まっしろな嘘(2)
その日は、とにかく落ち着かない一日だった。クラスメイト達の視線は容赦なく私と庸介に注がれ、休み時間に私達がちょっと話をしようものなら、あからさまににやにやされたり、くすくす笑われたりする。
聞けば随分噂が広まってしまっているらしくて、体育の時間には話したこともない隣のクラスの子にまでいろいろ言われた。
「公開告白したって本当?」
「付き合い始めたんだよね?」
「いいなあ彼氏。もう幸せいっぱいじゃん」
何を言われてもとにかく恥ずかしかった。
おまけに体育の時間は男女別だ。男子の方にいる庸介が遠くからちらちらと私を窺ってくるものだから、そのことまで皆に冷やかされた。
幸せいっぱいというより、何だか気忙しい。
もっと困ったのは、事あるごとに渡邉さんから冷やかされることだ。
「今日からは『彼氏の手作り弁当』だね、主代さん!」
お昼休みに入って、私と庸介が机を囲もうとすると、すかさず飛んできてつつかれた。
「しかもお昼まで一緒なんだ。ラブラブじゃん」
「い、いつもこうだよ」
私が照れてうろたえると、渡邉さんはますます面白がる。
「でも今日からは特別でしょ? まとってるオーラが違うもん」
「そんなに!?」
昨日の今日で、目視できるくらいに何かが変わるなんてこと、あり得るのだろうか。
そしてそこまで言われるからには、私と庸介は何か変わったのだろうか――私はこっそりと庸介の顔を盗み見ようとした。
ところが庸介はいち早く察したようで、冷静な目がこちらを見た後、渡邉さんの方を向く。
「渡邉さん、早く食べないと昼休みが終わるよ」
どうやら私の視線を、対処の要求だと読み取ったようだ。
すると渡邉さんはにっこりして、
「あ、そっか。んじゃ失礼して……」
私の隣の席から椅子を持ってくると、私達と一緒に机を囲む。
庸介がうろんげな顔をした。
「渡邉さん、ここで食べる気?」
「駄目? たまにはいいじゃん、お邪魔したって」
即答した渡邉さんがそこでにやりとする。
「私はいないものと思っていちゃいちゃしてていいからさ」
「そんなこと、しないよ」
私は控えめに反論した。
それが上手く伝わったかどうかはわからなかったものの、渡邉さんは白いビニール袋を開いて、パンやペットボトルの紅茶を取り出しながら続ける。
「誰かさんと違って、私は主代さんと徒野のこと見守るつもりでいるからね」
「誰かさん、って?」
「決まってんじゃん」
と、渡邉さんが視線を転じる。
その先を追い駆けてみると、教室の隅で頬杖をついている男子生徒と目が合った。
あれは、確か蒲原くんだ。
お弁当も食べずに、じとっとした重い眼差しをこちらへ向けている。何か言いたそうでも、言うことがないから黙って見ているだけのようにも見える。
そんな彼は、私達に気づくと思いきり顔を顰めた。
「何見てんだよ、渡邉」
私と、それに庸介も見ていたのだけど、名指ししたのは渡邉さんだけだった。
渡邉さんはいつもの調子で朗らかに応じる。
「そっちこそ。何を物欲しそうにしてんの」
「してねえよ」
「嘘ばっかり。ま、再来月辺りには他の子追っ駆けてそうだけどね」
「はあ!?」
がたっと、音を立てて蒲原くんが立ち上がった。その表情は怒っているというより引きつっている。
「去年はあんた、卒業した先輩にガチ惚れだったじゃん」
渡邉さんが自信ありげに明かすと、蒲原くんはたちまち気まずそうに目を逸らした。
「違っ、あれは……つか何で知ってんだよ……」
「有名だもん、あんたの惚れっぽさ」
そこで蒲原くんは何も言えなくなってしまったようだ。
苛立たしげに、それでいてどこか恥ずかしそうに教室を飛び出していった。
その背中を見送った後で、庸介が、
「今の話は事実なのか、渡邉さん」
慎重な口ぶりで尋ねた。
「うん、マジだよ」
渡邉さんが頷き、それから私の肩をぽんと叩く。
「だから主代さんは気に病むことなんてないからね」
「そ、そうかな。ならいいんだけど……」
そういえば蒲原くんのことはあまり気にしていなかった。失礼だったかな。
だけど庸介にああ言われたところで、蒲原くんがどういうつもりで『友達になりたい』と言ったのか、私にはよくわからなかった。そもそもこれまで接点も少なかった相手だ。もっと前から話していたらわかったのかもしれないけど、昨日までちゃんと言葉を交わした覚えもなかったから。
「恋多き人なんだな、彼は」
庸介は安堵した様子で微笑むと、話題を変えるように私に告げる。
「それはともかくお昼にしようか、六花」
彼の手がランチボックスの蓋を開けた。
今日のお弁当はそば粉のガレットロールサンドだ。具は卵とチーズとほうれん草、それからポテトサラダの二種類だった。ぱりっと香ばしいそば粉の生地に、優しい味わいの具がとてもよく合う。
「美味しい!」
私が声を上げると、庸介は水筒の紅茶をカップに注ぎながら頷いた。
「喜んでもらえてよかったよ」
今の庸介はまさに理想の幼なじみだ。美味しいお弁当を作ってきてくれて、私が誉めると喜んでくれて、それにとても優しくて――やっぱり私は、学校にいる時の庸介の方がいいなと思う。
「本当、いつもすごい弁当用意してくるよね」
菓子パンをかじりながら、渡邉さんもランチボックスを覗き込む。
「これ全部徒野が作ったんでしょ? 何なの?」
「何と言われても、俺の趣味だとしか答えようがない」
「趣味ってレベルじゃなくない? 料理人でも目指してんの?」
「それはないな」
庸介は渡邉さんの問いかけを一笑に付した。
確かに、彼の腕なら本職にしても問題ないくらいだと思う。お弁当はもちろん私の朝食も、おやつも、いつも完璧に美味しく作ってくれる。とは言え庸介が料理人になる姿は、私にもあまり想像できなかった。
そういえば聞いたことがなかった。
庸介は将来どうするのだろう。ずっとうちで働くつもりだろうか。
私は、その方がいいけど。
「でもいいよね、幼なじみって」
渡邉さんは言葉通り、羨ましそうに唸った。
「ね、幼なじみで付き合うってどんな感じ?」
それからそう尋ねてきて、私は危うく紅茶でむせそうになる。
どんな感じと言われても、私だってまだわかっていないくらいなのに。
「昔からずっと、一緒にいるからな」
答えられない私の代わりに、庸介が口を開く。
「少し距離が近くなった。その程度だよ」
「へえ、そんなもんなの」
眉を顰めた渡邉さんは、何となく納得していないそぶりに見えた。
すぐに机をぱちんと叩いて、
「あ、じゃあさ。いつ、どういうきっかけで『好きだ』って気づいたの?」
「ええっ!?」
今度はとんでもない質問をぶつけてきた。
そんなこと聞かれても困る。だって別に、本当に好きだと思っているわけではないのに。
「いいじゃん答えてよ。主代さんは?」
「わ、私はそういうのは……」
「照れてんの? 耳まで真っ赤だよ!」
渡邉さんの言う通り、耳たぶが火照っているのが自分でもわかった。
本当に、好きだというわけではない。ただ庸介が理想の幼なじみであり、理想の彼氏だと思っているだけだ。だから赤くなるなんておかしいのに、私は何を一人で狼狽して、言葉に詰まっているのだろう。
こういう時こそ漫画で得た知識を総動員して、それらしいことを言わなくては!
「私は別に、いつとかそういうのなくて、いつの間にか、みたいな……」
そう。幼なじみとはそういうものだ。
いつから、なんてきっかけはない。知らず知らずのうちに、まるで染みついた癖のように好きになっているものだ。息をするのが当たり前であるように、幼なじみもまた、傍にいるのが当たり前だから。
「やっぱそうなんだ! いいねえ、幼なじみ!」
渡邉さんは私の嘘をうきうきと聞いた後、
「で、徒野は? あんたもそんな感じ?」
庸介に水を向けてしまった。
事前に参考書として私の漫画を読ませてはいたけど、庸介はちゃんとそれらしいことを答えられるだろうか。変なことを言って、渡邉さんを怪しませなければいいけど。私はこわごわと彼の回答を待った。
多分、何と答えるか考える必要があったのだろう。庸介は少しの間だけ視線をさまよわせた後、こう言った。
「昔……六花が、初めてのおつかいをやりたいって言ったんだ」
「ちょっと待って、何で今その話!?」
唐突な思い出話に私は慌てる。
もちろん覚えがある。私がまだ小学生だった頃の話だ。
「俺も、皆も、危ないから駄目だと言ったのに、六花は聞いてくれなくて」
庸介は私の言葉をスルーして続け、渡邉さんが目を輝かせる。
「何か幼なじみっぽい話! それでそれで?」
「仕方ないから行かせておいて、俺がこっそり後をつけることにした」
「へえ。徒野って昔から保護者みたいなことしてんだ」
その通りだ。庸介は昔から一足先に大人になったみたいな顔をして、何かと言うと私を叱ったり、宥めたりとうるさかった。
おつかいの時だって、私は一人で大丈夫だとあんなに繰り返し言ったのに、結局こっそりついてきた。
でも今ならともかく、小学生の尾行なんて大したものではない。庸介はあっさりと私に見つかり、私は機嫌を損ねたままおつかいを済ませた。
そして――。
「六花にはすぐにばれて、へそを曲げられたよ」
庸介は懐かしむような、優しい顔つきで語る。
「おつかい自体は上手くいったけど、六花にはすごく泣かれて。必死になって宥めながら俺の方も泣きそうだった」
「あはは、想像つかない!」
渡邉さんは笑い声を上げる。
「……でも後になって、六花が言ってくれたんだ」
無言の私に、庸介はそこで真っ直ぐな眼差しを向けてきた。
「『二人でおつかい、頑張ったね』って」
言ったのは事実だ。
私が黙って顎を引くと、彼はその目をすっと細めて、
「そう言ってくれたのが嬉しくて、その時、六花を好きになった」
と口にした。
とっさについた嘘にしては、いやに真実味のある語り口だった。
一部は本当のことだったからかもしれない。私がおつかいに行きたがったことも、皆に止められたことも、庸介がこっそりついてきたことも、泣いた私を宥めてくれようとしたことも全て本当にあったことだった。
もちろん、庸介にかけた労いの言葉もだ。
でも、あれで好きになったなんて、まさか――いや、もちろんまさかだ。これは嘘だ。方便だ。庸介は出まかせを言うに当たって、手頃な思い出話を初恋話に仕立てたに違いない。
だから私が照れる必要なんてない。ないんだってば。
「ってことは徒野、随分長く片想いしてたってこと!?」
渡邉さんが食いつくと、庸介は苦笑気味に答えた。
「そうなるかな」
「うわあ……よかったじゃん上手くいって! おめでとう徒野!」
そしてばんばんと背を叩かれて、こっそり顔を顰めていた。
「ありがとう。でもちょっと痛いよ、渡邉さん」
「主代さんも! 付き合えてよかったじゃんマジで!」
「う、うん。ありがとう……」
私まで背を叩かれたけど、お蔭でどぎまぎしているのはごまかせたと思う。
よりによって、どうしてあんな思い出話をそれらしく語るかな。庸介は。