如月(5)
「あの、先に一つ、仮定の話として聞いておきたいんですけど……」私は、膝の上にある自分の震える手と、それを握り締めている先輩の大きな手とを見下ろしながら切り出した。
さすがにこういう状況で、先輩の顔を見て質問をする度胸はなかった。
「何だ」
短い返答の中にも、先輩が背負う張り詰めた空気は感じ取れる。私たちはお互いに緊張している。
私の言葉一つで先輩はとても傷ついたり、落ち込んだり、あるいは救われたような気持ちにだってなれるだろう。
責任は重大だ。迂闊なことは言えない。嘘もつきたくない。
「もし……」
手だけじゃなく、声も震えた。
寒くないのに、むしろ暑くてしょうがないくらいなのに。
「もし、私が、これからは聞かないでくださいってお願いしたら」
言いながら、そろそろと視線を上げてみる。鳴海先輩の薄く開いた唇が見えた。
「先輩は……どうしますか」
更に視線を上げると、先輩が瞬きをするのも見えた。こちらが息苦しくなるほど真面目な顔をした先輩は、私の問いをやはり真摯に考えているようだった。
しばらくしてから当たり前だと言わんばかりの口調で答えた。
「それなら、次からは聞かないようにする」
思った通りの回答に、私はますます反応に困る。
鳴海先輩からすれば、それが私の望みならそうするのだろうし、私を困らせようという意図は微塵もないだろう。
でも、私は困る。先輩に問われて素直に答えるのも難しければ、これから先ずっと何も聞かれないままというのもきっと心臓に悪いはずだ。かと言って、このまま黙っていては先輩が誤解するだろう。私が拒絶の意思を示したと読み違えられてしまう。
「あの、私は……」
とりあえず嫌がってはいないことを伝えるべく、私は少し笑んでみた。
ただ自分で思うほどには上手く笑えていなかったようで、口元が引きつるのが感覚でわかる。おかげで先輩には気遣わしげな顔をされてしまった。
「べ、別に、嫌なわけではないんです。ただ、何て言うか」
おまけに暑い。暑すぎる。耳なんか火がついているのではないかと思うほど燃え盛っていて、そのせいか口の中がやけに渇いている。
「自分で言っておいて何ですけど、答えるのが、は、恥ずかしくて」
答えはちゃんと存在している。私の心の内にある。
でも言葉にするのは非常に難しくて、勇気が出なくて、どうしていいのかわからない。何も言わなくても伝わってくれればいいのに、と甘えたことを思ってしまう。
「だからあの、今も、聞いてもらったのに、どう答えていいのか……」
困り果てた私はそこまで言うと、ひとまず長く息をついた。
駄目だ。喉が詰まったみたいに言葉が出てこない。
それなら以前試みたように目で伝えられないものかと、私は先輩を見つめてみた。でも自分で何が言いたいのかまとめられていないのでは、伝わるものもないだろう。現に先輩は弱ったような顔つきで私を見ている。
「……雛子」
目の前に座る先輩が私を呼んでも、私はろくに声も出せないところまで追い込まれていた。
先輩は、それでも私の言葉を待っている。辛抱強く、私がちゃんと答えるまで待っていてくれるつもりのようだった。なのに私はぐずぐずと目の前の人を見つめて、口を開く勇気は持てないばかりだ。
先程からずっと先輩の顔も真っ赤だし、かさついて見える唇から漏れる呼吸はやはり震えていた。私を見る目はずっと真っ直ぐだけど、いつもよりも少しだけ、瞬きが多いような気がする。
もしかして、鳴海先輩も恥ずかしいのだろうか。その時思った。
恥ずかしくて逃げ出したくなる気持ちを堪えて、その上であんなふうに言ってくれたのだろうか。だとしたら。
思った瞬間、心の内で絡まり合っていた何かがするりと解けた。私が持っていた、特に揺らぐこともぶれることもなく存在していた先輩の問いに対する答えが、雁字搦めの拘束を解かれて飛び出してきた。
「私も、先輩が好きです。大好きです」
出せないと思っていた声は、思っていたよりも強く発せられた。
先輩が言ってくれたように、私もはっきりと口にした。
「だから私、先輩になら何をされてもいいです」
今の言葉が許容ではなく、願望であることが、ちゃんと伝わるだろうか。
鳴海先輩は黙っている。まだ私に言いたいことがあるとわかってでもいるみたいに黙り、でも私の両手からゆっくりと手を離す。瞬きを止め、私をじっと見つめたままで。
「だから……」
私はもう一度、改めて笑った。
本当のことを言うと、泣きそうだった。私は先輩の前だとおかしいくらいに涙腺が弱い。でもこんな時に泣くのはそれこそ誤解を招くだろうから、無理やりにでも笑っておいた。ぎこちなく引きつっていても、悲しい顔をしているよりはましなはずだ。
「わ、私でよければ……あの、先輩の好きにしてもらえたらって……」
最後に何と言おう。もっと直球で、直截的なことを言わなければいけないだろうか。私はうろうろと迷いながらもそれらしいことを言いかけた。
けど、結局、最後まで言う必要はなかった。
「もういい。わかった」
先輩は私を制すると、柔らかく微笑む。それからまごつく私に近づいて、抱き締めようとするみたいに片方の手をそっと、私の背に添えた。
そしてもう片方の手は私の肩に置き、力を込めて押してきた。普通なら勢いよく倒れるところも、先輩が支えてくれたおかげでゆっくりと傾いだ。新幹線のリクライニングシートよりも慎重に、私は床に押し倒された。
背中から大きな手が抜かれると、服越しにラグの感触があった。先輩の部屋に敷かれているラグは、こうして寝転がってみると意外に硬く感じた。普段は特に気にすることもない天井には円形の白い照明器具が設置されていて、そのすぐ傍には小さく丸い火災報知機があるのが見える。今なら私の体温も感知されてしまうかもしれないとぼんやり思った矢先、広かった視界が先輩の姿で遮られた。
「寒くないか」
いつも見上げているはずの先輩の顔が、いつもと違う距離にある。
窓からの光を背にした先輩は、そのせいか顔の赤みが目立たず随分と冷静そうに映った。何だかずるい。
先輩からは、見下ろした私はこの上なく赤面したように見えていることだろう。
「暑いです、すごく」
私が吐息くらいの声で応じると、先輩も頷きながら低い声で言った。
「俺も暑い。きっと、ちょうどいいくらいだ」
何がちょうどいいと言うんだろう。この人はそういうことを意外とあっさり言ってしまう人だ。それでいて私を恥ずかしがらせようという意地悪さは窺えないから、責めることもできないのが困る。
でも、私の言いたいことは過不足なく伝わったようだ。それがわかるから私はされるがままになっていた。
床に倒れた私の顔を、先輩は鼻先をくっつけるようにして覗き込んできた。それから一度、唇に優しくキスされた。私はまたしても目を閉じ損ね、先輩が寝起きみたいに緩やかに目を開けて、それから身を起こしたのを見た。
私が見ているのを知っているのかどうか、上体を起こした先輩はいつぞやのようにためらいなく、着ていたセーターを脱いだ。襟を掴んで身体ごと引き抜くみたいに、するりと鮮やかに脱いだ。そして脱いだ服は床に落とし、半袖のTシャツ姿になって、いかにも男の人らしい腕を晒してしまったのを見た。間髪入れずに腕時計も外し、それを座卓に置く一部始終まで黙って見上げていた。
「暑いから脱いだんだ」
こちらの視線に気づくと、先輩は照れたように言った。その答え方まで以前と同じだ。
「私はまだいいです、そこまでは暑くないので」
慌てて宣言してみたけど、その時既に先輩は私の服の裾に手をかけていた。私の言葉に一度手を止め、どこか残念そうにしてみせる。
「やっぱり寒いのか」
「寒いってほどではないんですけど……」
「何なら、俺の体温を分けてやろうか。すぐ温かくなる」
言うが早いか先輩は、私に覆い被さるようにして体重をかけてきた。重いと感じるほどではなく、でも確かに人の重みを感じるくらいだった。そうして全身で触れ合うみたいに私を包み込んだ。
温かい。
すぐ傍で先輩の匂いがする。
でも決して重くないのに、胸が酷く苦しい。
こうなると私はもう目を開けていられなくなり、逃げ込むように固くつむってしまった。何をされてもいいとは言ったものの、それを冷静に受け止められるかどうかはまた別の話だ。ただし目を閉じたところで逃避行動の意味をなさないことも理解していて、瞼の向こうで大きな影がちらついた時、心臓の動きは一層速くなった。
「……ははっ」
ふと、先輩が声を立てて笑った。
場違いなくらい明るい笑い声を聞きつけ、私は反射的に目を開けてしまう。
すぐ目の前にある先輩の顔は面映そうに苦笑していて、途端に弁解された。
「嬉しくて、つい……。雰囲気を壊したなら謝る」
私が無言でかぶりを振ると、先輩は言葉通り嬉しそうに息をつく。
「よかった。幸せだ」
その噛み締めるような物言いに、私もいよいよ限界だった。思わず先輩のシャツにしがみつき、助けを求めてしまった。
「せ、先輩、私、心臓止まっちゃいそうです」
「お前のは俺のよりも丈夫だろうと思っていたが」
先輩はそう言うけど、決してそんなことはなかった。自分の鼓動がもう皮膚を通り抜けて部屋中に響いているような気さえする。少なくとも先輩には確実に聞こえているはずだった。
「でもこうして、お前に縋られるのも悪くない」
こちらの真剣な訴えなどお構いなしで、先輩はシャツを掴まれている手を、つまり私の手を大きな手で取り、ぎゅっと握った。
「可愛いな、お前は。本当に」
あくまでも真面目に、冗談の色一つなく先輩が言う。
心臓は止まりそうだったけど、むしろ止まってくれた方がいっそ楽なんじゃないかと思うほど忙しなく動き続けて苦しかったけど、私は、先輩を幸せにできたことを心から誇らしく感じていた。
そうしたら、先輩には何をされてもいいと、確信するように改めて思えた。
もしかすると、鳴海先輩の言うこともそう的外れではないのかもしれない。
先輩と比較してどうなのかはわからないけど、私の心臓は私自身が思っていたよりもずっと丈夫だった。あれからずっと、止まってしまうこともなく絶えず動き続けていた。時間を置いたら少しだけ落ち着いてはきたものの、先輩が傍にいることを自覚する度に、拍車を当てられたようにまた急ぎ始める。
例えば今みたいに、二人で床に寝そべったまま一枚の毛布に包まって、剥き出しの肩が触れ合うのを感じ取った時とか。毛布からはみ出た先輩の肩幅は思ったよりも広く、触れると少し冷たかった。いつもは隙のない先輩が素肌を晒していることが、ここまで来ても未だに信じがたい気がしてならない。
「また布団を敷き忘れた……」
先輩は独り言みたいにぼやいている。
私がそちらに顔を向けると、うつぶせになった先輩も私を見た。まだ汗が引かないのか、先輩の額には前髪が張りついている。そしてこちらを見る目もどことなく心あらずといったふうで、私を見ているのか、それとも何か別のことを考えているのか、よくわからない。
だけど先輩は私の視線の意味するところに気づいたようだ。気だるそうに目を伏せながら言った。
「少し、思い出していた」
「何をですか?」
「ついさっきのことをだ」
真面目な声とは裏腹な答えに私はうろたえた。相変わらずこの人は、唐突に何てことを言うのだろう。
しかし私の動揺など気にも留めず、先輩は難しい顔になってぶつぶつ言い始める。
「よくよく考えてみれば布団を敷くタイミングなどなかったな。しかしあの流れでワンクッション置くのも興醒めという気がするし、お前に切り出す余裕もなかったし……」
「いいです、あの、そんなこと真面目に考えなくても」
せっかく落ち着いてきた心臓がまたばくばく言い始めたので、私は先輩の思案を制止した。先輩は腹ばいの姿勢で頬杖をつくと、困惑する私を申し訳なさそうに眺める。
「だが、お前をこうして床に転がしておくというのも粗末な扱いをしているようでよくないだろう。こんなことなら布団ではなく、ベッドを購入しておくべきだった」
先輩の部屋にはベッドがない。お布団で寝ているそうだから当然だろうけど、私は長くここへ通っているのに先輩が布団を敷いているところも見たことがなかったから、もしかすると寝具の類全般が存在しないのではと思ったことさえあった。
しかしひとまず今日、毛布は存在することを知った。いつも閉ざされたクローゼットの扉の向こうに入っていた。先輩が言うには、布団もそこにちゃんとあるらしい。
「私は一時期、先輩が机で寝ているんじゃないかって思ってました」
肩口が冷えてきたので、私は毛布を引き上げようとした。すると私より先に先輩が毛布を引っ張り、私の肩を包んでくれる。嬉しくなって私が笑うと、先輩は改めて呆れたように眉を顰めた。
「俺はそこまでものぐさじゃない」
「それはわかってますけど。でも私、もうずっと見たことなかったんですよ」
「だからと言ってその想像は心外だ。俺だって寝る時はちゃんと横になる」
先輩はどこか不満そうに言ってから、何事か思いついたようだ。少しだけ笑んでから続けた。
「それなら次にお前が来る時は、あらかじめ布団を敷いておこうか」
「え……!」
私が絶句するのを見て、先輩はあくまでも真摯な口ぶりで言う。
「冗談だ。そんなだらしのないことはしない」
今の冗談は果たして、どういう意味での冗談だったのだろう。
少なくとも私はよからぬ想像を働かせてしまい、そのことを密かに恥じた。頬の火照りを誤魔化すように毛布の中へ潜り込む。毛布は二人で入っているとぽかぽかと暖かく、今が二月だということを忘れそうになる。
その上、今日はとてもいい天気だ。窓から見える空はまだ青一色で、ほんの少し日の色が濃くなり始めている。今日はきれいな夕焼けが見られるかもしれない。
「春が来ますね、先輩」
私が水を向けると、鳴海先輩は答えるより早く私の前髪をかき上げ、額に軽くキスしてくれた。この人は私のおでこが好きなのだろうか、と漠然と思う。そういえば一昨年、最初のキスだってそうだった。
それとも単に、私が眼鏡をかけているせいかもしれない。唇にされる時、たまにぶつかって、邪魔だと思うことがあるから。
大学生になったら、コンタクトにしようかな。
いや、でも、先輩の眼鏡センサーぶりも一度は見てみたいから、もうしばらくはこのままでいよう。
「四月が待ち遠しいな。楽しみだ」
先輩が珍しく浮かれた声を上げた。私と同じように、四月からの新生活を心待ちにしてくれているようだ。それは嬉しいけど、私にはもうひと月――出席日数で言えばあと数日だけ、わずかながら高校生活が残っていて、その事実が私を少し感傷的にさせた。
「その前に三月がありますよ、先輩」
「俺は三月はどうでもいい。お前はそうではないだろうがな」
「そうですね……何だか、卒業する実感が全然湧きません」
大学生になれるという実感は今日一日で存分に味わえた。
だというのに、東高校を卒業する実感だけはどうしても、まだはっきりとは湧いてこない。
卒業式前には登校日があり、その数日間で卒業式のリハーサルも行う予定だ。そういうものをこなしていくうちに私にも実感も湧いてくるだろうか。いまいち自信はないけど、今から少しだけ寂しさは覚えていた。
「せいぜい好きなだけ泣いてくるといい」
先輩は私が卒業式に泣くものだと予見しているようだった。私自身は、卒業式で泣くかどうか、まだわからないと思っていたけど。
「泣くかどうかわからないですよ。私、普段はそんなに涙もろくないですから」
「嘘をつくな。俺の前ではしょっちゅう泣いてるじゃないか」
どうも疑わしげにされている。
でも私は、ちょうどここに来た時のことを思い出していたから、自然と照れ笑いが浮かんだ。
「本当です。なぜか私、先輩の前でばかり泣いてしまうみたいなんです」
「へえ」
驚きの声を上げた先輩は、私に探るような目を向けてくる。
「それは俺が、お前に頼りにされ、甘えてもらっているのだと解釈していいのか」
「多分、そういうことだと思います」
私は頷いた。むしろ今の先輩の分析にようやく納得がいった感じだった。
もっとも、当の分析者は自分の意見に納得していないようだ。またしても探る目で尋ねてくる。
「それともお前が俺に対して、女の武器を有効活用していると思うべきなのか」
「武器になっちゃうんですか、そういうの」
私はこちらの分析は、あえて笑い飛ばしたかった。よく聞く話ではあるけど、使いどころがよくわからないしどんな効果があるのかも曖昧だ。それに使いどころを知ったってそうそう都合よく泣けるものではない。私の場合は、泣きたくない、泣くべきではない時ばかり泣いているような気さえする。今日だってそうだった。
「意外と、なる」
先輩はぽつりと言った。
眉根を寄せた難しげな表情で、しみじみと。
「少なくとも俺には効いた。だからあまり、俺の前では泣くな」
そう続けると先輩は、腕を伸ばして私の髪に触れてきた。指先で梳くように少し撫でた後、言葉に詰まる私を見て不意に顔を顰めた。
「いや、他の男の前で泣かれるよりはいいか。訂正する、そのくらいなら俺にしろ」
鳴海先輩は意外とやきもち焼きだ。
私は喜んでいいのか動揺していいのか、困っていいのかわからないまま、とりあえず思ったことを口にした。
「じゃあ卒業式では泣かない方がよさそうですね」
「できるのか? そんなことが」
「なるべく努力はします。私としても、最後は笑って終わりたいですし」
でも何となく、C組女子の半分くらいは泣いてしまうだろうという予感がある。その時、誰かの涙がうつってしまうということがなければいいけど。私にはまだ、卒業式で泣くという心境もあまり想像がつかないくらいだ。
悲しいから泣いてしまうのだろうか。それとも、寂しいからだろうか。
「そうだな。その方がお前らしい」
先輩は顎を引くと、自らも軽く笑った。
「なら、気分のいいうちにこれも確かめておくことにしよう」
私の髪を撫でながら、私の目をじっと覗き込みながら、口元は穏やかに笑んで語を継いだ。
「結局、次はお前に聞いてもいいのか。それとも聞かない方がいいか?」
何についての話か、わざわざ問い返す必要はなかった。
私がうっと答えに詰まると、先輩は腕を伸ばして毛布の中で私を抱き締めた。それから私に頬を寄せ、耳元で声を立てて笑った。
「今のうちに教えてくれ。そうじゃないと、俺はまたお前を困らせることになる」
今のその質問に、私は既に困っている。
でも思えば、いつもそうなのかもしれない。私を一番困らせるのも先輩なら、一番悩ませるのも、一番幸せな気分にさせてくれるのも先輩だった。それなら私が先輩の前で泣いてしまう理由も推して知るべしだろう。私の感情をいともたやすく揺り動かし、驚くほど素直な気持ちにさせてくれる人だからだ。
「先輩の、好きにしてください」
考えた末、私はそう答えた。
軽く目を見開いた先輩の胸に手を置いて、少し照れながら答えてみる。
「最終的には私、先輩になら何をされてもいいって、絶対思うはずですから」
多分、聞かれても聞かれなくても私は毎回困るだろう。
時々は動揺のあまり、泣き出してしまうこともあるかもしれない。
でも最後に行き着く答えは決まっている。今までもこれからも私の青春は、追い駆け続けた鳴海先輩と共にある。それなら、私の答えが揺らいだりぶれたりすることは絶対にないだろう。
先輩は胸に置かれていた私の手を取り、やはり真摯に、真剣に言ってくれた。
「わかった。いざとなったらまた縋ってくれ。受け止めてやる」
もうじき春が来る。
待ち遠しくなるほど遅くなったけど、その分とても暖かな春がやってくる。