Tiny garden

暖かい昼休みの過ごし方

 天気のいい日の昼休みは、必ず二人で過ごすこと。
 それはいつの間にか生まれていた、私と木谷くんの間の小さなルールだった。

 この季節、図書館の片隅には陽だまりが出来ていて、どこにいるよりも過ごし易い。私と木谷くんは椅子に並んで腰掛けながら、ぼんやり昼休みの時を過ごす。教室でご飯を食べた後は、お互いに目配せし合ってここへ向かうようにしている。誰にも内緒にする必要はないのに、わざわざ合図まで決めている。
 ぽかぽかと暖かい陽射しに包まれながら、私はいつも本を読む。外国のおとぎ話を読みながら、右側にいつも木谷くんを感じている。触れ合うほどの距離ではないのに、木谷くんの体温まで感じられるようで、とても幸せだった。
 木谷くんは音楽を聴いている。ポータブルオーディオを制服の胸ポケットに入れ、イヤフォンのコードを袖で隠して、誰にも見つからないようにこっそりと聴いている。傍からは頬杖をついているだけにしか見えない木谷くんが、本当は素敵な音楽を楽しんでいること、私だけが知っている。先生にばれたら怒られてしまうから、こうして図書館の隅で、私といる時だけ聴くことにしているんだって言っていた。ボリュームを絞っているから、ほとんど音は漏れていない。微かに低音のリズムだけが聴こえてくる、右隣。
 私たちはそれぞれ違うことをしていて、思い思いに昼休みの時間を楽しんでいる。たくさんおしゃべりをしたり、冗談を言って笑い合ったりする訳じゃないけど、一緒に過ごすのはとても楽しい。元々口数の多くない同士だから、お互いに好きなようにして時を過ごすのも悪くなかった。
 古い校舎の端にある図書館はいつも静かで、昼休みでもひと気が少なかった。ゆったりした暖かい空気を木谷くんと二人占めしているみたいだった。

 でも、今日は読書を止めてしまいたい気分。というより、本を読み続けているのが難しい。
 陽射しがぽかぽか暖かくて、お腹がいっぱいの私は何だか眠くなってきてしまった。活字を追い駆けていたら目の前がぼんやりしてきて、一瞬だけだけど舟を漕いでしまった。慌てて深呼吸をしてみたけど、頭が鈍くて、やっぱり本を読み続けられない。
 溜息をつきながら本を閉じると、すぐに右隣でも動きがあった。イヤフォンを外した木谷くんが、身を屈めて私の顔を覗き込む。
「並川さん、眠たい?」
「どうしてわかったの……?」
 真っ先に言い当てられてびっくりすると、木谷くんはちょっと笑ってみせた。
「さっきから眠そうにしてるの、見てたから」
 木谷くんは本当によく見ている。身長が三十五センチも離れていて、木谷くんからすればとっても小さい私のことをちゃんと見ててくれてる。音楽を聴きながらでもそれが出来るなんて、すごいと思う。
 私も出来るだけ、木谷くんのことを見ているようにしていた。背の高い木谷くんを傍で見上げるのは、首をぐんと伸ばさなくてはいけないから大変だったけど、本当はたくさん見ていたかった。私がどんなに頑張っても木谷くんには敵わなくて、木谷くんは私のことを本当によく気が付いてくれるから、負けないように頑張らなきゃって思っている。
 でも、眠そうにしてるところを見られるのは恥ずかしいかな……。子どもっぽいって思われたかもしれない。
「ほんの少しだけだけど、眠かったの」
 私は言って、誤魔化すみたいに笑った。
「もう大丈夫だから、気にしないでね、木谷くん」
「そう? 今でもすごく眠そうな顔してるけど」
 おかしそうに言った木谷くんは、その後でそっと声のトーンを落とした。
「寝てもいいよ。起こしてあげるから」
 それを聞いた私はもう一度びっくりしてしまう。だって、木谷くんの前で寝るだなんて、それこそとっても恥ずかしい。どんな寝顔するかわかったものじゃないのに。
「え? で、でも、あの」
 慌てている私をよそに、木谷くんは腕時計で時間を確かめてから、再び言ってくれた。
「まだ予鈴まで十分くらいあるから。ちゃんと起こすよ」
「けど……」
 さすがにためらいたくなる。寝顔なんて、木谷くんには見せられない。
 それに私が寝てしまったら、木谷くんが一人になってしまう。お互いに好きなようにして過ごす昼休みだけど、眠ってしまうのはやっぱり悪いかなって気がする。
「肩、貸すから」
 ごくさりげない口調で木谷くんが言ったから、
「よかったら、遠慮なく寄り掛かって」
 その言葉の意味を、ちゃんと飲み込むのに少しの時間が必要だった。
 飲み込んでしまったら、途端に頬が熱くなり、ぱっと目が覚めてしまった。
「え、そ、それって、そんなの」
 上手く声にならない。言葉にもならない。私はすごく慌ててしまって、頭の中が真っ白だった。
 だって木谷くんの肩に寄り掛かるだなんて! そんなことしたら、どきどきして眠るどころじゃない。ちょうど今みたいに声が出なくなって、頬が熱くて、頭の中が真っ白で、どうしていいのかわからなくなってしまう。
 きっと暖かで、幸せな気持ちがするだろうけど、それ以上に恥ずかしい。したことのないことを初めてするのはとても勇気が要る。私の方から寄り掛かるなんて、無理、出来そうにない。
「で、出来ないよ、そんなこと……」
 私はそう思うのに、木谷くんは特別慌てた様子もなかった。穏やかに笑って、更に言ってくる。
「気にしなくていいったら」
「でも、だって」
「眠たいんだろ? 午後の授業に備えて、少し休んだらいい」
 木谷くんは優しい。多分顔が赤くなっている私が、それでもまだちょっとだけ眠たがってるってこと、よくわかってる。もしかすると、ほんの少し――ちょっとだけ、寄り掛からせて貰いたいなって思ってしまったのも、見抜かれてるのかもしれない。
 心の中まで見抜かれてるみたいで恥ずかしかったのと、それよりももっと恥ずかしいことを目の前にして、私は思わず俯いた。だけど迷いに迷った挙句、結局言ってしまった。
「じゃあ、あの、お願いしても……いい?」
「うん」
 控えめに顎を引いた木谷くん。
 私は本を膝の上に置くと、彼の制服の右肩にそうっと寄り掛かった。

 暖かい。
 ちょうど木谷くんの二の腕に、私は頭を預けている。寄り掛かってしまっても大丈夫なくらい、木谷くんの腕はしっかりしていた。頬に触れた制服の布地越しに暖かさがよく伝わってきた。
 心臓の音が聞こえてしまいそうなくらい動悸が激しくなる。どきどきする。でも、暖かくて幸せで、離れたくない。
「あ」
 頭上で、小さな声がした。
 思わず顔を上げると、木谷くんが目をぱちぱち瞬かせながら、私を見下ろしている。視線がぶつかって、木谷くんがおずおずと言ってくる。
「頭、乗せた方が楽かな」
 気遣わしげな様子だった。
「乗せる……って?」
 何をだろう、そう思って聞き返せば、
「肩に。少し下げようか」
 言うなり木谷くんは、右肩を下げるように身体を傾けてきた。
 でもかなり傾けないと私の頭は乗らない。私がちびで、木谷くんはとても背が高いから。足元に落ちたものを拾おうとするような、不自然な姿勢になって貰ってようやく、私のおでこが木谷くんの頬に触れるくらいの距離になる。
 近い。木谷くんがとっても近くにいる。
「う、ううん、平気だから」
 ぼうっとしかけた頭を、大急ぎで横を振った。寄り掛からせて貰えるだけでもうれしいのに、これ以上優しくして貰うなんて悪いもの。
 それに、肩に頭を乗せるのはすごく恥ずかしい。こうして身体を傾けて貰ってる今、私たちの距離はいつになく近くなっている。前髪が触れ合ってかさりと音を立てて、触れていないところからも体温が伝わってくるくらいに近い。
 いつもはこんなに近づくことなんてない。三十五センチの距離を越えて、こんなに傍で視線を交わすこともない。頑張ってみたって見上げるばかりで、近づくことなんて出来ないと思ってた。
 息が止まりそうだった。
「そう? じゃあ、腕でもよければ」
 木谷くんは普通にしていた。彼がゆっくり身を起こすと、極めて冷静な眼差しと、穏やかな表情が離れていく。そのことを寂しいと思いつつも、今はちょっとだけほっとしている私がいる。
 もう一度寄り掛かってみる。体温が感じられる、暖かい木谷くんの左腕。彼の表情は見えないけど、このくらいの距離が今の私たちにはちょうどいい。
「ありがとう」
 言ってから目を閉じると、木谷くんが短く答えるのが聞こえた。
「うん」

 予鈴が鳴るまで、私は黙って木谷くんに寄り掛かっていた。
 彼が音楽を聴くのを止めていたことに後から気付いて、次は、私も本を読むのを止めてみようと思う。
 したことのないことを初めてするのは勇気が要るけど、木谷くんとの昼休みの過ごし方、たまには変えてみるのもいいかなって思うから。
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