山口くんと山口さん(3)
みゆのお父さんに報告したその次は、みゆのお母さんの番だった。僕たちは連れ立ってみゆの実家に伺い、結婚する意思があること、お許しをいただきたいことをお母さんに告げた。
「どうか、僕たちの結婚をお許しいただけないでしょうか」
そう言って深々と頭を下げると、隣でみゆも同じようにした。
「お願いします、お母さん」
「そんな、ふたりとも急にかしこまらないで」
お母さんは困ったように笑い、僕たちがそろって面を上げると深くうなづいてくれた。
「もちろん反対なんてしません。するくらいなら一緒に暮らすことも許可してないものね」
「やったあ! ありがとうお母さん!」
みゆがうれしそうに声を弾ませる。
「ありがとうございます」
僕も改めて頭を下げたら、お母さんに止められた。
「かしこまらないでくださいったら」
そう言って朗らかに笑う表情は、やっぱりみゆによく似ている。柔らかくて温かい表情が特に。
これから十年、二十年と一緒にいたら、彼女もこんなふうに落ち着いた顔つきになるんだろう。そういう未来のことを、前よりもずっと具体的に考えている。
「でも、結婚までに考えなくちゃいけないことはたくさんあるでしょう?」
思考が脱線しかけた僕を、お母さんの言葉が本筋へ引き戻した。
「そういうことは話し合ってひとつひとつ片づけていかないとね。時期はいつにするのかとか、結婚式だって挙げるでしょうし」
「結婚式かあ」
みゆは言われてようやく思い当たったというように僕を見た。
「篤史くんは何か希望ある?」
先に僕に聞いてくるところが彼女らしい。
「僕? いや、漠然としか考えてなかったな……」
親戚や、大学の先輩の結婚式に出たことはある。
そういう時になんとなく『僕たちもこんな式をするのかな』などとイメージを膨らませてみたこともあるけど、こうしたい、こんな式にしたいという希望を持つまでには至らなかった。
彼女はどうなんだろう。結婚式に夢や理想を抱いているなら、できるだけそれを叶えてあげたい。
「みゆはどう?」
だから聞き返してみたら、みゆは困ったように眉尻を下げた。
「うーん……私も全然考えてなかったかも」
「こういう式を挙げたいとか、考えてみたことなかった?」
「あんまり。自分が主役の式とか、想像したらちょっと恥ずかしくて」
そう言ってみゆが首をすくめると、みゆのお母さんがくすくす笑った。
「本格的に考えはじめたら、意外と乗り気になってきちゃうものだから大丈夫。お母さんからは『こうしなさい』なんて注文はしないから、まずはふたりでじっくり話し合ってね。決まったら教えてちょうだい」
「わかった。じっくり考えてみるね」
「ありがとうございます」
優しいお言葉に、みゆと僕は揃ってうなづいた。
帰宅後、僕とみゆはネットで結婚式についていろいろ調べてみた。
その情報量たるや就職活動並みの充実ぶりで追いきれないほどだったけど、どちらも人生の節目という点では重要に違いない。
結婚式と一口に言っても、そのスタイルにはいくつかの種類がある。
神社で挙げる神前式、教会で挙げるチャペル式、ホテルやレストランなどで挙げる場合もあるし、そのホテルの中に神社あるいはチャペルの設備が揃っていて、式の後に披露宴を行うというパターンもある。もちろん会場によって着られる服装は異なってくるだろうし、一応宗教的な側面もあるから日本人的無宗教派の僕たちの好みも考えなくてはならない。
ただ実際に式を挙げたカップルの体験談を読むと、みんな割と自分の式に明確なビジョンを持って挑んでいる印象がある。もしくはそういう人にばかりインタビューしているのかもしれないけど、明確なビジョンがない同士の僕たちはなかなかアイディアが浮かばない。
「やっぱり、自分のこととなるとなあ……」
改めて考えてみると、僕もちょっと恥ずかしい気はする。
羽織袴やタキシードなんて七五三以来だし、畏まった服装でひな壇みたいなところにみゆとふたりで並んで座って、お集まりいただいた皆様から冷やかしまじりのお祝いをされて――想像するとなんとなく居心地悪いのは、まだ実感がないせいなんだろうか。
そもそも結婚をするだけなら婚姻届を出せばいいだけだ。それだけでも夫婦として成立しうるのにあえて式を挙げる、披露宴をするということに、どんな意味があるんだろう。それを見出していくことから始めなくてはいけない。
「篤史くんもそう思う? なんか照れるよね」
みゆは僕の反応を見て安心したようだ。胸を撫で下ろしている。
「前に職場の人の結婚式に出たことあってね、その時は百人くらいの出席者がいたかなあ。とても賑やかで華やかでいいお式だったけど、私が同じことをすると思うとどうかなって」
百人の内訳が気になる。
僕とみゆの親族を合わせても十人行くかどうか。そこにみゆの職場の人、お互いの友人、恩師などを合わせても三桁まで届かないと思う。
というか、四月からは僕も社会人だけど職場の人は呼ぶべきなのか。入社して日も浅いうちに結婚式に招待するのはかえって失礼な気がする。そこも考えないといけないだろう。
「逆に、どうしてもこれだけはやっておきたいっていうのある?」
僕が尋ねると、彼女は唇を尖らせ考え込んだ。
そして一分間まるまる熟考した後、言いにくそうに切り出した。
「強いて言うなら、なんだけど……」
「いいよ、なんでも言ってみて」
「ドレスは着てみたいかなって。ウェディングドレス」
彼女がそう続けた瞬間、僕の脳内にも華やかなイメージが広がった。
ステンドグラスのあるチャペルでドレスを着た彼女。
染みひとつない真っ白なドレスを身にまとい、顔はうっすら透けるヴェールで覆われているけど、いつもの笑顔であることは疑いようがない。ドレスと同じ白い手袋をはめたその手には、桜のブーケが握られている。ヴェール越しに少しはにかんで、ぴんと背筋を伸ばして僕の目の前に立っている。
いつもの彼女が特別美しく、きれいに見えるその姿を、僕はすんなりと思い浮かべることができた。
ウェディングドレスの種類なんて僕は全然知らなくて、ただ裾の長い、フリルやドレープをたっぷり効かせた白いドレスということしかわからない。
だけどそのドレスが、みゆにとてもよく似合うということだけはわかる。
ようやく、僕にもビジョンが見えてきた気がする。
何はともあれ、みゆにウェディングドレスを着せたい。
「絶対似合うと思うよ。なんなら今度試着に行ってみる?」
目が覚めたような思いで勢い込む僕に、みゆは目を丸くした。
「い、いいけど。篤史くん急に乗り気だね」
「みゆがドレスを着たところが見たいんだ」
正直に告げたら彼女はたちまち赤くなって、うつむいた。
「そんな理由? 恥ずかしいな、似合わなかったらどうしよう」
「心配いらないよ」
彼女にはドレスがよく似合う。
それは高校時代、文化祭でやったシンデレラの劇の時から知っていたことだ。
みゆのお母さんの言うとおり、がぜん乗り気になってきた僕に、彼女はふとこう言った。
「じゃあ、篤史くんはタキシード着てくれる? それともモーニング? あ、フロックコートもいいかなあ」
あ、僕も着るのか。当たり前か。
七五三以来の晴れ着になりそうだけど、似合うかな。
でもさすがにあの時の、ネズミの仮装よりはずっとましだし似合うだろう。僕はそう思い直して気合を入れることにした。
ちなみに、うちの両親にも一応報告しておいた。
「まだ時期はわからないけど結婚するから」
そう告げたら、両親揃って驚きもなく受け止められた。
「当然するものだと思ってたよ」
「するのはもちろん構わないけど。みゆちゃんはひとり娘なんだから、ちゃんとあちらのご意向を大切にして話進めなさいよ」
僕だってひとり息子なんだけど何も言われないのは、そういうものなんだろうか。まあ言われても困るけど。
ともあれ両家からのお許しはもらった。
しばらくはふたりで、結婚についてじっくり話し合うことにしよう。