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ふたりで喫茶店

 お墓参りを終えた僕らは、街を離れる前に昼食を取ることにした。
 お腹が空いていたのもあるけど、『せっかくだからもう少しだけこの街にいたい』、みゆがそう言ったからだ。
「おいしいお店ならいくつか知ってるよ」
 駅前まで戻ってきてから彼女が言った。
「ラーメンでもお蕎麦でも和食でも、だいたいあるから。あとは……あ、ホットケーキのおいしいお店もあったっけ」
「ホットケーキ? パンケーキじゃなくて?」
 僕は思わず聞き返したけど、みゆ曰く確かにホットケーキらしい。駅前のビル街に入っている古い喫茶店らしく、子供の頃に何度か行ったことがあると言っていた。
「静かで落ち着けるお店だよ。コーヒーもおいしいみたい」
「じゃあ、そこにしよう」
 ホットケーキに興味もあったし、知らない街を歩いてきたから少し休憩したかったのもある。喫茶店ならのんびり休んでいっても大丈夫だろうと、彼女に案内してもらうことにした。

 みゆはほとんど迷わずに、僕をお店へ連れていってくれた。
 駅から徒歩五分、年季の入った雑居ビルの二階がその喫茶店だった。人入りはそこそこで、僕らはカウンター席を勧められたので、隣り合って座った。壁は白いタイル張り、カウンターはざらざらした石造で、よくある丸椅子じゃなく背もたれつきの一人掛けソファーが設えられている。店内を照らしているのはレトロなステンドグラスランプで、淡いライティングが雰囲気づくりに一役買っているように感じた。
 僕からするとあまり来ないタイプの店で少しかしこまりたくもなったけど、みゆはむしろリラックスしているようだ。ビニールレザーのソファーに身を預けつつ、早速メニューを見始める。
「あ、これだよ。ホットケーキとドリンクのセット」
 端がめくれかけているメニューには写真もなく文字列だけだ。それでも僕らは迷わずホットケーキセットを注文した。僕はアイスコーヒー、彼女はオレンジジュースで。
「すごくおいしいから、楽しみにしててね」
 みゆが屈託なく笑う。
 それから店内を見回し、抑えた声で続けた。
「ここに来るのけっこう久し振りなんだ。でもお店、全然変わってないよ」
 テーブルのほとんどが埋まっているにもかかわらず、店内はいたって静かだった。彼女が小声になるのはそのせいだろう。
「何年ぶりくらい?」
 僕も小さく聞き返す。
 彼女は首をかしげて考え込んだ。
「うーん……十年近く来てないかも。小中学生がお友達と来るようなお店ではないもんね」
 ということは、みゆは家族でここに来ていたのかもしれない。
 お父さんも一緒だったのだろうか。
 僕は一瞬ためらったものの、お墓参りまでして今さら話題を避けるのも変だろうと思い、尋ねた。
「ご両親と来たの?」
「そう」
 みゆも、すぐにうなづいた。
「お父さんの勤め先が駅近くにあって、たまにお昼を一緒に食べたんだ。幼稚園の頃はホットケーキもお母さんとはんぶんこだったけど、小学校に上がった頃にはちゃんと全部食べられるようになったの、覚えてる」
 僕はその頃のみゆを知りようもないけど、なんとなくどんな子供だったかは想像がつく。きっとかわいかっただろう。
「お父さんはいつもサンドイッチを食べてたな。コーヒーと一緒にね」
 みゆがそこで、少し笑った。
「本当はナポリタンが食べたいけど、ワイシャツを汚すと困るからって我慢してたんだって」
「確かに、ワイシャツでナポリタンは危ないな」
 インターンシップでスーツを着る機会が増えたから、僕は心から同意する。社会人になったら昼食にはいろいろと悩みそうだ。

 やがて、二人前のホットケーキセットが僕らの席に運ばれてきた。
 こんがり焼けたホットケーキは二段重ねで、それでも最近流行りのパンケーキと比べると厚みは控えめだ。脇に添えられているのは四角いバター、メープルシロップは透明なガラス瓶に入ったものがついてきた。
「いただきまーす」
「いただきます」
 僕らは早速、ホットケーキを食べ始める。
 焼き加減は入れたナイフがさくっと音を立てるくらいで、食感はふわふわと軽めだ。生地自体がほんのり甘くてどこか懐かしい感じがする。バターやメープルシロップを染み込ませると、口の中でじゅわっと甘味が広がるのもいい。
「ほんとだ、おいしい」
「でしょ?」
 僕が褒めると、みゆはこちらを向き、うれしそうに目を細めた。
「ここのホットケーキ、またいつか食べに来たいなって思ってたんだ。でもひとりでこっちまで来る機会はなかなかなくて」
「けっこう距離あるもんな」
 ホットケーキを食べるためだけに電車で一時間半かけるのはちょっと大変だろう。
 それこそ、他に用事でもあれば別だろうけど。
「だから、篤史くんに来てもらえてよかった」
「いつでも付き合うよ」
「ありがとう」
 僕の申し出にみゆは笑い、ホットケーキを切り分けながら語を継ぐ。
「お墓参りもね、ひとりで来るのはちょっと怖かったんだ」
「怖かった?」
「うん。もうだいぶ経つけど、悲しくならないわけじゃないし。ひとりの時に泣きたくなったらどうしようって思ったから」
 そういう怖さか。
 でも今日の彼女は、墓前で泣いても、泣きそうになってもいなかった。むしろ気丈に振る舞っているようにさえ見えた。
「今でも、時々夢に見るの」
 今も、みゆは微笑んでいる。
「お父さんの夢。何かしてたり、どこかに行ったりしてる夢じゃなくて、この街にいた頃に住んでた家で三人で過ごしてる夢。私も当たり前のようにお父さんと一緒にいて、でも目が覚めて……あ、夢なんだ、お父さんとはもう会えないんだってぼんやり思うの」
 大切な人を亡くす悲しみは、当然大きく、深いものだ。
 そしてそれはいつまでも完全に消えてしまうわけではなく、みゆが見た夢のように時々ぽっかりと浮かんできては、思い出すものなんだろう。
 怖い夢の時は僕が傍にいて、抱き締めてあげられるけど、悲しい夢の時はどうしたらいいんだろうか。
「でも、それが悼むってことなのかもね」
 何も言えなくなる僕とは対照的に、隣から見るみゆの横顔は穏やかだ。

 悼む。
 僕にはまだ縁遠く、考えることもなかった言葉だった。
 でも彼女はそれをすでに知っている。

「夢を見て、思い出すことも大事なんじゃないかな」
 彼女はなおも続けた。
「悲しいことを完全に忘れちゃったら、お父さんのことも思い出せなくなるかもしれないから。私は時々悲しくなったり、寂しくなったりしながら、お父さんとの記憶を大切に持ち続けていきたいって思うんだ」
「……そっか」
 僕はうなづく。
 それしか言えない自分がもどかしくもあるけど、彼女の言葉をいつか実感として受け入れる日が、生きていれば必ずあるだろう。その時、僕は『みゆが隣にいてくれてよかった』って改めて思うのかもしれない。
 今日も、僕がまだ知らないことを彼女は教えてくれた。
「篤史くんがいてくれてよかった」
 みゆが、不意にそう言った。
 くしくも僕が思っていたことと同じだったから、ちょっと驚く。もちろん僕の動揺なんて気づくはずもなく、彼女はじっと僕を見つめた。
「この街に誰かと来ることあるのかなって、ずっと思ってたの。私にそういう人ができるかどうか自信なかったし、できたとしてもお父さんの話をしたら引かれるんじゃないかって、不安だったから」
 みゆはずっとそんな思いを抱えてきたのだろうか。
 彼女のことが好きで好きでたまらない奴も、ここにいるっていうのに。
「引くなんてとんでもないよ。話してくれて、連れてきてくれてうれしい」
 そう応じたら、彼女もほっとしたようだった。
「篤史くんがそう言ってくれるの、私もすごくうれしいな」
 フォークを置き、胸に手を置いてつぶやく。
「本当に、素敵な人と巡り合えちゃった……」
 目を伏せたみゆは祈るようでもあり、心から安堵しているようにも見えた。
 そこまで言ってもらえるとさすがに照れるけど――もちろん悪い気はしない。全くしない。
「ずっとそう思ってもらえるよう、精進するよ」
 僕はすかさず胸を張る。
「怖い夢や悲しい夢を見た時は、遠慮なく起こしてくれていいから」
 すると彼女は意外にもすんなりと顎を引いた。
「うん。そういう時は篤史くんに抱きつくようにするね」
 それからまたおいしそうにホットケーキを食べ始める。
 小さめの一切れを口に入れて顔をほころばせるみゆを、僕もホットケーキを味わいながらじっくり眺めた。

 素敵な人と巡り合えたのは、僕も同じだ。
 きっと僕はこの先何度でも思うだろう。
 みゆが、隣にいてくれてよかった。
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