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企む初恋主義者

 どうして、のどかさんなんだろう。
 時々思う。あの不思議な力がどうして俺じゃなくて、のどかさんの身体に宿ったのか。
 少なくとものどかさん本人は別に望んじゃいないようだし、むしろあの力のせいで怖い思いもさせたし、悩んでいたのだって目の当たりにした。そりゃそのお蔭で俺が事故に遭わずに済んだのも事実だけど、それなら俺自身が予知能力に目覚めていたっていいはずだ。俺だって従弟なのに、同じ血が流れているはずなのにどうして、のどかさんなんだろう。
 一つだけ心当たりがあるとすれば、例の力の発端にして元凶、と俺達が睨んでいる祖父――うちのじいちゃんは、孫の中で誰よりのどかさんを気に入っていた。
 それだって俺からすれば、可愛がっているというよりカモにしてるって印象だったけど。

 うちのじいちゃんは、爺さんになってもやんちゃ坊主みたいな人だった。
 人をからかうのが好きで、ほらを吹くのが好きで、酔っ払うといつも嘘みたいな話を聞かせてくれた。自分には予知能力があって未来がわかるんだとか、昔は空を飛んだこともあるんだとか、妖怪に会ったこともあるんだとかいう話だ。俺も初めはじいちゃんの言うことを信じかけたけど、じいちゃんがその手の話をする度に父さんや母さんが苦笑しているのを見て、やがて悟った。うちのじいちゃんはほら吹きだ。
 ところが一人だけ、じいちゃんのほらを鵜呑みにしている子がいた。
 それが従姉ののどかさん――当時の俺は『のんちゃん』と呼んでいた。
 のんちゃんは俺より三つ年上で、人懐っこくて明るくて、都会に住んでいるからかいつも可愛い服を着ていた。服だけじゃなくて、ころころ笑う顔が本当に可愛かった。だけど昔は結構泣き虫で、盆暮れ正月にこっちへ来る度、じいちゃんにチャンバラで負けては泣き、花札で負けては泣いていた。じいちゃんも年寄りとは言え全然耄碌してなかったし、花札に関して言えばそもそもルールを教えているのがじいちゃんだから子供ののんちゃんに勝てるはずがないんだけど、のんちゃんはいつも無謀な戦いを挑んではあっさり負かされ、泣いていた。
 俺からすればじいちゃんは、のんちゃんをいじめる酷い奴だった。それでのんちゃんが泣く度にいつも飛んでいっては庇っていたのに、のんちゃんはと言えばすぐにけろりと泣き止んでまたじいちゃんのところへ行ってしまう。そして俺なんか見向きもせず、じいちゃんの語るほら話を目を輝かせて聞いている。盆暮れ正月くらいしか会えないのんちゃんと、俺だってもっといっぱい遊びたかったのに、すぐじいちゃんに取られちゃうのが気に入らなかった。
「のんちゃん、じいちゃんとこ行ったらまた意地悪されるよ。俺と遊ぼうよ」
 そう言って俺が止めようとしても、のんちゃんはきょとんとしてから笑うばかりだ。
「じいちゃん、意地悪なんてしないよ」
「いつもしてるじゃん、のんちゃんばっか泣かされてさ」
「でも、じいちゃんと遊ぶの面白いもん」
 のんちゃんが屈託なく言ってのけた時、俺はものすごくもやもやした気持ちになった。
 じいちゃんから庇ってるのは俺なのに、どうして俺と遊ぶのが面白いとは言ってくれないんだって。俺はのんちゃんを泣かせたりしないし、意地悪だってしないのに。
「いいから俺と遊んでよ。おもちゃ好きなの貸したげるから」
 俺がねだると、のんちゃんも根負けしたのか一緒に遊んでくれた。でもじいちゃんが呼ぶとすぐに向こうに行ってしまって、その度に俺はもやもやして、寂しい気分になっていた。
 つまるところうちのじいちゃんは、俺にとって初めて遭遇した恋敵だったわけだ。

 そんなじいちゃんも、今から二年前にこの世を去った。
 散々吹いていたほらの通り、もしかしたら自分の死期もわかっていたのかもしれない。じいちゃんの言うことをあまり信じていなかった俺ですらそう思ってしまうくらい、じいちゃんは跡を濁さなかった。倒れる前に身辺整理をして、遺言状もちゃんと書いて、面倒事なんて一切残さず眠るように息を引き取った。
 じいちゃんが死んで、俺はのんちゃんが泣くんじゃないかって気が気じゃなかった。昔はあんなに泣き虫だったのんちゃんが、もう高校生になったとはいえ大好きなじいちゃんの死を悲しまないはずがない。そう思って葬式の間、俺はずっと傍にいた。
 だけどお坊さんがお経をあげている時も、お通夜の席でも、火葬場まで行って骨を拾った時も、のんちゃんは泣くどころか笑っていた。むしろ心配してつきまとう俺に、気遣うように言ってくれた。
「どしたの海里くん、そんなに私の後を追っ駆けて」
「泣きそうだから、泣いたら慰めようと思って」
 俺が答えるとのんちゃんはふっと軽く笑って、
「泣かないよ」
 と言った。
「なんで? 悲しくないの?」
「寂しいのはちょっとあるよ。だけどさ、大往生だったじゃない」
 享年八十五歳。ばあちゃんを先に亡くしてから二十年近くが過ぎていた。うちの父さんは『そろそろばあちゃんに会いたくなったんじゃないか』なんて言っていたっけ。
「だから私も笑って見送ったげようと思ってね」
「そんなもんかな」
「そうだよ。じいちゃんだって湿っぽいのは嫌でしょ、あの性格だもん」
 そう言って笑うのんちゃんの顔に、泣き虫だった頃の面影は皆無だった。いつの間にかすごくきれいになっていて、大人びた顔で微笑んでいた。
 年に何回か会っている従姉の変化、もしくは成長に気づいたのはその時が初めてだった。すらりと華奢なのどかさんは、その時、俺よりも背が高かった。長い睫毛に縁取られた黒い瞳にじっと見つめられると、それだけで心臓がうるさくなった。色が白くて、顔立ちはほっそりしていて、だからか久々に会った親戚からは『美人になったねえ』なんてしきりに言われていた。通っている高校には制服がないそうで、喪服として黒い細身のワンピースを着ていたのも大人っぽさに拍車をかけていた。
 俺は急に気後れした。目の前の従姉を『のんちゃん』なんて呼び続けてきたことを、今更みたいに恥ずかしく思った。
 それで言葉も出なくなっていると、のんちゃん――のどかさんは、俺の顔を覗き込んで言った。
「もしかして、心配してくれたの?」
「うん、まあ……」
 寄せられた顔の近さにどぎまぎする俺を、のどかさんは何も気づかず笑い飛ばした。
「そっかあ。優しい子だね、海里くん」
 それから頭を撫でられたのは正直、複雑だった。昔はあんまり意識したことなかったけどそういや三つも違うんだよなとか、でもそれだけで子供扱いされたくないなとか、そんなふうに思った。俺はずっとのどかさんと対等なつもりでいたし、恩を着せるわけじゃないけど意地悪なじいちゃんから庇ってあげたりしてたんだ。それがいつの間に、頭を撫でられるような年下の従弟扱いになってるんだろう。
「全部終わって帰ったら、お台所借りておやつ作ろっか」
 のどかさんはお姉さんらしい笑みを浮かべて言った。
「で、お仏壇にも供えよう。おじいちゃん、甘い物好きだったからね」
 俺はその笑顔を見ながら、背が高くなりたいと唐突に思った。
 のどかさんが俺の頭を撫でられないくらいに。

 そして念願叶って俺の背丈がのどかさんを追い越すぐらい伸びた今、のどかさんには成長とは違う変化が起きた。
 それで俺は時々思うわけだ。
 どうして、のどかさんなんだろう。

『……聞いて、海里くん。また夢に見たんだけどね』
 最近ののどかさんは、俺によく電話をくれる。
 ただしそれは俺達が従姉弟同士だからじゃない。遠距離恋愛中だからだ。この点に限って言えば俺はのどかさんに不思議な力が宿ったことをとても嬉しく思っているし、そのお蔭でのどかさんと付き合えてるんだとも思っている。
 それでもどうして俺じゃないんだろうという気持ちは拭えないけど、俺が離れて暮らすのどかさんの予知夢を毎日見てたらちょっと変態っぽいし、覗きみたいだから、これでいいのかもしれない。
『海里くんのお家の納屋に、手のひらサイズの小さな箱があるはずなんだ。取りつけ棚の上の段で埃被ってるんだけど、それを海里くんに確かめて欲しいの』
 のどかさんの予知能力は日に日に精度を増している。今のところ一度も外れたことはないし、以前よりも鮮明になっているようだった。俺が学校でどんな生活を送っているかも筒抜けらしくて、後輩の子になぜか告られた時はその日のうちに電話かけてきて突っ込まれた。そのくせ抜き打ち小テストなんかは前もって教えてくれなくて、それを言ったら『いつも勉強しときゃいい話でしょ』と言い返された。
 で、のどかさんが昨夜見た夢は、もしかしたらのどかさん、そしてじいちゃんの正体がわかるかもしれないものだったらしい。
「いいけど、その箱って中身何だった?」
『わかんない。でもね、蓋に絵が描いてあったんだ』
「何の?」
『……天狗の』
 そこだけ少し力なく、のどかさんは言った。
 のどかさんは自分の身に宿った不思議な力を受け入れつつあって、こと予知夢に関してはむしろ活用してる様子ですらあったんだけど、その力が何によるものかはっきりしない点が不安なようだった。ちょっと前に妙な葉団扇を見つけて以来、のどかさん天狗説がにわかに浮上してきて少しナーバスになっているらしい。どうせなら鼻が長くてお世辞にも美形とは言えない天狗より『エスパー美女のどかさん』の方が格好いい、なんて言っていた。
 そこへ来て、天狗説を後押ししかねない物証が夢に出たというんだから、のどかさんが気落ちするのも無理はない。
『海里くんどうしよう、私、マジで鼻伸びちゃうかも……』
「心配要らないよ、のどかさんの鼻が伸びたって俺の気持ちは変わんないからさ」
 俺がそう言うと、電話の向こうでのどかさんは不自然に黙った。俺に予知能力があったら今の表情も見えたのかもしれないと思うと非常に残念だ。
 ともかく、その夢は真相に辿り着けるかもしれない手がかりだ。
「わかった、調べてみるよ」
『お願い』
 俺は一旦電話を切り、のどかさんに言われた通り納屋の扉を開けた。そして取りつけ棚の上の段にあった埃まみれの小箱を探し当てた。
 何年もしまい込まれていたのか、箱には分厚い埃が積もっていた。手のひらで払うと、確かに葉団扇らしきものを持った天狗の顔が描かれている。
「あったよ、のどかさん」
 納屋を出てから再び電話をかけると、のどかさんは声を震わせながら応じた。
『ど……どうだった?』
「大当たり。天狗の顔が描かれた箱だよ」
『うわ……』
 ごくりと喉が鳴るのが聞こえる。
 俺は笑いを堪えながら続けた。
「でも、中身は思ってたのと違うんじゃないかな。花札だから」
『花札……?』
「そう。昔やったろ、じいちゃんと」
 小箱の蓋を開けると、確かに見覚えのある札が何枚も入っていた。松に鶴、菖蒲に八ッ橋、萩に猪――じいちゃんとのどかさんが遊んでるのを傍でよく見ていたから、俺もうっすらと覚えていた。
『花札の箱に、なんで天狗の絵が描いてあんの?』
「俺も知らないけど、そういう商品なんじゃない? 任天堂って書いてあるしさ」
『じゃあ単に、市販の花札ってことかよ……』
 のどかさんは落胆しつつ、ほっとしてもいたようだ。やっぱり天狗よりエスパーがいいんだろう。
 だけど俺は、のどかさんがこんなものの夢を見る時点で答えは出ているような気がしてならない。大体、花札がこんなところにしまわれていたこと自体、誰かさんの仕込みっぽい気がする。はっきり言うとのどかさんが落ち込むだろうから黙っておくけど。俺は、のどかさんが何者でも一向に構わないけど。
『これもおじいちゃんからのメッセージか何かかねえ』
 大きく溜息をついて、のどかさんがぼやく。
『にしたって、何が言いたいんだかわかんないけど』
「たまにはこれで、童心に帰って俺と遊べってことじゃない?」
 俺は花札の箱を手のひらの上で弄びながら応じた。
『海里くん、花札できたっけ』
「こいこいならわかるよ。のどかさんがぼろ負けするの、いつも見てたから」
『おじいちゃんは強かったからね、そういやいっつも負けてたなあ』
 あんなに何回も負かされてたのに、その上泣かされてもいたのに、のどかさんはまるでいい思い出みたいに語る。そんなんだからカモにされるんだよ、なんて今更言わない。
『けど、海里くんには勝てるんじゃないかな』
 おまけに根拠なく自信ありげに言うから、俺は思わず吹き出した。
「どうかな、俺ものどかさんには勝てる気がするよ」
『そんなはずないでしょ、こっちはじいちゃん直伝だよ』
「だからだよ。何なら、負けた方が罰ゲームってことにしようか?」
『ならば受けて立とう。私には予知能力もあるしね』
 それで自信たっぷりなのか。のどかさんの言葉に、だけどそれでも俺は笑った。
 今まで通りの展開なら、のどかさんが俺の用意した『罰ゲーム』の内容を夢に見て、そのせいで動揺して結局ぼろ負けする――なんてことになりそうだけど、どうかな。
 のどかさんの不思議な力はそんなふうに、時々のどかさん自身を困らせる。もちろん役立ったことだってあったけど、怖い思いをしたことだってあったはずだった。あのバイク事故の時だって、きっと。
「どうして、のどかさんなんだろう」
 燻っていた思いをふと口にしたら、電話の向こうからは怪訝そうな声が返ってきた。
『ん? 何が?』
 俺は少し考えてから、思っていたのとは違う答えを告げる。
「いや、どうして俺は、のどかさんを好きになったのかなってさ」
『は……はあ? いきなり何言うんだか』
 のどかさんが動揺したのが声から読み取れた。
「ま、答えは自分でわかってるけど」
 俺はずっと同じ女の子に振り向いて欲しがっていた。都会から来た三つ年上の従姉、じいちゃんにからかわれて泣いているのんちゃん、俺より少し早く大人になってしまったのどかさん。いつだって俺の方を向いて欲しくて、そう思う度に越えられない何かにもやもやしていた。それを越えることができたのが例の予知能力のお蔭だから、真剣に悩んでるのどかさんには悪いけど、俺は感謝しているくらいだった。
『答えって、何?』
 そう聞かれて、俺は答えを伏せることにする。
「次会った時に言うよ。だからまたこっちおいでよ、のどかさん」
『そう来るか……わかった。お正月にでも行けたら行くよ』
「ついでに罰ゲームも考えとくから」
『何それ。私が負けるの確定みたいな言い方するね』
 のどかさんは笑っていたけど、実際やってみたら勝つのは俺だろうなという気がする。これもある意味、予知能力かもしれない。

 どうして、のどかさんなのか。その答えは未だにわからない。
 でもわかっていることがある。のどかさんが何者でも、俺の気持ちは変わらない。たとえのどかさんが天狗でも、エスパーでも、そのどちらでもない何かでも、いつか同じ力を俺が得ることになっても、ならなくても――何が起きたって変わることはないだろう。
 せっかく叶った初恋だ、手放すわけがない。
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