佐藤さんと僕の幸せな結末
佐藤さんがメールアドレスを変えた。名前と誕生日を組み合わせた新しいアドレスは、それはそれでまたありがちだった。佐藤さんなりに捻ってみた末のメールアドレスらしいけど、特に目新しさを感じなかった。
けど僕は、誰よりも先に新アドレスを教えてもらった。彼女のやることにけちをつけるのは礼儀に適ったことじゃない。というわけで黙っておくことにする。お蔭で誕生日もわかったことだし。
佐藤さんはあれからも相変わらずだ。
色気のない一つ結びもそのまま。何かととろくてもたつくところも相変わらず。気の利かないところも全くあのまま、変わってない。
それでも、佐藤さんなりに頑張ってるところもある、らしい。何でも最近は授業の予習復習をするようにしているそうだ。一度でいいから授業中、先生に指された僕に、そっと答えを教えてみたいんだとか――何て発生確率の低い望みだ。まあ、何にせよ頑張る気になってくれたのはいいことだと思う。
それと、近頃は走り格好が大分マシになってきた。今でもクラスの女子の中では一番遅いけど、最近はだんとつってほどでもない。今度、授業でバスケをやるらしく、是非僕に教えて欲しいと言ってきた。もちろん教えてあげるつもりだ、ドリブルから教えなくちゃいけないのが難だけど。
僕はと言えば、クラスの連中に佐藤さんとのことをよく聞かれるようになった。
付き合ってるのかと尋ねられると、いつも返答に困る。
今のところは付き合ってるわけじゃない。まだ付き合ってはいない、と答えているけど、僕としてはあまり本意でもない回答だった。『まだ』のところを特に強調したい気分でいる。
佐藤さんが好きなのかと聞かれたら、ためらわず頷くことにしている。
本当のことだからだ。
佐藤さんが僕をどう思っているのかは、実のところよくわからない。
着実に外堀を埋めつつある僕を、少なくとも疎ましがっていないことだけは確かだ。ただそれは彼女らしい素直さと鈍感さから来るものであって、僕のしようとしていることをしっかり理解しているのかどうかは怪しい。あの告白の時だって、僕に頷けと言われて、本当に頷いてしまうくらいだったから。
だから今日は思い切って、直接本人に確かめてみようと思っていた。
昼休みの終わり頃、予鈴が鳴る少し前になると、佐藤さんは隣の席に戻ってくる。
いつものように校庭で鬼ごっこをして、息を切らして戻ってくる。
窓際から二列目の一番後ろの席に座って、乱れたひとつ結びの髪を結い直しながら、ちらと僕を見て笑う。楽しげな、明るい笑顔。
僕は頬杖をつきながら教科書を見ているふりをしていたけど、佐藤さんの笑顔につられて、つい、そちらを向いた。
「楽しそうだね、佐藤さん」
「うん。梅雨に入っちゃったら外で遊べなくなるから、めいっぱい遊んでおこうねって言ってるの」
無邪気に語る佐藤さんは子供っぽいけど可愛い。可愛いと思ってるのは僕だけかもしれないけど、ライバルはいない方がいいから僕だけで結構。佐藤さんの前で時々緊張しているのも、きっとクラスで僕だけだろう。それだって以前に比べたらずっと、張り合いのある緊張感だ。
緊張しながらも、僕は言葉を選んで切り出した。
「佐藤さん」
「なあに、山口くん」
「今度の日曜日、映画でも観に行かない?」
我ながら無難な選択だ。初めて出かけるなら、ありがちだけど外れもないような場所。今朝コンビニに寄った時、新作情報をしっかりチェックしておいた。
「うん、いいよ」
あっさりと佐藤さんは頷く。
素直な反応に僕はちょっと拍子抜けした。
「山口くん、観たい映画があるの?」
「ああ、まあね……。観たい映画もあるにはあるけど」
「私、あんまり詳しくないの。山口くんの観たい映画って、どんなのかな」
「SF映画なんだけど、興味ある? 最近、CM入ってる奴」
「面白そう。楽しみにしてるね!」
そういうことじゃないんだよなあ、と思う。楽しみにしてもらえるのは嬉しいけど、そういうことじゃなくて。映画よりももう少し、楽しみにしてて欲しいことがあるんだ。
佐藤さんはやっぱり鈍い。わかってない。わからないかもしれないなとは思ってたけど本当に、完璧にわかってなかった。
全くもって前途多難だ。
僕は溜息混じりに教えてあげた。
「あのさ、佐藤さん」
「何?」
「今のって一応、デートの誘いなんだけどな」
そう告げると、佐藤さんは目を瞬かせる。
ちょっと考えるような間を置いてから、ぱっと赤くなった。
「あ、そうだったんだ……。ごめん、何て言うか、気づかなくて」
「いいけどさ、別に」
言葉とは裏腹に、僕は少しむくれた。
そりゃ多少は傷ついた。僕らが二人で出かけたらデートになるんだってこと、彼女がまるっきり思い至らなかったっていうのもショックだ。これだから佐藤さんは困る。
とは言えいくら鈍い佐藤さんでも、日曜の約束をデートとすることには異論ないらしい。
僕も約束自体は楽しみにしておきたいから、こう返しておく。
「そういうことだから、日曜日は可愛い格好してきて」
「う、うん。わかった。できるだけ、頑張ってみるね」
佐藤さんは真っ赤な顔のままぎくしゃくと頷いた。デートという言葉にすっかり気圧されてるみたいだ。
勢いに任せて注文をつけてみる。
「できればスカートがいいな」
「スカート? 山口くん、スカートが好きなの?」
「まあ、好きって言うか。そっちの方が可愛いだろ?」
「そうかな……。でも毎日、制服ではいてるのに」
「そういうことじゃないんだよな……」
前途多難。
だけど脈がないって訳でもない、と思う。多分ね。今でも僕は、それなりに幸せだ。
そのうちにまた席替えがある。
さすがに次は、佐藤さんと隣同士ってこともないだろう。席が遠く離れてしまうかもしれない。だけどあまり心配していない。
佐藤さんの隣にいられるのは、もう、授業中だけじゃないから。
次は、どんな時でも、いつまでもずっと隣にいられるようになりたい。