17:スノーホワイト
キャンプのご飯と言えばやっぱりバーベキュー。お肉や野菜を網で焼くだけ、タレはふつうに市販のよくあるやつ、要は家でやる焼肉なんかと大差ない。なのに外で食べるとやたらおいしくて、そして楽しいから不思議だ。
もっとも今日の私はのんびり楽しんでいる暇まではなかった。
柳の手伝いをすると決めていたし、特にバーベキューには人手が必要だった。
「キク、火うまくつかないんだけど……」
「今行く!」
「野菜足りなくなっちゃったよ」
「切って持ってくから待って!」
「クーラーの飲み物切れそうじゃない?」
「はーい、売店行ってきます!」
飲み物は余裕をもって買ってきたつもりだったけど、真夏の炎天下じゃ消費も激しい。私は公園内にある売店までひとっ走りして、追加の飲み物を購入した。
ひとりだから袋に入れてもらって、意外とずっしり重いのを抱えて外に出れば、キャンプサイトに続く道から走ってくる姿が見えた。
つくづく目立つな、伊瀬の髪色。
「買い出し行くなら声かけろよ、水臭いだろ」
伊瀬は私の前まで来ると、息を弾ませそう言った。
「いいよ、伊瀬はテント張りでがんばったでしょ?」
「荷物よこせよ、持つから」
「いいったら。柳もね、『伊瀬は少し休ませてあげよう』って言ってたよ」
そう言った時の柳はちょっと申し訳なさそうにもしていて、急遽参加した伊瀬にたくさん働かせるのは悪いと思ったようだった。
だから私もバーベキューの手伝いに奔走した。伊瀬にはゆっくりご飯を食べて欲しくて。
「いきなりいなくなるからさ……」
彼はなぜか不満そうにしている。
「いけなかった? 伊瀬ならぼっちになることなんてないでしょ?」
「そういう問題じゃなくて」
「じゃあ、どういう問題?」
聞き返したら伊瀬は困ったような顔で黙った。
彼には珍しく、言いたいことがうまく言葉にならない様子で、一緒にキャンプサイトまで帰る間もずっと唸っていたほどだ。
実際、彼がひとりぼっちになる状況なんてありえなかった。バーベキューしてるみんなのところに戻ってみれば、また温かく迎え入れてもらっていた。
「伊瀬さん、もうお肉焼けてるよ!」
「こっち来て食べようよ!」
手招きされて、伊瀬はちらっと私の方を振り返る。
私がうなづくと、一度溜息をついてからみんなの輪に突入していく。
「食べ足りないなって思ってたとこなんだよ、悪いな」
人見知りをしない彼はたちまち他の子に囲まれて、楽しそうに笑いながら食事を始めた。テント設営での活躍が功を奏したか、みんなと初顔合わせなんて信じられないくらいの溶け込みようだ。もしかしなくても、私より馴染んじゃってる気がしなくもない。
私はまだまだ馴染めなくて、雑用係で働く方がよっぽど楽だと思ったりもする。
「キク、一休みしよ! ちょい冷めてるけどお肉もあるし!」
向こうで柳が手を振ってくれる。
その笑顔にほっとしつつ、私は彼女の元へ駆け寄った。実はお腹がぺこぺこだった。
バーベキューの後はみんなでいろいろなレジャーを楽しんだ。
貸し自転車をレンタルして川沿いのサイクリングロードを駆け抜けたり、芝生の上で輪になって、フリスビーやらバレーボールやらをしてみたり。
家族連れが草サッカーをしているところに交ぜてもらって、大勢でボールを追い駆けたりもした。
誰もが大はしゃぎで楽しんでいた。
でも一番楽しそうだったのは、やっぱり伊瀬だった。
そして日が暮れてきた頃、公園内のレストランで夕食を取った帰りに柳が言った。
「花火を買ってあるんだ。河原でやらない?」
彼女曰く、暗くなったらやるつもりで準備してきたものらしい。もちろん異を唱える人なんて誰もいなくて、私たちは河原へと移動する。
日が沈んだ河原は少し暗く、さらさら流れる水面がかすかに光って見えていた。
丸く削られた石の上にロウソクを立てて、火をつける。揺れる炎が辺りをまるく照らすと、みんなは各々花火を手に取ってそこに集まる。
夜になってもむっとするような蒸し暑さは続いていたけど、川の水音と花火のしゅうしゅう光る様子を見ていたらちっとも気にならなかった。柳もまた準備がよくて、手持ち花火以外にもネズミ花火やヘビ花火、パラシュートなどと種類豊富に取り揃えていた。
「どれからやろっかなあ」
伊瀬が花火を物色している声がする。暗くて姿が見つけづらいけど、楽しんでくれてるらしいのは声音でわかった。それは本当によかったと思う。
「キク、向こうでネズミ花火しようぜ」
と、そこで伊瀬が袖を引いてきた。
「好きそうだと思った……私はもっとおとなしいのでいい」
「ええー、花火といったらネズミだろ?」
「やだ、怖いもん」
「そんなこと言うなよ、ネズミ花火がかわいそうだ」
伊瀬は手のひらに乗せた花火に『なあ?』と声をかけている。
そうは言われても怖いものは怖い。私は花火セットから一番細くて埋もれていた線香花火を取り出して、楽しむことにした。伊瀬はと言えばその間に柳に引っ張られていったらしく、向こうでネズミ花火に火をつけて、歓声を上げているのがかろうじて見えた。
本当に、派手なものが好きなんだな。髪色と言い服と言い、花火と言い。
考えてみたら伊瀬は、私とは正反対だ。
河原の端に屈み込んで、私はひとりでぱちぱち弾ける線香花火を眺めていた。
火花が次第に小さくなって、やがて火球がぽとりと落ちる。その儚さになんとなくしみじみしかけた時、火球の傍に誰かの靴がそっと近づいた。伊瀬のスニーカーではなかった。
顔を上げるより早く、大柄なその人が私の傍らにしゃがむ。
「菊池さん、線香花火?」
棚井くんだった。
思わず固まる私に、彼は続ける。
「俺もいい?」
暗くて表情はわかりづらいけど、心なしか声がいつもより柔らかく聴こえる。
でも相手はあの棚井くんだ。少し怖くもあって、私は急いで花火を一本差し出した。
「ど、どうぞ」
「……ありがとう」
線香花火を受け取る棚井くんの指先は、震えていた。
私もびくびくしているのを悟られないように、平静を装って花火の先に火をつける。
線香花火が二本になったところで、派手に光ったり音を立てたりはしない。
ただ私と棚井くんの間を赤く、温かく照らしていた。
棚井くんはずっと火球を見ている。その顔が光を受けて赤くなっている。思えば彼の顔を落ち着いて眺めたのもこれが初めてで、今までなら考えられなかった。
意外と――と言ったら失礼かもしれない。
でも棚井くんは、こんなに穏やかな顔をする人なんだ。
線香花火を見つめる眼差しは思ったよりも優しく、そのことに戸惑う私がいた。
「バーベキュー、大変だったな」
棚井くんが、花火を見つめたままそう言った。
「え、そんな全然……」
とっさに声が出なくてもごもご答えると、彼は笑いもせず続ける。
「具合悪かったのによく働いてて、すごいなって思った。手伝わなきゃって思ったのに……声かけられなかった。ごめん」
意外な、言葉だった。
呆気に取られて、あわてて答える。
「ううん、それも全然! 今は元気だし気にしないで!」
「調子戻ったならよかった」
私の仮病を、棚井くんはずっと気にしてくれて、キャンプの間も見ていてくれてたんだ。
彼は怖い人で、私のことを嫌っているんじゃないかって今までは思っていた。でも――。
「菊池さんって……」
棚井くんが何か言いかけて、迷うように唇を結ぶ。
その顔を照らす線香花火の光がふっと消え、私たちは黙って次の花火を分け合う。先に火をつけたのは棚井くんで、その火球を私の花火に近づけてくる。
「火、あげる」
「ありがとう」
二本の線香花火に再び火がつく。
ぱちぱちと弾ける火花越しに、棚井くんが私を見ている。その眼差しを、さっきまでよりも怖いと思わなくなっていた。
「……色、白いな」
ふと、棚井くんがつぶやいた言葉の意味がわからなかった。
「え?」
聞き返すと彼はちょっとあわててみせる。
「あ、変な意味じゃなくて。菊池さんって、その、か弱いイメージあったから」
「私が?」
まさかと笑い飛ばすのは、仮病を使った身なのでやめた。
でもか弱いなんてことはない。むしろ丈夫な方だし、神経も相当図太いって伊瀬に言われたこともある。
「だから……その、気になって……」
棚井くんの声が次第に小さくなり、火花の音にかき消されていく。
でも気にかけてくれたのはわかった。うれしかった。苦手な人だって思っていたから、余計に。
「ありがとう」
もう一度お礼を言ったら、棚井くんは黙ってぎこちなくうなづいた。
それからほんの少しだけ、淡い光の中で笑ってみせた。
ふたりで線香花火をしていた時間は本当にわずかだった。
すぐに伊瀬や柳が乱入してきて、手持ち花火で追い回されたり、ねずみ花火に逃げ惑う羽目になった。棚井くんはそれきり笑うこともなかったし、柳に花火を持たされてうんざりしている表情ばかりで、話しかける機会もなかった。
でもあの短いやり取りが、不思議と私の心に残った。