Tiny garden

駆け足の季節(2)

 夏休みの余韻が残る九月の教室を、ある日のホームルームが一層ざわめかせた。
 来たる十月に行われる、学園祭についての話し合いが持たれたからだ。

 初日のホームルームは学園祭実行委員の選出と、クラス展示についていくつか意見を出し合う程度で終わった。
 次回の話し合いでは展示内容を多数決で決めるそうで、それまでクラス内でも自由に意見交換をしておくように、とのことだった。
 おかげでそのホームルーム以降、教室で皆が交わす会話は学園祭一色だ。誰も彼もがその話をしている。

 私たちも例外ではない。
「やっぱ学園祭なら、お化け屋敷だよね!」
 放課後になるなりすっ飛んできたミナは、私に向かってそう力説した。
「暗いからってべたべたしてるカップルとか怖くないって粋ってる中房とか脅かしまくりたくない? 絶対スカッとする!」
「お前のストレス発散かよ……」
 通りがかった蒲原くんがぼそっとツッコミを入れたので、振り向いたミナは睨み返す。
「お化け屋敷ってそういうもんじゃん!」
 そういうものだったんだ……。
 考えてみれば、お化け屋敷のお化け役の人がどんな思いで脅かす役目を務めていたのか、私は知らない。遊園地のキャストは夢を振りまくのが仕事だから、お化けたちも似たようなもので、皆の夢――あるいは恐怖を壊さないように務め上げているのだろう。
 もっとも、アマチュアのお化けにまでそれが求められるかどうかはわからない。ミナの言うように脅かしたいから脅かす、というのでも、本気で怖がらせそうでいいかもしれない。
「リッカはお化け屋敷平気?」
「うん、好きだよ。遊園地行ったら必ず押さえるかな」
「へえ。やっぱ徒野と一緒に入るの?」
 ミナは冷やかそうとして尋ねてきたようだけど、残念ながらこれまで庸介と遊園地に行ったことはなかった。
「遊園地には家族としか行ったことないんだ。いつもお父さんと入ってる」
 私はそう答えて、それからふと懐かしい記憶に思いを馳せた。

 いつも、とは言ったけど、父と遊園地に行った最後の記憶はもう五年も前だった。
 父も母も私が喜ぶから付き合ってくれたというだけで、遊園地が好きな人たちではないみたいだ。だけど私を連れていくと、いつも気が済むまで一緒に遊んでくれた。
 お化け屋敷には父が一緒に入ってくれた。
 しっかりと手を引いてもらっていたから、怖くても平気だった。どうしてもびっくりして目が開けられない時は、抱っこして出口まで連れていってもらった。何回か入るうちに、お化けよりも父に構ってもらえることの方が嬉しくて、それでお化け屋敷が好きになっていたのだと思う。
 でも、十六になった今では、父とは入らないかもな。
 一緒に入るなら庸介がいい。
 ――と言ったら、父はとてもとてもショックを受けるだろうけど。

「リッカも好きなら、一緒に推そうよ! クラス展示!」
 ミナはどうしてもお化け屋敷がやりたいらしい。私にせがんでくる。
「メイド喫茶とかガラじゃないし、どうせならお化けやりたくない? ね、どう?」
「そうだね。確かに面白そう!」
 せっかくなら私も脅かす側に回ってみたいかも。
 やるんだったらどんなお化けかな。すごく怖いのがいいな。『エクソシスト』みたいな。
「……多分、お化け屋敷で決まりだと思うけど」
 そこで帰り支度を済ませた庸介が、随分と冷静に口を挟んできた。
 私とミナに肩を竦めてみせた後、
「準備は大変だけど飲食よりは楽だし、クラス全員に満遍なく出番が回る上、当番決めも難しくない。何よりクラス内で人気があるみたいだからな」
 どこか冷めた様子でそう続けた。
「庸介はお化け屋敷嫌なの?」
「俺は別に何でもいいよ。子供っぽいとは思うけど」
「冷めてんねー。学校行事でもマシな方だと思うけどね、学祭」
 ミナには呆れられていたようだけど、そういえば体育祭もこんな反応だった。庸介にとっては面倒が増えるイベントの一つ、なのかもしれない。
「庸介だったら、どんなお化けになりたい?」
 それでも楽しめないかと思って尋ねると、彼は考え込んでから少し意味ありげに笑った。
「どうせやるなら、怖い奴がいいな」
「……やる気満々じゃない、庸介」
「仕方なく、どうしてもって言うならの話だよ。学校行事じゃないなら俺はやらない」
 庸介はあくまでもそう言い張った後、更に考えた後で続けた。
「例えば、小豆とぎとかどうかな」
「えっ、何それ」
 ミナが怪訝な声を上げ、私もそれに頷く。『小豆とぎ』って、そもそもお化けの名前?
 だけど庸介は私たちの反応に愕然としていた。
「小豆とぎを知らないのか、あんなに恐ろしい妖怪を!?」
「いや知らないし……ってか名前からして怖くないし」
「小豆といでるのがどうして怖いの?」
 私たちがぽかんとしていれば、庸介は嘆かわしいとでも言いたげに溜息をついていた。

 ちなみに小豆とぎとは川辺に出る妖怪なのだそうだ。
 小豆を研ぐような音を立て、人を川に落としたりするのだと、あとで庸介が教えてくれた。
 でも庸介が言うほど怖い妖怪には思えないかな。何せメジャーどころには吸血鬼だの狼男だのがいて見た目のインパクトも十分だし、いかにも食べられちゃいそうって感じがする。それと比べるとちょっとね。

「と言うかその仮装をしたところで、皆が怖がるかな」
 学校を出た後、行田さんとの待ち合わせ場所まで徒歩で移動しながら、私と庸介の話題はやはりお化け屋敷に終始していた。
 私の疑問に、庸介は眉間に皺を寄せてみせる。
「確かに、インパクトという点では微妙かもしれない」
「知名度もね。メジャーどころに比べたら、ちょっと」
「有名だと思ってたんだけどな……」
 気のせいか、しょげているようにも見えた。好きな妖怪だったのかな、小豆とぎ。
「やっぱり、ぱっと見でわかるお化けがいいんじゃない?」
 ひぐらしが鳴く通学路を、学校帰りの『まだ幼なじみ』の庸介と、ぴったり並んで歩いている。日が短くなったような気がする夕焼け空の下、お化けの話をするにはまだ明るすぎるかもしれない。でも私たちはその話に夢中だった。
「吸血鬼とか、狼男とかか?」
 庸介が聞き返してきたので、私は頷いた。
「そうそう、そういうの」
「格好いいお化けじゃ脅かせないし、つまらないよ」
「そんなに脅かしたいの? 本当にやる気だね、庸介」
 その張り切りように私が吹き出すと、彼もようやく認めるように頬を緩ませる。
「前の学校ではそういうのなかったからな。ちょっとやってみたかったというのはある」
「私も。お化け屋敷になったら素敵だよね」
 前の学校はよくあるお嬢様学校だったから、学園祭には招待券が配られて、それを持っていないと入れない。展示や模擬店もおとなしくて、講堂で行う部活動発表や弁論大会がメインイベントのようなものだった。
 去年、持ち帰った招待券を父と母に渡したけど、結局二人とも忙しくて来られなかった。
 庸介にあげたら来てくれたかな、なんて今になって考える。無理か。女子高に単身乗り込んでくる庸介は想像するにあまりにも辛そうだ。
 そういう想像を働かせていたから、
「今年は一緒だな」
 隣を歩く庸介がそう言った時、一瞬、何のことかわからなかった。
「え?」
 とっさに聞き返せば、庸介が拗ねたように顔を顰める。
「え、じゃなくて。今年の学園祭は一緒に過ごせるな、って言ってる」
「……うん。嬉しいね」
 それは嬉しい。私だって過去の思い出を『庸介が一緒だったらな』なんて、いくつもいくつも思っていたくらいだ。
 一緒に過ごす学園祭は、きっと今まで過ごした中で最高の思い出になるはずだった。
「俺は学校行事って、義務みたいな感じがしてあまり好きじゃないけど」
 庸介が私を見る。
 いつも冷静な眼差しに、今は夕方の強い日差しが跳ね返り、きらきら輝いて見えた。
「六花が一緒なら、絶対にいい思い出になるってわかってるからな」
 そう言うからには、夏休み前の体育祭も、庸介の仲ではいい思い出になっているのかな。
 これから来る学園祭も、その先にまだあるたくさんの学校行事も、あるいは行事でも何でもない普通の日の教室の出来事さえ――もしかしたら。
「私もだよ。楽しいこと、いっぱいしたいね」
 これから先の学校生活の思い出全部が、素敵なものになりそうな気がする。
 そして素敵な思い出が積もれば積もるほど、私は――。

 私は、この学校に残りたいって思うに違いなかった。
 庸介と一緒に。

「……もしお化け屋敷やったら、お父さんとお母さん、見に来てくれないかな」
 不意に足が止まって、私はぽつりと呟く。
 数歩先で立ち止まった庸介が、はっとしたように真面目な顔をする。
「言いにくいけど、お忙しいお二人だからな……」
「そうだよね」
 わかってる。
 去年はそうだったように、今年もお願いしたところで二人を困らせるだけだ。そのくらいなら最初から頼まない方がいい。
「私が学校生活楽しんでるって、見せたいと思ったんだけどな」
 そうしたら父も母も気が変わって、この学校が私に合っているんだって思うようになってくれないかな。
 そんなに上手い話があるはずもないか。
「こんなに素敵な彼氏もできました、とかね」
 冗談半分で付け足したのは、そう言ったら庸介が慌てると思ったからだ。さっきの発言をあまり真剣に受け取って欲しくなかったのもある。そっちは冗談ではなかったけど。
 とにかく、慌てると思った庸介はむしろからかうように微笑んで、
「素敵な彼氏?」
 なんて聞き返してきたから、私の方が慌ててしまった。
「そ、そうだよ。間違ってないでしょう?」
「こんなに素敵な彼氏、か。悪くないな」
「繰り返して言わない!」
「そう思ってくれるなんて嬉しいよ、六花」
 庸介が身を屈め、本当に嬉しそうに囁いてくるのが、耳元にこそばゆい。
 危うくあの日のキスを思い出しそうになって、照れ隠しに庸介を押し退けた。
「ほら、時間ないよ庸介! 行田さん待ってるんだから!」
「いつもは六花がのんびり歩きたがるくせに」
「私だってたまには時間守るの!」
「俺はこういう日こそ、のんびり歩きたいんだけどな……」
 放課後、夕日差す帰り道。
 私たちはそうやってじゃれ合いながら歩いた。
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