秋の祭典(1)
文化祭最終日の午後、俺は一人で写真部の部室にいた。見上げる先には壁一面に貼られたたくさんの写真がある。
我が部員たちが展示の為に撮影した作品で、文化祭の期間中、こうして部室に貼り出されていた。テーマもなく自由に撮られた写真たちは、クオリティの高い風景写真からただのスナップと変わらないものまで実に多彩だ。
そういう気軽さがよかったのか、展示を見ていってくれる人も思いのほか多かった。
俺が眺めているのは、もちろん早坂先輩の作品だ。
先輩の写真は『四季の思い出』と題された四枚のスナップ写真で、あんまん、わたあめ、プリン、そして剥きかけのみかんを接写で撮ったとても先輩らしい作品だった。あんまんは立ちのぼる湯気まで捉えていたし、わたあめはピンクのふわふわのやつだし、プリンはなぜかチョコやケーキまでそろえた甘い物尽くしの一枚になっていた。みかんなんてつやつやで、瑞々しさが伝わってくるフォトジェニックぶりだ。
思い出が全部食べ物っていうところがまた、すごく早坂先輩らしい。
撮影技術は素晴らしいんだけど――いや、だからこそいいのか。
そういう先輩を、俺は、いいと思う。
しかしそんな気持ちを抱えたまま、あと数時間で文化祭は終わる。
早坂先輩にとっては最後の、俺にとっても先輩といられる『最後の』文化祭だ。
期間中、先輩と話をする機会はたくさんあった。
でもまだ大事なことが言えてない。
それで俺は、部室で先輩が来るのを待っていた。後夜祭のキャンプファイヤーで、先輩と一緒に過ごせたら。そう思って、誘う為にだった。
「あ、いたいた! 清田くん!」
すると予想通り、程なくして早坂先輩が部室に現れた。
展示の前に立っていた俺を見て、はにかみ笑いを浮かべる。
「探してたの。部室ならいるかもって思って……」
「俺を?」
早坂先輩も俺を探していた。そのことにどきっとする。
「呼び出してくれてもよかったんすよ、飛んでいきます」
自分のことは棚に上げて応じれば、先輩もどこか困ったように微笑んだ。
「いえ、直接話したかったって言うか……とにかくいいんです、会えたから」
そうして先輩も部室に入ってくる。
長い髪をなびかせて俺の傍まで近づくと、隣に並んで写真を見上げた。
「今年はとびきり粒ぞろいの展示になったね」
「そうっすね。名作が多くて、見てて面白いです」
「清田くんのもね」
早坂先輩がくすっと笑い声を漏らす。
当然だけど俺の写真も部室に展示してある。
くしくも早坂先輩とテーマがかぶってしまって、『春夏秋冬』と題して四枚の写真を用意した。
春は校庭の、先輩からご指導を受けて上手く撮れた桜の写真。
夏は部の連中と見に行って、先輩にも見せたいと思った花火の写真。
秋は先輩と買い出しに行ったコンビニ傍の、葉が積もり落ちた街路樹の写真。
自分でもだんだんと技術が向上しているのがわかって、ここまではすごくよかったと思うんだけど――冬だけが揃わなかった。去年の冬はカメラ始めたてでろくな写真がなかったし、今の季節はまだ秋だ。雪が降る気配もなければ、水溜まりが凍る様子もない。
それで、こたつの写真を撮った。
去年よりも早めに出したこたつの写真を、『冬』の象徴として文化祭で展示することにした。
実を言えば、どうしても『ふゆ』をテーマに入れたかったんだ。冬がこたつ、というのも俺にとっては意味のあることだった。あくまでも自己満足の範囲だけど。
「春夏秋と来て、冬がこたつっていうのがいいよね」
早坂先輩は、意外と心から感心している様子だった。
「私はこの写真、すごく好きだな」
「あ……ありがとうございます。嬉しいです」
写真部の他の連中からは結構笑われたりしてたんで、直球で誉められるとものすごく照れる。
でも、嬉しいかな。早坂先輩に認められたくて頑張ってきたのもあるし、他でもない『ふゆ』の写真だ。
「テーマ、かぶっちゃいましたけどね」
俺が照れ隠しに首を竦めると、先輩はまたくすくす笑った。
「でも私、そうなる気がしてたの」
「え。何でです?」
「何でかなあ……」
わからないというよりは、わかってて秘密にするみたいな口調だ。
でも俺にはわからない。ただのラッキーな偶然、もしくは運命――じゃなくて何か理由があったんだとすれば、何だろう。
「それより、話したいことがあるの」
ふと、早坂先輩が改まった様子で切り出した。
隣を向けば、さっきまで見せていた微笑を打ち消し、表情を強張らせた先輩がいる。
「あ、あの……つかぬことを伺いますが」
「は、はい」
あからさまに緊張した様子に、こっちまでどきどきしてきた。
どうして先輩、緊張してるんだ。
話したいことって、まさか――。
「清田くんは、この後のご予定は?」
恐る恐る尋ねられ、心拍数がより上がる。
部室の気温が急上昇した気さえする。
「この後って、後夜祭……っすよね」
「そうです」
「予定なんて全然、何にもないです」
思いきり強く首を横に振った。
途端、早坂先輩の顔色が明るくなる。
「本当ですか? では、あの……」
細い肩を震わせ、手をもじもじと握り合わせた先輩が、さくらんぼ色の唇をぎこちなく動かした。
「も、もしよかったら、私と……キャンプファイヤーしませんか」
「――是非お願いしますっ!」
間髪入れず答えたものの、さすがに勢いがよすぎたようだ。
俺の食いつきぶりに早坂先輩は目を丸くしている。
「い、いいの? お友達とか、女の子とか誘ったりは……」
「そういうのも全然ないんでお構いなく!」
とは言えこの前のめり具合、自分でもちょっとみっともない。
なので正直に白状しておく。
「実は俺も、先輩を誘おうと思ってたんです」
「えっ」
先輩が小さく声を上げた。
それからあたふたし始めて、赤くなった頬に手を当てる。
「そ、そうだったんですか? わあ……それなら是非清田くんに誘われてみたかったです。あ、でも! 了承してもらえただけでも十分嬉しいっていいますか、今の言葉だけで胸いっぱいっていいますか、わあ……」
そうしてくるりとその場で一回転してから、我に返ったように咳払いした。
「――とにかく、誘ってみてよかったです」
急に落ち着き払っちゃった。
あたふたしてる先輩も可愛かったんだけどな。
「じゃあ行こうか、清田くん」
気を取り直したらしい早坂先輩の言葉に、俺もどぎまぎしながら頷いた。
「はい、先輩!」
シチュエーションは完璧だ。
秋の終わり、学校を挙げての文化祭、最終日。
今年の文化祭もほとんど滞りなく、賑やかで浮かれ気分のままに幕を下ろした。残っているのは後夜祭、ラストのキャンプファイヤーだけだ。
どこも大体同じだろうけど、うちの高校ではグラウンドの中央にキャンプファイヤーを点けて、全校生徒は思い思いの場所でそれを眺めるのが慣わしだった。
すっかり暮れた秋の空の下、赤々と燃える背高の炎は大層よく映えている。炎を囲む皆の顔が照らされて、どこかしんみりと感傷的な空気になる。
そんな空気の中に今、俺と早坂先輩は並んで佇んでいる。
怖いくらいとんとん拍子に事が運んで、今は何と二人きりだ。グラウンドの隅の方から、遠くに上がるキャンプファイヤーを見つめている。肩を並べて隣同士で。
まさに完璧なシチュエーションと呼ばずして、何と言おうか。
ちらりと横目で見た先輩の顔は、どこか感傷的に見えた。
透けるように色白の肌も、緩やかにカールしている長い髪も、ぱっちりと二重瞼の瞳も、今は揺れる炎の色を受けてちらちらと赤く輝いている。さくらんぼみたいな唇は優しく閉じられていて、長い睫毛は音も立てずに瞬きをする。
早坂先輩は、やっぱりきれいだ。
こうして見ると、美人だなと改めて思う。
普段は美人に見えないとかそういうことじゃない。ただ今は、たった一つしか違わないはずの先輩が、今は少し大人っぽく見えた。キャンプファイヤーへと向ける感傷的な眼差しが、そうさせるのかもしれない。
何せ早坂先輩にとって、これが最後の文化祭だ。
先輩はもうすぐ卒業してしまうし、文化祭が終わればうちの部を引退することになっている。俺にとってもこれは最後のチャンスだ。逃すわけにはいかない。
ちゃんと言おう。
――先輩が、好きです。
「文化祭、終わっちゃうね」
ぽつりと、早坂先輩が言った。
キャンプファイヤーを囲む人垣から離れたグラウンドの隅で、微かな声ははっきりと聞こえてきた。
「そうすね」
俺は頷いて、それから尋ねてみた。
「やっぱ、寂しいですよね」
最後の文化祭だから感傷的になるのも無理はない。
だけどそういう寂しさも、俺が和らげてあげられたらと思う。
いや、思い上がり過ぎだな。
そこまでは望まないけど、ちょっとでも寂しくないって思ってもらいたかった。
早坂先輩のことを好きな後輩がいるんですよ、ここにいますよって伝えて、出会ってからの一年半、すごく楽しかったこと、感謝していることも知ってもらいたい。
それで最後に笑ってもらえたら、幸せだ。
「それはやっぱり、そうだよ。お祭りの後ってそういう気分になるよね」
早坂先輩は長い髪をそっとかき上げる。
その後で俺に向かって、残念そうな微笑を見せた。
「ただね、もったいないなって思ってるの」
「もったいない、ですか」
「うん。みそおでん出してるクラスがあったんだけど、すごく人気があって並んでて、一回しか買えなくて」
みそおでん。
俺はぽかんとする。感傷的な響きにはおよそ聞こえない単語だ。
「あとね、クレープやってるところもあったでしょう。全種類制覇したかったんだけど、四つ食べたらお腹いっぱいになっちゃって」
四つも食べられたら大したものです、先輩。
「それと焼き鳥! バドミントン部の焼き鳥もね、焼くのに手間取っちゃってて、結局鶏ももしか食べられなかったの」
一体いくつのお店を回ったんですか、先輩。
「わたあめはたっぷり食べたんだけどなあ」
先輩が、文化祭の何に重点を置いていたかはよくわかりました。俺まで腹が減ってきた。
圧倒されている俺に、当の本人ははにかんでみせる。
「思い残すことが多くて、本当にもったいない気がするんだよね」
「はあ」
「でも、うちの部の展示は成功だったから、いい文化祭だったかな」
「それは俺も思います。たくさん見てもらえましたしね」
そこには素直に頷いた。
地味な写真部の展示にも、今年は結構大勢の人が見に来てくれた。お蔭で俺たちもモチベーションが上がったし、先輩も有終の美を飾れたんじゃないだろうか。
「充実した文化祭でしたね」
俺が言うと、先輩も頷く。
「うん。三年間、部活動頑張ってきてよかった」
三年間、か。
俺はまだ二年目だ。
俺と先輩の間には一年の差が、大きく大きく横たわっている。だから早坂先輩は写真部を引退してしまうし、卒業してしまう。俺にはまだ一年間が残っている。
複雑な気分だった。
だけど俺の内心をよそに、先輩は至って明るい声で言った。
「ね、話があるって言ったでしょう」
「あ、はい」
俺も慌てて我に返った。
先輩の方を向くと、キャンプファイヤーの明かりを受けてひときわきれいな顔が、俺を見てそっと微笑んでいた。
炎がちろちろ映り込む瞳と、視線が合ってどきっとする。
「実はね、清田くんに……お願いがあるの」