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祝福された人々(2)

 仕立て屋の仕事の合間にも、ロックは花嫁衣裳について案を練り始めていた。
 何せ直接皇女の御尊顔を拝見したのだ。それも同じ卓を囲むほどの距離から。その顔立ちは十日以上経った今でもロックの記憶に焼きついており、花嫁衣裳を考案するためのこの上ない手助けとなっていた。

 夕方近くになり店の来客が途切れると、ロックは帳面と石筆を取り出す。
 そしてカウンターの上に帳面を広げ、思いついたドレスの意匠をなるべく事細かに描きだすようにしていた。
 熟した木苺色の髪に似合う色はやはり白か、あるいは緑か。黒というのも悪くはないが花嫁衣裳にしては暗すぎる。それに遠方へ旅立つ花嫁には、希望溢れる前途を予感させるような明るい色を着てほしい思いもあった。
 当世流行のドレスは背中や鎖骨や二の腕を晒すものだが、花嫁衣裳に流行の型はそぐわない。むしろ極力肌を出さないものがいい。何より高貴なお方の召し物だ、上品さと古き良き格式というものを忘れてはならない。
 それでロックが描き出したのは裾の広がらない型のドレスだ。詰襟に手の甲まで覆う袖丈と伝統を踏襲しつつ、若く瑞々しい花嫁に似合うよう腰を絞り、華奢な身体の線が映えるようにしたかった。袖は総かぎ編みにして、うっすらと肌を透かせる。スカートにもかぎ編みの生地を重ねれば歩くたびにふわふわと揺れ、花嫁の愛らしさをいっそう引き立てるはずだった。
「あら、なかなかいいじゃない」
 商品を畳むフィービが、石筆を走らせるロックの手元を覗き込んでくる。
「初々しい花嫁さんにはきっとぴったりよ」
「そう言ってくれるのはうれしいんだけど……」
 ロックはそこで手を止め、溜息をついた。
「なんか決め手に欠けるんだよね」
「決め手って何よ」
「つまり、皇女殿下のためのドレスって感じがしないんだ」
 髪の色、瞳の色、そして顔立ちはわかっている。笑うと意外とあどけないことも、ほっそりと華奢なこともこの目で見てきた。
 だがそれでも、彼女のためだけのドレスには情報が足りない。
「ニーシャの花嫁衣裳を覚えてる? あんなふうにさ、この世にたったひとり彼女のためだけのドレスを仕立てたいんだ」
 ロックはそう主張した。
 今思い返してみてもニーシャのために仕立てた花嫁衣裳は最高の出来だった。南方の海を思わせるスカートと、この辺りでは見ない花々の刺繍をあしらったドレスは美しく、ロックにとっても新たな自信を持たせる傑作となった。
 もちろんそれはニーシャが、南方の海の色や魚の話、あるいは花々の形について詳しく聞かせてくれたからだ。
「結婚なんて人生の晴れ舞台に、誰でも着られるようなドレスなんて着たくないだろ?」
「まあ、そうかもね」
 ロックの言葉にフィービは頷き、しかしすぐに苦笑する。
「だけど皇女様のことなんて、あたしたちは存じないものねえ。閣下やリーナス卿だってお詳しいというわけではなかったし、ろくに情報もないのに皇女様の好きなものをあしらったドレスなんて作れるかしら」
「それも、もっともなんだけど」
 わかっている。普通なら皇女と会い、彼女のためのドレスを仕立てられるほどの情報を得られる機会などあるわけがない。
 だがその機会があるなら活かさない手もないだろう。
 本人に尋ねることができたら、の話だが。
「『人生の晴れ舞台』かあ……」
 先ほど自ら口にした単語を、ロックは物憂げに繰り返す。
 まだ完成には程遠いドレスの図面を眺めていると、あの少女の顔が自然と思い浮かんできた。
『もうじき帝都を離れなくてはいけないものだから、思い出に見ておきたくて』
 ぽつりと語った時の、どこか寂しげな微笑をまだ覚えている。
 名残惜しさを隠さなかった彼女に対し、仕立て屋として何ができるだろう。ロックにはまだわからない。
「あんたなら皇女様にだってふさわしいドレスが作れるわよ」
 フィービは暖かいまなざしと共に言う。
 一時の慰めではなく、心からそう信じてくれているようだ。
「今のうちに好きなだけ悩んでおきなさい。そのうちしっかり煮詰まって、しっくり来るのが生まれるでしょうから」
「たしかに、悩むのも過程のうちかもね」
 ロックは肩をすくめ、父に向かって笑みを返した。
「ありがとう。心配かけるね、フィービ」
「それがあたしの役目だもの」
 フィービもにやりとしてみせる。
 それから暮れなずむ窓の外に目をやって、こう尋ねてきた。
「もうこんな時間よ、そろそろ夕食の支度をしないと」
「そうだね、フィービは先に上がっていいよ。店じまいしてから帰るから」

 それでフィービは『おいしい夕食作るわね』と言い残して店を出ていき――。
 ロックはひとりで店じまいの作業を始めた。この時分にもなるとお腹もすいてきて、父が作る夕食を楽しみにしながら金庫に鍵をかける。
 更衣室の間仕切りを開けて軽く箒をかけたあたりで、店のドアベルが鳴るのが聞こえた。
 まだ『営業中』の札をかけたままにしておいたからだろう。夕方に来る客は珍しいなと思いつつ、ロックは箒を立てかけて店へ戻る。
「はいはい、いらっしゃいま――」
 戸口に立つ姿を見た途端、歓迎の言葉が喉につかえた。
 フードを目深にかぶり、外套を着込んだ華奢な少女が立っている。フードの陰に覗く木苺色の髪と、はっきり見える灰色の双眸、そしてあどけなさの残る照れ笑いにはもちろん見覚えがあった。
 皇女リウィアに間違いなかった。
「ごきげんよう」
 彼女は微笑んでお辞儀をする。
「ご、ごきげんよう……」
 ロックはつられて応じた後、我に返って聞き返した。
「よくこんなところまで来られたね。危なくなかった?」
「いいえ、ちっとも。来たのは初めてではないですもの」
 彼女は澄まして答える。
 そういえば彼女とロックが初めて会ったのも帝都の壁の外――貧民街でのことだという。ロックにはその時の記憶は全くないのだが、彼女はそう語っていた。いったいどんな出会いだったのか、覚えていないのが実に残念だ。
「ここがあなたのお店……仕立て屋さんに来たのは初めてよ」
 少女は興味ありげに店内を見回す。
 この手の店を訪ねたことがないのなら、目に留まるものはなんでも新鮮に映ることだろう。丁寧に畳まれた商品が並ぶ棚、作業台つきのカウンター、店の奥にある更衣室、飾り窓に置かれた服を飾るための胸像までじっくり眺め回す彼女に、ロックは戸惑いながら声をかけた。
「まさかと思うけど、買い物に来たの?」
 すると少女はきょとんとして、
「いいえ。あなたに会いに来ただけです」
「僕に?」
「ええ、またお話がしたくて」
 実に素直に答えてみせる。
 皇女が直々に、話がしたいと自分をわざわざ訪ねてくる。この状況の途方もなさにロックはめまいを覚えたが、悪い気がしないというのも本音だった。
 花嫁衣裳云々とは別に、ロックもまた彼女に少し興味があった。本来なら拝謁すら許されないやんごとなきご身分の方は、どんなことを考えながら日々を過ごしているのだろう。貧民街暮らしの人間には想像もつかない生活を送っているのかもしれない。
「話くらいなら構わないけど、うちはそろそろ店じまいの時間なんだ」
 ロックが切り出すと、少女は灰色の目で一度まばたきをした。
「店じまい……?」
「うちだって夜中まで店を開けてるわけじゃないからね。もうじき日も落ちるけど、君は出歩いてても平気なの?」
 この辺りの治安の悪さは今更語るまでもない。ここで話し込んでしまえばとっぷり暮れてしまうだろうし、少女ひとりでうろついていい場所でもないだろう。
 それに夜の外出は家族も心配するだろうし――皇女の家族となると皇帝や皇子ということになるわけで、それもまた途方もない話だが。
 ともあれロックの疑問に、少女はぎこちなく目をそらした。
「……どうにでもなります」
「どうにでもって、どういう」
「外出を咎められることはない、ということです。ご心配なく」
 きっぱりとした口調には、これ以上の追及を拒む強さがあった。
 ロックとしても彼女の事情を知っているわけでもなく、本人が心配いらないというなら深入りする気もなかった。やんごとなきご身分の方にも、何かしら家庭の事情があるものなのだろう。
 だから気を取り直して告げた。
「じゃあ少し待っててくれる? 店を閉めちゃうから」
 店じまいをしたら、彼女を家に連れていくほうがいいだろう。外は物騒だし、フィービが夕食を作って待っているはずだ。急な来客に父は戸惑うだろうが、さすがに何もかも話すわけにはいかないので適当にごまかそうとロックは思う。
「ええ」
 少女は頷いてから、おずおずと尋ねてきた。
「その間、お店の中を見て回ってもいいかしら」
「もちろん。狭いとこだけどお好きにどうぞ」
 それで少女は灰色の瞳をきらきらさせながら店内を観察し始め、ロックはまず店の扉にかけた『営業中』の看板を外す。扉にはいったん鍵をかけ、さっき放り出した箒を手に更衣室の掃除を再開する。

 いつもより手早く掃除を済ませて戻れば、少女はカウンターの中にいた。
 ロックがドレスの図面を描いていた帳面を手に取り、しげしげと眺めているところだった。
 当の本人にそれを見られたロックはどきりとしたが、片づけもせず置いておいたものを見られて咎めるのも失礼だろう。
「これもあなたが描いたのですか?」
 少女は戻ってきたロックに気づくと、帳面を指さした。
「うん。ドレスの意匠を考えているところなんだ」
 むしろこれは本人に直接感想を聞ける絶好の機会だ。そう思い、ロックは勢い込んで尋ねた。
「花嫁衣裳、なんだけど。君はどう思う? 着てみたくなるようなドレスかな?」
「えっ……」
 少女は絶句した。
 その表情はたちまち曇り、それでも律義にドレスの図面を見返してみせる。そうしてしばらく注視した後、溜息と共に言った。
「わたくしは……あまり着たくはありません」
「そ、そっか……」
 否定的な回答に、ロックもさすがに落胆した。決め手に欠けるとはいえ、何の自信もないというわけでもなかったのだ。
 だがそれを見た少女は急にあわてふためき、
「あ、あの、ごめんなさい。あなたの意匠がよくないというわけではないの。普通のドレスであればとても素敵だと賞賛の言葉を贈るところです」
 そして気づかうように微笑んだ。
「ただ、わたくしも結婚を控えているから……花嫁衣裳と聞くと、少し悲しい気持ちになってしまって」
 その微笑は言葉どおり、悲しみに陰っていた。こちらを見つめる灰色の瞳が揺れ、それを縁取る睫毛はかすかに震えている。
 ロックはそれを見つめ返しながら、いよいよもって確信を抱いた。

 やはり、彼女は皇女なのだろう。
 だが花嫁衣裳が悲しいとは、あまり着たくはないというのは――。
 疑問と同時に罪悪感も覚えた。『彼女のための』花嫁衣装だという事実を伏せ、彼女から感想を引き出そうとするのはずるいやり方だった。そうして彼女を悲しませたのだから始末に負えない。
 仕立て屋は、服で人を幸せにするのではなかったのか。

「こっちこそ、ごめん」
 ロックも彼女に詫びると、一呼吸置いてから続けた。
「このドレスは、皇女殿下のために仕立てるものなんだ。殿下が花嫁衣裳をご所望で、広く市井の仕立て屋からも募るという話だから、僕も挑戦するつもりだった」
 正直に告げた途端、少女ははっと息をのむ。
 その反応を気まずく思いつつ、ロックはさらに打ち明けた。
「だから君に聞いたんだ、どうかなって」
 秘密に踏み込む、慎重な一歩だった。
 ともすれば彼女を怒らせ、拒ませることにもなりかねない暴露でもあった。
 だがロックは黙っていられなかった。彼女を悲しませてまで好みを聞き出そうとしたことに罪の意識があった。それ以上に、彼女に対して不思議な親近感も覚えていた。
 少女はしばらくの間、ロックの目を覗き込むように見据えてきた。その真っすぐな視線はエベルにも通じるところがあり、揺るぎなき誇りに満ちている。
 ロックが目をそらせずにいると、彼女はふと思い出したように顔を明るくした。
「そういえば、まだ名乗っていませんでしたね」
「え? ああ、そうだね」
 前に名を聞いた時は『考えておく』と言われていたのだった。頷くロックに、彼女は意気揚々と告げる。
「わたくしの名は、ユリアと申します」
 名乗った表情はいやに誇らしげだった。
 言いたいことを言えた、という充足感にもあふれていた。
「それが考えてきた名前?」
 思わず尋ねたロックに、ユリアと名乗る少女はばつの悪そうな顔をする。
「おかしいですか?」
「おかしくはないけど」
 偽名をずっと考えておいて、ロックに告げる機会を今か今かと待っていたのかと思うと、笑えるという意味ではおかしい。ロックは吹き出し、少女はもじもじし始める。
「笑わなくたって……」
「ごめん。わざわざ名前を考えるっていうのも面白いなと思ってさ」
「あなただってここでは『ロック』なのでしょう? ではわたくしは、ここでは『ユリア』です」
 少女はむきになって言い返してきて、それが答えなのだとロックは思う。
 自分の前に現れる時、彼女は『ユリア』だ。本人が言うなら、今はそれでいい。
「わかったよ。よろしく、ユリア」
 ロックが頷くと、ユリアもまた上品に顎を引く。
「ええ、よろしく」
 ふたりが微笑みあい、和やかに打ち解けたと思った時だった。

 閉めたはずの店のドアがこつこつと静かに叩かれ、外から声がかけられた。
「ロック、まだ店にいるのか?」
 それは耳によくなじんだエベルの声だったが、この時ばかりはロックも、そしてユリアも店の中で固まってしまった。
 さて、彼には『ユリア』のことをどう話せばいいだろう……。
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