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ふたりでご挨拶

 みゆのお盆休み初日、八月十三日は快晴だった。
 僕らは少し早起きをして、朝八時過ぎに家を出た。駅から電車を乗り継いで、目指すはみゆがかつて住んでいた街。そしてみゆのお父さんのお墓がある街だ。

 早めの出発が功を奏したか、電車はそれほど混んでおらず、僕らは並んで座ることができた。
 ふたり掛けの座席の窓側で、みゆは車窓の景色に目を細める。
「わあ、あの街並み懐かしい……」
 僕にとっては初めて見る街並みだ。遠くにぽつぽつとビルがあって、線路沿いにはどこにでもありそうな住宅街や学校があって、でも駅が近づくにつれて飲食店などが増えてきて、賑やかになって――僕らの住んでいる街と大して変わらない。
 でもここに、かつて彼女は住んでいた。
 ありふれた街並みも、思い出があれば印象深く映るのは当たり前のことだ。
「ここにはよく来るの?」
 電車がゆっくりと減速していく中、僕は彼女に聞いてみた。
 懐かしいと言うからにはそう頻繁に来ていないんだろう。そう思った僕の予想は当たりのようで、みゆは首を横に振った。
「お墓参りの時だけ。お彼岸とお盆と、あと命日くらいかな」
 それから少しだけ寂しそうに付け加える。
「お母さん、あんまり来たがらないの。まだ悲しい思い出なんだと思う」
 みゆが中学生の頃といえば、今からほんの五年ほど前ということになる。大切な人を失った悲しみがその程度の年月で癒えるとは思えない。みゆのお母さんの心境を考えると、僕まで胸が締めつけられるようだった。

 電車を降りた後、僕はみゆの案内で駅前のスーパーに立ち寄った。
 そこでお供え用の仏花と線香、それに火をつけるためのライターを購入した。みゆは店内のどこに何があるかをちゃんと覚えていて、スーパーのポイントカードまで持っていた。
「今は年に数回しか来ないから、全然貯まらないんだけどね」
 そう言って笑うみゆの顔が、少しだけ寂しそうにも見えた。
 買い物を終えてからはタクシーを拾い、墓地へと直行する。件の墓地は街の奥にある小高い丘の上らしく、バスに乗ると市街地を散々回ってから向かうことになるため、かえって時間がかかるそうだ。
「それにお盆だとやっぱり混むから」
 彼女の言うとおり、道すがら見かけた墓地行きのバスは人がみっちり乗り込んでいた。あれだと最悪定員オーバーで数本見送り、なんてこともあったかもしれない。
 それだけ多くの人が、大切な人のお墓参りに行くんだろう。
 そう思うと、これまで気にも留めていなかったお盆がとても意味深い日に思えてくる。

 墓地に着いたのは昼前のことだった。
 すでに太陽は高く昇っていて、強い陽射しががんがん照りつけている。整然と並んだ墓石にも陽が当たり、あちらこちらで光って見えた。どこからか蝉がうるさく鳴いている。まさに夏の一日だった。
 みゆに連れられてお墓に向かう途中、数組の家族連れとすれ違った。みんなこの暑さに喘いでいたし、汗を拭き拭き歩いていく。子供たちは帽子をかぶっている。涼しげなのは提げた手桶の中でたゆたう水だけだ。
 僕らも水汲み場を見つけて、金属製の手桶に水を汲んだ。
 そして辿り着いた墓石のひとつに、みゆが柄杓でそっと水をかける。
 冷たい水に濡れてじわじわと色が変わっていく墓石には、こう記されていた。
『佐藤家之墓』
 墓石の横にはみゆのお父さんの名前が刻まれている。享年四十歳とあって、その若さに今さらながらショックを受けた。
「お花、活けるね」
 みゆが買ってきた仏花を、墓前の花立に活ける。
 それから慣れた手つきで線香を立てたから、僕がそこにライターで火をつけた。緑の先端を火が舐めると、たちまち細い煙が立ちのぼる。彼女の実家でよく嗅ぐ、あの匂いがした。
「お父さんのことはね」
 墓前で膝を抱えるようにしゃがんで、みゆが言った。
「今まで、あんまり話せなかったの。お母さんにも、友達にも。お母さんは私以上に悲しんでて、つらそうで、そこで私まで悲しんでるってわかったら余計つらくなると思ったから」
 みゆのお母さんにとっては世界でたったひとりの愛する夫だ。
 つらくないはずがない。
 でも、みゆにとっても世界でたったひとりの大切なお父さんだ。そうやって気持ちをこらえることも、やはりつらかっただろう。
「友達にはね、こういう話をしたら暗いやつって思われそうで……言えなかったの。誰かがその子のお父さんの話をする時はこっそり悲しくなったりしたけど、黙ってた」
 彼女が傍らの僕を見上げ、苦笑を浮かべる。
「思えば、十代の頃って人からどう見られるのかが一番怖い時期でもあったな。いつも笑顔でいなくちゃいけないと思ってて、誰かに話したい悩みは溜め込むしかなくて、ふくらんでいく一方だった」
「誰でもそうだよ、僕だって同じだった」
「うん。それで私、会ったこともないような男の人に引っかかっちゃったし――」
「引っかかってはないだろ、引っかかりかけただけだ」
 そこはしっかり訂正しておく。
 僕がちゃんと助けに行った。お父さんが聞いていたらぎょっとしてしまうだろうから、引っかかったわけではないことを強調しておかなくては。
 みゆも、今度はうれしそうに笑んだ。
「そうだね、篤史くんがいたから大丈夫だった」
 お互いに十代の頃は過ちも、迷いもあった。僕が不用意な言葉でみゆを傷つけたこともあったし、みゆが僕に対して怒りをぶつけてきたこともあった。それでなくても僕らの気持ちが通じ合うまでにはいくらかの時間と、お互いの成長が必要だった。
 それらをどうにか潜り抜けてきて、今の僕らがいる。
「篤史くんにこうして来てもらったのも、やっぱり、篤史くんだからだね」
 みゆが墓石に向き直る。
 穏やかで優しい横顔が、水を浴びた墓石を見つめている。高校時代の面影は残っていても、その表情はすっかり大人だ。きれいだった。
「お父さんのこと、ちゃんと話したのは篤史くんが初めてなんだ」
「……そっか」
 もっと何か言ってあげたいのに、かける言葉が見つからない。
 大変だったねとかつらかったねとか、わかったような物言いをする気にはなれなかった。
「話してもらえてうれしいよ」
 だから、それだけ告げた。
 ゆっくりとまばたきをするみゆに、さらに続ける。
「みゆが誰にも言えなかった悲しいことやつらいこと、僕には話していいと思ってくれたなら――みゆにとって話せる相手に僕がなれたなら、すごくうれしい。そうなりたいってずっと思ってたんだ」
 すると彼女は立ち上がり、うれしそうに目を細めた。
 それから睫毛を伏せて、静かにこう言った。
「ありがとう。私もね、お父さんに会ってもらいたかったの」
「お礼を言うのは僕の方だよ。ご挨拶してもいい?」
「うん、どうぞ」

 それから僕らは墓前で肩を並べて、手を合わせた。
 目を閉じていても感じる強い陽射しと蝉しぐれの中、みゆのお父さんに語りかけてみた。
 ――まだ力不足の僕ですが、これからもみゆさんと共に支えあって生きていきます。必ずふたりで幸せになります。どうか見守っていてください。

 祈り終えた後、僕らは線香の火を消し、仏花をしまった。
 そして手桶と柄杓を水汲み場に戻すと、そのまま墓地を後にする。
「今日は一緒に来てくれてありがとう」
 みゆがまたお礼を言ってきたから、僕は少し笑ってしまった。
「だから、ありがとうは僕の方こそだよ。お父さんに会わせてくれて、うれしかった」
「うん……お父さんもね、きっとびっくりしてると思うよ」
 そう言って、彼女もくすくす笑う。
「私が彼氏を連れてくるなんて、想像もできなかっただろうし」
「そんなもんかな。お父さんに認めてもらえるといいんだけど」
 今時『お前のような男に娘はやらん!』みたいなお父さんがリアルにいるのかはわからないけど、そう思われないよう精一杯、ご挨拶に努めたつもりだ。
「心配ないよ」
 みゆが僕の手を取る。
 ひんやりと心地いい手が、ぎゅっと気持ちを込めてくる。
「篤史くんだもん。きっとお父さんも大喜びで『どうぞどうぞ』って言うよ」
「本当に?」
「絶対に!」
 褒め上手のみゆが力強く保証してくれた。
 だから僕もうれしくて、ほっとして、思わず大きく息をつく。

 絶対に、みゆを幸せにしよう。
 今まで悩んできた分まで、抱え込んできたものも全て含めて、彼女をまるごと愛して、大切にしよう。
 改めてそう決意した。
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