山口くんと山口さん(2)
「結婚しよう」そう告げるのはもちろん二回目だ。
今度はちゃんと事前に準備をした。
と言っても場所は僕らの部屋のリビングだし、服装だって普段着よりは少しきれいにした程度だ。海外の映画みたいにひざまずいてみせるのも格好つけすぎに思えたから、ソファーに並んで座って、彼女の目を見ながら告げた。
準備をしていたのはプレゼントの花だけだ。
淡いピンクの桜の花をプリザーブドフラワーにしたブーケは、一般的な花束よりも小振りでかわいらしい。
サテンのリボンで束ねたそのブーケを手渡すと、みゆは一瞬フリーズしたように固まって、それからゆっくりと目をみはる。
「すごい、きれい……!」
溜息まじりにこぼれた声はかすかに震えていて、それだけでうれしくなる。
「みゆに贈るなら桜だと思ってさ」
「桜のプリザーブドフラワーなんてあるんだ、知らなかった……」
「僕も。でも探してみてよかった」
プロポーズで渡す花と言えば、やっぱり薔薇が主流だろう。薔薇ならどの色もまんべんなく人気があるそうで、一目見てプロポーズ感があるのは正直魅力に感じた。
だけど、彼女に話したとおりだ。
みゆと言えば桜だと思った。
理由は本当にそれだけだった。
あいにく今の季節は秋だったけど、プリザーブドフラワーなら手に入った。ずっと枯れない、色褪せない花っていうのもこれはこれでプロポーズにぴったりなはずだ。
「本当にきれい、素敵だね」
みゆは心なしか目を潤ませ、ようやくブーケから顔を上げる。
そして僕に、花開くみたいに微笑んだ。
「ありがとう、篤史くん。大切にするね」
「どういたしまして。喜んでもらえてうれしいよ」
「私のほうこそすごくうれしかったよ。どこかに飾っておいてもいいかな?」
「ぜひ、そうしてほしいな」
僕がうなづくと、みゆはリビングの中をきょろきょろと見回しはじめた。どうやらどこに飾ろうかを真剣に考えているようだ。さして広くもない室内を思案顔で眺めるその様子を見て、僕はふとあることに気づく。
あれ、そういえば返事ってもらったっけ。
プロポーズも二回目だから答えはもちろんわかっている。
でも『結婚しよう』の返事が『ありがとう』ではなんというか、曖昧に過ぎないだろうか。
もっとはっきりした答えが欲しい、特にこういう重要な場面では。
それで僕は口を開き、
「あのさ、みゆ」
同時に彼女もこちらを向いて、あ、の形に口を開いた。
「そうだ!」
声を上げたから気づいてくれたかと思いきや、彼女はなぜかすまなそうに眉尻を下げた。
「こういう時って私も何か買っておくべきだったのかな……初めてだからわからなくて」
続いて出てきたのは予想外の言葉だ。
というか、初めてじゃないと困る。
「いや、特にいらないと思うけど」
「そうなの? どうして?」
「どうしてって……プロポーズをする側が用意するものだからだよ。受ける側はいつになるかわからないのに、プレゼントなんて用意しとけないだろ?」
「あ、そっか」
みゆはようやく納得した様子で、ブーケを抱えて胸を撫で下ろす。
「こういうの慣れてないから全然わからなくて。よかった、篤史くんが詳しくて」
まあ僕も最近になってめちゃくちゃ調べたんだけど。
ちなみに僕が以前感じていた指輪についての疑問は、うまく解消するとはいかなかった。婚約指輪を事前に、相手に内緒で用意する人は多いらしいし、でもデザインが気に入らなかった時のために後々お直ししてくれる店もあるにはあるらしい。だけど身に着けるもの、しかもそれなりに高価でしかも一生の思い出に残る品を相手に黙って決め打ちで、というのは僕にはハードルが高すぎた。片想いの相手にリボンを上げるのとは訳が違う。
だから指輪は今後、ふたりで一緒に買いに行こうと思う。
肩を並べて選んで買うほうが、僕ららしいとも思う。
「あ!」
みゆがもう一度声を上げた。
今度はなんだろうとその顔を見れば、きまり悪そうなはにかみ笑いが浮かんでいる。
「ね、もしかして私、まだ返事してない?」
「そうだね」
やっと気づいてくれたか。
このままずっとスルーで、僕のほうから切り出さなきゃいけないかと思ってた。
ともあれみゆは両手でブーケをきゅっと握ると、僕を見上げて微笑んだ。
「じゃあ……結婚しよう、篤史くん」
当然、僕は即答する。
「うん」
なんか彼女のほうからプロポーズされたようなやり取りになった。
まあいいか。どっちからしたって結果は同じだ。
かくして結婚することを決めた僕らが次に取った行動は、報告だった。
言うべき相手はたくさんいる。僕の両親、みゆのお母さんにおじいさんおばあさん、大学の友達や先輩後輩、高校時代の共通の友人、機会があれば先生にも言っておきたい。みゆは職場にも言うんだろうし、僕も来年度から働きはじめるから、その時に報告をしなくてはならない。
でも一番は誰にするか、もう決めていた。
プロポーズを済ませた次の週末、僕らは連れ立って電車に乗り込んだ。
行く先はみゆのお父さんのお墓がある街だ。電車を二回乗り継いで片道一時間半程度。彼女が前に言っていたようにお墓参りでしか行かない街へ、やっぱり今日もお墓参りのために出かけた。
電車を降りて、駅前のスーパーで仏花と線香を買った。ライターは前に来た時のものが残っていたから家から持ってきた。
駅前からはタクシーに乗って、小高い丘の上にある墓地へ向かった。
秋の終わりの、少し風の冷たい日だった。
衣替えをしようかどうか迷う時期でもあって、僕らも普段より暖かい格好をしてきた。どうやらそれは正解だったようで、丘の上の墓地は街中よりもずっと冷え込んでいた。お盆でもお彼岸でもないからか、墓地は以前来た時よりも閑散としていて、それが肌寒さに拍車をかけているようだ。
僕らは金属製の手桶に水を汲み、柄杓で墓石に水をかける。
『佐藤家之墓』
そう記された墓石の前で、ふたりで静かに手を合わせた。
心の中できちんと報告もした――みゆきさんと結婚します。必ず幸せにしますし、ふたりで幸せになります。どうか安心して、見守っていてください。
「……お父さん、なんて言うかなあ」
手を合わせ終わった後、みゆは恥ずかしそうにつぶやいた。
「昔から言ってたんだ、『みゆがお嫁に行く時は泣いちゃうかもな』って。でも私は本当かなって思ってた。だってお父さんが泣いたところなんて見たことなかったから」
そういう時の父親の心理は、僕にはまだわからない。
うれしさ半分、寂しさ半分という感じなんだろうか。
「だから、なんとなくだけどね。泣かないで、むしろ喜んでくれてるはずって思うんだ」
「そうだといいな」
僕もそう思う。お父さんには喜んでいてほしい。
そりゃ僕はまだ若いし、就職先はようやく決まったけどまだ学生の身分だし、完璧に頼れる男とは言いがたいだろう。それでも彼女を想う気持ちだけは世界中のだれにも負けないと胸を張って言える。彼女を大切にすること、これまでだって大切にしてきたことを知っていただけたら、少しは信頼してもらえるはずだ。
「お父さんに安心してもらえるよう、早いとこ一人前の社会人になるよ」
僕が今後の抱負を述べると、みゆは肩を揺らして笑った。
「そんなに気負わなくても大丈夫だよ」
「気負うよ、僕はまだ学生だし――」
「いいの。篤史くんは今だって十分素敵な人だし」
みゆは有無を言わさぬ口調で言い切ると、目を伏せて続ける。
「私も篤史くんがいて幸せだから、それで、それだけでいいんだよ」
それから彼女は僕の肩にそっと頭を載せてきて、少しだけ温かくなる。
僕はその温もりを心地よく、そしてとても貴く感じていた。
僕がいて幸せで、それだけでいい。
そんなふうに言ってくれる人がいることを、改めて幸せだと思う。
気負う思いはやっぱりなくはなくて、きっと消しようがない。僕はずっとみゆに追いつきたくて、必死になって追いかけてきたんだ。その上結婚するとなれば、彼女に失望させたくないと考えてしまって仕方ない。
でも、僕らはすでに長い時間を一緒に過ごしてきた。
失敗も、挫折も、ちょっとした行き違いも、うっかりしてしまうことだって、お互いに何度も経験している。お互いの欠点も受け入れられるってこともわかってる。どちらかがつらい時には支えあうことだってできる。
だから、きっと何があったって大丈夫だ。
僕はほどほどに気負いつつ、困った時はみゆに甘えつつ、もちろんたまには彼女の支えになりつつ、この先もふたりで生きていけばいい。
お父さんがそれをご存知なら、きっと安心してくれてるはずだろう。