスマスらしい曲に耳を傾けるだけだ。俺は音楽に明るくもなければ普段から好き好んで聴くような人間でもないが、それでも去年のコンサートは聴くのが苦痛ではなかったし、今年も演奏を聴いて何かしらの感想を大槻に言ってやることはできるだろう。
「せっかくのクリスマスイブなのに一人で出歩かせるなんて、すんげえ寂しい思いさせちゃうんじゃないかって思ってさ」
大槻はそう言うのだが、あいにく俺の側にはそういう認識は皆無だった。
世界規模ならともかく、この日本という国の中でなぜこうもクリスマスという行事がありがたがられ、持て囃されているのか、俺には全く理解できない。無神論者がクリスマスを貴ぶことを愚かだとは思わないが、そこまで重きを置くような日なのかとただただ純粋に疑問だった。それなら一週間後にある大晦日の方が、一年の締めくくりとして余程感慨深く貴い一日になるのではないかと思う。
しかし日本においてクリスマスを祝うことは既に当たり前の行事らしく、皆はこぞってケーキを食べ、恋人のいる者は二人きりで過ごし、小さな子供にはサンタクロースがやってくる。それらは本当に当たり前の、世間一般の常識というものだった。
「俺はクリスマスをそれほど重んじていないから、気にするな」
庇うつもりで俺は言ったが、逆に大槻からは同情を込めた目を向けられた。
「そうらしいね。去年なんて俺がチケット売りつけなかったら、本気で雛子ちゃんと会わない気だったみたいだし」
言外に咎められたようで、俺は少々反応に困る。
雛子はクリスマスをどう思っているのだろう。聞いたことはなかったが、改めて聞くような話でもないのかもしれない。彼女なら誕生日を祝いたがるのと同じ感覚でクリスマスを祝いたがりそうな気もするし、そういうものにこだわらず俺と会えるならいつでもいいと言ってくれそうな気もする。
「まあ、君が気にしないんならこっちもありがたいよ。一枚買ってくれる?」
大槻の言葉に俺は頷いた。
「わかった。一枚しか協力はできないが、買ってやってもいい」
すると大槻は目の端で試すように俺を見て、
「別に二枚でもいいんだよ!」
と言ってきたので俺は呆れた。
「馬鹿なことを言うな。一枚無駄になるだろう」
「むしろ三枚買えば両隣が空いて、広々ゆったり座れるよ!」
「客席が歯抜けになったら目立つぞ。頑張って満席にしろ」
どうやら今年の大槻もチケットのノルマに追われているようだ。大変そうだと同情する気持ちはあれど、さすがに余分なチケットまで買ってやろうとは思えない。
「ここまで来たら図々しく聞いちゃうけど、誰か他にいない? 買ってくれそうな人」
俺にチケットを売り渡してからも、大槻は必死に尋ねてきた。
「何だかんだで俺たちの人脈って楽団中心だし、同学年の連中はもう早い者勝ちで刈られてて、学内で当たるのも限界なんだよね……。かといってこんな時だけ高校時代の友達に連絡するのも何か悪徳商法チックじゃん。まあ切羽詰まったら自腹切って、チケットばら撒くしかないんだけどさ……」
魂ごと抜け出ていきそうな深い溜息をつき、大槻は食堂のテーブルに突っ伏す。その脱力した様子から、俺にも奴の苦労がひしひしと伝わってきた。
だが協力してやりたくても、俺の交友関係の狭さは猫の額といい勝負だ。心当たりは全くなく、残念ながら大槻の役には立てそうにない。
いや、一人だけ――確実ではないが、当たってみてもよさそうだという相手はいる。
「期待はしないで欲しいんだが、一応、聞いてみてもいい」
俺が答えると大槻の顔に生気が戻り、息を吹き返したように起き上がった。
「お、マジで! やったあ鳴海くんありがとう!」
「礼を言うのは早い。相手は高校生だから、場合によっては夜間の外出は無理だと言われるかもしれない」
更にそう続ければ、大槻は目を瞬かせる。
「高校生? じゃあ、雛子ちゃんのお友達とか?」
「いや、後輩だ。文芸部に所属していて、今は二年生だ」
「へえ、文芸部員か……。ちなみにその子、可愛い?」
どういうわけか大槻は、件の後輩を女子だと思っているらしい。そんなことは一言も口にしていないのだが。
「言っておくが、男だぞ」
釘を刺すつもりで俺は言った。
たちまち大槻は残念そうな顔になる。
「何だよ男かよ……可愛くておっとりした文学少女ちゃんだったら紹介してもらおうと思ったのに」
そちらの心当たりもなくはないのだが、どうせ紹介ができるはずもないので黙っておいた。
ともあれ大槻は気を取り直したように、
「でもチケット買ってもらえるんならいいや。そいつ、音楽とか聴く子?」
「よくは知らん。だが、クリスマスに誘いたい相手がいると言っていた」
「うわ、生意気! 高校生の分際で!」
一転して大槻は憤慨している。喜んだり落胆したり怒ったりと、忙しい奴だと思う。
「相談を持ちかけられて、どう返事をしようか迷っていたところだ。お前のコンサートの話をすれば、選択肢が増えて喜ばれるかもしれない」
そして俺が肩を竦めると、今度は目を剥いてから、
「え、何それ。鳴海くん、後輩の恋愛相談に乗ってあげてんの?」
「ああ」
そのつもりは全くなかったのだが、気がつけばそういうことになっていた。
「マジかよ! どんなアドバイスしてんの? つかよく引き受ける気になったね。あれですか、最近絶好調で気持ちに余裕が出てきたから他人に幸せのお裾分け的なやつですか? だったらまず俺に分けてよ君の幸せを!」
「そういうんじゃない」
興奮した大槻があまりに喋るので、口を挟むのに苦労した。
「どうもそいつには誤解されているらしい。俺がそういうことに詳しいと」
「実際は詳しいどころか初恋なのにね」
「うるさい」
「まあでもこういうのは数じゃなくて経験の深さが物を言うからね。たとえ初恋でもその一人とラブラブなお付き合いして行くところまで行っちゃってるんだからアドバイスなんて余裕でしょ、君の場合」
俺はべらべらとうるさい大槻の発言を肯定も否定もせず、ただ一言反論した。
「チケットを買って欲しくないのか」
その脅しは効果覿面、大槻は瞬時に黙った。
もっともすぐに好奇心に溢れた顔をして、
「でもこれは聞いときたいな。具体的にどんな相談されて、君は何て答えてんの?」
懲りもせず尋ねてきたから、俺は当たり障りのない内容を奴に教える。
「先程も話したが、クリスマスに誘いたい相手がいると言われた」
「言ってたね。くっそ、高校生がクリスマスとか百万年早いっつうの」
「しかしクリスマスを指定して誘うのはハードルが高いとも言っていた」
「高坊のくせに変なとこ慎重派だな。もっとがーっと行けよ若さゆえの勢いで!」
「だから俺は、別にクリスマスにこだわらなくてもいいんじゃないかと言った」
「……えっ?」
大槻が声を裏返らせる。
俺はその驚きように眉を顰めつつ、続けた。
「誘いにくいと言うなら、別の日でもいいじゃないか。どうも世間的にはクリスマスが特別な日だという風潮があるが、特別と言うなら大晦日や正月の方がよほど特別で、心にも残るだろう」
しかし俺が話している間中、大槻は気まずそうに目をつむったり、額を押さえたりと実に忙しなく内心を表現していた。そして俺が話し終えると実にもどかしそうに切り出してきた。
「いや、それは違うよ鳴海くん。クリスマスってのはやっぱ特別な日でさ……」
「大晦日や正月よりもか?」
「そりゃあ……つか君の後輩くんは、そのアドバイスで納得したの?」
「もし誘えなかった場合の最終手段として取っておくと言われた」
奴としてはまずクリスマスに賭けたいという気持ちがあるようだ。残念ながら俺には全くわからないことだが、それだけ世間的にはクリスマスの特別さが浸透しているということなのかもしれない。日本においては古くからある風習というわけでもないのに、ここまで人々の心に根づいたのはなぜなのだろう。
「何て言うか、ロマンチックさが違うだろ! クリスマスと大晦日辺りを比べたらさ」
力説する大槻に、俺は逆に質問をぶつけてみる。
「なら聞くが、なぜクリスマスがロマンチックだと思っている」
「ええ? それはほら……雪とか降ったら、ホワイトクリスマスだし……」
「雪くらい大晦日でも降ることはある」
「あとなんか神聖な感じするしさ! 厳かって言うか」
「大晦日もそうだろう。除夜の鐘の響きは厳かで、神聖だ」
「ま、まあそうだけどさ。雰囲気が違うじゃん。うきうき楽しいムードもあってさ」
大槻が苦しげに言葉を並べる。
そこで俺が黙ると、大槻も苦笑を浮かべて言った。
「ぶっちゃけると一番の理由は、皆がそう思ってるから、ってとこなんじゃないかな」
そして視線を食堂内の隅へと向ける。
今月に入って早々に、学食にはクリスマスツリーが置かれるようになった。さほど大きなものではないが電飾がちかちかと光って、遠くからでもよく目立つ。
そちらに目をやった時、ツリーのすぐ傍の席でお喋りに興じている集団がふと目に留まった。と言ってもそのうちの一人が眼鏡をかけていて、それが目についただけだろう。どうせ雛子ではないとわかっているのに、なぜ見てしまうのか――すぐに逸らすと、大槻が不思議そうな顔をする。
「どうかした?」
「いや、別に。話を続けてくれ」
俺は奴を促し、
「クリスマスってもう既に、町単位のお祭りって感じじゃん」
大槻はコーヒーを飲みながら語った。
「十二月っつうと町中にイルミネーションが点って、店先にはオーナメントが飾られて、極めつけにクリスマスソングがパワープレイだろ。町を挙げてクリスマスを盛り上げてるみたいでさ、そうなるとこっちも乗せられちゃうんだよね」
月が替わると同時に町の空気もまた切り替わったようだった。あちこちで光るカラフルな電飾、よく見かける金のモールや雪だるまの人形、どこへ足を運んでも聞こえてくる聖歌やクリスマスソングなどが町をすっかり侵食している。まるでクリスマスが十二月最大のイベントであるかのような盛り上がりようだ。
「だからさ、俺なんかもう一年中通して彼女欲しいって思ってるけど、それでもクリスマスが近づいてくると違うんだよね。町中こんな楽しそうにしてんのに、俺だけ一人でいたくないみたいな、そんな気持ちになるんだよ。せっかくだから俺も誰かと楽しいクリスマスを過ごしたいってね」
そこまで話した後で大槻は急ににやっとして、声を落とした。
「今年のイブは予定入っちゃったからそれどころじゃないけどね。一説によれば楽団長が彼女に振られた腹いせに無理やりイブに捻じ込んだって話でさ、彼女持ち彼氏持ちから非難囂々だったらしいよ。俺には関係ないけど」
その話の真偽の程は定かではないが、そこまで感情的になるほどの理由が、クリスマスにはあるのかもしれない。
だが俺はやはり釈然としない。
クリスマスの何がそこまで特別なのだろう。今年、雛子と共にコンサートへ行けないのは寂しいが、それはクリスマスだからということでもない。
俺がちらりと彼女のことを考えたのを、大槻は察知でもしたのだろう。
「君だって来年こそは雛子ちゃんとクリスマスを過ごすんだろ?」
そんなことを鋭く尋ねてきたので、俺は曖昧に首を傾げておく。
「雛子がそうしたいと言ったら、考える」
「言うに決まってんじゃん。あの子は絶対そういうの好きだって!」
わかったようなことを言うと、大槻はわざとらしいくらい明るい口調になって、
「そしたら君があの子のサンタクロースになってあげないとね。靴下じゃ到底収まりきらないくらいの愛をプレゼント、みたいな!」
と続けた。
俺は反論しかけたがやめて、奴の言葉を鼻で笑っておいた。
とどのつまり、大槻が語るクリスマスの楽しさや町中の盛り上がりに馴染めないのは、俺がクリスマスの楽しさを知らずに生きてきたせいなのかもしれない。
子供の頃、俺のところにはサンタクロースが来なかった。
どうして来ないのかはわかっていたから、クリスマスに楽しい思い出はない。