隣のあの子と日曜日
コンビニのBGMが切り替わったタイミングで、僕は読んでいた情報誌を閉じ、棚に戻した。日曜日、出かけたついでにコンビニに立ち寄るのが習慣になっている。何か面白いことがあるわけでもなく、立ち読みをしてガムを買って時間を潰すだけ。なのについ、休日の度に足を運んでしまう。
悪い癖がついたもんだな、とぼんやり思いながら、雑誌の棚を眺めていた。まだ家に帰る気はない。
ちょうどその時、すぐ傍の自動ドアが開いて、
「……あ」
入ってきた女の子が小さく声を上げた。
僕も彼女を見た。横目で確かに見たけど、すぐに逸らした。
知らないふりをした。
目は合わなかったと思う。だから彼女も気づかなかったに違いない。そうだといい。
スニーカーの足音が近づいてきたので、僕は手近にあった映画雑誌を手に取った。大して興味もない新作情報に没頭しようと努めた。
だけど足音はすぐ隣で止まって、
「あの……もしかして、山口くん?」
聞き覚えのある声が僕を呼ぶ。
呼ばれたら無視もできない。僕は渋々雑誌から顔を上げ、予想した通りの顔を見つけた。
「……佐藤さん」
クラスメイトで隣の席の、佐藤さんだ。
彼女は薄いベージュのワンピースに、髪はいつもと同じ色気のないひとつ結び。足元は飾り気のないスニーカーだ。見慣れた制服姿と同様に、野暮ったさが全く抜けていなかった。
だからこそ僕は、コンビニに入って来た彼女の顔がすぐわかった。慣れない私服姿でも戸惑うことはなかった。
「やっぱり山口くんだった」
ワンピース姿の佐藤さんはにっこり笑って、
「学校以外で会うなんて偶然だね」
と言った。
「そうだね」
僕は雑誌を閉じて応じる。笑い返すのは控えめにしておいた。偶然の出会いを喜んでいるなんて思われたくない。
大体佐藤さんなんて、クラスメイトなら誰と会ったって喜ぶに決まっているんだ。
「山口くん、私服だとちょっと雰囲気違うね」
隣に立ち、僕の格好をしげしげと見る佐藤さん。
不快ではない視線は、けれど十分居心地が悪かった。客の少ないコンビニでも人目を意識してしまう。
「そうかな。普通だよ」
「ううん、何か大人っぽく見えるよ。年上の人みたい。最初見た時、あれって思ったもん」
佐藤さんは両手を合わせた仕種で僕を誉めそやす。
「山口くんって服のセンスいいんだね」
「そうでもないって」
居心地の悪さが加速する。
地味で野暮ったい佐藤さんに誉められたところで喜べやしない。彼女のセンスが幼いんだ。着ているワンピースは何とも言えない、薄くぼやけたベージュ。すとんと落ちる素っ気ないデザインだ。膝が出る丈だと彼女の場合、中学生みたいに見える。髪型はいつもと全く同じだし、僕は誉め返すポイントを探すのに苦労した。
「そういう佐藤さんだって」
結局、見つからなかった誉めどころ。
僕は心にもないことを口にする。
「その服、可愛いね」
「え」
佐藤さんがびっくりしたように目を見開く。
「だから、着てる服。佐藤さんに似合う、可愛いデザインだと思うな」
まあ、似合ってるのは本当だ。服だってセンスがいいとは思わないけど、子供っぽくて可愛いと言えば可愛い。そういうことにしておこう。
「本当?」
「うん」
聞き返されたので僕は渋々頷いた。
すると佐藤さんは一転、はにかむような笑みを浮かべる。
「ありがとう」
「いや、別に」
お礼を言われるようなことじゃない、僕がそう言おうとする前に、
「誉められることってあんまりないから……。ちょっと照れるけど、嬉しいな」
頬をほんのり染めた微笑は、湯上がりの顔を連想させた。学校では見たことのない表情だった。
学校以外の場所で佐藤さんと出会ったのは、そういえばこれが初めてだった。
彼女のことを誉めたのも、もしかすると初めてだったかもしれない。誉めるところのあまり見当たらない子だったし、単に隣の席のクラスメイトというだけの僕にそんな義務もないはずだ。
だけど僕は、何だか無性に先の発言を悔やみたくなった。
佐藤さんは素直だ。
きっと誰に誉められたって喜ぶんだろうし、たとえ嘘つきのお世辞だって全く見抜けずに嬉しいと言うんだろう。たとえ僕が、あからさまに服しか誉めてなくたって。
でも、嘘だ。彼女の着てる服は別に可愛くない。服は、可愛くなんかない。
「あっ」
不意に佐藤さんが声を上げた。
雑誌コーナーが背にしている一枚ガラスの向こうで、見知らぬ女の子が佐藤さんへと手を振っている。見た感じ、佐藤さんよりはまだおしゃれな子だった。
「友達が来たから行くね。また明日ね、山口くん」
挨拶は欠かさずにそう言うと、彼女はコンビニの出入り口へと駆け足で向かって行く。
ちょうど入ってきた女の子と言葉を交わすと、後はこちらを見ることもなく、二人並んで買い物を始めた。コンビニのBGMに混ざるように、佐藤さんが友達とはしゃぐ声が聞こえてくる。
僕は溜息をつき、そして映画雑誌を手にしていたのを今頃になって思い出す。
どうせ買わない。興味もない。棚に戻して知らないふりをする。
佐藤さんとコンビニは少し似ているような気がした。
習慣になっているのかもしれない。彼女と話すこと。彼女のことを考える、ほんのわずかな時間。
明日から始まる一週間で、僕はどのくらい佐藤さんのことを考えるだろう。時間を潰して、興味のないそぶりで。
そうしてこの日曜日もまた、よくわからない後悔を残して潰れていく。