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隣のあの子とホワイトデー

 昼休みも終わりそうな頃合になって、ようやく佐藤さんが隣の席に戻ってきた。
 頬杖をついていた僕は、慌てて姿勢を正す。近づいてくる彼女の姿を待ち構えるように見守る。
 そしてその手に見覚えのある包装のお菓子を見つけて、どきっとする。あの青いリボンの袋はクッキーの詰め合わせだ。
 近所のコンビニで売っていたものだから知っていた。コンビニの棚にぎっちりと詰め込まれた様々な味のクッキーを、僕は素知らぬふりで確かめていた。
 ホワイトデーなんて横目で見るだけで通りすぎてしまおうと思っていた。
 だけど佐藤さんはクッキーを手にしている。
 そして今日が、そのホワイトデーだ。

 そわそわとする僕に、席に着いた佐藤さんが声をかけてきた。
「山口くん」
 ぎこちなくそちらを向くと、彼女はさすが気が早い。青いリボンを解いてクッキーの袋を開けていた。中から三枚ほど取り、差し出してくれる。
「よかったら食べる? クッキー」
「え……」
 僕は唖然とした。
 クッキーは、嫌いじゃない。甘い物は好きな方だ。だけどそういう問題ではなくて、今日はホワイトデーじゃないのか。
 佐藤さんの手にしているそのクッキーは、今日の為のものじゃないのか。
「いいの?」
 思わず尋ね返す。
 すると佐藤さんは愛想のいい笑みを浮かべた。
「うん。山口くんにもお裾分け!」
「いや、そういうことじゃなくて……」
 一瞬だけためらった。
 でも、結局聞いてしまった。
「それさ、誰かからもらったお返しじゃないのかなって」
 今日はホワイトデーだ。
 佐藤さんが誰かにチョコレートをあげたかなんて、僕は知らない。そんなことを尋ねられる立場でもない。興味もない。ない、はずだった。
 ともかく、佐藤さんが一ヶ月前のバレンタインに、誰かにチョコレートをあげていたとして、そのお返しにもらったのがそのクッキーだっていうなら、僕は――。
「お返し?」
 彼女が小首を傾げる。この期に及んでとぼけているのか。
 噛み砕いて説明するのも結構な苦痛だった。
「だからさ、今日はホワイトデーでしょ?」
「うん、そうだね」
「佐藤さん、そのクッキーは誰かにもらったものじゃないの? だとしたら僕に寄越すのは……」
「あ、そういうこと! ううん、違うよ」
 ようやく腑に落ちた様子で、佐藤さんがかぶりを振った。
「これね、コンビニで買ってきたものなの。自分用に」
「自分用?」
 僕が聞き返すと、照れたように笑んだ佐藤さんが、うん、と頷く。
「ほら、ホワイトデーフェアってずっとやってたじゃない。お店の棚にずらっとクッキーが並んでるの見たら、何だか食べたくなっちゃって……」
 何だ、そういうことか。全く人騒がせな食い意地だ。
「さっきもお弁当の後、皆で食べてたの。美味しかったよ、このクッキー」
 佐藤さんは手に乗せたクッキーを指差した。
 僕は彼女の言葉に訳もなく安堵していた。でも、そんなことはおくびにも出さない。出せるはずがない。
 代わりに苦笑いが浮かんで、同時に告げた。
「佐藤さん、クッキー好きなんだ」
「うん、大好き」
 甘いものは何でも好きなんだろうな、と思った。佐藤さんは素直だ。だからホワイトデーの意味なんて考えないで、売り出されているクッキーを自分で買ってしまうんだ。食べたいからって理由だけで。
 一方僕は、素直になんてなれるはずもなかった。
 さっきから片方の手だけを机の引き出しに突っ込んで、佐藤さんには見えないところでうろうろと逡巡していた。
「だから山口くんもよかったら、どうぞ」
 クッキーを三枚ほど差し出され、
「ありがとう……」
 空いた方の手で、しょうがなく受け取る。
 別に欲しいとは言っていない。もらっても困るくらいだ。
 僕がクッキーを手にしているのを、にこにこと満面の笑みで見つめてくる佐藤さん。見られていると食べにくい。それ以外にも、いろいろと支障があって気まずい。
 彼女はそんなにクッキーの美味しさを他人と共有したいのか。どこまで食い意地が張ってるんだ。クッキーの話題が続くと、ますます切り出しにくいのに。
 彼女の視線がなかなか逸れないので、僕は半ば自棄になる。机の引き出しに突っ込んでいた手を一息に取り出した。
「実は、さ」
 手が掴んでいたものを、そっと彼女に突きつける。
「僕も――僕も買ってたんだ、そのクッキー」
 ちらと横目で見れば、僕の手は見覚えのある袋を掴んでいた。クッキーの袋。青いリボンがついている。コンビニのホワイトデーフェアで売られていた、品物。
 更に視線を上げると、驚いた様子の佐藤さんの顔が目に入る。
「山口くんも買ってたの?」
「う、うん、まあね……」
「そっかあ。やっぱり、買っちゃうよね。美味しそうだもんね」
 彼女は僕の行動に共感を覚えたようだ。納得したようで頷いている。
 僕もだから、曖昧に頷いておいた。
「コンビニは売り方上手だよね。あれだとつい、手が伸びてしまう」
「うん、わかるわかる! すごく食べたくなっちゃうよね!」
 はしゃぐ佐藤さんを見ていると、とてもじゃないけど本当のことは言えない。まるで僕も、コンビニの商法に負けてクッキーを買ってしまった人みたいになっている。
 僕は佐藤さんほど単純じゃない。それなのに、一緒になってはしゃぐ羽目になった。
「じゃあ、あの、僕が買ってきた分も少しあげるよ。お裾分けだ」
「わあ、ありがとう! 食べ比べてみるね!」
 結局僕が買ってきたクッキーも、少しだけ彼女に分けてあげた。
 分けてあげた、だけだった。

 タイミングが悪すぎた。
 本当はバレンタインデーのお返しのつもりだったなんて、到底言えるはずがない。
 やっぱりホワイトデーなんて知らないふりをしていればよかった。クッキーの残りを全部自分で食べるのは、結構大変だったから。
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