佐藤さんが、
佐藤さんがあれこれとお土産を選んでくれている。いくつか見繕って、値札を目で探している。もたもたと遅くて僕の方が先に見つけてしまったけど、黙っていることにしていた。
「山口くんのお父さんお母さんって、甘い物とか平気?」
「う、うん、まあね」
「じゃあこっちの、とうきびチョコなんてどうかな。美味しいって聞いたよ」
「へえ……」
僕は曖昧な相槌を打った。
他のことを考えてしまってお土産選びがはかどらない。佐藤さんの厚意を無にしたくないのに。
謝らなきゃいけないと思っている。
さっきからずっとそのタイミングを見計らっている。時間をかけては駄目だと思った。修学旅行中に謝っておきたかった。むしろチャンスは今しかないように思えた。
冷静に。そして、佐藤さんの望むように、僕は言わなくてはいけなかった。
「それか、このバターサンドもお薦めかなあ。私も買ったの」
佐藤さんが赤い箱を手に取って、こちらを向いた時、僕は思い切って口を開いた。
「あ、――あの、佐藤さん。こないだは……」
だけど勢いもなく、自然さもなかった。ぎこちないばかりで切り出した言葉は失速し、たちまちのうちに空港のアナウンスにかき消された。僕は口を開いたままで、言うべき台詞を失ってしまった。
そして佐藤さんも顔を強張らせる。辛うじてでも浮かんでいた笑みを消し、視線を落としかけた。すぐに僕を見上げたものの、表情に柔らかさは戻らない。
彼女の唇が一瞬ためらってから、慎重に告げてきた。
「待って、私が先に言うから」
バターサンドの箱を棚に戻し、彼女は深く息を吸う。少ししてから、ささやきほどのトーンで言った。
「こないだの夜のこと、ごめんなさい」
彼女は俯き加減で、両手をぎゅっと握り合わせながら謝ってきた。
「私、せっかく山口くんが話を聞いてくれたのに、失礼なこと言って、言い返しちゃって……」
慌てて僕はかぶりを振る。
「いや、そんなことないよ。佐藤さんは何も悪くない。悪いのは……」
だけど佐藤さんは僕の言葉を遮った。
「でも私、山口くんの言うこと、わかるの。わかってたの。山口くんの方が正しいんだってわかってたのに認められなくて、あんな言い方……本当に、ごめんね」
「佐藤さん」
俯く表情は辛そうで、僕も息苦しくなった。本当に悪いことをしてしまった。
「私ね」
佐藤さんは小さな声で続ける。
「あの人と会う約束した時、すごく不安だったの。私の顔を見たらいっぺんで嫌いになって、帰っちゃうんじゃないかって思ってたから。そうしたら」
切なげに声が落ちた。
「そうしたら、本当に来なかったから。待っていたのに全然来なくて、後で『急用ができたんだ』って謝られたけど、ずっと後まで連絡もなくて。きっと待ち合わせ場所まで来て、私を見つけて、嫌になっちゃったんだって思ったから……不安が大きくなっちゃって」
あるんだろうか、そんなこと。そんな酷い話が。佐藤さんの取り越し苦労だといいのに。
「その前にもね、写真を送り合おうかって話になったこと、あったの。携帯電話についてるカメラの使い方、教えてもらったから、写真撮って送ってって言われて。でも、私、できなかった」
顔を知りたい。それは、やっぱりお互いに思うことなのかもしれなかった。顔で判断して相手を好きになるわけじゃないだろうけど、顔を見なきゃわからないこともたくさんある。そして好きになった人のことを、たくさん知りたいと思うのも当然のことだ。
「写真なんて送ったら、幻滅されるだろうから……私、可愛くないし。好きになっても迷惑かけるばかりだから、そのくらいなら会わない方がいいのかなって思ったりもしたの。不安はあっても、信用しきれなくても、その人を好きでいるくらいは自由かなって、でも」
溜息が聞こえる。微かに震えている。
「やっぱり、好きだから……」
僕は黙って視線を上げた。
佐藤さんの決意の色が表れた表情が、目の前にあった。
「山口くんに言われて、気づいたの。会えないのは嫌。不安でいるのも嫌。顔を見せて嫌われる可能性もあるだろうけど、もう一度会う為のチャンスが欲しいって。会って、気持ちを確かめて、たとえそれで嫌いになられたとしても、はっきりあの人に伝えたいって」
恋する女の子の表情だった。
佐藤さんがこんなにも直向きな顔をするんだってこと、知らなかった。
それが僕に向けられることもなく、他の誰かを想っているんだって事実に、こうも苦しさを感じるとは考えもしなかった。
佐藤さんはその人のことが本当に好きなんだ。直向きに、懸命に想ってる。そして自分の気持ちを伝えようとしている。
「だから、ごめんね」
彼女は僕に頭を下げた。
「山口くんが真剣に考えてくれたこと、わかってる。私ももう少しゆっくり考えてみるつもり。でも――」
「うん」
僕は頷く。佐藤さんがちょっと笑った。
「私、自分の気持ちもはっきりさせたくて。不安になって何にもわかんなくなっちゃうような気持ちなら、それは本当じゃないって気がするから」
「……うん。わかった」
今こそ、僕は佐藤さんの言葉を肯定した。彼女の想いも肯定した。
思うことはいろいろある。だけど佐藤さんがその人を本当に好きなら、励ましてあげるのが僕のすべきことだと思った。不安を抱き迷う心を、少しでも元気づけてあげられたらと思った。
佐藤さんが胸を撫で下ろす。
「ありがとう、山口くん」
「ありがとうなんて。僕の方こそごめん」
僕も頭を下げる。佐藤さんが怒っていないのはわかっているけど、僕もけじめをつけたかった。
それから顔を上げて、なるべく笑っておいた。
「あと、ありがとう。勝手なこと言ったのに、許してくれて」
「ううん、山口くんはちゃんとした考え方、してると思う」
苦笑いに似た表情で佐藤さんは言い、少し気まずげに自分の頬を押さえた。
「私、山口くんと話せなくなるのは嫌だったから。本当はもっと早く謝りたかったのに、タイミング、掴めなくて」
「僕もそうだったよ」
今は素直に頷けた。
佐藤さんも顎を引いて、応えてくれた。
「やっぱり山口くんは、すごいね。私よりもずっといろんなこと考えてて、それも自分のことだけじゃなくて、他の人のことまで真面目に考えられるんだもん。本当に、何でもできるんだね」
そうなんだろうか。僕は佐藤さんの思うようには思えなかった。
僕は特別すごいことも、立派なことも、真面目なこともない、ごく普通の高校生だった。
佐藤さんとも大きく違うところなんてない。同じクラスの隣の席で、毎日を同じように過ごしてきた。窓際の最後列のあの二つの机の間に、境界線が引かれているなんてこともない。そんなふうに特別な目で見られるのはいい気分がしない。どうして同じだって思ってくれないんだろう。
だけど僕が、そんなことないよと口にする前に、佐藤さんががらりと変えた明るい声で言った。
「さ、お土産選んじゃおう。時間、もったいないしね」
そして彼女は僕の為に、いくつかのお菓子を選んでくれた。どれが美味しいとかどれがちょうどいい数だとかどれが手ごろな値段だとか、もたつきながらも一生懸命考えて、一緒に探してくれた。
すぐ隣に佐藤さんの笑顔がある時間は、とても楽しかった。
だからお土産を買い終えて、彼女がクラスの他の女子達の方へ戻ってしまった時は急に寂しくなった。他の子と他愛ないお喋りをして笑っている佐藤さんは、さっきまでは隣にいて僕に笑ってくれていたのに、やけに遠く感じられた。
僕らの距離はこんなものなんだろうか。佐藤さんにとっての僕が、別世界の人みたいだっていうなら、この距離もまるで埋めようがない。だけど僕は――。
僕は、ようやく気づいた。
今更だけど、遅すぎたけど、もうどうしようもないかもしれないけど。
佐藤さんが、好きなんだ。